縄文文化を巡る!(番外編)  
 「waiwai隊」 こだいのかお2・・平成29年度 公開承認施設認定記念特別展

講演会2 「縄文土偶のかお」 講師:原田昌行先生(文化庁)
於:松山市考古館
  平成30年2月3日(土)〜3月21日(水・祝日)
 2018年3月18日(日)

 松山市考古館で開催中の『こだいのかお2』展示会は、2ヶ月に渡る開催中に各種のイベントが開かれていました。今回の展示は、2日目に訪れていました。その様子は、コチラから 
そして、その際にレプリカで展示されていた遮光器土偶(青森県・亀ヶ岡出土)については、東京国立博物館へ立ち寄った際に偶然にも観ることが出来ました。  さて、下記に当展示会中(右ポスター)の催しを記します。


〇古代体験イベント 2月3日(土)10:00〜16:00

〇展示解説会
    2月4日(日)・9日(金) 13:30〜15:00

〇ギャラリートーク  2月25日(日)・3月4日(日)
    10:00〜11:00  14:00〜15:00

〇講演会1     2月18日(日)10:00〜12:00
  「弥生・古墳時代のかお・古代のかお
           〜考古資料にみる顔表現」
 講師:古谷毅先生(京都国立博物館)

〇講演会2     3月18日(日)10:00〜12:00
  「縄文土偶のかお」
 講師:原田昌幸先生(文化庁)

 昨年来、考古館へは何度も訪れています。当初は、新空港通りから丸山へと右折してくねくね道を利用していましたが、最近は、松山総合公園を通り抜けて駐車場へ向かう道を利用するようになりました。
 前回も載せました≪ごあいさつ≫を下に再掲しますが、今日は≪講演会2≫の「縄文のかお」(原田昌幸先生)の講演で、前回の講演会へは丁度、信越の博物館巡りと東京への所要などがあって、出席は出来ませんでした。講演開始の5分ほど前に会場に入りましたが、いつものように、ホールの5〜6分の入りでしょうか。

 講師の先生は“文化庁”という肩書ですが、ネット検索で判ったのは、重要文化財や国宝などの指定などを行う偉い人のようです。


ごあいさつ


 松山市を代表する「こだいのかお」といえば、松山市考古館のイメージキャラクターにもなっている、にっこり笑顔の『ふんどう君』(弥生時代の分銅土製品)です。
 今回は、公開承認施設の認定を記念し、学校の教科書や歴史の本などで見たことのある縄文時代の遮光器土偶や山形土器、弥生時代の人面文土器、古墳時代の人物埴輪たちに、全国から集まってもらいました。
 展示品をじっくりと観察すると、私たちの遠い祖先が「かお」に込めた思いやメッセージが伝わってきます。
 本展が古代の地域史紐解く一助になり、貴重な遺跡・出土品を後世に語り継ぐ機会になれば幸いです。
 展示会の開催にあたり、貴重な資料のご出展を快く承諾頂きました所蔵の各位、並びに格別のご配慮と、ご尽力を賜わりました関係の皆様方に心から御礼申しあげます。

      平成30年2月
      松山市考古館

『縄文土偶のかお』のレジメの要点

 土偶−その形の変化と面白さ−
                     原田昌幸

私たちにとって「かお」とは

縄文土偶にみる「かお」

土偶研究の歩み

縄文土器研究と土偶研究

土偶の形式学的研究

初期土偶に見る土偶形式

中期における土器形式と土偶の関係

中期終末期における土偶の危機

後期土偶の系列研究と西日本の土偶形式

晩期土偶の型式と形式

土偶形式の全国編年網感性に向けて

 (2018(平成30)年3月・『月間考古学ジャーナル』No.648、2010.12月号を加筆・改変)




以上の要旨のレジメを配布されましたが、講演会のパワーポイント画像を以下に載せます。



   

   

   

   

  

   

   

   
 以上のように画像をスクリーンに映しながら、レジメにある土偶の描画の解説で進んで行きます。冒頭には土偶の始まりとして、“上黒岩岩陰遺跡”の線刻礫に描かれた女性像を取り上げての説明です。そして、土偶の初期段階として“トルソー像(胸像)”で、女性がモデルであるという点です。旧石器時代の石偶から、縄文時代草創期の礫偶、そして縄文時代早期にはトレソー像が始まりです。そして、『日本で最古の土偶が発見された』として、近年相次いで見つかった松阪市飯南町の粥見井尻遺跡や滋賀県・東近江市の永源寺相谷熊原遺跡などが考古ファンの注目を集めています。
 そして、縄文時代前期の土版型土偶から中期へ入ると、東日本の各遺跡から出土された全身像の土偶が現れます。また、この時期から後になり国宝に指定されるような土偶が出現します。

以下に、国宝指定の土偶を書き出します。

「縄文のビーナス」 (縄文時代中期(5,000〜4,000年前)
長野県茅野市棚畑遺跡出土、尖石縄文考古館保管)

「縄文の女神」 (縄文時代中期(5,000〜4,000年前)
山形県舟形町西ノ前遺跡出土、山形県立博物館保管)

「中空土偶」 (縄文時代後期(4,000〜3,000年前)
北海道函館市著保内野遺跡出土、函館市縄文文化交流センター保管)

「仮面の女神」 (縄文時代後期(4,000〜3,000年前)
長野県茅野市中ッ原遺跡出土、尖石縄文考古館保管)

「合掌土偶」 (縄文時代後期(4,000〜3,000年前)
青森県八戸市風張1遺跡出土、是川縄文館蔵)
 


【AMS法による区分】

  草創期  15,000〜12,000年前
  早期    12,000〜7,000年前
  前期    7,000〜5,500年前
  中期    5,500〜4,500年前
  後期    4,500〜3,300年前
  晩期    3,300〜2,800年前



 前述の初期土偶の『トルソー型土偶』型式から、縄文中期には立像へと変遷します。レジメには、

中期における土器型式と土偶の関係

 縄文時代中期は、中部高地を中心に北陸から関東地方と、山形県から福島県を中心とした南東北と言う二つの地域で、初めての土偶の“盛行”現象が起きた。この土偶盛行は、それぞれの地域で異なった土偶形式を生み出したが、その両者に共通したのが、板状土偶から立像土偶へ、という土偶造形の平面から立体への強い思考力であった。とりわけ、中部高地周辺のエリアでは、中期初頭に始まる東部表現の立体化が“河童形土偶”を生み出し、程なく胴体を含む四肢の急速な立像化を経て、世界に誇る長野県棚畑遺跡例のような“縄文のビーナス”にまで到達する。「棚畑土偶型式」の確立である。
 一方、南東北の地域でも、別の造形表現から立像化が進み、山形県西之前遺跡の“北のビーナス”を到達点とする土偶が生み出された。これは時期的に、やや前者が先行するものの、日本列島内における土偶造形の到達点が、ほぼ同時期の中部高地と東北地方という二つの地域に求められる事実を示す。この時期・地域は、縄文文化の“爛熟期”と評されるに、遺跡の密度・内容が共に最も充実した時期でもある。
(以下略)


 講師は、『中期終末期における土偶の危機』として、一時期、土偶の発掘が見られない時期があることを指摘します。この事と共に、中部高地から東北地方にかけての土偶文化の盛行に比べ、西日本に於いては、同様の土偶文化の醸成が為されていないことにも触れています。これらの不明点については、以降の調査・研究の課題といえます。



 講演中に、以前開かれた土偶展の『図録』が廻されました。また、講師が見つけた土偶も廻されました。氏は、この土偶の発見が考古学へと誘った旨のお話でした。小生が少年期に住んでいた場所の近所で稲刈りの終わった田圃で見つけた弥生期から古墳時代の土器の欠片を見付けた事があります。その1960年代に、近所から遺跡が次々に発掘されていて、当時の小生の社会科の先生は、教員から文化財の発掘の専門へと転身した事も懐かしく思い出します。
 そんな田圃も現在は住宅地へと変わってしまいました。その校区からも、大規模な遺跡が沢山見つかっています。ここは、道後平野と呼ぶ重信川の扇状地に位置しています。つまり、弥生時代の水田稲作が広まった後の住まいという事。

 小生が縄文時代に興味を持った理由の一つが、『何故、縄文人が出現したのか』の疑問が解明出来ない点にあります。その事がはっきりするには、遺跡から出土する遺物にあります。その遺跡が、何処に存在するのかが判らない事も、その疑問の解明に至らないことの一つなのです。

 小生のホームグランドである四国地方においては、瀬戸内海の出現する『縄文海進』の前後で時代を分けて論ずる必要があります。瀬戸内海になる前の草原では、旧石器の時代からナウマンゾウなどをを狩り、今は瀬戸内海となった島々となってしまった場所で寝起きしていたはずです。そして縄文海進後に平野部に集落が築かれる以前の、河岸段丘上や盆地部での縄文集落の発見に注目する必要があります。同時に、縄文時代の一万数千年の間の気候変動とそれによる植生の変化などなど・・、の自然環境の変遷に注目しなければなりません。
 そんな事も考え合わせると、小生の住まいする道後平野から少し山へと向かい、山間の久万盆地から縄文の遺跡が多数出現することも、一つの答えなのでしょうね。


 講演の終了後に、ある方が「先日トーハクに寄った際、土偶展があるようだ」と、『特別展 「縄文−1万年の美の鼓動」』の情報を聞きました。展示期間は7月3日(火)〜9月2日(日)の開催です。 コチラから 


≪今回の考古館のイベントに関連した新聞記事≫
 
 
2018年3月3日付             2018年3月7日付