2023年  

 

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3月


 31日【睦月島・野忽那島】


2021年10月19日(怒和島)2022年11月3日(二神島・津和地島)と2回島巡りをした。なかなか面白いので3回目を計画した。

睦月島



 高浜港発7時10分のフェリー(三津浜から)に乗り込む。睦月に7時40分到着、30分の船旅だ。下船後、すぐにおっちゃんの趣味の常夜灯が見つかる。左は金毘羅大権現、右は秋葉神社と掘ってある。乙天保6年に設置されたようだ。

 しばらく大きな門構えの家が続き、家の前に
切り石の常夜灯と、自然石の常夜灯が並んでいる。左の切り石の方は、秋葉神社、戌天保9年と掘られている。右の自然石はどう言う由来かと見ていると、お家の方が戻ってこられたので伺うと、右のは海岸にあったのをここに置いたとの事だった。「舟の形をしとるやろ」と言われるので正面からよ~くみると、ほんと帆先に見えるな~。睦月の人口は1000人だったのに、今は150人だとの事。『ちょっとお待ち!』と、納屋からミカンを持ってきて下さった。


 防波堤沿いに歩くと、ヒジキが干されていて潮の香りがする。この島も空家が多い。玄関のガラス戸の向こうにツルの草が巻きついている家など・・。


 防波堤の端まで歩いてみた。そして引き返し、民家の間の道を歩く。蛸壺が積んである。角に西国三十三ヶ寺壱番のお地蔵さんがある。今回は、野忽那島にも行く予定なので踏破は無理だ。


 花桃が綺麗に咲いていた。睦月小学校の前に行くと、猫がぞろぞろと来て足元に寄ってきた。そして、門の中のフライパンの所に行くのだが、餌を持ってないのでガッカリさせたね。


 どこもかしこも小学校が廃校になっている。海岸沿いに出ると、ここにも常夜灯がある。


 海に面して、左が秋葉大権現、右側が金毘羅大権現と掘られている。海沿いから睦月スカイラインの「島四国八十八ヶ所」出発点に第壱番・霊山寺のお地蔵さんが立っている。この踏破も今回は無理だ。富田八幡神社の大楠を見る。


 少し時間があったので地図にあった池へ行ってみる。ミカン畑の間からグラウンドの柵に蔓がからんでいて、草ぼうぼうのグラウンドの周囲に植えられた桜が満開だ。道端に西国三十三ヶ寺の弐番のお地蔵さんが奉られている。池の近くに行ったものの池へは上がれず引き返す。港に引き返す途中で、家の前で休んでおられたご夫婦と話をすると、またミカンを下さった。用水の壁に『ここでゴミ捨てな』と書いてある。捨てるなと言うことは分かるが、方言なのかとり方によっては、『ここに捨てなよ』と、とれるかも・・(^^;)


 この家に絡まっているのが蔦だとしたら、緑に覆われるのだろうな。保育園跡を過ぎて港の切符売り場で出発時間まで待つ。この干されたヒジキは、これくらいで30万円はするとフェリーに同乗の方が教えて下さった。10時55分、野忽那までフェリーに乗る。


野忽那島



 11時12分、野忽那港に到着。下船したら目の前に木の階段が続いている。標高73mの皿山に行く階段だ。頂上には戦争当時つかわれていた監視塔があるそうだ。11時21分、階段を上がりきると、頂上(青春の桜道)への標識がある。歩き易い遊歩道だ。ずんずん歩くと、頂上へ突き上げる階段の所に木陰の道(だったと思う)への標識があったので、そちらを辿る。

 皿山頂上には11時42分に到着。360度の展望が開けている。風が気持ち良い。東屋で、今朝握ってきた筍飯のおにぎりを食べる。島には弁当を売っているお店がないのでお弁当は必須なのだ。


 下山は一直線の階段を下り、標識の所からは周回路を歩いた。西国三十三ヶ寺の≪第29番・青葉山 松尾寺≫のお地蔵さんを写す。周回路を下りると、お地蔵さんを集めて奉っている所に出た。こちらは四国88ヶ寺のお地蔵さんだ。公園か、幼稚園か、雑草に覆われたジャングルジムや遊具がある。地元の女性がおっちゃんに話しかけてきている。桜の花の咲き具合が良いとか、なんとか話していたようだ。


 集落の中を歩いていると、海水浴場への案内が目に入り標識通りに歩く。道は山手へと続いて、やがて島の裏側へ出た。小さな砂浜があったが、漂流物が散乱していた。その脇に、さっきのより尚古いお地蔵さんを集めて奉っていた。こちらのお地蔵さんは字の判読は出来ない。


 元の集落へ戻り散策だ。漁業の島らしく、道沿いに蛸壺が綺麗に並べて積んである。一枚目は素焼き、二枚目は釉がかかっているようだ。海岸沿いに安全地蔵が海に向かって立っている。


 大きなお家の裏の桜は大きいな。コンクリートの防波堤に沿って歩いていると、神様が奉ってあり周囲に珊瑚(?)が飾ってあった。


 このお家の門の向こうの中庭(?)に笹が浸食してきている。


 廃校の野忽那小学校にやってきた。


 子供達が授業で使っていたのだろうか、一輪車がある。ケーブルを巻いていた物に絵を書いてテーブルに使った(港の掲示板に河相我聞さんと子供達の写真がある)のが立て掛けてある。校庭の横に気象観測の入れ物等がある。


 玄関の横に良く見えないが≪創立百・・記念≫と掘っているみたいだ。明治10年(1877年)開校と言うから、1977年で100年だな

 港の待合所に、2003年に公開された『船を降りたら彼女の島』(木村佳乃主演、瀬戸内海の島々を舞台に、結婚を目前に控え帰郷した女性の切なさを描いた作品。)の撮影風景や、文化祭のゲストとして来られていた坂本冬美、NHK『ふるさと一番』(全国ネットの生放送)に出演した時(ゲストは河相我聞)の写真等が貼られている。

 14時31分発、高浜15時20分着のフェリーで帰った。島巡りはネットで下調べしてもイメージがわかない、やっぱり来て歩いてみないとね。観光地じゃないから面白いのかもしれない。


 25・26・29日【春の花巡り】 Ⅰ


25日 浄瑠璃町池



 今年は桜の開花が早い、我が家のトキワマンサク(紅花)も咲いてきた。という訳で桜の咲き具合のロケハンにドライブだ。池の木々の芽はまだ芽吹いたばかりだが、桜は咲いていた。道端にはオドリコソウが咲いていた。


 国道33号線から浄瑠璃寺にショートカットして下りてくる道をお遍路さんが来た。男性と、外国の女性だった。道端にワラビが生えていたので今年初めて採れた。

26日 松瀬川桜



 そろそろ百人桜が咲いているかと出掛けた。途中の山桜は雨に散りかかっていた。駐車場の所に植えられたクリスマスローズが可愛い。

        
 百人桜はまだ蕾だが、後に咲くソメイヨシノは満開だった。


29日 中津『花桃、大師堂枝垂桜、芝桜』



 昨夜のニュースで中津の花桃と桜が満開との事だったので出掛ける。美川の道の駅で昼食を食べて中津へ。集落の人の誘導(中津花めぐりの地図を貰う)でスムーズに駐車場へ行ける。まず花桃の里を見る。もう少しで満開との事だが、十分よく咲いている。


 展望台にも上がってみる。家族連れや、カメラ小僧ならぬ、カメラおじさんが多い。
 グルっと周った後、西村太子堂へ。道路は一方通行(中には、守らない人もいますが・・・)になっていて安心だ。


 西村大師堂枝垂桜(二代目が育っている)に行き、わいわいさんの趣味の常夜灯を見て、上の駐車場から2分の芝桜畑に寄る。


 花桃も、芝桜も、個人が植えているらしいが有難いな~。無料で見せて頂いて、帰りには「見て下さってありがとう」なんて言われる
のだ。


 20日【皿ヶ嶺】



 1月は皿ヶ嶺に2回行っているが、その2回目の時におっちゃんが三脚が重くて途中で行くのを止めてしまった・・という事もあり、2月は行く気が起こらず、3月になっても重い腰があがらなかった。そろそろ行こうと土・日を避けて、天気の良い日は今日だけなので、やっと行く気になった。

 上林の農家の方が植えているシコクカッコウソウが少し咲いてきている。上林林道は、月曜日なので登山者の車は少ないのだが、ダンプカーが急に降りて来たのには驚いた。風穴の駐車場の直ぐのカーブの手前に、工事中の旗振りの人がいて、大掛かりな法面の工事が行われていた。
 風穴を通り過ぎ、11時20分、上林トンネル南口から2ヶ所目の広場に車を停め、畑野川登山口へと林道を歩く。路肩は、あちこち猪に掘られている。登山口には車が一台停まっていた。11時40分、登山口を出発。


 まだ、春の花が咲いてないジャガー道から登山道に入り、ゆっくりゆっくり上る。いつも休む場所で腰を掛けると、目の前の立ち枯れの木の幹にキツツキが穴を空けている。

 登山道脇に一枚の芽が出ているので、じっくり見ていると、あら~まあ(^^♪ アワコバイモがあるじゃないの! この登山道で初めて見たな~。


 頂上への分岐を過ぎ、竜神平へ向かう。噂には聞いていたのだが、フクジュソウも見る事が出来た。たった2輪なのね。12時40分、竜神平に到着。愛大小屋のOさんと単独女性が話をしている。二人連れは頂上へ向かった。ベンチで食事中だった単独男性がこちらでどうぞと声を掛けて下さった。


 ベンチの上のマユミの枝から新芽が出ている。Sさんが頂上から下りて来られたが、す~っと(笑)半時計周りの周回路の方へ行かれた。waiwai隊も、後ろを歩いたのだが、出会う事はなかった。


 分岐の所の立ち枯れの木に、キツツキにつつかれた穴が並んでいるのが面白い。13時48分、トンネル南口に下りてきた。広場の前の路肩にフキノトウが咲いていて、よ~くみると食べれるフキノトウも少し残っていた(昨日は日曜日だったので、ほとんどは採られてしまっていた)ので、夕食は天ぷらにありつけた。


 風穴から水の元までの工事現場は、工事が進んでいる。1月10日に通った時に、去年の10月31日~2月24日までの工事予定の掲示があったのだが、雪の時に工事ができるのだろうかと思っていたのだ。2月から3月の間、こちらを通っていなかったのだが、また新たな工事が始まったようだ。帰りは、2台のダンプカーとすれ違ったが、土・日のシロート運転手とは違って、プロの運転は安心して対向できる。


 11日【面河村・土泥】



 わいわいさんの趣味の常夜灯巡り、常夜灯の奥にある空家の撮影もしたいと言う事で二度目の訪問だ。14時18分に着いて、 15時30分まで、集落の人と話したり、ああでもない こうでもないと写した。


 6日【松山城二之丸史跡公園・松山城】



 そろそろ山歩きを始めようと、足慣らしに松山城に上る事にした。月曜日なので県民美術館は閉館かと思ったが開いているようだ。美術館に用がある訳ではないのだが、お昼をどこかで食べてと思っていたのにあまり良い所がなく堀之内の城山公園まで来てしまったのだ。美術館の角にあるレストランが開いていたので、食事をとる。12時45分、松山二之丸史跡庭園で「二之丸つばき名花展」が開催中なので1人200円を払って入場する。いつもは脇を通って城山へは登っているが、初めての入場になる。

 ちなみに、ここ城山公園にあった、松山市営球場(2003年)、松山競輪場(2005年)、四国がんセンター(2006年)はそれぞれ移転しているが、waiwai隊が大阪へ転居している間(2002年~2010年)に起こった出来事だった。そして、平成の大合併で旧住所まで変わってしまっていたのだった。


 この二之丸庭園は、先の城山公園の移転に先駆けて、1992年に新設されていたのだが、前述のように初めての入園となった。庭園を周っていると、女性が「良い音がしますよ」と教えて下さったので竹筒に耳を当てると、ほんとうに良い音がした。♪ 『水琴窟』だそうだ。


 13時30分、松山二之丸史跡庭園をグルっと周って黒門口登城道を歩く。ここからは何度も歩いているコースだ。ぼつぼつ歩いている人がいて、慌ててマスクを着ける人もいるので、私たちも着けて上がることとした。ロープーウェーからの道と合わさると、ぐっと人手が多くなってガイドと一緒の観光の人にも沢山出会う。


 筒井門をくぐって、14時前に本丸前広場に着きソフトクリームを食べる。松山市の向こうに石鎚山が良く見えた。


 黒門口登城道を歩いている時に、下りてきた女性から「北の方の道(古町口登城道)が整備されて階段も少なく一番歩き易いですよ」と教えて下さったので、乾門方面から下りる。桜の時も松山城に来る事はなかったが、来てみると良さそうなので今度来てみよう。


 こちらは、良い梅の木があるが、もう終りかけだ。14時45分、若草町に下りた。帰路は堀の土手を周回する。水仙・椿・終りかけの梅が咲いていて、ヒカンザクラ(?)は満開だ。15時20分、ベンチでおやつを食べて帰った。


 4日【松山総合公園・松山市考古館】



 朝、新聞で松山市考古館で特別展『古墳時代のヤマト~奈良県唐古・鍵遺跡から纏向(まきむく)遺跡へ~』が開催されているのが載っていたので行く事にした。それだけでは何なので、松山総合公園を歩こうとコンビニで弁当を買って出掛ける。

 12時5分、総合管理棟のある第3駐車場に到着。さくらの丘へ上がる階段はしんどい。ベンチで弁当を食べ、まずは椿園へ。


 少し下りて椿を見るだけの予定だったが、結局グルっと周った。さすが松山市の花だけあって相当な数の椿があるもんだ。


 展望広場には13時30分に到着。マンサクが満開に咲いていた。マンホールの蓋も椿の模様だ。今日は展望台には昇らずに下りることとした。東の方向には松山城が、その奥に石鎚も遠くに見えている。


 松山市考古館に向かうべく、さくらの丘を経由して「あんずの里」へ下りる。道の左右に大型犬ドッグラン、小型犬ドッグランがあり犬が楽しそう遊んでいる。いつも停める第4駐車場の横から松山市考古館へ向かう。14時に到着。


 今回の特別展示は有料だった。奈良県唐古・鍵遺跡の弥生時代の絵画土器を見る。楼閣を描いた絵画土器は国重要文化財だそうだ。大阪在住中にこの楼閣の横をよく走っていたので懐かしい。この土器に書かれた絵のとおりに再建したんだな。祭りに使われたとみられる木製仮面も興味深かった。ボツボツと、見学の人も来ていたようだ。おっちゃんが、ロビーに見本を展示している『松山文化マップ』4冊と、『俳句の里まつやま』の全5冊セットを購入していた。
 14時50分、駐車場に戻り帰路についた。