縄文文化を巡る!  
 2019年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)
入江・高砂貝塚遺跡(2019年6月19日)

 北海道の遺跡訪問は二度目となります。前回訪れたのは2017年5月、函館を起点にして、森町の鷲ノ木遺跡と函館市の大船・垣ノ島遺跡を訪れて、函館市の縄文文化交流センターの展示には驚かされたのを憶えています。今回の『JRフルムーン夫婦グリーンパス』を利用しての縄文遺跡巡りの旅は、昨秋、10月9日~15日までで計画していました。旅行社で予約を終えて数日後、北海道胆振東部地震が9月6日に起こりました。
 私たちは昨年夏、東京への旅行を計画していた折り、『平成30年7月豪雨』被害によって、JR四国が予約できなくて飛行機による東京往復を余儀なくされました。そんな事件が覚めやらない内の出来事でした。

 地震後、直ぐに予約をキャンセルし、ほぼ同じ行程で今回の“フルムーンの旅”の実施でした。その事で後になって事件が起きることには気が付いていませんでしたが、それは後述する機会があるでしょう


 一昨日、松山から函館までのJRの旅で函館泊でした。翌18日、函館から洞爺まで移動してレンタカーで洞爺湖温泉で一泊の予定で、有珠山トレッキングなどを楽しみました。その様子については、コチラから 



 今朝はとりあえず撮影という事で、洞爺湖温泉から『壮瞥滝』へ寄り道。瀧の駐車場では女性カメラマンが帰り支度の最中でした。『思ってたより水量が多かったですよ』などと言葉を交わしましただけで、女性は車に乗って走り去りました。

 洞爺湖のパンフレットには『洞爺湖唯一の流出口である壮瞥川に落ちる高さ18mの滝。露出する岩盤は「力岩(ちからいわ)」と呼ばれる。散策路あり。』と書かれています。30分ほどの撮影で、道の駅に立ち寄った後、一路『入江・高砂貝塚館』へ。


 webで確認したとうりに、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」にも参加している入江・高砂貝塚遺跡が、今回の旅の最初の目的地です。


【関連リンク先】 
洞爺湖町 史跡 入江・高砂貝塚
         
北海道・北東北の縄文遺跡群(世界遺産登録を目指して)

 
 
・6月17日(月) 松山  ~岡山  ~東京  新函館北斗 ~函館(泊)
・6月18日(火) 函館  ~洞爺  ~有珠山トレッキング ~洞爺湖温泉(泊)
・6月19日(水) 洞爺湖温泉 (撮影) ~入江・高砂貝塚~北黄金貝塚~東室蘭(泊)
・6月20日(木) 東室蘭  ~札幌~小樽  ~小樽市総合博物館・手宮洞窟保存館~小樽(泊)
・6月21日(金) 小樽  ~札幌~大麻(北海道埋蔵文化財センター) ~札幌  ~函館(泊)
・6月22日(土) 函館  ~新函館北斗  東京  ~千葉県・佐倉(泊)
・6月23日(日) 佐倉  (国立歴史民俗博物館) 佐倉  ~東京   ~岡山  ~松山
 
 


 北海道での最初の遺跡巡りは、入江・高砂貝塚遺跡です。以前に北海道を訪れた際は、噴火湾の南側を函館へと向いました。今回は、噴火湾の北へ室蘭へと向かいます。その最初が洞爺湖町で、以下は、webで紹介されている紹介文です。


北海道南西部、洞爺湖町入江と高砂町の噴火湾を望む標高10~20mの台地上に位置し、縄文時代前期末から晩期中葉(紀元前3,500年~紀元前800年頃)にかけて形成された貝塚を伴う集落遺跡です。

貝塚は長期間にわたる定住と環境変動への適応の実態を示すとともに、墓地として繰り返し利用されていたことから、貝塚自体が神聖視されていたことを示す物証といえます。貝塚、竪穴建物跡、土坑墓等から構成され、貝塚からは、貝類のほかに海獣類や魚類の骨もみられるなど、銛漁や釣漁などの漁労文化の発達したこの地域の特徴をよく表しています。竪穴建物跡は、入江貝塚を中心に縄文時代前期から後期にかけてのものが見つかっています。

入江貝塚では縄文時代前期末の人骨が4体、中期のものが4体、後期初頭のものが7体の計15体分が、高砂貝塚では、後期初頭の土坑墓が1基、晩期中葉のものが28基発見され、大規模な墓地の存在が明らかとなっており、長期にわたる環境の変化に適応した生活の実態を示す重要な遺跡です。また、猪牙製品やオオツタノハガイ製貝輪など、北海道では手に入らないものも発見されており、他地域との活発な交流があったことを示しています。


 貝塚館へとカーナビに導かれて小道を曲がると、【縄文シティサミット INとうや湖】開催記念の像が迎えてくれました。

 すぐ先の駐車場には一台も停まっていなくて、貝塚館の受け付けの女性が迎えてくれました。いつものように、こういう施設の入館者は稀です。

 施設は円形に造られていて、ぐるっと壁面にパネルが掛かり、壁面の棚には遺物が並べられています。部屋の中央は何かの催しに利用されているようでした。

受付を入ると、下記のパネルが迎えてくれます。

尚、小生が使用している時代区分を以下に記しますが、これは本州・九州・四国に当てはまる歴史区分であり、北海道については、別に述べる機会があるものと考えます。。


【AMS法による区分】

  草創期   15,000~12,000年前
  早期     12,000~7,000年前
  前期     7,000~5,500年前
  中期     5,500~4,500年前
  後期     4,500~3,300年前
  晩期     3,300~2,800年前


 


入江貝塚館へようこそ

 入江貝塚では、昭和17年にはじめて発見されてから、十数回にわたって発掘調査が行われています。台地からは大きな貝塚や縄文時代の家の跡、墓、使っていた道具などがたくさん出てきます。こうしたものをくわしく調べていくことで、縄文時代の暮らしを知ることができます。ところが発掘調査を行って見つかったのはほんの一部だけで、ほとんどは今も土の中に眠り続けています。
 入江貝塚の整備はこうした文化財の保護を目的としています。入江貝塚公園には土葺きの竪穴住居を復元したり、実物の貝塚を展示したりしています。解説版もたくさん設置しています。
 入江貝塚館では、縄文時代に使われた道具や食べていたものなどを展示しています。映像や写真、解説もそろえてありますので、縄文時代の人々がどのようなくらしをおくっていたのかイメージしながらご覧になってください。


≪貝塚館の様子≫

 

 






   

  

  

   


 上掲の右写真は、“猪牙製装身具”と呼んでいる。イノシシの牙で作られているもので、縄文後期と思われる入江・高砂貝塚から出土の遺物。イノシシについては、北海道には居ないとされていますが、当時のこの地域の人たちには貴重なものだったのでしょう。
 北海道にイノシシは居ない件については、以前、NHKの朝ドラ“マッサン”で『「イノシシの肉だ。精つけて早く元気になれ」と差し出す』とのシーンが物議を醸したのは、一昔前なのでしょうか?

 さて、石器類や装飾品の棚に続いて、土器類の陳列棚を下記に紹介します。初めに紹介するパネルを以下に書き出します。


早期・前期の土器

 入江の台地でもっとも古い土器は早期の終わりごろ(約6,000年前)の土器です。この土器は「東釧路Ⅳ式土器」とよばれていて、この時期には北海道全体に分布していました。文様は3本の縄を三つ編みにして押し当てています。
 入江ではこの時期の土器はあまり多くはありません。おそらく集落は他の場所にあって、入江台地からは狩りや量のためのキャンプ地だったのかもしれません。
 前期の終わりごろ(約5,000年前)になると、台地上には竪穴住居がつくられ、集落が営まれるようになります。また、貝塚がつくられるようになったのもこの頃です。
 貝塚の最も下の層や竪穴住居跡から、この時期につくられた土器がたくさん見つかります。土器の形は大きな「筒」のような形をしていて、その形から「円筒土器」とよばれています。文様は大きく上下に別れていて、上の方は縄を押し当てる文様、下の方は細い棒に縄を巻き付けたものを転がして、綱や木目のような文様をつけています。
 「円筒土器」は、ゆっくりと変化しながら中期の前半までつくられました。

 

中期の土器・後期の土器

 中期の前半の土器にも「円筒土器」と呼ばれています。前期の土器と比べて、口の部分がアサガオの形のように開いたり、大きな突起を付けたりと変化してゆきます。また、土器の下の半分は縄を転がして、鳥が羽を広げたように見える「羽状縄文」が多く見られます。
 中期の後半の土器は、縄文だけつけられた土器や木の棒などで突いて文様がつけられた土器などがあります。また、これらの土器と一緒に東北地方でつくられた土器も見つかります。入江貝塚では集落から少し離れたところにつくられた竪穴住居跡から東北地方の「榎林式土器」(約4,000年前)が出土しました。
 後期に入って最初に現れる土器は「余市式土器」といいます。この土器は、大きなバケツのような形をしていて、文様は主に縄文だけがつけられています。土器の表面に縄文をつけてそのあとに粘土の帯をまくのが特徴です。
 また、こんp土器が使われていたころは貝塚がたくさんつくられた時期でもありました。虻田町内だけでも入江、高砂、清水の3カ所の台地にこの時期の貝塚が発見されています。
 次に現れる土器は「入江式土器」です。この土器は昭和25年の発掘調査のとき入江貝塚から初めて見つかったことから入江の地名をとって名付けられました。
 文様は主に木の棒などを使ってカニのはさみのような文様やトランプのスペードマークのような文様などが描かれています。ほかの時期の土器と比べてもひじょうに個性豊かな土器です。「入江式土器」は、北は札幌周辺から渡島半島にまで分布していますが、青森県や秋田県でも「入江式土器」とよく似た土器が出土していることが知られています。


 
さて、時代区分の件に触れておきましょう。小生がいつも扱っている最新の時代区分については、既に述べています。しかし、今回は北海道の時代区分を改めて載せておかなくてはいけません。この貝塚館に掲げられている区分表から、以下に書き出します。


 
[貝塚館の時代区分]        【AMS法による区分】

             草創期   15,000~12,000年前
10,000年前~6,000年前  早期     12,000~7,000年前
6,000年前~5,000年前   前期     7,000~5,500年前
5,000年前~4,000年前   中期     5,500~4,500年前
4,000年前~3,000年前   後期     4,500~3,300年前
3,000年前~2,300年前   晩期     3,300~2,800年前


 
この時代区分表は、最近、見直されている区分表に改定される以前のものと思われます。全国にある、それぞれの資料館などは、地域の行政が管理監督をしていて、問題意識を持たない人達が運営しているものと見受けられます。こんな現状で『世界遺産登録』云々を声高に言うのは如何なものでしょうか?
 しかし、前記、地方の行政の方達の苦労を察することも出来ます。まず、遺跡が見つかって、遺物を掘り出されたものがどういうものかを判断するのは、
どこかの大学の先生方でしょう。それらが、毎年更新されるとは限りません。

 下表は『北小金貝塚の縄文人たち』(北海道伊達市教育委員会)からの転用です。


 続いて、土製品や装飾品類が飾られていました。


左、環状土製品 右、ミニチュア石斧

 

左、ヒスイ製勾玉 右、抉状耳飾
 



 余り大きくない貝塚館ですが、2階にも展示室があるようで、階段を昇って行きます。階段上のロビー様の場所に、展示されていました。
 壁面に掲げられている展示パネルには、≪旧石器時代≫≪続縄文時代≫≪擦文時代≫という北海道特有の文化の説明もありました。このことについては、この旅シリーズでその内に触れる機会があると思いますので、ここでは省略します。

 また、この地方の個人所有の『採集遺物』も展示されていました。










 私達のレンタカーのナビは、上図の高砂貝塚の左端の道を下の方から向かい、入江・高砂貝塚館へと左折しました。その左折点にモニュメントが建っていたのでした。入江・高砂貝塚館からそれぞれの貝塚遺跡までは、『歩いて数分で行けます』との受け付けの女性の言葉でした。

 貝塚館を見終えて、入江貝塚に向いました。こちらは、綺麗に整備されている様子で、定期的に整備の手も入っているものと思われます。
 右の写真の大きな木の向こうからは、幼児たちの遊ぶ元気な声が聞こえてきていました。

   

   

 貝塚遺跡には、沢山のパネル展示されていて、それらを見て回るだけで時間を要します。ここでは、パネルの全てについての紹介は省きますが、その中の一部を以下に転記します。



 入江貝塚の整備

 入江貝塚を発掘すると、縄文時代の住居跡や貝塚、土器・石器・骨角器などの道具類がたくさん出土します。ところが、発掘調査を行って見つかったのは一部だけで、そのほとんどが現在も土の中に保存されています。入江貝塚の整備はこうした文化財の保護を目的としており、ここには、縄文時代の竪穴住居を復元したり、ほんものの貝塚を展示しています。



 史跡入江・高砂貝塚

国指定文化財 史跡
入江貝塚     昭和63年5月13日   文部省60号
高砂貝塚     平成14年3月19日   文部科学省告示第47号
入江・高砂貝塚 平成14年12月19日   文部科学省告示第209号
           平成23年9月21日   文部科学省告示第144号
【指定理由】
 入江貝塚は、東方に有珠山を眺め南西に内浦湾を望む標高二〇㍍前後の海岸段丘上に立地する縄文時代後期を中心とする貝塚である。厚さ三㍍にも及び種々内容の異なった堆積層やウニ、ニシンといった動物遺体の出土など北海道の貝塚の特色を良好に示している。さらに出土している多数の人骨は、人類学上貴重で我が国の縄文時代の研究にとって欠くことのできない遺跡である。

 

 展示のパネルには、発掘調査の状況や各種遺物の写真なども展示されています。遺跡広場の東端には、トンネル状の場所にパネルが展示されていて、遺跡への出入り口が作られています。







 壁面には、パネルの展示だけじゃなく、貝塚の断面なども展示されています。



   

 




 入江貝塚遺跡を見終えると、高砂遺跡へと移動しました。こちらの方は、入江貝塚と違ってまだ整備されていません。広大な空き地状ですが、通路だけは出来ていて、何かの設計図みたいなものはあるのでしょう。また、一面に貝殻を敷き詰めているゾーンがありました。


 




 昼前には洞爺湖町での遺跡見学を終えたので、次に予定している伊達市へと移動します。昼食の場所については、事前調べはしていないので、途中の道の駅で済ませることとして、ナビに次の目的地を入れ、出発です。



【資料集】

北海道・北東北縄文遺跡リーフレットシリーズ 「史跡入江・高砂遺跡」【2018(平成30)年2月】