縄文文化を巡る!  
 2019年「waiwai隊」 縄文遺跡を巡る旅(北海道・北東北)
入江・高砂貝塚遺跡(2019年6月19日)


 朝一番は、洞爺湖温泉から洞爺湖の東端まで走り、滝の撮影を済ませていました。それから洞爺湖町へと戻って、入江・高砂貝塚館と遺跡巡りを済ませました。
 次の目的地は伊達市となりますが、その前に道の駅で昼食です。レンタカーのナビには事前の情報なしでは、入力は出来ません。なにしろ、初めて訪れると地で地理に不案内なものなので、目的地までに目に付いた場所が一番です。車を走らせていると間も無く、海沿いの場所に発見。そこは“道の駅あぶた”でした。


 目的の北小金貝塚遺跡のhpには、以下の紹介文がありましたので、転載します。



北海道伊達市の南端、噴火湾に面した舌状台地に立地し、縄文時代前期(紀元前5,000年~紀元前3,500年頃)の貝塚を伴う集落遺跡です。

遺跡全体の保存状態が良好で、貝塚からはハマグリ、カキ、ホタテなどの貝類や、マグロ、ヒラメなどの魚骨のほか、オットセイ、クジラなどの海獣類の骨も多く出土しており、海洋漁労に依存した沿岸部の生業の特徴を示しています。5か所ある貝塚の位置は、時期によって変化した当時の海岸線と連動しており、自然環境の変化と生活域との関連性を示す好例となっています。また、埋葬人骨を含む14基の墓やシカの頭骨を配置した動物儀礼の痕跡が確認されており、「送り場」としての貝塚の性格をよく表しています。

なお、出土した人骨は保存状態がよく、北海道の古人骨研究の基準資料となっており、北海道の人の成り立ちを明らかにする研究や本州縄文人との比較がなされています。

湧水点近くからは大量の礫石器(すり石や石皿)が出土しており、そのほとんどは破損していることから、石器の廃棄に伴う祭祀場跡と考えられます。環境の変化と人類の適応、貝塚や水場での祭祀、さらに当時の墓制を知るうえで重要な遺跡です。



【関連リンク先】 史跡 北小金貝塚


 
 
・6月17日(月) 松山  ~岡山 ~東京 ~新函館北斗 ~函館(泊)
・6月18日(火) 函館  ~洞爺  ~有珠山トレッキング 洞爺湖温泉(泊)
・6月19日(水) 洞爺湖温泉 (撮影) ~入江・高砂貝塚~北黄金貝塚~東室蘭(泊)
・6月20日(木) 東室蘭  ~札幌~小樽  ~小樽市総合博物館・手宮洞窟保存館~小樽(泊)
・6月21日(金) 小樽  ~札幌~大麻(北海道埋蔵文化財センター) ~札幌  ~函館(泊)
・6月22日(土) 函館  ~新函館北斗  東京  ~佐倉(泊)
・6月23日(日)  (国立歴史民俗博物館)佐倉  ~東京  ~岡山  ~松山


 
 


【伊達市噴火湾文化研究所】

 

 昼食を終え、次の目的地は伊達市噴火湾文化研究所です。朝方の洞爺湖町から辿って来た国道37号線は“胆振国道”と呼ぶらしい。そう云えば、昨年の計画を延期したのが、9月に起った『北海道胆振東部地震』でした。そして、伊達市に入って間もなくナビどうりに目的地に着きました。
 ところが玄関を入るも、それらしき(展示場)案内がありません。受付の男性に案内され、『遺物などについては、この4月にオープンした歴史文化ミュージアムに展示していますが、一部なら・・』と、廊下の奥へと案内されたのです。

 ケースを覗いて、写真に収めれば終了です。男性は『絵画などには興味は無いですか?』と言うではありませんか。なにあろう、小生、高校では美術部でした。『見せて貰います』と返事。伊達市にゆかりの画家の描いた絵やここで行われている絵画教室なども紹介されました。中でも、写真のように描く絵画の作者が有名らしいのです。

 裏の駐車場からは、有珠山や昭和新山が垣間見えました。




 


【だて歴史文化ミュージアム】



 熱心に案内されましたが、私達の当初の目的の縄文の遺物を探しに、今春、開館した歴史文化ミュージアムへと向かったのです。市内の中心部らしい場所では、迷うことはありません。

 ナビの指定通り駐車場に車を停め、受付を済ませました。受付嬢は、何んかぎこちない・・というか、よそよそしい感じ。事前の予備知識も無いミュージアムですが、玄関ホールの脇に階段があり、2階が展示場となっていました。



 


 2階は、近代的な展示場となっていて、綺麗な装いです。ここは、市の博物館の様相で、伊達の名の由来である伊達氏が関わる歴史資料が沢山展示されていました。私たちの興味があるのは、ほんの少しのコーナーだけでした。入館料が随分高く感じたものです。



伊達市内の縄文遺跡

市内には北黄金貝塚や若生(わっかおい)貝塚などの著名な遺跡があります。これらは伊達高校の教諭であった考古学者峰山巌氏が発見。生徒とともに調査しました。北黄金貝塚は縄文時代前期(約6,000年前)の5つの貝塚と墓、水場の祭祀場が発見されており、世界遺産候補でもあります。遺跡の特徴は史跡北黄金貝塚公園で知ることができます。


有珠山と噴火湾ー自然に育まれた縄文人

市内には約90か所の遺跡があり、縄文時代早期(約9,000~7,000年前)から人が住んでいました。噴火湾は国内有数の貝殻地帯といわれ、特に有珠地区には道内の貝塚の約1/5が集中しています。これは、約1万年前に噴火した有珠山の山崩れにより、天然の良港である有珠湾が作られ、海産物をとった人々の暮らしが続いたのです。




 [貝塚館の時代区分]        【AMS法による区分】

             草創期   15,000~12,000年前
10,000年前~6,000年前  早期     12,000~7,000年前
6,000年前~5,000年前   前期     7,000~5,500年前
5,000年前~4,000年前   中期     5,500~4,500年前
4,000年前~3,000年前   後期     4,500~3,300年前
3,000年前~2,300年前   晩期     3,300~2,800年前




 前掲の年代表は、今までの私達には無い時代考証があります。それは、【●日本海に対馬暖流が流入 ●間宮海峡と根室水道の成立】についての記述です。これは、瀬戸内海に海流が流入し関門海峡と豊後水道及び、紀伊水道とで外海と結ばれています。それは、最終氷期が終わって気温が上昇し、当時、氷河が溶けて来たことにあります。

 氷河が溶けることにより起った海面の上昇の出来事は“縄文海進”と呼ばれます。最寒冷期後、1万9,000年前から起こったとされる海面の上昇は、6,500~6.000年前まで続きます。現在、北海道と呼ばれる地域に人が住み始めたのは縄文海進のピーク時より以前の事だと、上の図は示しています。



 

 

 
 
【北黄金貝塚情報センター】

 
 
 今日から始まった考古館巡りは、何か消化不良気味の様相です。今までの縄文遺跡巡りで感動を憶えたのは、そこに国宝や重要文化財が飾られているからだけではありません。学芸員らしき人の説明にも感動を覚えるものなのです。
 そんな消化不良も仕方ないと思えるのは、今回の旅の準備不足にあるものと早くも反省しているのです。そんなこんなで、次の目的の遺跡は、同じく伊達市内の史跡北黄金貝塚公園内の北黄金貝塚情報センターです。ナビは直ぐに目的地を告げます。国道を曲がると、直ぐに貝塚公園の駐車場の案内があります。ナビによるとセンターは、すぐ先のようです。しかし、その先は障がい者用の駐車場との案内で、一般駐車場が見当たりません。
 センターの入り口の手前に管理棟みたいな家があり、その建物の前に駐車スペースがありました。車を置き、センターの庭で作業している方に駐車場の件を尋ねると、「駐車場は向こうだが今日は少ないから、ここでも良い」との応えでした。

 センターへ向かうと、子供たちが見学に来ているようで賑やかな声が響いていました。『だて歴史文化ミュージアム』からは、20分ほどでした。

 

  


≪左、石でできたネックレス 右、ヘヤーピン≫

 


≪左、土偶 右、トリの骨でできたネックレス≫

 

 

 
 

≪クジラの骨でできた刀≫ ≪クジラの骨、シカの角でできたスプーン≫

 


≪シカの角でできたくし≫





 展示コーナーの奥では、椅子に座ってビデオを見ている人たちがいました、私たちも椅子に座り暫し拝見することとしました。車いすに乗った子と、介助の方らしき人も一緒にビデオを見ていました。ビデオが終わると、改めてセンター内を見て回ったのでした。



 


 

 下写真は北黄金貝塚情報センターで購入した『北黄金貝塚の縄文人たち』の冊子の中に載っていたものをコピーし、転載しました。
 



 

 

 


 建物の裏には子供たちが集められて、何やら教室が始まっています。さて、情報センターの展示を見終わると、裏の公園に出てみます。ここが、史跡北黄金貝塚公園となっています。


 公園の入口と思しき場所に、案内板があり、そこから踏み跡が続いています。勿論、踏み跡を辿らなくても綺麗に整備されていますので、どこでも歩けます。




 あちらこちらに案内の石が配置されています。上の写真には、『史跡北黄金貝塚公園』の案内で【2011年5月 第2版】と、書かれていました。下の左の写真には『水場の祭祀場』の説明が書かれています。


 前述の『北黄金貝塚の縄文人たち』には、『北海道の縄文人は、永い間、本州縄文人と世界観や文化を共有していたが、生活の基盤となるもっとも大切な食糧については、海の幸に頼り続け、決してクリの栽培や稲作農耕には手を出さなかったのでした。実は、そのことが、本州の文化とアイヌ文化の分かれ道にもなったのです。』と記述されています。

 今回の旅で、最も知りたかったのは、縄文時代の終焉後、何故、本州以南の人々と違う道に進んだのか?との疑問の解明にもあります。


 

 

 

 


 随所にある説明書きは、『竪穴式住居』や『貝塚』などの説明などがあります。学校の校外学習の場としては、良い教材となっているのでしょう。私の小学生の当時(昭和30年代)は、先の大戦後の復旧の時期であったためか、まだまだこのような文化的要素にには目が向けられなかったように思います。


 今日は、朝から『入江・高砂貝塚遺跡』に続いて『北黄金貝塚遺跡』と、貝塚の遺跡を巡ってきました。当然、このような貝塚遺跡の立地条件は、海に面した小高い場所に立地していることは共通しています。



 pm3時過ぎには史跡の見学を終えました。今日の予定は無事終えたので、後は東室蘭まで走ってレンタカーを返却するのみです。JRの駅は、東室蘭駅とは別に室蘭駅がありますが、本線を通っている方が東室蘭だという事を知ったのは、この旅行の計画段階でした。

 その条件は、レンタカーの返却可能な営業所があるか否か?というのが第一条件でした。私達が始めた『フルムーン夫婦グリーンパスの旅』は、観光地を巡る旅じゃないので、一般の旅行の計画とは少々異なっています。
 つまり、ご当地の名物や美味しいものを食べて回る・・というような発想はありません。


【資料集】

北小金貝塚パンフレット【2013(平成25)年3月】

北海道・北東北縄文遺跡リーフレットシリーズ 「史跡北小金貝塚」【2018(平成30)年2月】