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2007年「waiwai隊」 夏の山歩きの記録 |
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2007年8月8日(水)〜8月12日(日) |
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・8月11日(土) 【常念乗っ越しテン場〜常念岳〜蝶槍〜蝶が岳(テント)】 |
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「夜明け前に出発して、朝陽を狙う」という当初の目的には無理な時間だった。目覚めると、相棒がテントの撮影と、夜明け前の出発する登山者の灯りを撮影なのだ。朝食を済ませ、テントの撤収をする頃には、空は白み始めていた。 |
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ご来光を頂上で拝む人たちは、次々と空身で登って行った。さて、我々は重いザックを担ぎ「別に頂上じゃなくても良いよね」と、“槍・穂”が見える撮影場所を探しながら登るのである。相棒の「ここら辺りにしよう」の声が合図である。
乗っ越しから20分ほどの所で、路を外れた所に、登山者に邪魔にならないようザックを置き、撮影タイムである。 |
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朝陽の当たる“槍・穂”を堪能しての再出発の頃には、ご来光見物を終えて下山する人たちに会う。私たちが撮影していた場所に「こちらを降りるのですか?」と聞くご婦人があったり、空身で降りてくる御高齢の婦人(70歳代か?)に「あなた達の倍の歳よ」と相棒が言われ「あの人、私らが何歳と見えたのかなぁ、倍なら11×歳よねぇ〜(ギネス物である)」と話しかけてきた。 |
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常念岳までの400mの登りも、ゆっくり登れば着くものだ。なにせ、何時何時までに・・との制約などない。その頂は、岩の重なった中にある狭い場所だった。 |
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そこそこに、再度の撮影タイムである。「もうちょっと山の陰が・・」など、少々の時間待ちは常である。常念岳から蝶ガ岳方面を見ると、大きなピークが二つ見えていた。そこのアップダウンだけでも汗が吹き出しそうである。 |
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左手には本沢が安曇野へと流れ烏川〜穂高川〜犀川と名を変えている。右手には梓川から槍沢を従える槍ガ岳。そして、梓川を挟んで横尾本谷を遡れば涸沢カールの涸沢小屋まで垣間見ることが出来る。もちろん、穂高の峰々が指呼の間である。また背後には、昨日踏んだ、大天井からの常念道の峰々である。 |
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さて、縦走路はガラガラのザレた道で、急勾配の岩の間に続いている。直ぐに、縦走の人に出会った。「蝶を4時に出た」という人たちだった。勾配は急なのだが、さして危険な所もなく鞍部に着く。
鞍部で休んでいた“神戸大学ワンゲル部員”は、大きなザックを担いで常念を目指して出発である。さて、降り終わったら登りである。一つ目のピークは2512mである。 |
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大天井〜常念までと違って、木々が繁るピークは、2700〜2800mより僅か200〜300mの高低差だけで異なるものなのか?(この事が、森林限界と呼ぶのか?)
木々の下に陽は射さないものの、吹き抜ける風は無い分、随分、暑く感じる。もう、沢山の縦走者と行き違った。その殆どが、蝶ガ岳からの人たちの筈である。また、昨日までのパノラマと違って、樹林に続く路は、花などにしか目が向かない。
昨日作っておいた、朝・昼兼用の食事も、常念の頂きと、先ほどの休憩時に平らげてしまっていた。
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今回の山行の準備は、全くいいかげんなもので、今までの買い置きの食材を拡げて「3泊ならこれで良いだろう。昼は、小屋で食べればいい」と、適当だった。しかし「昼食は小屋で・・」というのは、その頃に小屋に着く算段があっての事で、何時頃着くか判らないのでは、なんとも・・・
やがて小ピークに差し掛かると、マルバダケブキやハクサンフウロが咲き乱れていた。 |
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さて、最後のピーク(ここでは、アップダウンの少ないピークは除く)が見えてきた。鞍部までにお花畑があったが、通過。そして、登りである。出会う人たちは皆、路を譲ろうとするのだが、こちらから譲る。ゆっくりと休憩を交えながら登りたいのだ。
やがて、常念から見えていた“最後のピークの手前の路”に差し掛かった。頂上までのザレたジグザグの急登の路である。最後の岩のところで相棒が「ちょっと、ザックだけでも持ち上げてくれんと、登れん!」との事だが、私がザックを上げて、空身になっても、相棒は、それでも岩を越えれなかった。「なんなん、ちゃ〜んと横に路があるやん!」で、私がとったルートが悪かったようだ。 |
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最後のピーク“蝶槍”へ立つと、来し方、常念からの路がガスに見え隠れしていた。また、常念を出発後、始めて真近に蝶ガ岳を望むこととなった。ヒュッテやテン場を目前にした場所は、昨年やっとの思いで横尾から登った場所だ。しかし、小屋までの“稜線漫歩”のはずの一時間が、今回の一番苦しい時間だった。
しかし相棒は「結局、軽荷の人には追い越されたけど、テン泊装備の人には追い越されなかったね」と、誇らしげだった。 |
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小屋での受け付けは、設営料金の支払いのみで“札”などはない。また、水は1.5g200円と、前日までより割安だった。ここのテン場が、上高地からのアクセスが便利なせいか、前日までより多くの、色鮮やかなテントで賑わっていた。私達のテントは、いつものようにテン場の端っこに設営である。
さて、食料の再点検である。ザックの食料を丹念に調べる。夕食は、雑炊とシチューにすると、明日の行動食と朝食を確保する必要があった。相棒は、明日の食料は小屋で弁当を注文すれば充分だとした。
簡素な夕食を終えると、眠るだけなのだが・・夕食を終える頃、雲行きが悪くなっていた。テントに潜り込むと、間もなく雷雨が襲ってきた。 |
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テントでウトウトしていると、相棒が外の声に飛び出していった。虹が出ているそうで、撮影対象になるかどうか確認にでたのだった。結局、虹も、夕陽も撮影できなかった。 |
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テントに戻ると直ぐに、外がザワザワしている。梓川を越え、穂高の山々の向こうへと、雲が凄い勢いで流れ、東の空から青空がみるみる拡がって行く。しかし、穂高の山々が現われる前に、直ぐに黒い雲が覆い尽くす。どんなにか黒い雲の向こうの赤く焼けたくもや青空が見えると壮大なことか?
しかし、それも叶わぬまま夕焼けショーは終焉を迎えた。
明日の朝に期待して、今夏最後のテント泊を楽しむだけである。 |
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《それにしても歓心するのは、相棒の強い意志である。『リウマチ』という訳の判らない病気にも立ち向かっていく意志である。この病気に負けない“強い意志”に逢ったのは、二度目である。
35年前、それは、私たちが結婚して半年後の事だった。私は、医師に呼ばれ『現在の医学では、治療の方法がない』と、言われた。当時は、治療方法が確立されていなくて、治療といっても、ただベットに寝て、味気の無い食事療法しか無かった。
その時彼女は、知り合いの紹介で“淡路島の町営の療養所での断食療法”に一縷の望みを託したのだった。この一ヶ月の治療の後、玄米食と青汁での東洋医学による療法を取り入れたのだ。数ヶ月後、医師の薦めを断って強制退院した病院に検査に行っ際、検査の結果に驚いた医師が「どんな治療をしたのですか?」と驚く程、回復したのだった。その食事療法は数年続け、徐々に体調も回復し、健康な人と同様の生活に戻っていた。現在では、その病気の治療方法も確立し、気を付けて生活することで、健康体を維持する事が出来るようになってきている。
そんな35年前の記憶を呼び覚ます、現在の彼女の病気に対する“強い意志”には、感服するのみである。この目的に向かって進む“意志”は、彼女が少女期に両親を亡くし、一人で生活をせざるを得なかった事にも、その要因が求められるのだろう。
今回の“槍・穂パノラマ縦走”から帰って、偶然にも「朝日新聞・土曜版」の特集に「松濤明と芳田美枝子」が載っていた。この松濤明が“北鎌尾根”で還らぬ人となった事件は彼の『メモ』でその詳細が明らかになったのだが、後に、二人が「氷壁」の主人公と恋人のモデルになったとも言われている。私自身は、彼の“意志”に非常に共感を覚える。強い意志にである。何事にも、安易に妥協しない。自分が納得さえすれば進む。“メモ”にある『アリモト ヲ ステルニシノバズ・・』と記す項に来ると、いつも活字が滲んでしまうのだ・・私も、こうありたいと。》
北アルプスの山々に抱かれて夜を迎えると、不思議な感傷を覚える。それは、先人たちの残した遺物の影響なのだろう。今、下界と隔絶されたテントの外もまた、下界と違う世界が拡がっている。 |
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常念岳〜蝶ガ岳の途中の岩稜地帯では、槍ヶ岳・穂高の絶景を見ながらなんで・・、2度ザックを降ろして撮影したけど・・、もう一ヶ所撮りたい所があったけど、3度目はねぇ〜、さすがに言い出せんかったんじょ。
今回の山行では、「いい所へ行きましたねぇ」の写真は撮れたけど、山岳写真と呼べるものは、 2、3枚しか撮れんかったんで・・、山行記に作品の写真は貼り付けられんかった。(-"-)
岩稜地帯を抜けてお花畑もあったけど・・、疲れ果てて、お花を写そうと35ミリのカメラに50ミリマクロレンズを着けて持っとったんやけど写す気力がなかったわ〜。waiwaiさんがコンデジのメモリースティックの予備を忘れていたので、その代わりとして使って重宝したけどねぇ〜。
暑さとアップダウンで、1人 1リットルの水も不足しそうだし・・、蝶槍と思われるピークに着く前に、まだこのピークの向うに蝶槍が見えたらガクッと来ると思うたんやけど、蝶槍だったんでホッとしたんじょ。 この時、隠し玉の“ブドウ糖”を食べたんやけど、おいしくて元気が出たわ。ヽ(^。^)ノ 蝶ガ岳ヒュッテの宿泊者かな〜、軽荷で蝶槍まで来る人を横目に亀の歩きだったんじょ。
病気の事は、癌を克服した訳じゃなし〜 大袈裟ね〜。 (^_-)-☆ |
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