2007年「waiwai隊」 夏の山歩きの記録   
   2007年8月8日(水)〜8月12日(日)  
     
    ・8月10日(金) 【燕山荘テン場(テント)〜大天井岳〜常念乗っ越し】  
   朝が来る前に、外を覗いた相棒の「星が綺麗よ!」の声で、ゴソゴソと起き出した。今回の山行計画は、一日目は中房〜燕岳、二日目は燕岳〜大天井岳〜常念乗越し、三日目は常念岳〜蝶ガ岳、四日目は蝶ガ岳から三俣へと下山と、一応の計画を立てていた。しかし、最初に書いたとおり、相棒の体調と相談しながら、予定の組み換えを考えなければならなかった。  
     
    黎明の月  
       
   朝陽の撮影が終わって、テントの撤収後、今後の行程を決めないまま、とりあえず出発である。  
     
  燕山荘からお花畑と富士山 燕山荘前で  
     
    右手前方に聳える“槍”を観ながらの“表銀座”を歩く。それほどのアップダウンの無い、歩き易い路は、軽荷のスニーカを履いた親子さえ歩く路である。蛙岩(げえろいわ)に差し掛かると「こちらで撮影していたのですか?」の声である。直ぐ上方で、昨日のカメラマン氏が、朝から“表銀座”へ足を運んでいたのだ。三脚を立てている場所から「燕を入れて、覗いてみなさい」で相棒は、ビューファインダーを取り出して覗いていた。  
     
   蛙岩と槍ヶ岳  5分程の立ち話しで、お互いの健闘を祈って、再び、“表銀座”縦走路へと足を踏み出す。しばらくで急降下の場所に着く。

 ここで一休みである。今日は大きな荷物を背負っているだけで、汗が噴出す上天気なのだ。燕山荘で買った一g200円の貴重な水は、少しづつ減って行く。

 小休止後、出発しようとしていると、私達と入れ替わりに、若いペアが近付いて来た。昨日、私達のテントの横にテントを張っていた若者だった。彼らは「今日は西岳でテン泊して、明日、槍に登って、槍沢で泊まって上高地へ降りる」そうだ。挨拶を交わして、我々は出発である。
 
     
  燕岳を望む  
     
    大下りのあと、路は尾根の左側を巻くように作られていた。樹林の中へ続く路では、汗が噴出す、水を補給する、の連続である。そんな路も長くは続かない、やがて小さなコルに出た。風が汗ばんだ体を冷やして、気持ちいい。先ほど、私達を追い越していったスニーカの親子が休んでいた。以降、大天井岳への登りまで、前後して歩くこととなる。

 再びの“槍”を観ながら、少々のアップダウンを繰り返すと、前方に鎖とハシゴが架かった鞍部に着く。ここが“切道岩”という箇所だった。この“表銀座”から“槍”への縦走路を作った“小林喜作”のレリーフがはめ込まれていたのだが、通り過ぎてしまった。この“喜作新道”は、この先の大天井岳から常念岳へと続く常念道と別れて、東鎌尾根へと向かうこととなるのである。
 
     
   大天井への縦走路  やがて、大天井岳が眼前に立ちはだかる。取り付きからザレた路である。その路は、ハイマツを縫うように続いている。少しの登りで、先に記した常念道との別れがある。もちろん、“槍”へ向かう人たちの中にも大天井岳のピークを踏んでから大天荘脇を降りるルートがある。

 一方、大天井岳を巻いて右へとルートを採ると、大天井ヒュッテへと向かう路だが、我々は、“槍”へは向かわない。路は、ジグザグを繰り返す。重いザックを担いでの登りに、息を整えつつ足を進める。ハイマツの枝を掴んでバランスを取りながら進んでいると、ハイマツの奥でガサガサっと、何か動物の動く気配がした。姿は見えないものの“ライチョウ”じゃないかと思った。
 
     
    先ほど、鞍部のあたりで確認していた男性の二人連れが腰を下ろしていた。遅れ気味に登っていた一方の人が、非常に辛そうだった。ギラギラと照り返す陽は、もう朝の清々しさも失くし、我々に襲い掛かってくる。それほど傾斜の無いザレた路の上方に青空が近付く頃、大天荘の一角に飛び出したのだった。小屋の売店は、まだ昼の営業をを始めていなくて、傍らで、大学生のグループとおぼしき団体が、テント脇に集合していた。また、小屋にザックをデポして、大天井岳へのピストンに出かける人たちも多い。相棒は、小屋で飲み物を補充して、出発である。  
     
   大天荘はもう少し  さて、どちらへ足を踏み出すか?相棒との打ち合わせの“キー”を握るのは、彼女の体調である。「今来た路を引き返すか?どうかなん?引き返すのは、いややなぁ〜」で、常念を目指す・・と、即断である。

 今回の計画の作成段階で私の頭に浮かんだのは、のらくろ山岳会の『いまだ下山せず』だった。彼らは、冬季、常念乗っ越しから一の沢を下山し、雪崩にやられたのだった。その一の沢と、三股へのルートを下山ルートとして選んでいた。常念へと進むなら、どちらへ下山するかは今日・明日の相棒の体調によって決めればいい。
 
     
  穂高〜槍ヶ岳  
     
    常念道は、“槍・穂”を観ながらのスカイラインの道だ。右手に拡がるパノラマに思わず「カメラ出してもいぃ?」と、早くも撮影タイムである。撮影が終わって、5分も歩かないうちに「ここ撮っていぃ?」と、全くペースが上がらないが、こういう場面にも、最近は慣れてしまった。ペースに乗れないまま、とに角、縦走路を進む。“らいちょう”が一羽、姿を見せる。暫らく進むと、ピィ〜ピィ〜と、路に飛び出してきたのは、親子だった。親の鳴き声に向かって付いていったヒナは三羽だった。しばらくで、路の右手に石積みがあった。「旧二の股小屋」跡だそうだ。

 歴史のある路は、何を語る?
 
     
  雷鳥 雪渓のコンデンスミルク入り掻き氷をくれた親子  
     
    東天井岳分岐を見送り、廃道の標識を左へとハイマツの林を行く。直ぐの鞍部で、親子が休んでいた。私達も小休止である。父親が雪渓に降りて、雪を採って来るのを観て、相棒の「雪を採ってきて、保冷剤が切れてるし」で、私が雪かきである。そして、父親が採ってきた雪渓で作った“コンデェンス・ミルク入りの掻き氷”を遠慮なく頂いたのだった。  
     
  常念岳への縦走路 常念岳  
     
    横通岳を巻きながら少しで、前方に立ちはだかる常念岳の威容と、ず〜っと下方に常念乗っ越しに建つ“常念小屋”が見えて来た。ジグザグの下りも、樹林帯に入ると乗っ越しの砂礫に躍り出た。  
     
   常念岳乗っ越しへの下り  小屋横のテン場には、先着のテントは3〜4張りだった。小屋の受付で明日の予定を聞かれ「とりあえず、一の沢へ下山」と応え、生ビールで乾杯である。

 テントをテン場の端っこに張り終えると、相棒はテントに入り、下着やシャツを着替えて「リウマチ」の治療である。これは、先ほどの雪渓で保冷してきた注射針と薬での治療だ。ザックに大事に入れて山へ持ち込んだ薬が、この先の行程を左右する。落ち着けば、昼寝を決め込む。
 
   
   この、常念乗っ越し周辺では相棒の眼鏡にかなう風景が無いようだ。一眠りの後、明日の行程を相談だ。相棒は、あっさりと「蝶ガ岳まで行こうか」との返事だった。小屋に下山ルートの変更を伝えて、改めて明日の水を購入だ。おまけに、今晩もワインを購入だ。昨日と同様に、明日の行動食を作って、酔いが廻ると、あとは寝るだけである。  
   
   
   
   
    昨日痛めた右足付け根からお尻の筋痛は、治まる気配もない・・、でも せっかく来たのに、ここで停滞して撮影と言っても、イルカ岩位しかないし・・と、とにかく大天井に行って決めようと出発したんじょ。
途中で、昨日の理事さんと会って、「撮影を切り上げるのが早いな〜、まだ向こうにお花畑があるよ。昨日はガスが吹き上げて撮れなかったが、今日は撮る予定だ」と聞いて・・、気持ちが、ここで止めて停滞しょうか〜と揺れたけど、頑張る事にしたんじょ。

 大天荘で本を見ると、ここまでと、常念小屋までとじゃ〜 常念小屋までの方が歩行時間が短いので行く事にしたんじょ。ゆっくり歩き、よいしょと上らないといけない所は、なるべく左足で上ったんじょ。そして、本によると、今日の歩行時間は5時間35分で、明日の蝶ガ岳までの歩行時間は4時間30分となってたんで、蝶ガ岳まで行こうと思ったのが・・ 生易しい事じゃなかったのよね〜。^_^;