2007年「waiwai隊」 夏の山歩きの記録   
     2007年8月8日(水)〜8月12日(日)  
       
   ・8月12日(日) 【蝶が岳(テント)〜三股(登山口)・・しゃくなげ荘〜吹田    
     
   最後の朝も暗いうちから起きだす。ヘッデンを点けて相棒のあとを続く。皆が朝陽を見る場所じゃなく、ちょっと離れた場所がいいらしい。そこは、小屋から少し行った『瞑想の丘』付近だ。前方の暗闇に二人影がみえると「ライトを照らさないで」との声である。夜空を撮っているようだった。西の空は、薄紅く水平線(?)を浮かび上がらせているが、その下の街の灯は、未だ安曇野を眠りから覚めさせてはいない。

 三脚を立てて、相棒がカメラをセットしていると「6X6ですか?なかなかシブイですね」と、一人のカメラマンに声を掛けられる。相棒は、ニコッと微笑んで準備に余念がない。穂高連峰に朝の陽が射し始めた。いつものように、ブツブツ言いながらシャッターを切っている。
 先ほどのカメラマンが「頂上で朝陽に向かって“バンザ〜イ”と叫ぶ人たちとは、私達は違う人種だ」など話しかけて来た。そして、相棒とカメラ談義、写真談義を始めた。私は手持ち無沙汰である。女性が山岳の写真を撮るのが珍しいみたいで、話は尽きない。
 
     
   
   横尾尾根と槍沢  
     
   
   北穂〜涸沢〜奥穂  
     
     
   西岳〜大天井  
     
     
   一枚目:瞑想の丘からの槍ガ岳  
     
  蝶ガ岳 7:58

 さて、撮影を終えて後は下山するのみである。今日の水は、千代さんに小屋まで買ってきてもらった。私は、トイレと、下山口までのタクシーの予約である。公衆電話の前には電話番号と、登山口までの所要時間(あくまでも目安)が書いてあった。「8時に出発として、11時半から12時ぐらいになります」と連絡した。
 
     
    さて、こんな場所にくると地図など広げない習慣がついてしまっている。その事で事件発生である。テン場の直ぐ上の蝶ガ岳の頂上で記念撮影後、長塀尾根への路を行く。私は、これを辿れば途中で三股(直ぐに、大滝山への分岐あり)への標識がある・・と歩く。が、10分程歩くものの路は南から西へ向こうとしていた。「おかしいなぁ」と、相棒とザックを置き、引き返した。蝶の頂上手前で、運良く下山者に出会った。「三股への下山口は何処ですか?」に、「テント場の東端に標識があります」との事。な〜んてこったぃ。
 もう一度テン場に引き返した。30分のロスである。さて、あせっても仕方がない。重いザックでも、降りなので随分気が楽である。暫くで、二人連れの女性が上がってきた。直ぐにお花畑があり、そこに分岐があった。
 
     
  クルマユリ  
     
    暫く降りると、“旧ベンチ”の標識がある所でスーパーのゴミ袋が落ちていた。「誰が落として行ったのかなぁ〜」と拾って、私のザックに括りつけた。路は樹林の中、トラバース気味に一気に高度を下げて行く。また、良く整備されていて、真新しい“針金”で修理されていた。  
     
   常念岳

 暫くで、3名のうら若き女性に遇う。「小屋のアルバイトに登ってきたような感じ」だと、相棒と話すが何の根拠も無い。彼女達が休んでいた蝶沢の源流部には、水は流れていない。「ちょっと休憩」で、昨日小屋で買った弁当を食べる。

 下山開始後、450m程降りたことになる。約三分の一は降ったのである。常念岳は、左手に聳えているが、以降、見える場所を楽しみに降りる。
 
     
    小憩の後、降り始める。ここまでは、西向きの路だったが、以降、北へと向きが変わっている。この頃には、次々と2名・3名・5名などの小グループと行き違うようになる。勾配が緩やかになり、路がぬかるんだ場所もあり、そんな処には木が置かれていた。

 親子連れのグループなども次々と上がってくる。中には、幼稚園生かなと思われるような母子連れもいた。ここを上がるのは、大人でも5〜6時間は掛かると思われるのに、大したものである。地図上の1916mあたりから、尾根状の急勾配になって200mの降りである。この頃には、沢の音が聞こえるようになる。直ぐ下を蝶沢が流れている。路は尾根を外れ、再び、西へと向きを変えていた。
 
     
  ソバナ 常念岳と前常念岳  
     
    前方に始めての下山者を認めた。地図では、もう1650m付近である。暫くで、二人連れのペアに路を譲ってもらい、30分の遅れを取り戻そうと、先を急ぐ。5名ほどのグループが上がってきたが、その中の若い女性が苦しそうである。グループの一人が「飴でも舐める?」と、言っていたが「ここで、あんな状態で登れるんかいなぁ〜」と、相棒が囁く。私たちは、いつもよりは下山の速度は速くはないものの順調に高度を下げる。そして、水場に荷を降ろして小休止である。    
     
  やっと下山出来た 11:51 林道終点からタクシーまでは、林道を歩く 12:10  
     
    先ほどのペアが降りてきた。奥さん(?)の方は、日帰り装備のような軽荷なのだが、ご主人は大きなザック(テン泊装備)を担いでいる。「タクシーの予約を12時頃と言ったのですが、大丈夫でしょうかねぇ〜」と、話しかけると「私達は12時半と言いました」との事だった。まぁ〜ここからだと30分ぐらいで着くだろう・・っという事で「お先に」と、分かれる。

 結局、本沢の橋を渡り、左からの前常念岳からの路が合わさった所が“三股”だった。ここが、12時だった。ここには「タクシー乗り場は、この先の大駐車場にある」と書かれていた。林道歩き10分の結末だった。
 
     
  やっと、登山者無料駐車場に帰って一服 12:40  

 駐車場には、三台のタクシーが待っていた。名前を告げ、タクシーに行き先を「しゃくなげ荘へ」と告げた。運転手の話によると「実は、まだ復旧工事中なのだが、昨日から“お盆期間中”は工事が休みなので、上まで入れた」そうで、2Kmほどの林道歩きが省略されたそうだ。

 烏川林道脇を流れる本沢は、穂高川から犀川と名を変えるが、千曲川(信濃川)へと流れ、遥か日本海へと旅をするのである。
 
     
    しゃくなげ駐車場前でタクシーは停まった。温泉・昼食とゆったりして、往路と一緒の復路は、高速の“お盆渋滞”でも余裕がある。それは、今回の山行の結果が物語るのであろう。

 久々の、充実の夏山行だった。
 
 
   
   
   
   さて、二日目の旧二の股小屋跡の『歴史のある路は何を語る?』なのであるが、帰宅後、調べているとありました。それは、小島烏水(日本山岳会の創設者)の『余の日本アルプス登山談』(山岳第一年第三号、明治39年)の記述に記載されている小屋だった。彼は、中房温泉からツバクロ岩(燕岳)〜大天井岳〜常念岳〜南蝶ヶ岳〜上高地への縦走を書き記していた。

 上記は、『奥常念岳(現、常念岳)を登る』(小島烏水著)という本で詳細な記述もある。当時、日本に於ける“趣味登山”の草創期の山登りは、当時の“陸地測量部”による地図作りが、日本全国の奥地・秘境を白日のもとにする・・そういう中での、日本山岳会の船出だったようだ。西暦1906年の事だから、100年の歳月が過ぎている。
 
   
      
    テント泊中は、夜寝る前、朝出発する前、テント場に着いた時にしか、おトイレに行きたくならなかったのは、高山病の一歩手前かな〜。下山途中で手はパンパンになるわ、タクシーに乗った途端に胸がパクパクして、温泉で測った体重は増えとったんじょ。おニューの靴は、やっぱり履き慣れたんじゃないとダメね〜、かかとの靴ずれの水泡が潰れて酷い事になったんじょ。(>_<)

 この、タクシーを予約してるって言うのが、焦るわね〜。下山口からタクシー駐車場までの林道歩き中に、登山者が3組歩いて来たんで、そのついでがあるから少々遅れてもいいか〜と思ったけど。

 身体の調子が悪くなって2年間、waiwaiさんを待たせたけど、こんな夏山縦走が出来るなんて夢のようだわ ヽ(^。^)ノ これからも、長〜く山歩きが出来るように、あまり無理をせず、治療をしながら体調を整えて行こう♪