
第330回 ありがとう
はじめに
2019年1月3日、19回目になるまーちゃんの年明けのライブが開催されます。時間の経過とともに、会場や形式を変化させながらもこれだけの回数を重ねてきたのは、求める側の意思と求められる側の意思がしっかり組み合わせられていた結果でしょうね。こうしたやり取りがずっと続いてきたことに対して、まーちゃんはたびたび感謝を口にしていますし、こちらも同じ気持ちはあります。
今回は、そうした気持ちをまーちゃんの側からつづった「ありがとう」について、何かしら書いてみようと思っています。
みんなに向けて
こうした曲でのまーちゃんの詞の常で、ぱっと見は二人の関係を書いたラブソングって感じなんですよね。まぁ、茅原実里さんの「ありがとう、だいすき」からさらにだいぶ段階が進んだ頃、というイメージでしょうか。
ただ、まーちゃんの曲をたくさん聴いて、ブログやラジオでその考え方に触れていると、もっと幅の広い人たちに向けて発信しているんだろうな、というのは感じます。多分、「聴かせてよ君の声」あたりからそんな雰囲気が見え始めたと思いますが、まーちゃんがこうした曲で使う「君」っていうのは実は複数形で、ライブやイベントに足を運んでいたり、曲を聴いていたりする人たち全てを指すんでしょうね。
もしかしたら、曲の中でみんなで歌える場所を設けているのも、そうした気持ちが影響しているのかもしれないですね。曲を聴く人たちがいてくれたからこそ辿り着いた20年目という時間を、そうした人たちみんなで共有したいから、声を合わせて歌う場面を作ったんじゃないでしょうか。そして、そうした時間を作ってこられたことに対して「ありがとう」というのがこの曲の気持ちなんでしょうね。
難しいからこそ
そうした感謝の気持ちを持つのはともかく、言葉にするのはなかなか難しいことでしょうね。水樹奈々さんが「Nostalgia」で歌っているように言いたくても言えずにいるっていうことも多いですからね。それをきちんと発するのは、勇気がいることでしょう。
ただ、逆に言うとそれだけにちゃんと言葉にできるのは強くなれた、勇気を持てるようになれたということの証明になるのかもしれません。だから、この曲や南條愛乃さんの「だから、ありがとう」ではしっかり言葉にしてくれていることで、その思いの確かさがちゃんと聞いている側の心に届くんでしょうね。
とはいえ、たった一言でその心にある気持ちをすべて伝えられるということもないでしょうね。その両者の間にあったことが多ければ多いほど、言葉は足りなくなるでしょうから。入日茜さんが「ありがとう」で歌っていることですけどね。
それでも、言葉にしないといけないことというのはあるので、すべての想いを込めて「ありがとう」というんでしょうね。まーちゃんがこの曲の最後でそうしているように、ですね。
最後に
…ということで、「ありがとう」から感じたことを書いてみました。まーちゃんが20年を迎えた年に作った曲だけに、素直に気持ちを伝えてくれるものになっているんじゃないでしょうか。だから、聴いている側としては、それをしっかりと受け止めて、何らかの機会に気持ちを返しながら、新しい何かを作り出す時をじっくり待っていたい、というのが気持ちですね。
これで、まーちゃんがランティスに移籍してから、アルバム「Peace Ring」に至る分の曲については一通りやったことになりますね。しばらくはまた不定期更新ということで、まーちゃんが何かを生み出してくれた時をメインに書いていこうと思います。
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