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CD Release

第142回 春、君想フ

はじめに

 今年は暖冬なので、日にもよりますが、昼間に外に出ていると何か暖かくて違和感があったりするんですが、皆さんのところはどうでしょうか? それでも先週末あたりにはこちらで雪が降ってたりと、時には冬らしい天気になることもあります。
 さて、冬はいろんなことが息をひそめて暖かくなるのを待ってるような時ですが、アルバム「10 LOVE」に収録されている「春、君想フ」でもそんな雰囲気を感じます。そこで、今回はこの曲からいくつか想像を膨らませてみようかな、と思っています。

「雪が溶けたら何になるでしょう」

 この曲は、暖かくなったら…という気持ちを胸に迎える冬の頃の気持ちを歌っています。最近、この手のフレーズを見るとどうしても「フルーツバスケット」を思い出すんですよね。原作の12話に「雪が溶けたら何になる?」「春になりますね」っていうはとりと透のやり取りが印象的なシーンのひとつになってます。で、このあたりのことが「フルバ」全体の根底にあるわけで、だからこそ「For フルーツバスケット」でもまだ遠い春を待っていたんだ、というフレーズがあるんでしょうね。ちなみに、思いっきり余談になりますが、原作の72話、透が紅葉に曲をリクエストするシーンで、本当なら「For フルーツバスケット」にできたらな…と15巻にちょっと作者の高屋氏が書いてたりしますけどね。お互いにちゃんと感じていたってことでしょう。
 閑話休題。
 まぁ、それ以外でも寒い季節や悪天候を辛い時期に譬えることはよくあるわけで、例えば岡崎律子さんの「4月の雪」や「涙がほおを流れても」だったり、堀江由衣さんの「day by day」あたりもそんな感じはしますね。あるいは、まーちゃんの「A Place in the Sun〜陽の当たる場所〜」もそういう曲ではないでしょうか。
 よく言われるように、「明けない夜はない」し「やまない雨はない」ので、あとは自分がその暗い時間をしっかり乗り越えられるかどうか、なんですけどね。その中で倒れないようにするには、先にある暖かい場所、明るいところにいる自分をしっかりとイメージの中においてやっていくことかもしれないな、とも思います。そんなふうにしているところを歌っているのが、この「春、君想フ」なんでしょうね。

ひとりでいるときは

 さて、曲中に「ひとりだけの夜は 泣いちゃう気もするけど」というフレーズがありますが、それはそれでいいんじゃないかな、とも思うんですよ。そりゃ、あまりいつもそうだと困りものでしょうけど、どうしても辛い時は必要なことかもしれないな、と。結局、気持ちを浄化するひとつの方法ですからね。
 だからこそ、岡崎律子さんは「Girlfriend」で、今は泣いていてもいいとか、ひとりぼっちの時も大切な時間だとか言ってるんでしょうしね。それで気持ちをすっきりさせて、次の朝にパンを買いに行く元気を出す、と。まぁ、それがちょっとうまくいかなくて、涙の中でも歩いていくような状況になると、まーちゃんに書いた「初秋」になってきますけどね。
 で、「春、君想フ」で泣いちゃいそうだけど浮かべる何かは多分その相手のことでしょうね。ちょっと泣いちゃうくらい、胸にくることではあるけれど、それでも好きな人だから、そうすることでどこか暖かくなれる、というところですか。別に、さっき書いたとおり、それはそれでいいんですけどね。ただ、岡崎さんが「いつでも微笑みを」で言っているように、それを終わる時には笑ってないとね、というのはありますけどね。涙を流すのは、気持ちを浄化する作用はありますが、いつまでもそうしていると気持ちがどんどん沈むでしょうし。
 理想は、自然に少しだけ泣いちゃって、自然に笑えるようになってることかな、と思います。状況によっては、かなり難しいことでしょうけれど。

最後に

 …ということで、「春、君想フ」からふたつほど思ったことを書いてみました。こういうのになると、どうしても「フルバ」とか岡崎さんのことに絡むのが多くなるんですが、やっぱ「For フルーツバスケット」あたりの印象がかなり強烈なのかもしれないですね。


 さて、次は冬の歌を続けて「真冬のセレナーデ」でいってみたいと思います。…せめてもう少し冬らしい気候になってるんだろうな、と気にしつつ。

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