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第98回 明日になれば
はじめに
というわけで3月です。毎年同じことを書いているような気がしないでもないですが、卒業、就職、あるいは異動のシーズンです。ということは、同時に新しい何かに向かって動き出していく時期の始まり、ということでもあるでしょう。こういう時って、実際に心が浮き立つときであるのと同時に、それに対応しようとして、エネルギーを使うときでもあります。
今回は、そうして使ってしまったエネルギーをうまいこと補充できそうな、「明日になれば」から、あっちこっちに考えをさまよわせてみようかな、と思っています。
明日、何が起こるだろう
まーちゃんがこの間のライブなんかで言ってましたが、この曲も「どうやったらみんなを励ますことができるかな」なんてふうに考えてつくった曲です。そして、出てきた言葉が「明日になれば」なんですよね。明日になれば、きっといいことがあるっていうふうに考えて、また歩いていこうよっていうことでしょう。
結局、明日何があるかを正確に知っている人はいないんでしょうから。それだったら、ネガティブに「とんでもないことになるかもしれない」って思うより、「素敵なことがあるんじゃないかな」って思って明日を迎えた方が楽しく生きられるに決まってますから。その辺、岡崎律子さんが「春が来た」で歌っているとおりじゃないか、と。
でも、やっぱりそうそう陽気一辺倒にもなれなくって、不安がどこかに忍び込んでくるのが普通なんですよね。だから、「夕焼け列車」だとか、「LOOKING ON THE MOON」では「明日はきっと晴れるよ」とか、「明日も晴れるよね」っていう感じで、明るくなってほしいけど、それを信じきれないっていう感じになってきてるんでしょう。で、その不安がさらに大きくなると、自分がだんだん弱くなってきちゃうのかもしれません。そういうときに、まーちゃんは「一人じゃないことを忘れないで」っていってますし、DAUGHTERの「いつのまにか」だと、そうした時に大事な誰かの声を聴きたくなってきてる場面が描写されてます。
日ごろ歩いていく上で大事なのは、明日の明るさを信じて笑って生きてくことと、それができなくなってきそうなときに支えになってくれる人がいることを忘れないこと、なのかも知れませんね。
「シンフォニック=レイン」と「フルーツバスケット」
ある日、この曲を聞いていて「明日になればあふれた涙もかわくから」っていうフレーズを聞いて、不意に「リセエンヌ」という曲を思い出しました。今日鮮明な記憶でも、明日にはそれより鮮明な記憶が入ってくるわけで、今日は新しい日に塗り替えられていくっていうのが、浮かんできてました。で、そこからさらにいろいろ浮かんできたわけですね。
で、ここから話は「明日になれば」とは離れます(笑)。「リセエンヌ」をはじめとするアルバム「for RITZ」の曲はもともとはPCゲーム「シンフォニック=レイン」のために書かれた曲でした。で、岡崎律子さんが「for RITZ」の制作時に「For フルーツバスケット」を絶対に入れたいと言っていた、という話がそのアルバムのチラシに書いてありました。それを見たときに、「あ、そうか…」という感じがしました。改めて考えてみると、「シンフォニック=レイン」と「フルーツバスケット」って底に流れているものが似てるところがあるんですよね。
3年前の事故の記憶を自分で封じ込めて、それもあって人とあまり関わらない日々を過ごしていたクリスがトルティニタ、リセルシア、ファルシータ、あるいはフォーニと卒業演奏に向けた日々を送っていく中で、その記憶を何らかの形で越えていく、という物語が「シンフォニック=レイン」(ま、進みようによってはそのことに気がつかないままだったりしますが、新しい想いが古い悲しみを消していることには変わりない…か)。一方、「フルーツバスケット」は十二支の呪いを受けた故に様々な痛みを抱えてきた由希や夾たち、あるいは母の死の痛みを抱えた透が、互いに支えあいながらそうした記憶を越えていこうとする物語。
「シンフォニック=レイン」のいくつかの曲が、あるいは「For フルーツバスケット」がそうしたところを的確に表現しているから、そして、先に挙げたような、深い傷を越えていこうとするところに共通点を覚えたから、岡崎さんはシングルが出てから3年たった「For フルーツバスケット」を「for RITZ」に加えようと考えたんでしょうか。
……「for RITZ」のチラシを見たときに、そうしたことを考えたことを、「明日になれば」の歌詞に触れたときに思い出していました。
最後に
「明日になれば」を聞いたときに、いろいろと思ったことを今回も書いて見ました。でも、この辺のことって日常を過ごしてると忘れますね、本当に。ライブの帰りなんかに、「あぁ、また日常に戻らなきゃいけないのか」って考えるのは、そのいい例だと思います。明日、どんないいことが起こるのかはわかんないんですけどねぇ。そうした気持ちになったときに、こうした曲を聞いてもうちょっと陽気になれればいいのかもしれませんけどね。
さて、最初に書いたとおり、卒業のシーズンで、長いこと付き合ってた友人とも別れる、なんてことがあるんでしょうか。でも、ね。この曲みたいに考えられればいいんじゃないかな、と思います。次回は「My best friend」でいってみようかな、と考えているところです。
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