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CD Release

第92回 2004年のdiary

はじめに

 2004年も12月に入り、イベントやmayuymi.companyの方で、まーちゃんが今年の締めくくりの話をする場面も見られるようになってきました。そして、そういうことを考えている人も多いんじゃないか、と思います。そういうときに、日記をつけていると、振り返りやすくもなるんでしょうか。
 今回は、「2004年のdiary」をもとに、思ったことをいろいろと考えて見たいと思います。

日記をつける意味

 日記をつけたことがある人は分かると思いますし、「虹の咲く場所music clips」を持っている人は、そのライナーノートを見てくれれば、そこにまーちゃんの日記があるのでそちらで感じてほしいんですが、以前につけた日記を読み返すと懐かしくなったり、書いたことによっては気恥ずかしくなったりします。でも、そうすることで確かに感じるのは、そのときの自分が確かにそこにいるってことでしょう。自分がどんなことをしたか、どんな人といたか、何を感じたか…そうしたことが書いてありますからね。
 あるいは、読み返した時に、何かに気がつくこともあるんでしょう。例えば、多分、この曲での日記には、自分の気持ちが色々と動いた時に、そこにきっと誰か決まった人がいたことが書いてあるんでしょうね。どっかの段階でそれを読み返してみたときに、その誰かがいてくれたことに気がついて、「これからもそうなってくれたら…その幸せが続いていけば…」って思っているんでしょうか。
 また、「小さな私から」では多分、遠い昔にその日のことを書きとめたときに、涙がこぼれてたんでしょうね。それでも、それを見せないように、笑って歩いていた自分をそこに見つけたことで、周りから支えてもらってたんだってことに気がついています。  結局、日記をつけることのメリットって言うのは、単にその日の記録を書きとめるって言うだけじゃなくって、そうするときに自分の気持ちをはっきりさせること、あるいは後になってみたときに何かに気づかせること、そうした両方にあるんじゃないか、と思います。

年に結び付けられた記憶

 この曲のタイトルは「2004年のdiary」。「2004年の証を残したくて作った」とまーちゃんは言っていますが、数年経った時にこの曲を聞いたときに、まーちゃんはどんなことを思い出すんでしょうね。しばらくぶりに朗読劇に出たり、アルバムで自作曲をするようになったことになるんでしょうか。
 ともあれ、普通、人は1日とか1年とかいったふうに時間を区切って生きてますので、その区切った時間の名前を思い出すと、それに付随してそのときにあった出来事や事物が連想されて出てくるんですよね。データベースみたいなものですか。そうしたところが表れている歌って言うのもあって、例えば岡崎律子さんの「1993年、春」だと、多分翌年(1994年)以降の春に、その時にあった会話や感じた愛を改めて思い返しているように感じます。
 あるいは、サザンオールスターズの「フリフリ'65」のサウンドはけっこうそのころを髣髴とさせて来るものがあります。だって、いくらサザンが長いったって、デビューが77年か8年、当時桑田さんが22ぐらいだったはずだから…65年だと10歳ぐらい? まぁ、そのぐらいに聴いてた音楽ってのが、けっこう人の心の内には残るのかもしれませんけどねぇ。
 こうしたことを改めて考えてみると、人は一続きで流れてる時間を区切って生きてるんだってことに気がつきます。まぁ、そのほうが時間や記憶を管理するのは楽なことは確かなんですけどね。

最後に

 私も、高校〜大学のころには日記をつけていましたし、このHPで日記ならぬ週記を書いていますが、やっぱり読み返してみると、色々と思い出すことはありますね。日記に書けるのはいいことばかりというわけでもないですが、書いた後にはどっかすっきりする部分もあったように思います。その浄化作用も、日記のひとつの面ですか。そして、後から懐かしく思い出せる、そのときを生きていた証になっていくのが、日記の目的かもしれません。


 さて、年が明けて1月3日には、ミニアルバム「プレゼント」が発売され、その記念となるライブが行われます。「Strawberry Selection」とは別扱いのスペシャルライブですね。次回は、そこに向けて思うことを書いておきたいと思ってます。

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