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第77回 風のKiss
はじめに
梅雨入りした沖縄は例外になりますけど、今ぐらいが風を楽しむのには一番いい季節なんでしょう。気温も23度前後の心地いいところでしょうし、本当に、開けたところでそよ風なんかが吹いてくると、思わず座りたくなるんじゃないでしょうか。そうして、心を空っぽにして…考えただけでも気持ちよさそう(笑)。まぁ、この曲の場合の風は、ライナーノートの影響のせいなのか、あるいは歌詞からのイメージなのか、夜風の雰囲気があるんですけどね。
というわけで、今回は「風のKiss」でいってみようかな、と思います。ま、風ってこととはあまり関係のない話になるんですけどね。
「元気のレッテル」の副作用
もちろん、元気でいないことには何もできないんですけどね。だけど、どうしても落ち込んでしまってたり、どういうわけか気分が乗ってこないっていう時もあるんですよね。まーちゃんみたいに、日々違う何かを感じられる、出会えるっていう人なら、普通に日常を過ごしていても元気元気していられるのかもしれませんけど、普通に会社勤め、登下校をしていると、その変化のなさがどうしてもやる気を奪う時はあったりするでしょう。だけど、そういうことを周りに見せたくなかったり、あるいは自分へのもしくは周囲への責任感からなんでもないように振舞うってこと、ありますよね。
そうして、周りからは「いい人だ」とか「頼りになるな」って思われる一方で、自分の中では「何でこんなふうにやってるんだろ…」って疑問が出るときもあるわけで。本当は、もっと心のままにいっててもいいのに、心とは裏腹に期待に応えようとするから、ついつい気持ちが疲れちゃう…。そんな状態を、この曲の冒頭で言ってるわけでしょう。この辺、一時期OLやってた泉川そらさんの経歴が生きてるようにも感じたりします。ま、それはともかく。
そうした状態を別の表現でみてみると、例えばぴかぴかの状態に集まる視線やら何やらで1日増やすことに大変さを感じたり、余計なものがくっついてくたくたになってるのが分かる「洗濯機の中から」とか、ちょっと違うかもしれませんけど、幸せの暖炉の前で嘘と妥協を伴ってる自分が鏡の中に移ってる「夏の日の少年」だとか、そんなような感じなんでしょうね。あるいは、そうした自分を感じてるのかどうかはともかく、電車の中でつかれきってただぼんやりと夕陽を見つめてる「落陽」なんてのもその結果かもしれません。
でも、いくら自分の心に正直になりたくっても、どうしてもそうできないときもあって、そこで心を正直に出しちゃうとそれはただのわがままになるから、その辺の調整、折り合いは難しいんですけど。林原めぐみさんも「hesitation」でそう言ってますけどね。
帰るとこ
そんなふうに、日常を過ごしていく上ではどうしても心に武装を施していますよね。学校や職場ではもちろんのこと、家庭でもある程度は心にある程度の気構えは必要なわけで、なかなか心から鎧を外せるときってのは少ないんじゃないでしょうか。それだからこそ、心を素のままに出せるところっていうのは貴重なわけでしょう。そういう背景があるから、「風のKiss」を聞き終えた時に心に満たされた気分が広がるんですよね。「帰るとこあるから」って、素敵ですよねぇ。
それ以外にも、ふと不安になったり、傷ついたりした時に戻っていけば勇気や元気をもらえたりする効果もあるから、帰るところがあるってのはいいことで、そんな気持ちが「いつもの帰り道」なんかには表現されてます。まぁ、でもそこがあまり心地よすぎて離れたくなくなるっていう逆の作用もないわけじゃないのも分かりますけどね。その辺は自分で気をつけないと(苦笑)。
最近、その辺のことをすごく思うのがまーちゃんのライブやイベントに行ったときです。終わる時には、そのことがものすごく悔しくって、「もっとこの時間が続けばいいのに」ってすごい本気で思ってるんだけど、ウチに帰る途中とか、帰って翌日とかに「次の時めざして頑張ろう」ってなるんですよね。
結局、ライブとかイベントのときに、心を素のままにできてるし、特にライブだと気持ちのままに動くことができるから、そのことによる浄化作用っていうか、高揚感がものすごいんだと思います。それは、もしかしたらまーちゃんがどっかしらそうしたことを周りに与えられる力を持っているせいかもしれないとも感じるのは、メガスマのCDのライナーで折笠奈緒美さんが「番組がここまで続いてくれて、帰ってこられる場所があるのがうれしい」って言ってるのを見てるから、なんです。そういえば、「ミントと口笛」が出たときにこの曲が入ってなくって、「どうして入らなかったんですか」っていう質問がまーちゃんのところに多かったらしいんですが、この曲が「まだまだ日曜日だよ」から「いたいのとんでけ!」のEDとして、みんなの帰るところの象徴になってたから、そうした声も上がったんでしょうか。
私自身、高校の時のブラスバンドとか、心の中に、あるいは心の中で「帰るとこ」ってのは持ってましたけど、最近になってまーちゃんのいるところっていう、「帰るとこ」が新しく増えたのかもしれないな、と京都からの帰り、車の中で思ってました。
最後に
もちろん、「帰るとこ」があるからといって、頻繁にそこに行っていていいわけじゃないし、そんなに心に休息が必要なほど弱いんじゃ情けないですしね。心がタフな方がいいのはもちろんですけど、時にはふっと心を解き放つ時が欲しいってのも正直なところでしょう。
この歌は、そうしたところがある暖かさを優しく伝えてくれてるんじゃないか、って気がします。
去年の暮れぐらいからですかね…「天使」をテーマにしてオムニバスのCDを1本作ろうかと考えているんですが、歌に現れる「天使」ってのはどんなものなのか、ってのをちょっと考えてみようかな、と思ってます。5月21日の夜〜22日の未明の更新です。
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