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CD Release

第62回 初秋

はじめに

 暦もすでに9月の終わりに差し掛かり、夏の余韻もすっかりどこかへ行ってしまったようです。この間の台風(…15号だっけ?)が、秋の長雨や涼しさを一緒に連れてきたようで、もう、だいぶ秋が深まってきています。所によっては、もう紅葉が見られる、なんてところもあるんじゃないでしょうか?
 ちょっと、台風のせいで結果的にタイミングが遅れたような気がしないでもないですが、今回は今ぐらいの秋の雨にちょうどいい、「初秋」について、いろいろと書いてみようかな、と思います。

悲しみの中でも

 もう、この曲が入ったアルバム「かたおもい」を買ってから7年ぐらい経ちますが、今そのころを思い出して、どの曲が一番衝撃的(…って言うと語弊があるんだけど…)だったかを考えると、もしかしたらこの曲かもしれないな、なんて思います。
 それまでにも、こういう失恋の歌ってのはたくさん聞いているんですが、それらとはかなり違っている部分がありますよね、きっと。具体的にどこでそう感じたかって言うと、最後の部分。恋が破れた悲しみの中に心がすっかり浸かってしまっているのに、それでも翌日になれば何かに向かっていく、そんな場面の描写です。
 まーちゃん自身、レコーディングのときには想像で補った部分もあったようですが、私もなかなか、それを理解、共感するのがその頃はちょっと難しかったかも…。今は、多分だいぶ分かるようにはなってると思いますけどね。
 悲しみの中でも何かに向かって動くのは、悲しみを紛らわそうとする心理状態かもしれないし、あるいは相手や、自分、さらには周囲に対する責任を感じているからかもしれません。まあ、人の心はひとつに集約されるものでもないんでしょうから、こうした気持ちが絡まりあって、悲しみを抱えながらも前に進んでいくことを選んでるんでしょうね。
 ただ、そんな中、「悲しみに沈んじゃえれば…」って思ってるかもしれないな、なんて思わないでもないですが。まーちゃんは今年の1月に、「極・声優的京都」で「強すぎて嫌なときもある」なんて自分のことを言ってますけど、そういう気持ちになるときのひとつかもしれないですね、こういう場面で、こういう風に動いている自分を見た時っていうのは。)

どうしてでしょう?

 この曲の冒頭で、雨の中を傘もささずに歩いていくっていうシーンがあります。まあ、そうしている人を、町ですれ違う人たちは「どうしたんだ?」という目で見ているんだとは思いますが、当事者はそんなことを気にかけられる状態ではないわけで…。
 それはともかく、どうして感情が極端になると、雨に降られることを気にしなくなる…と言うか、できなくなるんでしょうね。この曲の心理的状況とはほぼ逆になりますが、去年の野音でのライブのとき、「小さな私から」の頃はもう雨が気にならなかったのに、後でDVDを見ていたら、けっこう派手に降っていて驚いた記憶もありますし(まあ、このときはそろそろ暑くなってくるころだったし、「それも醍醐味だからいいか」って思ってたことも事実ですけど)。
 この曲ぐらいに落ち込んじゃうと、周囲の状況を気にかけられなくなるんで、それで傘を差さなかったというか、雨が降ってることさえも意識してないんでしょうけど、失恋して、切なさが心の中にあるときっていうのは、雨が降ると濡れることをどこか望んでいるような気持ちになることもあります(体験談)。「洗い流せばいい」なんてことを思ってるわけでもないんですけど、どこか、それが気分にマッチしてしまうんですよね
 う〜ん…心の中の隙間を雨水が埋めてくれるような気でもするんですかね?

最後に

 今回は、「初秋」ということで、悲しい時や切ないときの話が中心になってました。まあ、「秋は恋の終わる季節」なんてことも言いますし、こういうのもたまにはいいかな、と。もちろん、恋は終わらないに越したことはないんですけどね。


 次回は10月12日の更新です。ちょうど、秋の行楽シーズンに入ってくるころなので、こんなことをやってみたいと思います。題して、「まーちゃんPV巡り」。いずれはそれぞれの曲のところにも何らかの形ではアップしますが、とりあえず分かっている部分をまとめて紹介します。

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