EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

・・・8へ・・・   ・・・10へ・・・

−9−

どのくらいの時間が経ったのだろうか。
5分…くらい?
それとも10分?
はたまたまだ1分も経っていないとか。
この状況に、私はどう対処したらいいのだろうか。
今の私は、背後の人が行き交う物音や話し声を何であるか認識する能力も忘れ、目の前のことだけを視覚のみで認識することに全神経を注いでいる。
…どうしてか?
理由は一つだ。
私の姿を見た坂崎さんがまるで人形のように固まってしまったから。
膝にはトレードマークのギターを置き、右手はまるで接着剤か何かでくっついてしまったかのように弦をとらえたままだ。
どうやら先ほどまで聴こえていた音色は、坂崎さん本人のものだったらしい。

彼は私を見て、相当驚いている。
見た瞬間に顔色を変えて“出ていけ”と言われなかっただけマシだけど、無言がずいぶん続いているのでこちらも何も言えず立ち尽すしかなかった。
話しかけるきっかけは私にはつかめそうもない。

ほどなくして沈黙は坂崎さんではない人に破られた。
「あの〜…坂さん?」
「……え?…あ」
棚瀬さんに声をかけられ、坂崎さんは我に返りギターを置いて立ち上がった。
「そんなに驚きました?」
「お、驚くに決まってるよ。だって…まさか佐藤さんが来てるなんて思いもしなかったんだから。」
「ははは。さぁ佐藤さん。中へどうぞ。今、お茶でもお持ちしますから。」
「え…、そんなお茶なんてお構いなく…っ!す、すぐ帰りますし…っ」
「そんな、せっかくなんですからゆっくりしていってください。坂さん、今日は他にどなたかとお会いする予定はないですよね?」
「うん…ないけど…」
少し困っているような顔で坂崎さんが呟いた。

ズキン…
やっぱり嫌われてる…。
ほら…ね、やっぱりそうなんだよ。
早く謝って帰ろう。
「棚瀬さん、本当にすぐ帰ります。坂崎さんにもご迷惑ですし。」
「いや…でも…」
何か言いたそうな棚瀬さんの言葉を遮り、坂崎さんに歩み寄った。
複雑な、不安そうな、悲しそうな…何とも言えない顔で彼は私を見ている。
お願い…そんな顔で見ないで。
すぐ帰るから。
一言だけ言わせてよ…。

「…坂崎さん、先日は助けていただいてありがとうございました。お礼が遅くなりまして本当に申し訳ありませんでした。おかげさまで体調もずいぶん良くなりました。」
「…お礼なんてよかったのに…。でもよかった、体調良くなって。」
そう言って坂崎さんは小さく笑った。
愛想笑いだろうけど表情が少しでも緩んでホッとした。
「はい、ありがとうございます。…それから−」
「ん?」
「あの時は、大変失礼な応対をしてしまい申し訳なかったと思っています。」
「……」
「賞に落選したことで、自分に自信がなくなって…本を褒めてくださった坂崎さんに八つ当たりまでしてしまいました。本当にすみませんでした。」
「いや、そんな…」
「これ、つまらないものですがみなさんで召し上がってください。…それでは私はこれで。今夜のコンサートが成功するよう祈っています。失礼しました。」
押し付けるように手土産を坂崎さんに渡して一礼した。
ドアの方へと向き直ると、棚瀬さんが何か言いたそうに私を見ている。
私はこれで十分。
もうすっきりよ。
「棚瀬さん、今日は本当にありがとうございました。コンサートもお言葉に甘えて拝見させていただきますね。」
「あ、は、はい…。」
やっぱり何か言いたそうな顔。
でも、もう何も言わせないわ。
自分がすべきことはしたんだもの。
これで何も不安なことなんて−

「ちょっと待って。」
突然の声にビクリとして立ち止まると、
「棚瀬、お茶持ってきて。まだ俺の話もあるから。」
と背後から坂崎さんの声がした。
と、同時に私の両肩に何かが触れた。

…え?

その感触は、どう考えても手だ。
私の肩に誰かの手が乗っている。
誰か、と言ってもまさか幽霊ではあるまい。
触れられているという感触だってあるし、その手から体温だって感じる。
つまり私の背後から、私の両肩に手を置いている人がいるということだ。
それは誰か。
この部屋には坂崎さんと棚瀬さんと私しかいない。
…幽霊がいないのならば。
私は…当然ここにいる。
自分が二人いるわけはない。
棚瀬さんは…部屋の入り口で、私を見ている。
あの位置から私の肩に手をおけるとは思いたくない。
それこそ人間ではない。
…ということは……。

「…ごめんね、もうちょっと時間くれる?」
背後の、それもすぐ傍で坂崎さんの声がした。
つまり…
…ということは……
恐る恐る後ろを振り返ると、私の両肩に手を置き、首を傾げながら私を見ている坂崎さんがいた。
彼を見上げた私の視線に、私を見下ろす彼の視線が重なる。
ドクン…ッ
う、うわ…っ!!
ようやくおさまっていた鼓動がまた激しくなった。
いや、激しくなったどころの騒ぎではない。
さっきよりも数倍激しい。
慌てて顔をそらしてみたが、そんなことで心拍数が落ち着くわけがない。
いつ心臓が止まってもおかしくないと思う。
「棚瀬。」
「あ、はい。持ってきます。」
「うん、よろしく。」
棚瀬さんが部屋を出て行きドアが閉まると、通路のざわめきが消えた。


ドクドクドクドク…
鼓動が坂崎さんに聞こえるんじゃないかと思うほど激しく波打っている。
口から心臓が出そう、という言葉はあながち嘘ではないような気さえしてきた。
この状況に冷静でいられる人なんているわけがない。
いたらぜひ会わせてほしいものだ。

話があるって…。
…話って何だろう。
やっぱり怒ってるんだ。
謝るだけじゃ足りないのかもしれない。
どうしよう…もう何を言えばいいのか…。
ああ、指先が震えている。
脚も震えてきた。
立っているのが不思議なくらい。
早く…
何か言って…!

私の震えが伝わったのか、坂崎さんがそっと私の両肩から手を離した。
「…ごめんね、無理に引き止めて。」
「い…い、いえ…。」
ホッとしつつも、激しく波打つ鼓動はまだおさまらない。
声とともに彼の息遣いが聞こえてくるのは…幻聴なんかじゃない。
「本当はもう帰りたかったと思うんだけど、僕も佐藤さんに話したいことがあって。僕の話なんて聞きたくないと思うけど、こんな機会はもうないかもしれないから…」

すごく悲しげな声に聞こえた。
怒りは感じない。
むしろ悲しさの中に優しさのような…。
どうして?
だって私のこと怒って…
「そのままでいいから聞いてくれるかな。」
「…はい……」
「…佐藤さんはさっき僕に謝ってくれたけど、謝る必要なんてないよ。あの日一言だけ謝らせてもらったけど、あの時のことで謝るのは佐藤さんじゃなくて僕の方だから。」
「…え?」
驚いて振り返ると、坂崎さんは私を見てまた小さく笑った。
…どういう…こと?

「初めて会った時に、佐藤さんに元気がないって気づいてたんだ。賞のことで落ち込んでるのかなって思った。僕は佐藤さんの本が好きだから、これからも今までのように作品を作ってほしくて、あの日余計なこと言っちゃって…。そういう時に自分のこととか褒められても嬉しくないって、自分の経験からも分かっていたんだけどね。…佐藤さんに会えたことが嬉しくてつい…。本当にごめんね。」
そんな風に…思っていてくれたの…?
それなのに私…
何てバカなの。
あの日よりも今までよりも、彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ひどいことを言ったのは紛れもなく私なのに…。
「そんな、坂崎さんは何も悪くないです。坂崎さんは純粋に私の作品を褒めてくださったんですから。それを−」
「でも僕も気遣いができてなかったし。」
「で、でもですね…っ?私も−…」
「僕もね。」
「ですが−」
スッと私の口元に手をかざし、坂崎さんは私の言葉を遮った。
「…つまり…」
「え?」
「お互い悪かったなって思ってて、そのことについて謝りたいと思ってたってことだよね。」
「え?え、ええ…」
「で、ちゃんと謝れた。お互い“でも…”って言い合ってても解決しないし、この際、どっちもどっちってことにしない?」
「いや、あの、でも…」
坂崎さんはいいかもしれないけど私は…
「今日はコンサートも観ていってくれるんだよね?」
「え?あ、はい。」
「僕はそれで十分だよ。」
そう言って坂崎さんは笑った。
でも…。
「あ、今“でもなー”とか思ったでしょ。」
「えっ」
「はは、当たってた?」
「…はい……。」
何だか恥ずかしくて坂崎さんから顔をそらした。
やだなぁ…私、そんなに顔に出てるのかしら…。

「だってコンサートまで来てもらっちゃって、さらにお土産までもらっちゃったし、どっちかと言えば僕がもらいすぎだよ?何か返さなきゃ。」
「いえ、そんな…。コンサート代も払わず観せていただくなんて、私としてはファンのみなさんに非常に申し訳なくて…」
「いいのいいの。今日のコンサートを楽しんでもらえればそれで。また来たいなぁと思ってもらえたらこっちはしてやったり、だからね。僕たちのコンサートは初めて…だよね?」
「あ、はい。こういった…ロックのコンサート自体初めてです。クラシックはあるんですけど…。なのでどんなコンサートなのか、と今からドキドキで…」
「そうかぁ初めてなんだ。それは大変。まずは大音響にびっくりしちゃうかもね。」
「そんなに大音響なんですか?」
「クラシックに比べたらかなりだと思うよ。…あ、でも“でっかい音だなぁ!”って思っても耳だけは塞がないでね。」
「あはは、頑張ります。」
ちょっと自信がないけど…。

「…でも、本当によかった。」
「え?」
「佐藤さんが元気になって。」
そう言って坂崎さんはにっこり微笑んだ。
トクン…
「…ここ最近ずっと気になっててね。雑誌の連載も一時お休みするって出版社の人に聞いて、入院とかしちゃったのかなぁって思ってたから。今は…休養中?」
「ご心配おかけしてしまって…。今、2ヶ月お休みをいただいてます。といっても別の仕事はやらなければいけないので、休養中とひとくくりにするわけにもいかないんですけど…。」
「そうなんだ。でも一つ仕事が休みだと、気分的にも楽になるよね。」
「はい。おかげさまでもう一つの仕事は今のところ順調です。」
「そう、よかった。…あ、ごめんね、また余計なこと…」
しまった、という顔をして坂崎さんは申し訳なさそうに言った。
「え?」
「休養中?なんて聞くのも失礼な話だよね。…だめだなぁ俺。まいったなぁ…これじゃ佐藤さんに嫌われても仕方ないかぁ。」
「…え?嫌われてって…坂崎さんのこと嫌ってるだなんてそんなことは…」
確かにあの日は心に余裕がなくて坂崎さんのこと僻んだけどね。
…なんてみっともなくて言えないけど。
嫌いだなんて、そんな気持ちはないわ。
「え?…そうなの?」
坂崎さんは意外だ、と言いたげな顔をした。
「ええ、申し訳ないなと思っていただけで、そんな…嫌うようなことは何も…」
「本当?」
疑うようなまなざしを私に向ける。
私の発言ってそんなに信用できないのかしら。
嫌ってるわけないじゃない。
こんなにも私のこと心配してくれる優しい人を嫌うほど私は心狭くないわよ。
そうよ、嫌ってなんてない。
むしろ私は…

……え?
今、何て言おうとした…?

「ほ、ほほほ本当ですよ。」
「どうしてどもってるの?しかも答えまで5秒くらいかかったよね。」
「えっ?いや、あの…それは…」
そうよ、どうして私どもってるの?
どうして即答できなかったの?
なに?

坂崎さんが首を傾げながら、じっと私を見て答えを待っている。
途端に鼓動が激しくなった。
…彼に見られると、どうしてこんなにも心が乱れるの?
自分が自分じゃないみたい。
普通に答えればいいじゃない。
どうして会話さえままならないの?
どうして即答できないの?

ドクン…ドクン…ドクン…

ねぇ…私、どうしちゃったの?


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