EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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答えに困っていると坂崎さんがクスリと笑った。
「ごめんごめん、そんなに困らせるつもりはなかったんだけど。」
「…え?あ、いえ…」
我に返っても自分自身への疑問符が消えることはない。
そうよ、どうして答えに困る必要があるの?
何…?
自分でも分からないなんて…
なんなの?

―コンコン―
「ほーい。」
「失礼します。お茶をお持ちしました。」
棚瀬さんがようやく戻ってきた。
何故かとてもホッとする。
…え?何で…?
「さんきゅー。」
「いえいえ。…あれ、ずっと立ったままお話されていたんですか?」
棚瀬さんに言われて坂崎さんと顔を見合わせた。
確かに。
部屋にはいくつもイスがあるのにね。
全然気づいてなかったわ。
「そういえばそうだった。やだな、俺イスも勧めずにペラペラ喋ってたよ。ごめんね、佐藤さん。座って座って。」
「あ、はい。すみません。」
「坂さん、話に夢中になってたんじゃないんですか?」
テーブルに湯のみを置きながら棚瀬さんが言う。
「…うん、夢中になってたかも。」
「佐藤さんがいらっしゃってよほど−」
「棚瀬、お菓子とかはないの?」
「…あ、持ってくるの忘れました。取ってきます!」
「え、あの、そんないいですよ、棚瀬さん。お構いなく…」
「いえいえ、いいんですよ。ちょっとお待ち下さいね。」
再びバタバタと部屋を出て行った。

何だか忙しない人だ。
マネージャーって大変なんだなぁ。
私のためにあんな風にバタバタと忙しなく動かれると非常に申し訳ない気持ちになる。
「すみません、私が来たばっかりに棚瀬さんまでバタバタさせてしまって。開演前でお忙しいでしょうし…。」
「ああ、いいのいいの。あいつはいつもバタバタするのが仕事だから。それに佐藤さんのためならきっと何でも動くから、色々頼んじゃっていいよ。」
「そんな…」
本当にマネージャーって大変だ…。
「お茶、どうぞ。でも、まだ熱いかな。」
「あ、はい。ありがとうございます、いただきます。」
テーブルの湯のみを手にとって早速一口いただいた。
思ったほど熱くはなかった。
実はさっきからものすごく喉が渇いていたのだ。
緊張の連続だったから喉はカラカラだった。
一口どころかそのままグイッと飲み干したいところなのだが、さすがにはしたないので何とか我慢。
名残惜しく湯のみをテーブルに戻した。

視線を坂崎さんに戻すと、彼は最初に会った時と変わらない笑顔で微笑んでいた。
微笑む、というよりニコニコしている、といった方がいいかもしれない。
その笑顔は少年みたいで可愛い。
いや、可愛いとはいっても私よりずいぶん年上だし大人な男性。
そんな風に言うのは失礼かもしれない。
でも可愛らしい部分がある大人の男性ってすごく魅力があると思う。
きっとステージでは格好良いんだろうな。
「お茶、熱くなかった?」
「あ、はい。大丈夫でした。」
「そっか。」
相変わらずニコニコして嬉しそうだ。

よく見ると、今日の坂崎さんは出版社で会う時と少し雰囲気が違う。
今頃それに気付く私はどうかと思うが。
髪もセットされていて左耳には普段より大きめのピアスが揺れている。

よくよく考えてみれば、この姿がいつもテレビなんかで見かける彼の姿だ。
出版社で見る彼は何も飾っていない普段の彼の姿なんだろう。
今の彼がアルフィーの坂崎幸之助としての姿、ということだ。
こんなところまで来て思うのも何だけど、本当に坂崎さんはアルフィーの坂崎さんだったんだ、なんて思ってしまう。
似ている人じゃなく、本人。
有名な、あのアルフィーの坂崎さん。

…今更ながら、私は何という有名人に失礼な態度をとっていたのか。
普通なら相当な怒りを買ってもおかしくない。
それなのに彼は私に腹を立てることも責めることもしなかった。
器が大きいというか、優しすぎるというか。
とはいえそんな人だからこそ、こうして無事解決したのだけど。
…いや、解決したというより、彼が解決させてくれた、が正しい。
私は彼の優しさに甘えているだけで、結局のところ納得のいくお詫びすらできていないのだ。
いつの間にか例のことは“どっちもどっち”ということになってしまっているが、本来ならもっときちんと私が謝罪すべきで、”どっちもどっち”なんてことにできるはずはない。

でも、彼はもういいと言ってくれた。
坂崎さんがそれでいいと言うのならこれでいいのだろうか。
甘えられる時は素直に甘えた方がいいのだろうか。
人に甘えることが苦手なだけに、いったいどこまで彼の厚意に甘えていいのか…。

ふと見ると坂崎さんは脇に置いていたギターをふたたび手にして膝の上に置いた。
「…先ほど、お邪魔する前に弾いてらっしゃいましたよね。」
「あ、うん。こいつはねぇ…とにかくいつでも持ってないと落ち着かないんだ。もう病気だね。」
照れくさそうに、でも嬉しそうに坂崎さんはそう言うと、弦を優しく爪弾いた。
彼にしてみればごく自然に奏でた音で、たわいのないフレーズなのだろうが、私にはものすごく心癒されるメロディに感じた。
彼の奏でた音が、スッと私の心に入ってくるような…
そういえば最近、音楽なんてほとんど聴いていなかった。
だから余計なのかもしれない。
ギターの音色がこんなにも心地いいなんて、初めて知った。

「嬉しいなぁ…。」
おもむろに坂崎さんが呟く。
「え?」
「佐藤さんに嫌われてなくてよかったなぁって。あの日からずっと嫌われたと思ってたから。」
ギターを爪弾きながら、顔を上げてとても嬉しそうにそう言った。
私のあの時の態度は相当冷たかったようだ。
自分でも冷たい態度だとは感じていたが、嫌われていると思われるほどだったとは…。
みっともない自分に恥ずかしくなる。
「す、すみません…申し訳ないほど心に余裕がなかったようで…」
「ああ、そんな責めてるわけじゃないよ?こっちが勝手に思ってたことだしね。いやいや、ほんと、よかった。」
そう言って坂崎さんはまた笑った。

何だろう…。
不思議なことに、坂崎さんの笑顔を見るとものすごく安心する。
きっと坂崎さんに嫌われていない、ということが分かったからなんだろうけど、それだけではないような気がする。
何か違う気持ちがあるような…。
もちろん、あの時のような僻みとか、そんな気持ちは今はもうない。
それははっきりと分かる。
自分に焦りや不安がなくなったわけではないけど、”他人と比べても仕方ない”と吹っ切れた部分があるのだろう。
彼の笑顔を見ても、イライラしたり悲しくなったりはしない。
むしろ今の私は、彼の笑顔を見るとホッとしてしまうのだ。
あの時とは大違いだ。

…いや、でも…。
確かにホッとするけど、決して気持ちが落ち着くわけではない。
妙に…心拍数が上がる。
でも、見ると嬉しいような…そう、幸せな気持ちになっていくような…
……。
…何?
どうして?
どうしてそんな気持ちになるのよ?
まるで…
坂崎さんのことが−

……えっ!?

「佐藤さん?」
ひょいっと坂崎さんが私の顔を覗き込んだ。
「わっ!はっ…はい…っ」
「わ?そんなに驚かなくても。」
「あ、いえ、すみません。ちょ、ちょっとギターの音色に聞き入ってしまっていて…」
「あ、そうなの?たいしたの弾いてないけどなぁ…。何かいい曲弾かなきゃ。」
「い、いえ…っ今ので十分ですっ……つ、続けて下さい…っ」
慌ててテーブルの湯飲みに手を伸ばす。
また鼓動が激しくなってきた。
ちょっと待って?
私…今、何考えた?
いくら良い人だからってそんなことはないでしょ!
ないないっ!
……な、ないと…
思う…んだけど…
だ、だって!
彼は有名人なのよ?
有り得ない。
有り得ないんだってば。
……。

こっそり坂崎さんを盗み見た。
楽しそうにギターを爪弾いている。
確かに彼は素敵な人だ。
格好良いし可愛いし優しいし。
でも私がこの人を……だなんてそんなことは…。
最初の出会いなんてあんなだったじゃない。
その次だってあんなだし、倒れて失礼な態度をとったし。
それが−
……。

でも、何度見てもドキドキしてしまうのは事実だ。
彼の前では、とても冷静ではいられない。
バカみたいに動揺している自分がいる。
失礼な態度をとったあの時の自分がまるで嘘みたい。
あの強気な姿勢はいったいどこへ行ったのか。

それってやっぱり…そういうことなのだろうか。
自分のことなのに何で分からないんだろう。
まだ、気になってるだけ…なのかな。
ここ数年、賞を取ることだけに必死になって、こんな風に誰かが気になる…なんてこと、まったくといっていいほどなかった。
だから余計に自分の気持ちがはっきり見えてこないのだろうか。
それとも、ただ単に有名な人だから、ドキドキしてしまっているだけなのか。
できればそうであってほしい…。

「〜♪」
ギターを弾いていた坂崎さんが演奏に合わせて口ずさみ始めた。
彼を見るとドキドキしてしまうのに、その姿を見ずにはいられない。
怖いもの見たさ…?
いやいや、怖い人じゃないし。
この人を見て“怖い”っていう人はいないでしょう。
…この笑顔が仮面じゃなければ。

坂崎さんはとても楽しそうにギターを弾く。
ギターが好き、という気持ちがたぶん表情にも表れているんだと思う。
ずっと弾いてていいよ、と言われたら本当にずっと弾いてそうなぐらい楽しそうに見える。
そして周りにも彼の楽しさが広がっていく。
聴いている私も何故だか楽しくなり、気が付けば口元が緩んでしまうのだ。
知らない曲でも、だ。
彼の人を惹きつける力はきっとすごいと思う。

それに…
会話がなくても、今、この空間がとても心地よい。
ギターの音色と坂崎さんの歌声。
とっても優しい気持ちになれる。
ずっと聴いていたいと思う。
ずっと…こうしていられたら…って……

…いやいやいやいや。
違う違う。
そうじゃないわよ。
か、彼はとっても良い人で、演奏と歌が上手だから、“ずっと聴いていたいな”って思っただけで…
そうよ。
だからよ、だからそんな風に想っているような錯覚に陥ってるのよ。
有名な坂崎さんが目の前でギター爪弾いてるんだもの、見とれてしまうのは当然だわ。
そんな、特別な感情があるだなんて…ねぇ!
ブンブンと首を振ってお茶をグイッと飲み干した。
一気飲みなんてはしたないんじゃなかったのか、自分…!

坂崎さんと二人きりになると、どうも落ち着かない。
どんなに時間が経ってもドキドキが治まらないし…!
もともと1対1の会話は苦手だ。
何を話したらいいのか分からないし、相手の機嫌を損ねるようなことを言ってしまったりしないかってビクビクしてしまう。
特に今。
舞い上がっているのか、緊張しているのか、今の私は何を口走るか分かったもんじゃない。
またあの時みたいに笑われるようなことをしでかすかもしれないし。
…ああ、お願い。
棚瀬さん、早く戻ってきて…っ!
今の私には、彼だけが頼みの綱。
手に持った空の湯のみを見ながら、ただひたすらドアがノックされるのを願うしかなかった。


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