EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

・・・6へ・・・   ・・・8へ・・・

−7−

「…私、何でこんなところにいるんだろ……」
ため息まじりに呟き、辺りを見渡した。
さっきからうろうろキョロキョロ。
慣れない場所に来ると、どうしていいものやらさっぱり分からなくなる。
ここへ来ることが自分の意思ではないから余計だ。
はっきり言って来なくてもよかったと思う。
約束ではなく、相手の一方的なお誘いだったのだから、何もそれを受けなくてもよかったのだ。
なのに、私は何かに引っ張られるようにここへ来てしまった。
もちろん、自分に非があるのだから引っ張られてしまうのは仕方のないことだけど。
「…バカ正直だなぁ、私。」
彼の言葉に“それもそうだ”と思ったことがそもそもいけなかった。
何だか操られているような気がする。
  ・
  ・
  ・
あの日、棚瀬さんは私の問いかけに笑顔を返してきた。
何の意味があるのかと怪訝に思っていると、彼はジャケットの内ポケットから小さな紙を取り出すと、ペンで何かを書き込み、私に差し出した。
「…え?名刺…ですか?」
“棚瀬”と書かれた彼の名刺だった。
とりあえず受け取り、棚瀬さんを見上げる。
「三日後にコンサートがあるんですよ。もし、お時間ありましたらぜひいらして下さい。開催場所もそこに書いておきました。会場に到着された時に私の携帯にお電話下さればお迎えに参ります。」
「は?…コ、コンサートって…いえ、私は…」
「坂崎に会ってやって下さい。」
「…え?」
「直接会えば、何もかもすっきりすると思います。坂崎の心配事も、佐藤さんの心配事も。」
「そ、そうかもしれませんが…でも…」
そんな、直接会えだなんて…!
それができたら苦労しないわよ!
「…すっきりさせたくありませんか?」
「そ、そりゃ…させたいですけど…」
でも…!
「それならぜひ来て下さい。もちろん強制ではありませんから、お時間があれば、の話です。」
にっこり笑う棚瀬さんの顔は、とても“強制ではない”ようには見えなかった。
笑顔の裏に何かがありそうで怖い。
「開演は18時半です。終演後ですとゆっくりできませんので、できれば開演前にいらしていただくといいかなと思います。そうですねぇ…開場前がいいでしょうか。開場は17時45分なので、その前にでも。」
「え、あの…いや、でも…」
「コンサートもぜひ観てやって下さい。席も空けておきますので。」
「あの、まだ行くとは…」
「…おっと、そろそろ行かなくては。お食事中失礼いたしました。それではまた三日後に。お会いできるのを楽しみにしています。では失礼します!」
「えっ!あの…った、棚瀬さ−」
呼び止める私の声など聞こえないのか、棚瀬さんは振り返りもせず足早に店を出て行った。
…いや、あれは絶対聞こえないフリだ。
絶対に聞こえている。
絶対に聞こえているんだ。
でもそれが分かったところで何の役にも立たない。
手元には一枚の名刺が確実に残っているのだから。
物言わぬ、けれど重みのある一枚の紙。
「ちょ…ちょっと待ってよぉ…」
私の嘆きが棚瀬さんに聞こえるはずもなかった。
  ・
  ・
  ・
「…そりゃね、私だって直接会って一言お礼と謝罪をした方がいいとは思ってるわよ。ひどい態度とったわけだし、悪いと思ってるし。でもこんな突然会えと言われても心の準備ができるわけないじゃない。ねぇ…。」
もらった名刺を見つめてため息をついた。
捨ててしまおうかと思ったけど、さすがにそれはできないし。
“…すっきりさせたくありませんか?”
棚瀬さんの言葉が蘇ってきた。
確かにね。
そう思うけど…。
だからこそ私はここにいて、手には菓子折りだって持っている。
変な意地とか、そんなものはない。
全面的に私が悪いのだから、謝るつもりは十分ある。
でも…。
棚瀬さんが思ってるほど、簡単にすっきりさせることができないかもしれない、そういう気持ちがあるから怖くて仕方がない。
私は言えばそれですっきりすると思う。
でも相手はそうじゃないかもしれない。
私から今更言われたところで、“だからなに?”と返ってくる可能性だってある。
それが怖い。
相手の気持ちを知ることが怖くて仕方がない。

ドクドクドクドク…
さっきから怖いくらいに心臓の鼓動が激しい。
飛び出てくるんじゃないかと思うほどだ。
空調が効いているというのに、手のひらは汗だく。
まるで自分がステージに立つみたいに緊張している。
今日のお客さんはどんな人たちなんだろう、とか。
うまく歌えるかな、とか。
なんて、ステージに立つ時の緊張感なんて私には分からないけど。
きっとこんな感じだ。
…いや、きっとそんな時の緊張よりも遥かに超えている。
これは…尋常じゃない。
「…やっぱりやめよう。まだ無理。やっぱり無理だわ。」
踵を返し出入り口へと引き返す。
こんな不安定な精神状態にとても耐えられない。
心臓発作でも起こしかねないわ。
「もう少し、自分に自信が戻ったらにしよう。それからでも遅くないわ。だって今だって十分遅いんだもの。」
自分に言い聞かせるように呟いて人の波に逆らいながら正面玄関へ向かう。
まるで建物の外が何にも縛られない天国のように光って見える。
もう少しで私は自由になる、そんな気持ちになった。

が。
「あ!佐藤さん!」
……私ではない”佐藤さん”を呼んでいてほしい、と願わずにはいられなかった。
ここには他の”佐藤さん”がいる。
きっと私だけじゃない。
日本各地には大勢の”佐藤さん”が…
「来てくださったんですね!ありがとうございます!」
そんな私の小さな願いもむなしく、私のところへ棚瀬さんがすっ飛んできた。
こんなに目立たない私を見つけるなんて、この人にはレーダーでもついてるんじゃないだろうか。
それともお互い小柄だから見つけやすいのか。
「こ、こんにちは…」
無理やり笑顔を作って会釈した。
見つかってしまっては逃げるわけにもいかない。
こういう時に誰にも見つからずに逃げられる方法を誰か教えてくれないだろうか。
もしくは見つかっても逃げられる方法、とか。
何故こういう時に気分が悪くなって倒れないんだろう。
そうよ、倒れるなら今じゃない。
今こそ倒れるタイミングよ!
「こんにちは!いや〜嬉しいです、来てくださって。」
「はぁ、どうも…」
「でも、何かありましたか?出口に向かっていたように見えましたが…?」
ドキッ
「い、いえ。まだ早いかな、と思いまして一旦外に出ようかと…。」
「そうだったんですか。いや、早くないですよ。ちょうどいい時間です。」
「そ、そうですか…。」
「さぁ、こちらへどうぞ。ご案内します。」
「あ、は、はい…。」
…とても逃げられそうもない。
気分が悪くなる気配もない…。
棚瀬さんが背を向けた瞬間、私は深いため息をついた。

「佐藤さんはこちらの会館へは初めてですか?」
「え?ええ。」
「そうですか。ではコンサートというのも一度も?」
「…そうですね、クラシックのコンサートや演劇には何度か出掛けたことはありますが、ロックは初めてで…。」
前から一度アルフィーのコンサートを観てみたいな、と思っていたことは口が裂けても言うもんか、と何故か思った。
変なところに変な意地がある。
「そうなんですか。今日はきっと楽しんでいただけると思いますよ。自慢ではありませんが、彼らのコンサートは最高です。」
「そうですか…」
…どう聞いても自慢にしか聞こえませんけど。
「さ、こちらへ。ここからは関係者しか入れません。」
「あ、はい…。」
”関係者以外立入禁止”の貼り紙は私の緊張をさらに増幅させる。
つまりはこの奥にいる、というわけで…。
そう考えたら無意識のうちに歩幅も小さくなった。
ここまで来たらもう引き返せないのだから諦めたらいいのに、と自分自身に思う。
まるで子供が病院や歯医者に行く時にささやかな抵抗をしているみたいだ。
結局は行くのだから抵抗するだけ無駄なのに。
そんな私の様子に気がついたのか、棚瀬さんは私を振り返り笑顔で奥へと促した。
言葉はなかったが“大丈夫ですから”という彼の心の声が聞こえてくる。
逃げ出したい衝動にかられながらも、棚瀬さんに付いていくしかない。

楽屋へと続く通路は、慌しく人が行き交い騒がしい感じだ。
しばらくすると開場時間だから、そうなるとまたさらに慌しくなるんだろう。
すれ違う人たちは私のことなど見向きもしない。
当然といえば当然だ。
こんな三流作家に気づき声をかけるような暇など彼らにはない。
とにかく自分に与えられた仕事をこなし、今夜のコンサートを成功させるためだけに懸命なのだ。
…というより、私の顔など誰も知らないだろう。
棚瀬さんや彼、坂崎さんが私を知っていたこと自体、そうそう有り得る話ではない。
こんな超有名人が自分を知っているだなんて、絶対に有り得ない。
未だに何かの間違いだと思っているぐらいだ。


…有名人に会うのだから、もう少し着飾ってくればよかった。
そうすればもう少し作家っぽく見えたかもしれない。
棚瀬さんの後ろを歩きながら、自分の格好を見る。
飾り気のないスーツ。
アクセサリーなど、ひとつもない。
まるで面接に来た学生のようだ。
…ああ、そうか。
だから棚瀬さんは私を目敏く見つけられたんだ。
だってこんな格好でロックのコンサートに来る人なんていないだろう。
たとえいたとしても、よほどの関係者だろうから逆に目立つんだ。
…よく見れば棚瀬さんとペアルックみたいだし。
これで彼と会うのか、そう思うと何故か恥ずかしくなってきた。
…何でこんな格好で来たんだろう。

それに…
本当に…
本当に私なんかが行ってもいいんだろうか。
やっぱり行かない方がいいんじゃないのか。
不安は増すばかりだ。
何とかこの不安を少しでも拭い去りたい。
「あ、あの、棚瀬さん…っ」
棚瀬さんの背中に声をかけた。
「はい?」
先を歩く棚瀬さんが振り返る。
彼のスーツが本当にペアルックに見えてきた。
「あの…私が行っても本当に大丈夫なんですか?本当は連れてくるなとか言われてるんじゃありません…?」
「全然大丈夫ですよ。それに、坂崎には佐藤さんがいらっしゃることは言ってないので。」
「そ、そうですか…」
ホッとしつつ棚瀬さんの言葉を復唱する。
”全然大丈夫ですよ。それに、坂崎には佐藤さんがいらっしゃることは言ってないので。”
…え?
言ってないって…言った?
「ちょ、ちょっと待ってください!」
慌てて前を歩く棚瀬さんの上着を引っ張った。
「わっ」
「言ってないってどういうことですかっ?坂崎さん、私が今日来ること知らないんですかっ!?」
「え、ええ。」
「何で言ってないんですかっ」
「一人ご招待する、とは言ってありますよ。坂崎も知ってる方なので開演前にいらしたらお連れします、と伝えてあります。」
「そこでどうして私の名前を言わないんですかっ」
「坂崎を驚かそうかなぁと…」
「私はサプライズゲストじゃありませんっ」
「坂崎にとっては十分サプライズなゲストですよ。きっとすごく驚いてすっごく喜びますから。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」
「驚かれる私の身にもなって下さいよっただでさえ怒ってるかもしれないってビクビクしてるんですよっ!どうして言っておいてくれないんですかっ」
「佐藤さん、落ち着いて下さい。声が大きいですっ」
棚瀬さんが口元に人差し指を立てた。
「…あ」
ここがどこであるかも、相手が恩人のマネージャーだということもすっかり忘れていた。
棚瀬さんが貴重な私のファンだということも頭の片隅から消えている。
すれ違う人たちが怪訝な顔で私を見ては通り過ぎていく。
これからコンサートを開催するわけなのだから、関係者たちはピリピリしているはずだ。
そんなところで私は大声でわめき散らしてしまった。
何て子供じみたことを…。
「…す、すみません…」
「坂崎に聞こえてしまうとサプライズがサプライズじゃなくなってしまいますからね。あの人は察しがいいので声は控えめでお願いします。」
「は、はい……え?」
静かにする一番の理由はそこでいいの…?
「…何か?」
「いえ…何でも…」
何だか…とっても…
疲れてきた……
まだ会ってもいないのにこの疲労感。
こんなところでこんなに疲れていてどうするんだろう。
今日が終わった時、私はどうなっているのか。
予想もつかないが、病院へ搬送なんてことだけは避けたい…。
今日いったい何度目だろうか。
はぁ…と深いため息をついた。


・・・6へ・・・   ・・・8へ・・・