EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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あれからあっという間に三週間が過ぎた。
どうやらこの休養期間は、私にとって良い気分転換になっているようだ。
体調は一週間ほどで回復して頭痛やめまいもなくなり、B出版社の連載はなんとか書き進められている。
A出版社は、といえば担当者から近況を尋ねる電話があるぐらいで、次の構想の話を聞かれることもなかった。
おかげでA出版社に行く用事もない。
つまり彼に会うこともないということだ。
心のどこかでホッとしている自分がいる。
だが、戸惑いや不安を感じたり自己嫌悪に陥ることもある。
その大きな理由は二つだ。

もしA出版社にいつものように出掛けていれば、またばったり会うこともあるだろうし、その時にあの時の非礼を詫びることもできるのに、その機会がないという運のなさ。
たとえ彼が見知らぬ人のように私の横を通り過ぎようとも、謝ることはできるのだからその機会さえあればこんな気持ちのまま過ごさなくてもよくなる。
ところがその機会がない。
私は完全に謝るタイミングを逃してしまっている。

もう一つはただ、自分にA出版社に行く勇気がないだけ。
ばったり会うことを恐れている自分がいる。
その時にどんな顔をされるのか、どんな態度をとられるのか。
それが怖い。
もう十分嫌われていると分かっているのに、何を怖がっているのだろうか。
これ以上失うものなんて、何一つないのに。
「…そろそろ行かないわけにもいかないんだよね。」
実は、担当者から“出版社に顔出して下さいよ”と週の始めに電話で言われてしまい、誰よりも私を心配している人だから、何だか断れなくてつい“近いうちに行く”と返してしまったのだ。
もうあれから三日経っている。
顔を出さないわけにもいかない。
「…明日は行こう。ばったり会ったら謝ればいいのよ。それですっきりするじゃない。」
自分自身に言い聞かせるように一人呟いた。


「先生!ずいぶん顔色もよくなったじゃないですか!」
「あなたは相変わらず元気ねぇ。」
A出版社に出向くと、担当者が嬉しそうな笑顔で顔を出した。
こっちまでつられて笑顔になってしまうような、そんな笑顔だ。
「元気なのが僕のとりえですから。どうですか?頭痛とか身体の調子は。」
「うん、頭痛はほとんどなくなってずいぶん身体の調子もよくなってきたわ。夜もよく眠れるようになったし。」
「そうですか。それはよかった。やっぱり休養は大事なんですよ。先生働きすぎだから。さ、こちらにどうぞ。今日は編集長が一日不在なので、ご安心を。」
勧められたソファに腰を下ろす。
「なんていい日に来たのかしら。…働きすぎっていってもねぇ。働かないと食べていけないでしょ。独り者は休んでなんていられないんだから。」
「まぁそうなんですけどね?僕も独り者ですからね。お茶、コーヒーどちらにします?」
「お茶いただこうかな、ありがとう。でもあなたは独り者っていってもそろそろ結婚を考えてるんでしょ?」
「えっ僕ですかっ?いや、僕はまだ…」
「…知ってるわよ?素敵な彼女がいるんですってねぇ?」
「えっ!」
ボッと顔が赤くなった。うわ〜何て分かりやすい。
「ど、どうして…っ」
「何で知ってるのかって?そりゃ、あなたの同僚たちがうらやましそうに話していれば聞きたくなくても耳に入ってくるわよ。相当美人らしいじゃない。」
「え、あ、う…あ、まぁ…は、はい…いや、そうでもないですよっ」
「いいわね〜幸せな人は。」
「僕の話はいいじゃないですかっ今日は先生の話を」
「のろけ話ってねぇ、結構創作に役立つんだけどなぁ…」
「…のろけるほどの話なんてないですよっ」
「あら、そう?いっぱいありそうだけど。」
「ないないないっないですって!…は、はいっお茶どうぞっ」
彼は相当な照れ屋のようだ。
そういえば彼が担当になってからこういう話をしたのは初めてかもしれない。
何だか新鮮だわ。
「…ま、そういうことにしておきますか。いただきまーす。」
真っ赤になっている彼を見ながらの煎茶は妙に柔らかい味がした。

ひとしきり今後の作品の方向性を話し、時々…いやほとんどかもしれないが彼女のこともつっつきながら、なかなか楽しいひとときを過ごすことが出来た。
「また聞かせてね〜」
帰り際、事務所の入口まで見送りに付いてきた彼に振り向き様にそう声をかけると、苦笑いを浮かべられてしまった。
よほどそういう話をするのは苦手らしい。
彼女を見る日が楽しみだ。
「今度いらっしゃる時は僕の話より先生の話をして下さいよ?」
「それはどうかな。気分にもよるな。」
「またそういう意地悪ばっかり。じゃあ今度は僕が先生に根掘り葉掘り聞いちゃいますからね!」
「根掘り葉掘り聞くようなこと、私にはないわよ。あなたと違って本当の意味で独り者だから。」
「本当ですかぁ?何か嘘っぽいなぁ…」
「本当だって。しっかり売れ残ってまーす。」
「でも“この人いいな”って人はいるんですよね?」
「え?」
何故だか分からないけど突然あの人の顔が浮かんだ。
…え?どうして?
「…あ、やっぱり。」
「え?…あ、違うわよ!”いいな”って思ってるわけでもない人の顔が浮かんだからびっくりしてるのよっ」
「でもそれって気になってるってことでしょう?」
「そ、そんなことないわよ…っ」
だって…そう、そうよ。
違う意味で気になってるのよ。
だって申し訳ないなって思ってるし、ばったり会ったらどうしようって不安だし!
これは違うわよ…!
「…先生?」
「え?何?」
慌てて顔を上げると担当者がまるで勝ち誇ったかのように、にっこり笑っていた。
「なぁに?ニコニコしちゃって。気持ち悪いなぁ。」
「…だって、先生がそんなに慌ててるところ初めて見ましたもん。」
「…あ、慌ててなんていないわよ。何言ってるのよ。」
「そうですか?慌ててるか…焦ってるようにしか僕には見えませんけどねぇ。だって…顔、赤いですよ?」
「え…っ」
うそっ
確かにさっきから心拍数は上がってるけど、まさか顔まで赤いなんてっ
担当者はやっぱり勝ち誇るようにニコニコしながら私を見ている。
「やっやめてよね…っそういう風に言われると本当におどおどしちゃうじゃないの。あんまりからかわないでよ!…そ、それじゃあね!」
怪しいカニ歩きをしながら彼から離れると、私は逃げるように歩き出した。
私の背中を見ながらニヤついている彼の顔が目に浮かぶ。
…何だかすごく悔しいような。
今度来る時も根掘り葉掘り聞いてやろう、一人決意した。

来たついで、A出版社のビルにある喫茶店で軽食をとることにした。
ランチにはまだ少々早い時間なので店内は空いていて、静かでゆったりとした時間が流れている。
時間に追われてセカセカしているサラリーマンたちがいると、私は急ぐ必要もないのについ自分も早く食べなくては、と焦ってしまうことがある。
「今日はゆっくり食べられそうね。」
のんびりとランチをとりながら雑誌でも読むことにしよう。
A出版社の担当者からもらった雑誌をバッグから取り出した。
私の作品が載っている今月発売の雑誌だ。
彼は毎月発売するたびにこの雑誌を律儀にくれる。
今月発売分は私が休みに入ってしまっていたこともあり、発売からすでに2週間以上経ってようやく私の手元にやってきた。
郵送してくれればいい、と電話で言ったのだが、彼が“手渡ししたい”と言って聞かなかった為、こんなにも日にちが経ってしまった。
彼なりに考えた、私を出版社に呼ぶための作戦、だったんだろう。

実は雑誌の目次に自分の名前があることが未だに恥ずかしい。
何年経ってもなかなかそこに自分の名前がある、ということに慣れることができないでいる。
将来有望な若手作家にベテラン作家たち、そんなメンバーの中に自分が混じっているなんて、運がいいというか、何というか。
きっと一人浮いている存在なんだろう。

この雑誌には私が憧れている作家の作品も掲載されている。
雑誌をもらい、最初に読むのがその作品だ。
自分のなんて最後。
時には読まないこともある。
決して自分の作品が嫌いというわけではないし、読みたくないわけでもない。
何というか…
要するに雑誌に載った自分の作品を読むのが恥ずかしい、ただそれだけ。
ましてやそれが本になった時はどれだけ恥ずかしいことか。
できの悪い我が子を世間に放り出し、どのくらいの人が可愛がってくれるのか…なんていう心配な気持ちもある。
まるで親になった気分だ。

…自分の作品はさておき。
他人の、特に尊敬している作家の作品はいい刺激になる。
こんな表現方法があったのかとか、こういう考え方もあるんだなとか、作家それぞれの思考や登場人物の設定なんかも自分にはないものを持っている人がたくさんいて、自分の作品にもそんな部分を試しに加えてみたりする。
なかなか他人の作風を自分にいい形で吸収することはできないが、それでも挑戦するだけでいい勉強になるものだ。
もともと今の作風も色んな作家の影響を受けて作り上げてきたもの。
自分本来の部分とそれが入り混じっている。
それをいかにうまくまとめて”佐藤らしい作品”と言われるものに仕上げるか、が大きな鍵だ。
”この部分は誰々の作品に似ている”なんて言われてしまってはまだまだ。
”こういう書き方は佐藤にしかできない”そういう評価を得たいと思っている。
なかなか、そういう評価はもらえないのだけど。

「…来月からは新人作家の作品を載せるって言ってたっけ。」
どうやら私が休んでいる間の空きは新人作家の短編作品を載せることになったらしい。
新人は荒削りではあるがそれがいいところであり、今後の成長を期待するいい作品を書く。
今後の成長が何より楽しみな存在だ。
きっと近い将来賞をとり、一流作家の階段を順調に上っていくんだろう。
編集長の鼻も高くなり、きっといつだってニコニコご機嫌だ。

それに比べて…。
私は編集長の鼻を低くしたり曲げたりと、いつだって不機嫌にさせてきた。
そしていつだって担当の彼が被害を受けるのだ。
編集長にとっても担当にとっても、私の作品より新人の作品を載せた方がストレスはたまらないだろうし、世間だってきっと新しい若い作家の作品を期待しているんじゃないだろうか。

…なんて、つい自分と比べてしまう。
相変わらず悪い癖だ。
どうしても悪い方へ悪い方へと考えてしまう。
雑誌に自分の作品をまた載せてもらえるか、という心配を自分で膨らませてどうするのか。
けれど2ヶ月後、“これからは新人の連載を載せるから”と言われる可能性は十分にある。
そうなれば私はお払い箱だ。
「…そうなったらどうしよう……」
その日の食事もままならない生活になるのか。
ペン1本も買えなくなるのか。
極貧生活を送る自分の姿がやけに鮮明に浮かぶ。
…恐ろしい。

「…佐藤さん?」
突然、背後から名前を呼ばれてビクリとした。
「…えっ!?は…はいっ!?」
物思いにふけっていたため人の気配すら感じなかった。
慌てて振り向いた拍子にテーブルに広げていた雑誌がバサッと床に落ちた。
「あっ」
みっともないほどの慌てようで恥ずかしくなる。
「あ、すみません。びっくりさせてしまったようで。」
声をかけてきた人は、私より先に床に落ちた雑誌を拾うと、私に差し出した。
「い、いえ…こちらこそすみません、拾っていただいて……あっ」
雑誌を差し出す人を見て、一瞬にして私の身体は凍りついた。
どうしていつも突然なのだろうか。
もしかして狙っているの?
いや、そんな…まさか。
「こんにちは。よかった、頭の片隅にでも覚えていてくださって。」
石のように固まった私に、彼は初めて会った時と同じようににっこりと微笑んだ。


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