EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−4−

夜、自宅のベッドで横になっていると携帯電話が鳴った。
「…ん〜…」
電源を切っておけばよかった、とものすごく後悔した。
ゆっくり身体を起こして携帯に手を伸ばすと、画面にはA出版社の担当者の名前が表示されている。
「…あんまり出たくないけど出ないわけにはいかないわよね……。」
一つため息をついてから通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、もしもし?すみません、もうお休みでしたか?』
「ううん、横になってただけ。」
『その後気分はどうですか?あの後、まっすぐ自宅に帰りました?』
どうやら倒れたことは知らないようだ。
「ええ、帰ったわよ。気分は…そうね、まぁ、何とか。」
まさか”最悪”とは言えない。
倒れたことも彼には言わない方がいいだろう。
人一倍心配性なのだ。
それに“僕がしっかりサポートできてなかったせいで…”なんて言い出しかねない。
『そうですか。身体、大事にして下さいよ?』
「うん、ありがとう。…もしかしてそれだけのために電話を?」
『僕はそのつもりだったんですけど、先ほど増えましてもう一つ伝えなければならないことがあるんですよ。』
「え?…なに?」
『あの…ですね……』
何か言いにくそうな口ぶりだ。
もしかして…さらなる不幸が私を襲うのだろうか。
『編集長が…ですね。』
「うん…」
『“前作でかなりの無理をさせたから、しばらくゆっくり身体を休めてほしいと伝えてくれ”と。』
「え?…あの、あの編集長が?」
あの鬼のような人がそんなことを?信じられない。
そんな台詞、初めて聞いた。
編集長から聞く台詞と言えば「原稿よろしく」「早くしてくれ」の二つくらいだ。
『ええ。あと…』
「あと?」
『“色々無理させてすまなかった”と…。あの自分勝手な編集長がですよ?おかしいと思いませんか?』
「…ふ〜ん、おかしいわね。何かあったのかしら。」
『さぁ…僕はさっぱり分かりませんよ。頭でもおかしくなったんじゃないかなぁ…』
「まさか。」
『でも、とりあえずこれで少しゆっくりできますよ。ええと…2ヶ月ほどお休みということで。』
「そう、ちょっとホッとしたわ。」
私が出版社で倒れたことが編集長の耳に入ったんだろう。
さすがに次回作を今すぐ、とは言えなくなったのかもしれない。
一応、編集長も人間だったようだ。
『僕もホッとしましたよ。しばらくはゆっくり休んで下さいね。』
「ええ、ありがとう。…ねぇ?」
『はい?』
「ちょうどいい機会だから言うわね。」
『え?ええ…?』
「あのさ…もう、いいのよ、やめても。」
『え?何がですか?やめるって…?』
「私の担当。」
『…どうしてですか?』
「だって入社した途端、私の担当になっちゃってさ。せっかく実力があるのに、私の担当になったばっかりに何もいいことないなんて申し訳ないじゃない?落選ばっかりで私の担当になっても喜ばしいことなんて何一つなかったでしょ?今がちょうどいい機会だと思うのよ。編集長には私から言うし、あなたはもっといい先生に−」
『佐藤先生?』
ため息まじりに呆れ返ったような、そんな声が返ってきた。
「なぁに?」
『僕が出版社に就職した理由、担当になった時に言いましたよね?』
「う…ん?…何か聞いたような気はするけど。何だっけ?」
『…これだから先生は困りますよ。あんなに熱く語ったのに。』
「そうだっけ?」
熱く語られると忘れるものなんだって、と言いそうになったがやめておいた。
『僕はですね、先生の担当になりたいからA出版社に入ったんですよ!』
「……奇特な人ねぇ。」
『奇特じゃないですって。先生の作品がすごく好きで、担当になったら一番に読めるっていう不純な動機で入社しちゃいましたって最初に挨拶したじゃないですか。』
「そうだっけ?…それで、実際に担当になったら幻滅しちゃったでしょ?」
『してませんって。むしろ新人で色々迷惑かけたのはこっちですよ。なかなかうまくサポートできなくてすごく申し訳ないなってずっと思ってたんですから。』
「あら、何言ってるのよ。若いのになかなかしっかりサポートしてくれて助かってたわよ。もちろん今もね。」
そう。あなたはとってもできる人よ。
私なんかより作家が似合ってるかも。
『…や、やだな。照れるじゃないですか…っ』
「あはは、何だーやっぱりまだまだ若いわね。」
『からかわないで下さいよ!…でも、だから僕は先生の担当ができてうれしいんですよ。ずっと一緒に仕事がしたいです。他の作家さんの担当をしている同僚たちはなかなかいい関係で仕事ができてないらしいですよ?先生の担当だっていうことが僕の何よりの自慢なんですから。』
「……あ、ありがと。」
口だけは上手いんだから…もう。
でもすごく嬉しかった。
私の苦労を誰よりも知ってる人だから、そういう風に言ってくれると気持ちが少し楽になる。
『…あ、っとすみません。ちょっと打ち合わせが入ってるのでそろそろ。』
「ごめんね、忙しいのに。電話ありがとう。」
『いいえ。先生はゆっくり身体を休めて下さいね。…あ、お休み中に何か良い構想が浮かんだら一番に知らせて下さいよ!』
「もちろんよ。出版社に顔出すわ。」
『用事がなくても顔出してくださいね。』
「何でよ〜」
『あはは、お願いしますよ〜!それじゃあ、おやすみなさい。』
「電話ありがとね、おやすみ。」
電話を切ってまたひとつため息をついた。
でも、安堵のため息というか、気分的に暗いものではない気がする。
荒んでいた心にちょっとだけ温かさが戻ってきたのかな。
それともお休みがもらえて、ホッとしたせいかもしれない。
どちらにしても彼からの電話は出て正解だったということだ。

「休みかぁ…」
2ヶ月なんて、あっという間に過ぎてしまうんだろうけど、ここ数年休みらしい休みはなかったから何をしようか考えてしまう。
もちろんB出版社の連載はあるから完全な休みではない。
でも、ここ数年続いていたA出版社の仕事が休みになるのは初めてだ。
休みがなかった、というと売れていて休む暇もない、と思われるかもしれないが、もちろんそんなわけじゃなく、単に日々の暮らしのためにどんな小さな仕事でも引き受けてきたから。
雑誌の小さな記事でも何でも引き受けてきた。
だから何とかここまで来れたわけで。
「ここ数年の疲れがドッと出ちゃったのかなぁ…」
健康には結構自信があった。
今まで大きな病気も怪我もしたことがない。
定期検診でも異常が見つかったことだってないし。
そんな私がこんなにも弱るということは、相当今回の落選は今まで以上に身体にダメージを与えたんだろう。
それだけ私自身が今回は最後のチャンスだと思っていたということになる。
確かに心のどこかで、そういう想いがあることは事実だ。
年齢的に考えても、いつもその想いは頭の片隅にある。
けれど、ここまでその想いに縛られていたなんて自分でも驚きだ。

「…何でこんな時に……」
彼と出会ってしまったんだろう。
人生で一番不安定なこんな時に。
私がたった一言”ありがとう”と彼に言えばこんなことにはならなかった。
自分に自信をなくして、苛立って。
心に余裕がないばっかりに…。

自宅に戻って気持ちを落ち着かせてみて、もう一つ分かったことがある。
彼は有名人で、プロとして成功している人。
私は成功してる彼が羨ましくて、いつも楽しそうに笑ってる姿を見て…腹が立った。
そんな彼に褒められて、優しくされて、余計に自分の未熟さや今の状況があまりに惨めで悔しくて…
彼の言葉を素直に受け入れられない自分がいた。
あの嫌な気持ちは単なる妬み、僻みだったのだ。
彼のように成功して今の地位にいる人も、受賞した作家も同じように苦労をして今がある。
苦労してるのは私だけじゃない。
分かっているのに自分の感情を抑えきれずにあの人を傷つけた。
彼は何も悪いことなんてしてないのに。
「…本当にバカだわ。僻むなら賞を受賞した人にすればいいのに。」
また目が潤む。

今更後悔しても遅いけど、本当に申し訳ないことをしてしまった。
考えれば考えるほど、私の大人気ない態度は彼にとても失礼だったと思う。
倒れた時に助けてくれたのに、本だって褒めてくれたのに。
あの時、最後まで私の作品を褒めてくれて…私の身体も心配してくれたけど、きっと幻滅してる。
もう私の本なんて借りなくなるだろうし、あのマネージャーさんだって私の本なんて買ってもくれなくなるんだわ。数少ない読者を自分自身で消してしまうなんて、何てバカなんだろう。
本を買ってくれる人や読んでくれる人たちは受賞したとかしなかったとか、そんなことは何も気にしてない。
ただその作者が好きだから、その文章や物語に心惹かれるものがあるから読んでくれる。
そんな純粋な読者に“賞が取れなかった”なんてこと、言うべきじゃないのよ。

私が作家を続けられるのは、ファンがいるからで自分の実力とかそれだけの話じゃないと常々思ってる。
だからファンは何より大事にしなきゃいけないってずっと思ってきた。
その私が、これ。
賞が取れないのは今に始まった話でもないのに、たかだか賞が取れなかったというだけでファンを思いやる気持ちすら失うなんて。
挫折や苦労なんて今に始まったわけじゃないのにね。
自分の余裕のなさに呆れて物が言えないわ。

自分に自信を持っていた頃が懐かしい。
周りに認められなくても賞がとれなくても、私は自分の思うままに好きなことを書いていた。
いつかは周りにも認められて、夢にまで見た賞だって受賞できる、そう信じて疑わなかった。
どこにそんな自信があったのか、その頃の私は笑ってしまうほどバカだったけど、今となっては無邪気に輝く未来を夢見ていた自分を羨ましく思う。
だからこそ書けた本だってある。
今の私では書けない物語を、その頃の自分は書いている。
純粋だったからこそ書けた物語。
今の私に欠けているものはそれかもしれない。

若かった頃の純粋さを忘れた今、私に書けるものは何なのだろう。
夢は叶わないものなのだと…未来を夢見る若者たちを失望させるような物語を書けというの?
いやよ、そんな物語、書きたくない。
私は…そんな物語を書きたくて作家になったんじゃない。

自分の中にある想い。
それを言葉にしたかった。
同じ想いを抱えている人たちに伝えたかった。
でも、それが何だったのか、今の私にはしっかりと思い出せない。
年月は、自分の想いさえも忘れさせてしまう。
あの頃、何に感動し何に涙したのか。
思い出したくても思い出せない。
純粋だった自分を、あの頃に置き去りにしてしまったのだろうか。
今の私は、あの頃の私とは違うのだろうか。
私は完全に自分を見失っている。

そんな作家が、賞なんてとれるはずがない。
作品は作家自身を映す鏡。
自分を見失っている私の作品が、世間に認められるわけがないのよ。
世間は私が思っているよりもずっと、私の迷いを見透かしている。
だから落選は当然の結果だ。
これが現実。

もちろん認めたくないという気持ちはある。
こんな私にだって作家というプライドを持っている。
未熟な作品でもその時その時の私の想いが、私の言葉で書き綴られている大切なものなのだ。
今まで書いてきたものまで否定されたくはない。

どんなに未熟でも、この道は私が進む唯一の道だと思っている。
他にできることなど、私にはない。
文章を書く、ということが私の生きがいでもある。
たとえ賞がとれなくても、周りに認められなくても、彼に…坂崎さんにどんな風に思われても。
私は作家という道をあきらめたくない。

“いずれこちらからお礼に伺います”
自分が坂崎さんに言った言葉を思い出した。
「…とても会いになんて行けないわ。ましてやお礼だなんて。私の顔も見たくないってきっと思ってるわ。」
…あの時。
医務室から出ていく坂崎さんはどんな顔をしていたのだろうか。
笑っていなかったことは明白だ。
声も沈んでいた。
きっと私に幻滅していたんだわ。

坂崎さんの笑顔がぼんやりと浮かぶ。
きっとその笑顔はもう私には見せてはくれないだろうし、見かけても声もかけてくれないだろう。
まるで知らない人のように目も合わせず通り過ぎていくのよ。
……
何故だろう、ものすごく心に痛みを感じる。
苦しくて悲しくて…。
まるで…
ううん、きっと申し訳ない気持ちでいっぱいだからだ。
他に理由なんてない。
それだけのこと。
そう、きっと…。

軽く頭を振り、枕に顔をうずめた。
普段は何より心地よいと感じる瞬間なのに、今日はたまらなく不安になる。
…明日が怖い。
ずっとずっと先の未来も怖い。
今日起きたすべてが、夢であればいいのに。

ゆっくりと目を閉じた。
…何も考えたくない。
ただ、眠りたい。
眠らせて−


ようやく私は眠りについた。


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