EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−32−

「…ええ、はい…ああ、そうですか。はい?ええ、そうです。…はい、はい、分かりました。」
電話を切ると、棚瀬さんが申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「すみませんでした。ちょっと急ぎの用だったもので…」
「ああ、そんなお気になさらないで下さい。…お仕事の電話だったんですか?」
「まぁ、そうですね。仕事みたいなものです。」
仕事みたいな…もの…?
それって仕事じゃないってこと?
何が言いたいんだか、よく分からない。

「担当さんは、今日中に片付け終わるんですかねぇ?」
お店の中でバタバタと走り回っている担当を見て、棚瀬さんが苦笑する。
片付けているというより、せっかくキレイにしたところを汚しているようにしか見えない。
慌てすぎて、途中まで巻いてあってコードも足にからまって、また最初からやり直しになっている。
私が自宅に戻れるのは、どうやら日付が変わってからになりそうだ。
タクシーで先に帰ってやろうかと本気で思う。

「担当…変えた方がよさそうですよね。」
「変えてしまうんですか?」
棚瀬さんが苦笑する。
「あれですよ?変えた方がよくないですか?」
すでに “あれ”呼ばわりだ。
そういえば最近、めっきり彼のことを名前で呼ばなくなった。
いつも“ねぇ”とか“ちょっと”とか。
まるで長年連れ添っている夫婦がお互いを呼んでいるみたい。
担当と私が夫婦だなんて、世界がひっくり返っても有り得ないけど。
「彼は彼で良いところがたくさんあるんじゃないんですか?佐藤さんのことをとても尊敬してらっしゃるようですし。」
「尊敬はしてくれてますけど、なかなか成長してくれなくて。やり手になるにはまだまだですね。編集長にもっともっと鍛えてもらわないと。」
「まだまだ若いですからね。これからですよ。」
「そうですねぇ…そうだといいんですけど…。棚瀬さんから見てどう思います?彼は育ちます?」
「私の意見は参考にならないと思いますよ。」
「いえ、とっても参考になると思います。ぜひお聞きしたいです。」
「そうですか?そうですねぇ…私は育つと思いますよ。頑張ってらっしゃいますからね。」
「頑張ってはいると思うんですけど…私はあんまりそう思えないんですよねぇ…」
今の姿を見て、将来有望だとはとても思えない。
むしろこの仕事は向いていないんじゃないかとさえ思うようになってきた。
今のうちに、転職することを勧めておいた方がいいんじゃないだろうか。
「長く担当してもらうと、良いところより悪いところや粗が見えてきてしまうのではないでしょうか。成長しているのに、ちっとも成長していないように見えたり…なんて、自分自身がそうであってほしいと思っているだけなんですが…」
「棚瀬さんはマネージャーを担当されて長いんですよね。」
「ええ、どのくらいになったのか、数えるのも億劫になるぐらいです。」
そう言ってポリポリと頭をかいた。
「その域に達すれば、もう極めたようなものじゃないですか。十分誰のマネージャーさんとしてでもお仕事ができるんじゃないですか?」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。この歳になっても叱られますからね。まだまだマネージャーとして不十分なところはたくさんありますよ。」
「そうですか?私から見たら、お仕事が完璧なマネージャーさんにしか見えないですよ。」
「いやいや、そう見えるだけですよ。」
「そう思っているのはご自分だけですよ、きっと。自分のことは、自分が一番分かっていないものなんです。」
「いや〜…どうですかねぇ。」
「そういうものなんですよ。棚瀬さんは今のままで十分有能なマネージャーさんです。その点、彼は本当にまだまだです。棚瀬さんと比べたら、ひよこみたいなものですよ。」
「そうですかねぇ…」
「ええ、まだまだ経験が足らないです。もっとたくさんの作家さんたちの担当も経験した方が成長するんじゃないかと思うんですよ。彼の今後のためにも、そろそろ担当替えをした方がいいのかもしれません。」
「彼の場合、佐藤さんの担当をしている方が、今後も成長すると思いますけどね?」
「え?どうしてですか?」
そう聞き返すと棚瀬さんは笑った。
「たぶん…ですけどね。私の勘です。」
「勘…ですか。」
「ええ、勘です。」
「棚瀬さんの勘は当たるんですか?」
「まぁ、それなりに。」
それなりってどのぐらいなんだろう…?
何とも曖昧でグレーな答えだ。
思わず苦笑する。
「棚瀬さんの勘が当たるとして、私の担当を続けた方が彼は成長するという根拠はどこから来たんですか?実際に彼と話したのは今日が初めてですよね?」
「そうですね、初めてです。」
「ぜひ根拠が聞きたいですね。」
「根拠ですか?」
「ええ。」
「…そうですねぇ…。今日お話しした様子から見ても、佐藤さんの担当だからこそ、彼はここまで頑張れているんじゃないかな、と私は感じましたねぇ。」
「…それはつまり、担当する作家が私じゃなかったら、彼はここまで頑張れなかったということですか?」
「ええ。」
「…どうしてそう思うんですか?」
「そうですねぇ…佐藤さんを見ている、彼の目でしょうか。」
「…はい?…目ですか?」
「彼の目を見ていると、そうなんだろうなと思いますし。」

…そうなんだろうな?
何が?
「あの…何の話ですか?」
「いや、まぁ、それは私から言うことではありませんからね。それに憶測でものを言ってはいけませんし。」
「え、そんな、すごく気になるんですけどっ」
「彼から直接聞いて下さい。」
「ええ?棚瀬さん、そんな意地悪言わないで下さいよ!いつからそんな意地悪になったんですかっ」
「そうですねぇ…坂崎の影響でしょうかねぇ…」
本当よ!
あまりに一緒にいて、似てきちゃったんじゃないのっ?
「意地悪なところは似なくていいと思いますっ ちゃんと教えて下さいよ!」
「そうですねぇ…では佐藤さんがまたコンサートに来てくださったら教えますよ。」
「えっ!?」
「楽屋まで彼と一緒に来てくださったら、ちゃんと理由をお話します。」
そう言ってニコッと棚瀬さんが笑う。
何それ!
「な、ななななんでコンサートに来たらとか、楽屋まで来たらなんて限定なんですかっ?」
その発言はまるで−
「だって佐藤さん、全然いらっしゃる気がないじゃないですか。」

−ドッキーン!!−

ば、ばれてる!!
しっかりばれてる!
ばれてるよぉ!!
何で!?
どうして!?
全身に嫌な汗が吹き出た。
「えっ!やだ、棚瀬さん、何言ってるんですか!いいい行く気はちゃんとありますよっ?」
「…ひどく動揺してるように見えますが?」
眼鏡の奥の目がキラリと光る。
「そっ そんなことないですよっ!棚瀬さんが変なことおっしゃるからびっくりしちゃったんですよ!」
「…ほう?」
「ほ、ほら!いつもチケットを準備していただくのも悪いじゃないですか!今度行く時はちゃんと自分でチケットを買って行こうと、そう思って−」
落ち着け、私!
落ち着くのよ!
「…本当ですか?」
「ほ、本当ですよ!た、ただ、仕事が忙しくなって今回は伺えそうもないんですっ 先ほどは担当が勝手に“二人で”って言いましたけど、浮かれすぎていて口を挟む隙をもらえなくて!何度も彼にそれを伝えようとしていたんですけどねっ」
それは嘘じゃない。
嘘じゃないわ!
「……」
棚瀬さんがじっと私を見る。
その眼差しが妙に怖く感じるのは気のせいだと思いたい。
ようやく棚瀬さんが口を開いた。
「…そうですか。そうですよね、賞を受賞されたのですから、これから先しばらくはお忙しくなりますよね。」
よ、よし!
何とか信じてくれた…っ
「そ、そうなんです!私としては今まで通りのんびり仕事をしたいところなんですけど、受賞すると何かと仕事が増えてしまって…!本当に申し訳ないんですが…っ」
「では今回は担当さんだけをご招待ということにした方がよろしいですね。」
「あ、招待じゃなくていいですよ!チケット代は本人が払いますので、チケットを売っていただけたら…」
「ご招待しますよ。佐藤さんの担当さんからお金をいただくなんて、とんでもない。」
にっこり笑う棚瀬さんが何だか怖…う、ううん、き、気のせい…気のせいよ!
「そそそんな、ちゃんと払わせますから!払わせて下さいね!私が行く時も自分で払いますからっ」
「…いや、でも−」
「大丈夫です!大丈夫ですから!!」
「そ、そうですか?」
「はい!!」
「あ…はい、分かりました…」
私の勢いに押されたのか、棚瀬さんが小さく頷いた。
きっと私の目が血走っていて怖いんだと思う。
怖くて結構!
今はとにかく“行く気がない”ということをばれないようにしなくては…っ

「でも残念ですねぇ…佐藤さんがいらっしゃらないのは。」
「い、いや、本当に申し訳ないですっ」
「またいらっしゃるのを本当に楽しみにしていたんですよ。」
…ああ、良心が痛む。
「…そ、そうですか…すみません…」
「私以上に坂崎がガッカリするでしょうねぇ。楽しみにしていましたからねぇ…」
そう言って棚瀬さんが悲しげにため息を落とした。
…や、やめてよ、そういうこと言うの。
…苦しくなるじゃない…

私だって行きたいわよ。
行けるものなら今までだって何回だって行ってるわ。
楽屋にだって、自分からすすんで顔出すわよ。
でも、できないの。
できるわけないじゃない。
だってそうでしょ?
彼は私のことをただの作家として見ている。
そして作家として応援してくれてる。
でも私は違う。
彼の前では、作家ではいられない。
ただの作家として会いに行けないのよ。
彼の中の私という存在と、私の中の彼という存在がまったく違うんだもの。
そんな彼に、どんな顔をして会えというの?
彼の前で、ただの作家を演じろというの?
そんなのできるわけない。
こんなにも気持ちが残ったままじゃ、作家の顔になんてなれないよ。
彼の前で作家になりきれないなら、行かない方がいい。
私は行かない方がいいのよ。
ギュッと唇を噛んだ。
何かが、溢れてしまいそうだったから。

「…坂崎さんには本当に申し訳ないなと思っています。せっかくまた誘ってくださったのに、お断りすることになってしまって。…しばらくしたら仕事も落ち着くと思いますので、その時にぜひ。」
「その時が、次のツアーであれば嬉しいですね。」
「そうですね。まだ…今後どうなるか、私自身も分からないものですから何ともお答えできませんが…。次のツアーにはお邪魔できたらいいなと思っています。」
「そうなることを願うばかりです。」
…本当、いつになったら行けるようになるのかな。
これほど先が見えないものはないわね。
でも、こればっかりは自分でもいつになるのか分からないのよね。

私が次に行くのは、ただの作家として会えるようになったら。
そうしたらきっとあの時のお礼も、受賞できたことへの感謝の気持ちも、笑顔で言えるから。
もう、彼の前で涙は見せたくない。
私は強くなったんだって、そういう姿を見せたいの。
もう大丈夫だよって、そう言いたいの。
一人で大丈夫だよ。
坂崎さんがいなくても、もう大丈夫だよ。
“佐藤美弥”は、作家として頑張ってるよって−
「…っ」
目頭が熱くなった。
やっぱり今はまだダメだね。
彼のことを考えると、“佐藤美弥”が顔を出してしまう。
まだまだ“佐藤美弥”は弱いままね。
もっと強くなりたいな。
もっともっと強くなりたい。

「…佐藤さん?どうかされましたか?」
棚瀬さんの怪訝そうな声に、慌てて顔を上げた。
「…い、いえ、何でもないです。」
笑ってそう返してはみたものの、一旦緩んだ涙腺は簡単には戻らない。
泣き笑いだなんて、みっともないなぁ…
「……」
心配そうな顔で見つめられると、余計泣きたくなっちゃうよ。
「だ、大丈夫ですよ!ちょっと…色々あったなと昔を思い出してしまって…」
「…そうですか。」
「さっきから泣いてばっかりなんですよ、嬉しいなぁとか色々あったなぁって。泣くなら嬉し涙だけにしないといけませんね。」
「佐藤さんも大変なご苦労があったのでしょうね。」
「何度も受賞候補と言われてきたのに、周りの期待をずっと裏切ってきましたから…。やっと応援してくださっている方々に恩返しができました。まだ、ほんの一握りの恩返ししかできていませんけどね。」
「そんなことはありませんよ。私たちファンは“おめでとう”という言葉とともに感謝の気持ちでいっぱいですよ。きっとご家族もご友人も、同じ気持ちだと思います。」
「ありがとうございます。棚瀬さんのような心優しいファンに恵まれて私は幸せです。」
「いえいえ、そんな。私なんて坂崎に比べたらまだまだのファンですよ。」
「また、そんな−」
「本当ですよ。あの人は本当に心から佐藤さんのファンですから。」
「……」
「昨年の残念な結果には誰よりも悲しんでいましたからね。その分、今年の喜びようは笑ってしまうほどです。佐藤さんに見せたかったですよ。」

…そんなにも…喜んでくれてるんだ。
さっきからひねくれたことばっかり思っている自分が情けなくなった。
“好きにならなければよかった”
“悔しい”だなんて。
本当、何て小さい人間なんだろう。

私ももっと大人にならなきゃな。
”好きになってよかった“
心からそう思えるように。

彼がいたから、私は作家である意味を思い出すことができた。
そのことには彼にすごく感謝している。
彼を好きになったことも、全部が全部悔しいとか後悔しているとか、そんなわけじゃないし、むしろこの気持ちがあったから、私は今ここにいると思ってる。
ここに来ることが、私の夢だったんだから。

私は女である前に、一人の作家として今日ここにいる。
彼に対して思わなければいけないのは、“悔しい”とかそんな気持ちじゃないでしょう?
私が今思うべきことは、もっと他にあるはずよ。
彼に伝える言葉。
ほら。
作家として私が言わなければいけない言葉があるでしょう?
あれこれと、ひねくれてる場合じゃない。
心からお礼を言わなければいけない人に、私はまだきちんとお礼を言っていないわ。

「棚瀬さん。」
「はい?」
「坂崎さんに一言伝えていただけませんか?」
「え?」
「一言でいいんです。”ありがとうございました”そう伝えて下さい。お礼を言っていたと伝えていただければ十分です。」
「それでしたらぜひ直接…」
「本来なら直接お会いして伝えるべきなのですが、今回は残念ながらコンサートに伺えないので、棚瀬さんから坂崎さんに伝えていただきたいんです。」
「……」
「坂崎さんには、とてもたくさんの勇気をもらったんです。去年の私は、作家としての自信をなくしていました。私はこのまま作家を続けていっていいんだろうか、自問を繰り返しては悩み続けていました。自分だけではとても答えを見つけることができなくて…そんな時に坂崎さんとお会いしたんです。坂崎さんは私に自分の弱さを認める勇気と、仲間を信じる気持ち、そしてー」
人を想う気持ち−
「…たくさんの元気をもらいました。今、私がここにいるのは坂崎さんのお陰です。感謝してもしきれないくらいです。お忙しいのに私のことも心配して下さって、今回の受賞も本当に喜んで下さってると聞いて、本当に嬉しいです。去年のことも今回の受賞のことも、私からお伝えしたいのは、”ありがとう”という感謝の言葉以外にはないです。心からお礼を言っていたと棚瀬さんから坂崎さんに伝えて下さい。」

それが私から言えるただ一つの言葉。
だって私は作家だもの。
私から伝えるのは、作家としての言葉だけでいい。
それでいいの。
そして、いつか…ちゃんと作家として会いに行くから。
そうしたら笑顔でちゃんとお礼を言うから。
だからその時までは−


「…その一言だけでよろしいのですか?」
棚瀬さんの言葉に頷く。
「はい。その一言だけでいいです。それだけ伝えていただければ十分です。」
「……」
すると棚瀬さんは何故か大きなため息をついた。
しかも、気のせいか表情にも呆れたような感じが見て取れる。
私、何か変なことでも言った…?
「え、あの…棚−」

「……佐藤さんは本当に嘘をつくのが下手ですねぇ。」

「………え?」
今、何て言った?
“嘘をつくのが下手”って言わなかった?
…そ、空耳…?
「嘘はいけませんね、佐藤さん。」
「は、はい?あの、何のことですか…?」
「それはご自身が一番よくご存知でしょう。」
…な、何?
棚瀬さん、何言ってるの…?
「他にも坂崎に伝えることがあるのではありませんか?」

え?

……

…えっ!?

「…は、は、はい…っ?そ、そんなのな」
「ないとは言わせませんよ。」
棚瀬さんは冷静な口調でピシャリと言い放った。
いや、冷静というより、まるで怒っているような−
い、今のセリフは何?
まるで−
「それに佐藤さんはどうやら忘れっぽい方のようですね。」
「…はっ?」
あ、あれっ?
話変わってる?
ちょ、ちょっと待って?
全然話についていけないんですけどっ
「た、棚瀬さん、ちょ、ちょっと待って下さい。あの、話が見え−」
「佐藤さん。」
またもや遮られた。
何だか泣きたくなる。
さっきまでの優しい棚瀬さんはどこに行ったの…っ!?
「佐藤さん、同じことは二度も言わせないで下さいね。」
「はっ?あ、あの、何の話−」
「坂崎は佐藤さんからの伝言を私からもらっても、嬉しくもなんともないと思いますよ。」

「…え?」
そのセリフ…前にも−
いつ?
いつだった?

あれは−

「…あ−」
そうだ。
あの時だ。
坂崎さんに謝れなくて、私はその時も棚瀬さんに…
その時、棚瀬さんに言われた言葉。
そう、そうだわ。
そしてその時、棚瀬さんは−
「た、棚瀬さ−」

顔を上げたその時。
私は棚瀬さんの向こうに立つ人影に気づいた。
明かりのないその場所に誰かが立っている。
通りを走る車のライトが、人影のシルエットを浮かび上がらせる。

……え?

そのシルエットに私は息が止まった。
手から花束が零れ落ちる。

幻…?
これは…夢?
きっと夢よ。
そうよ、夢なんだわ。
だって、あるわけないじゃない。
そんなこと、あるわけが…

だって…
だってあれは−

棚瀬さんは花束を拾い上げると、あの時と同じように微笑んだ。

「そういうことは本人に直接言ってやって下さい。」


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