EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

・・・30へ・・・   ・・・32へ・・・

−31−

「…えっ!」
振り向いた私を待っていたのは心底不安そうな担当と、花束を持ち少々髪が乱れた棚瀬さんだった。
思ってもいない人の登場に私は心底驚いた。
「たっ、た、棚瀬さんっ!?」
「佐藤さん、こんばんは。お久しぶりです。」
驚く私をよそに、彼は数ヶ月前と何ら変わらない笑顔を私に向けた。
「えっ?あの、今日はまた、どうして…。あ、お仕事の帰り…ですか?」
「いえ、今日は佐藤さんの受賞パーティーだと伺ったので、直接お祝いをと思いまして。本当はパーティーが終わる前に伺う予定だったのですが、予想以上に仕事が長引いてしまって…。」
「わざわざ来てくださったんですかっ?お忙しいところをありがとうございます!来てくださって嬉しいです!」
「本当にこの度は受賞おめでとうございます。これは私からのお祝いの気持ちです。」
差し出されたのは、何とも豪華な花束だった。
「わっ!ありがとうございますっ!嬉しいです!わぁ〜!キレイですね〜!」
「喜んでいただけて私も嬉しいです。」
そう言って棚瀬さんはにっこりと笑う。
相変わらずの笑顔に、私も自然と顔が綻ぶ。
「まさか棚瀬さんから直接お花がいただけるなんて思ってもいませんでした。」
「今日は佐藤さんにとって何より素晴らしい日ですからね。ファンの一人として直接お祝いするべきだろうと思いまして。」
「嬉しいです〜!本当にありがとうございます!」
「いえいえ。」
花の香りに包まれながら、今日何度目か分からない、幸せな気持ちでいっぱいになった。
幸せな気持ちになるのは、何度あっても飽きない。
何度あっても同じくらい幸せな気持ちになれるものなのね。
私、こんなに幸せでいいのかしら。


素敵な花束を自慢しようと担当を見ると、何だか気の抜けた顔をしていた。
「あら、どうしたの?」
「…い、いえ…せ、先生のお知り合いの方…だったんですね…」
その言葉に込められた意味がよく分かるだけに、可笑しくて仕方なかった。
「だから言ったでしょ?君はドラマや小説の読みすぎよ。」
「だって…」
「…はい?」
棚瀬さんは首を傾げて私を見た。
「あ、え〜と…」
私の顔を見て何か察したのか、ああ、と頷いて笑った。
「もしかして変な奴ではと心配されていましたか?」
ビクッと担当が反応して、慌てて首を振る。
「い、いえ!違いますっ!そういうことではなくてですねっ?」
「あら、何が違うのよ。その通りじゃないの。」
「せっ先生っ!」
「本当のことでしょ?棚瀬さん、この人ミステリー小説の読みすぎで棚瀬さんが怪しい人だと思ってたんですよ。私を狙うストーカーかも、とか。」
「なるほど、そうでしたか。だから何だか不安そうな顔をされていたんですね。慌ててきたので頭もボサボサですし、確かに怪しく見えるかもしれませんねぇ。」
「い、いやっそ、そんなことはっ!せ、先生…っ」
あたふたしながら担当は泣きそうな顔を私に向ける。
“何でばらしちゃうんですかっ!!”と訴えているのは誰が見ても分かるが、ここはあえてただニンマリと微笑み返しておいた。
だって自業自得だしね。
その方が面白いし。
そんな私の態度に、担当はひどく恨めしそうな顔をした。
きっと面白がっていることも気づいている。
でも別に私が悪いんじゃない。
彼が勝手に疑ったのだ。
疑う方が悪いのよ。

「先生、僕の紹介はしていただけないんですかっ?」
担当が不機嫌そうな声で言った。
そういえば、してなかったっけ。
「あ、そうだっけ?でも面倒くさいし、別にしなくても−」
「先生!面倒くさいなんて言わないで下さいよ!せめて名前だけでも紹介して下さいっ」
「え〜」
「“え〜”じゃないですっ!僕は先生の担当なんですよっ」
「そうだけど面倒くさ−」
「先生っ!!」
担当の顔が真っ赤になる。
しまった、またいじめちゃった。
「じょ、冗談よ、冗談。いやぁねぇ、ちゃんと紹介するに決まってるでしょ?」
「冗談に聞こえませんでしたけどっ」
「え?あ、そう…?ほほほ…」
さっき“意地悪している場合じゃない”と思ったはずだったんだけどな。
この人の顔を見てると、どうしてもいじめたくなるよね。

「え〜と…棚瀬さん、彼は私の−」
「はい、出版社の方ですね。A出版社で何度かお見かけしたことがあります。」
「…えっ?出版社で…ですか?」
担当の問いかけに棚瀬さんは笑顔で頷く。
「はい、編集部にお邪魔した時に。いつも笑顔が爽やかな方だな、と思って見てましたよ。」
「笑顔だけですけどね。」
「あはは、そうなんですか?」
「ええ。」
「……えっと…さ、佐藤先生、こちらの方はいったい…?」
おどおどしながら尋ねる担当に、私はニヤリと笑った。
「…な、なんですか、その笑顔。」
「反応が楽しみだなぁと思って。」
「は?」
「こちら、アルフィーのマネージャーさんよ。」
「…………へっ!?」
「申し遅れました。私、アルフィーのチーフマネージャーをしております、棚瀬と申します。」
「マ、マママママネージャーさんっ!!ア、アアアアアルフィーのっ!!」
「はい。」
担当はにっこり笑う棚瀬さんを見つめたまま、まるで石のように固まった。
会えて嬉しいという気持ちより、不審者と勘違いしたショックの方が大きそうだ。
当然と言えば当然か。
「おーい、大丈夫?」
私の声にハッと我に返った担当は、慌てて棚瀬さんに深々と頭を下げた。
「…も、申し訳ございませんっ!!とんだ勘違いを…っ」
「いえいえ、こちらこそきちんと名乗らず申し訳ありませんでした。不審に思われてしまうのも仕方ありません。」
「いえっすべて僕が悪いんです!本当に申し訳ありませんでした!」
「ああ、そんな、頭を上げて下さい。私はそんな偉い人間でもないんですから…」
「いえっ僕にとっては雲の上の存在です!!そんな方にそのような勘違いをするとは…!」
「…は、はい??」
平に謝る担当に怪訝な顔をして棚瀬さんは小首を傾げる。
無理もない。
初めて会って自己紹介をしただけなのに、こんな反応をされたら誰だって不思議に思う。
「あなたねぇ、経緯を説明しなきゃだめじゃない。ほら、棚瀬さんが気味悪がってるじゃないの。」
「え…あ、ああ…す、すみません…」
「いや、そんな、気味悪いだなんて思ったわけでは…」
「でも、怪訝に思いましたよね。すみません、思い込みが激しい上にとんだ暴走男で。あのですね、この人アルフィーのファンなんですよ。」
「え?そうなんですか、いや、それは嬉しいですね。」
「い、いえっそんなっ」
担当が身体をくねらせて照れくさそうに笑う。
ものすごく気持ちが悪い。
「え〜と…だから、マネージャーの棚瀬さんとお会いできてものすごく嬉しいみたいで、それでこんな態度なんですよ。」
「いや、私はただのマネージャーですよ?三人に会ったのなら分かりますが、何も私ごときで…」
困ったような顔で棚瀬さんは苦笑した。
棚瀬さんの気持ちも分かるけど、担当の気持ちもよく分かる。
憧れの人に近づけた気がするんだよね。
「いいえ!アルフィーのマネージャーさんにお目にかかれるとは、僕はこの仕事をしていてよかったと心から思います!僕の人生、捨てたものではありませんでした!」
「いや…そんな…」
…気持ちは分かるけど、大袈裟すぎる。
「あのさ、嬉しいのは分かったからもう少し落ち着きなさい。ほら、せっかくマネージャーさんにお会いできたんだから、何か言いたいこととかないの?」
「あっ!えっと!その…っ!」
「だから落ち着きなさいって。」
「は、はい…えっと…」
「メンバーの皆さんに伝えてほしいこととか、あるんじゃないの?」
「あっ!はいっ!」
舞い上がっていて頭の中が相当混乱しているようだ。
変なことを言い出したりしないか不安になってきた。
何だか頼りない弟を見守る姉のような気分だ。
「え〜と…メンバーの皆さんに…その…」
「はい。」
「いつもCD聴いてます!テ、テレビも楽しく拝見させていただいています!いつかコンサートにも行きたいです!」
「はい、ありがとうございます。」
「これからも頑張って下さい!と、つ、伝えて下さいっ!」
「はい、分かりました。必ず三人に伝えますね。」
「あ、ありがとうございますっ!よ、よろしくお願いします!」
大きなことをやり遂げたような清々しい顔をして、担当にやっと笑顔が戻った。
今にも踊り出しそうで面白い。
「よかったわね。」
「はいっ!佐藤先生のおかげですっ!」
彼の瞳がキラキラ眩しく光る。
まるで昔の少女漫画によくあった、瞳の中の星を見ているようだ。

彼の素直さには呆れることもあるけど、でも純粋っていいなと思う。
嬉しいことを素直に受け取って、それを表に出す。
当たり前のことだけど、大人になればなるほど、できなくなる気がする。
積み重ねてきた経験や知識が、邪念になるのかもしれない。
恥ずかしいとか、照れくさいとか。
立場がどうとか、そんなことは本当は関係ないんだよね。
感じたことを素直に表現することは、決して悪いことじゃない。

「佐藤さんの担当さんがファンだと知ったら、三人も喜びますよ。」
そんな棚瀬さんの言葉に担当を見ると、棚瀬さんの言葉がちっとも耳に入っていないらしく、ヘラヘラ笑っていた。
とにかく嬉しくて仕方がないらしい。
「すみません、人の話を全然聞いてなくて。こんなヘラヘラ笑ってるような人がファンだなんて、みなさんきっと嫌がりますよ。」
「そんなことはありませんよ。やはり女性のファンの方が多いですからね、男性のファンがいると聞くと三人はとても喜びますよ。同性に好かれることは、何より嬉しいみたいですね。」
「は、はぁ…まぁ、そうかもしれませんが…これですよ?」
「これ…」
再び担当を見た棚瀬さんは苦笑した。
苦笑するってことは、多少は呆れてるってことよね。
「…あ?は、はい?な、何でした?」
ようやく私たちの視線に気付いたのか、担当は慌ててこちらを見た。
でも顔はまだニヤニヤしているから、きっと話にならない。
「先生?」
「ううん、別に何でもない。嬉しそうだなぁと思って見てただけ。」
「そりゃ嬉しいですよ〜!まさかこんなところで関係者の方とお話できるなんて、思ってもいませんでしたから!」
「そんなに喜んでいただけて本当に光栄です。ぜひ今度コンサートにもいらっしゃって下さい。」
「ええっ!!い、いいんですかっ!?」
「ええ、もちろん。…そうですね、ぜひ佐藤さんもご一緒に。」
突然、棚瀬さんが私を見てにっこり微笑んだ。
「えっ」
「行きます行きますっ!ぜひっ!」
担当のテンションがさらに上がる。
「ちょ、ちょっと…」
「先生、一緒に行きましょうね!」
「え?いや…その…」
「三人もまた来てほしいと話していましたし、ぜひいらっしゃって下さい。またチケット準備させていただきますね。」
笑顔の棚瀬さんの言葉に、一瞬にして血の気が引いた。
いや、ちょっと待ってよ…っ
「あの−」
「ありがとうございますーっ!!必ず先生を連れて伺いますっ!!」
…っておい!
担当を睨んでみたが、ちっとも気付かない。
「はい、ぜひ。ええと…」
棚瀬さんはバッグを探ってハガキのようなものを取り出すと、担当に差し出した。
「来月から始まるコンサートツアーのスケジュールです。ご都合の良い日を連絡いただければ用意しますので。そこに私の連絡先も書いてあります。そちらに連絡下さい。」
あ、相変わらず行動が早い…っ
普通なら”マネージャーの鏡”と褒めるべきところだけど、今はそんな風には思えない!
「わぁっ!!ありがとうございます!」
子供みたいに歓声を上げ、震える手で用紙を手に取る。
「えっと…先生!どの日にしますか!?僕は先生のスケジュールに合わせますので、いつでもいいですっ!」
…い、いつ行くって言った?
勝手に話を進めないでよ…っ
「あのさ−」
「あ、今すぐは無理ですよね!また近々調整しましょう!棚瀬さん、また後日連絡ということでよろしいでしょうかっ?」
「ちょ、ちょっと−」
人の話を聞きなさいよっ!
「ええ、構いませんよ。」
「では、先生と調整して連絡します!」
舞い上がった担当は、もらった用紙を高々と掲げてとうとう踊り出した。
スキップだかツーステップだか分からないようなステップを踏んでいる。
何の踊りなんだかさっぱり分からない。
「ちょ−」
担当に声をかけようとしたが、もう彼の耳に私の声なんて届かないことは目に見えている。
私は小踊りする担当を諦め、そんな担当をニコニコしながら眺める棚瀬さんに慌てて駆け寄った。
「あのっ…棚瀬さんっ」
「はい?」
棚瀬さんが振り返る。
「あのですねっ?私は…その…」
「…はい?」
「え〜と…」
声をかけてはみたものの、何て言えばいいのか分からない。
ああ、何て断ればいいのよ…っ
まさか理由を正直に言うわけにもいかないしっ
失礼なことは言ってはいけないし…安っぽい嘘も通じなさそうだし…っ
…ああっどうしようっ

「…大丈夫ですよ、佐藤さん。」
「…えっ?」
察したかのように棚瀬さんが微笑む。
な、何っ!?
私何も言ってないのに気づかれたのっ!?
何て察しがよすぎるのよっ!
ぶわっと汗が出る。
「…え、えっと…あの…」
「チケットのことはお気になさらなくてもいいんですよ。」
「え?」
…はい?
「チケットのことを気にされているんですよね。以前いらっしゃった時も気にされていましたし。」
「あ、あぁ…」
「遠慮は無用です。佐藤さんにはいつでもチケットをご用意させていただきますので、ご都合よろしい時にぜひいらっしゃって下さい。三人も喜びます。」
「…あ、は、はい…ありがとう…ございます…」
察しがいい棚瀬さんでもさすがにそこまでは分からないか。
よかった…
いや、よくないよっ!
結局行くってことになってるんじゃない…っ
断りたかったのに…!
「いや…っあのっ」
「またぜひ楽屋へも遊びに来て下さいね。」
にっこりと今日一番の笑顔を返されて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
…ああ…ダメだ…断れない…
ど、どうしよう…
行くことになっちゃったよぉ…
ああああ…

「いや〜楽しみですね〜!ねぇ、先生!」
満面の笑みで担当が言う。
…何よ、人の気も知らないで能天気に踊っちゃって!
そもそも君が舞い上がって、私の話を聞かないからこんなことになっちゃったんじゃないの…っ
「先生、楽屋にもぜひ行きましょうね!僕、坂崎さんには出版社で二、三度お会いしたことはありますけど、緊張しすぎて“はい”しか言えなかったんですよ!今度はちゃんとご挨拶できるよう頑張ります!あ、その時はちゃんと僕のこと、紹介して下さいねっ!」
担当の能天気さに無性に腹が立った。
”純粋なのは良いことだ”なんて思ったのは、全部取り消しよ!
ちっとも良いことじゃないわっ!
「…あのさ。」
「はい?」
「盛り上がってるところ申し訳ないけど、片付けは終わったの?」
私の地を這うような低い声に担当が一瞬で固まった。
その顔からは笑顔も消えた。
「当然、終わってるからここにいるのよね?終わってなかったら、こんなところで油売ったりなんてしないわよね。」
ジロリと睨むと、さっきまでとは打って変わって血の気の引いた顔で後ずさる。
”しまった!”そんな顔だ。
「…あっ!いや、まだ…っ」
「…は?…まだ…?」
眉がぴくりと動く。
「すっすみません!!」
「…私、今夜中に家に帰れるのかしら…」
「す、すぐに片付けますっ!」
棚瀬さんの存在も忘れ、転がるように慌てて店内に駆け込んでいった。
半分八つ当たりのつもりだったけど、本当に片付けが終わっていなかったとは驚きだ。
はしゃぎまくって小踊りして、それで肝心の仕事が途中?
いい歳して?
恥ずかしいったらない。
帰りの車は降りるまで説教だわ。

「まったく…もう。何やってるのよアイツは。」
「楽しい方ですねぇ。」
「楽しくないですよ。疲れます。」
「疲れますか。」
「ええ、とっても疲れます。棚瀬さんのように色んな気配りが出来る人を担当にしたいですよ。」
「私なんてとてもとても。いつもうちの坂崎に怒られてますよ。」
−ドキッ−
“坂崎”
久しぶりに彼の名前を聞いた。
ああ、みっともないくらい動揺してる。
嫌ね、ただ名字を聞いただけなのに。
「そ、そうなんですか?」
「ええ、長年やっていますが、なかなか完璧に仕事はこなせませんね。怒られてばっかりです。」
「そ、そうですか…」
「ええ。」

“坂崎さんはお元気ですか?”
聞きたいけど、なかなか言葉に出せない。
棚瀬さんは私の気持ちを知らないんだから、別に聞いたって不審に思われることもないのに、何故かすごく勇気がいる。
ただ、元気かどうかを聞きたいだけなのに。

「あの…」
「はい?」
「…み、みなさんはお元気ですか?」
やっぱり聞けない…
「ええ、三人とも元気ですよ。また来月から始まるツアーに向けて、今はあれこれ準備中です。」
「そ、そうですか。ではみなさんお忙しいですね。」
「そうですね。でも佐藤さんもお忙しそうですね。また来月からは新連載が始まるそうで。」
「よ、よくご存知で…」
「ファンですから当然です。佐藤さんの動向には詳しいですよ。」
…さすがだ…。
「今回の受賞も、まるで自分のことのように嬉しいですよ。」
そう言ってにこやかに笑った。
「棚瀬さん…」
彼の言葉にまたジーンとする。
なんて良い人なんだろう。
受賞を自分のことのように喜んでくれるファンがいることは、作家にとって何より幸せだ。
「今回の受賞は、棚瀬さんのように応援してくださるファンの方がいるからこその受賞だと思っています。喜んでいただけて、私も嬉しいです。」
「今日の授賞式の様子も、テレビで拝見しましたよ。」
「えっ!テレビに映っちゃったんですかっあれ!」
「当然ですよ、大きな賞なんですからテレビでも取り上げられますよ。」
「……っ」
テレビの取材カメラも来ていたことは知っていたけど、まさか本当に放映されるなんて…っ
や、やだな…変な顔で映ってなかったかしら…
今になって恥ずかしくなってきた。
「私、変な顔して映っていませんでしたっ?」
「え?とても素敵でしたよ。ドレスがよくお似合いで。」
「ほ、本当ですか?」
「ええ、笑顔がとても輝いていらっしゃいました。」
「…あ、ありがとうございます…」
そんなに褒めてもらえると、とっても照れくさい。
棚瀬さんは本当に良い人だなぁ。

「坂崎も嬉しそうに見ていましたよ。」
−ドキッ−
「さ、坂崎さんが…ですか?」
「ええ。それこそ、私以上にまるで自分が受賞したみたいに嬉しそうな顔をして見ていましたよ。」
「そ…そうですか…」
「連載中も毎回楽しみにしていましたからね。受賞されると聞いた時はそれはもう大喜びで…あ、っと、すみません、ちょっと電話が…」
胸のポケットから電話を取り出して、申し訳なさそうに頭を下げる。
「あ、はい、どうぞお構いなく。」
「すみません。はい、棚瀬です。…はい、ええ…あ、はい…」
ペコペコ頭を下げながら電話をする棚瀬さんを眺めながら、私は何とも言えない気持ちになっていた。

彼は変わらず私を応援してくれている。
今も私のことを見守ってくれている。
そのことに、正直驚いた。
私はあの日から今日まで、一日たりとも彼のことを忘れたことはなかった。
忘れたくても忘れられなくて、みっともなく今日まで来てしまったぐらいだ。
でもそれは私だけの話で、きっと彼は私のことなんてすっかり忘れてしまっているんだろう、そう思っていた。
忙しい彼のことだから、過去数回会っただけの私なんて、きっと忘れている。
彼にとって私は、それくらいの存在なんだ、と。
それは自分を諦めさせるためでもあった。
自分にそう言い聞かせて、忘れようとした。
いつまでも引きずっていてはいけない。
忘れなきゃ、と。

でも彼は、私のことを忘れてはいなかった。
今も、私の作品を読んで、そして私の受賞を喜んでくれている。
あの時の励ましは、決してその場限りの言葉ではなく、今も続いているんだ。
彼の優しさは、今も私を包んでくれている。

彼の優しい笑顔が脳裏に浮かんできた。
途端に目頭が熱くなる。
気を抜いたら泣いてしまいそう。
思わず鼻をすする。

…それじゃ無理だよ、忘れるなんて。
忘れられるわけないじゃない。
彼の優しさがあの頃のままじゃ、私は嫌いにもなれない。
私のことなんて忘れてくれたら、こんな風にみっともなく思い続けたりしないのに。
“坂崎も嬉しそうに見ていましたよ”
忘れようとした努力もこれで水の泡。
棚瀬さんからそんな話を聞いたら、気持ちはすっかり元通りよ。
たったその一言で、この数ヶ月の間繰り返された涙の日々は無駄になってしまった。
苦しかったこの数ヶ月はいったい何だったのだろう。

ひどく悔しい気持ちになった。
どうして好きになってしまったんだろう、なんて思ってしまう。
忘れられないことを、彼のせいにしようなんて思っているひねくれた私がいる。
でも、そもそも私が好きになったのは、彼が優しかったから。
彼が優しくなかったら、こんなことにはならなかった。
そうよ、やっぱり彼が優しいからダメなのよ。
気のない人に優しくする方がいけないんだわ。
優しくするのは、好きな人だけにしてほしいわ。

…私、相当ひねくれてるわね。
勝手に好きになっておいてよく言うわ。
でも仕方ないじゃない。
どう頑張っても忘れられないんだもの。
ひねくれるし、悔しくもなるわ。

こうなったら、とことん勝手に想っててやろうかしら。
彼が私のことを忘れても、ずっとずっと。
しつこいぐらいずっと。
だって想うのは勝手だもの。
別に彼に迷惑をかけるつもりはないし。
そうよ。
無理に忘れなくたっていい。
自然に忘れられなきゃ、思い出になんてならないんだから。

いつか忘れられる日が来る。
それがいつになるのかは、到底予想もつかないけど。
それでもいいの。
きっと、その日が佐藤美弥の新しい出発点になる。
その日から私は生まれ変わる。

その日が来るまで、私は坂崎さんを好きでいたい。
思い出になる、その日が来るまで。

彼からもらった言葉は、今も私を勇気付けてくれる。
まるで…そう、魔法みたいに。
彼にかけられた魔法は、まだまだ消えそうにない。
きっと、この先もずっとこの魔法は消えないのよ。
彼のことが思い出になっても、彼からもらった言葉が消えることはないんだから。
この気持ちもそう。
私はひねくれ者で、一枚も二枚も上手の彼に負けた気分ですごく悔しいけど、それでもやっぱり彼を好きになったこの気持ちは大切にしたいと思うから。

だから…
今はまだ思い出にできなくてもいいよね?
まだ好きでいてもいいよね?
私は夜空を仰いだ。
点々と輝くまばらな星たちが、“あ〜あ”という呆れ果てた大きなため息を落したような気がした。


・・・30へ・・・   ・・・32へ・・・