EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−28−

「美弥ちゃん。」
「…あ、はい。」
彼の声に顔を上げた。
見上げた先にあったのは、少し寂しそうに微笑む坂崎さんの姿。
胸がギュッと苦しくなる。
…なに?
どうしてそんな顔…してるの?
不安な気持ちでいっぱいになった。
何を…言おうとしているの?
「…坂…崎さん?」
「…実はね。」
「…はい…?」
「…今日で終わりなんだ。」
「え?」
…終わり?
終わり…って…な…に…

―ドクン…―

…終わりって−
坂崎さんの言いたいことが、何となく分かってしまった。
それは…私が一番聞きたくないことで…一番…聞かなければいけないこと…
…聞きたくない。
できれば…その続きは聞きたくない。
お願い、言わないで。
まだ…
聞きたくないよ…。
「…A出版社のね。」
…ああ……
「…仕事が、今日で終わったんだ。」
「……」

今日で…終わり…
終わりなんだ。
それはつまり…
私と彼との唯一の接点が…なくなる…ことで…
私は…
私は…もう…
坂崎さんとは会えない。

今日で…最後なんだ−

「…この前出版社で会った日かな。あの日に今日で最後って決まったんだ。」
「…そう…なんですか…」
「うん…」
サヨナラは何て突然なんだろう。
来週でも…明日でもなくて。
今日で…最後だなんて。
もう…会えないなんて…

まだ聞きたくなかった。
聞きたくなかったよ。
もう少し…もう少しだけでいいから、こんな風に一緒にいたかった…。

私が決心した途端にお別れだなんて…ひどいよね。
まるで神様に“自分の道を進むことだけを考えろ”って言われているみたい。
私と彼とでは、住む世界が違う。
だから諦めろって。
意地悪にも程がある。
何も今日を最後にしなくたっていいじゃない。
最後ぐらい…
ちゃんと笑顔でサヨナラしたいのに。
そんな心の準備をする時間すら、私にはもらえないの?
…やっぱり私は運が悪い人間なのかもしれない。
この運の悪さは、きっと生まれつきだ。
そう思うと、悲しいやら情けないやらで…何だか笑えてくる。
ここまでくると、もう笑うしかない。

こんな神様の仕打ちに文句を言いたいところだけど、私はこれでいいのかもしれない。
どうせ自分では、きちんと気持ちの切り替えができなさそうだもの。
いつまでも思い続けてしまいそうだもの。
諦める勇気も私は持たなくちゃいけないんだよね。

だから、きっと今日が最後の日に相応しいんだ。
これ以上、彼に頼ってはいけない。
私は自分の心を取り戻せた。
もう一人で歩いていける。

私は自分の存在する場所より、ここにいる意味を選んだ。
だから望んでもいない道は、もう進みたくない。
あの頃のように、純粋で素直な心で物語を書きたい。
この道がどんな道だとしても、私は進もうって決めたの。
何を失っても。
たとえ坂崎さんと…会えなくなっても。
この心だけは失いたくないから。

坂崎さんと会えなくなっても、彼からもらったものは一生消えない。
一生私の心に残っている。
きっとそれが、これから進む道を照らしてくれる。
きっと何があっても、頑張れる。
きっと…きっと……私は前を向いて歩いていける。

だから…
ちゃんと向き合おう。
今日で終わりだって。
最後ぐらい、ちゃんと笑って終わろう。
坂崎さんに心配かけないように。
もう…もう大丈夫だよって言おう。
これからはまた一人なんだから。
自分の足で歩いて行かなきゃいけないんだから−

「…み」
「もう…もう大丈夫ですよ…!」
「…え?」
「いっぱいいっぱい坂崎さんに頼って、心配ばかりかけて…散々情けない所ばっかり見せてきた私ですけど、これからは大丈夫です。もう坂崎さんに余計な心配かけたりしません。」
「……」
「あの頃の気持ちを取り戻せて、何だか生まれ変わった気分なんです。初心に戻ってもう一度、一から頑張ります。…今、すごく書きたい物語があるんです。今まで書けなかった分も含めて、その物語に私の気持ちをいっぱい詰め込んで書き上げたいなって思ってます。ちゃんと完成するのかは、今はまだ分かりませんけど、でも途中で投げ出したくなったら坂崎さんの言葉を思い出して頑張ります。辛くなったら、作家を夢見ていたあの頃のことを思い出して乗り越えます。絶対に書き上げてみせます!」
「…うん。」
「…もし、本になったら…また…読んでもらえますか…?」
「…もちろんだよ。楽しみにしてるよ。」
「ありがとうございます!頑張ります!」
「うん。美弥ちゃんのやる気、すごいなぁ。俺も見習って頑張らないとな。」
「見習うだなんて、そんな。坂崎さんは毎日お忙しいんですから、お身体大切になさって下さい。私は今までサボってきた分、頑張らないと。」
「あはは、そんなことないと思うけどなぁ。」
「いえいえ、そんなことあるんです。騙されてるんですよ。」
「ええ、そっかぁ…俺騙されてるんだ。」
「そうです。」
「あはははっ」

こんな素敵な時間もあと少しで終わる。
明日から、また一人で頑張らなきゃ。
もう一度、一からやり直さなきゃ。
頑張る。
頑張るよ、私。


目の前にバス停が見えてきた。
いっぱい泣いたあの場所。
ついさっきのことなのに、すごく昔の出来事のように感じる。

もうすぐ、タイムリミット。
棚瀬さんが来たら、お別れだ。
「…やっぱりまだ来てないな。まぁ、5分で来ててもそれはそれで怖いけどね。」
「あはは…」
「バスは何分に来る?」
「…あ、バスは結構頻繁に来るので、たぶん10分か15分で来ると思います。」
携帯で時刻を確認しようとバックを探る。
いったい今は何時なのだろうか。
「そっか。バスと棚瀬とどっちが早いかな。」
「…きっと棚瀬さんじゃないですか?坂崎さんを迎えに行くという使命に燃えていらっしゃるでしょうし、バスとは気合が違いますよ。」
「あはは、気合かぁ。うん、そうかもしれないね。仕事に穴開けらんないし、今頃相当焦ってこっちに向かってるだろうな。」
「…お仕事、間に合いそうですか?」
「ん?大丈夫だよ。桜井と高見沢がいるしね。」
「お二人をとても信頼されているんですね。」
「うん、まぁ…あ、またからかおうと思ったでしょ!」
「えっそんなこと思ってないですよ!」
「いやいや、顔に書いてあるよ。」
「書いてませんっ」
「あれ、残念。もう引っ掛からなくなっちゃった。」
残念そうに、けれど楽しそうに坂崎さんが笑った。
こんな風に話せるのも最後なんだな。
…それなら最後は、引っ掛かった方がよかったのかな。
「…私も少しは成長したということですね。」
「そこは成長しなくていいよぉ、面白いんだから。」
「私をからかいたいからってそういうこと言わないで下さいっ」
「そういうわけじゃないよぉ。そこが美弥ちゃんの良いところなのになぁって。」
「そんなところを褒められても嬉しくないです…っ」
「え、そう?本当に良いところだと思うんだけどなぁ…。」
「ちっとも良くないですっ」
「そうかなぁ…」
「そうなんですっ」
彼は私をおもちゃだと思っているんだろうか。
きっと彼の周りには私みたいな百面相女はいないんだ。
だから面白がってからかうんだろうな。
嬉しいような、悲しいような…。

ため息をつきつつバッグを探っていると、ふと、バッグの中の何かが手に触れた。
…ん?
…袋?
これ、何だっけ?
バッグの中を見た瞬間、それが何か思い出した。
「…あっ」
「え?どうかした?」
無地の可愛くも何ともない袋。
あまりに可愛くなくて、何かないかと部屋を探してようやく見つけた1本のリボンをくくりつけただけの、地味な袋だ。
すっかり忘れていた。
この袋には坂崎さんに借りたハンカチが入っている。
返そう返そうと思っていたのに、なかなか返す機会がなかった。
今日も忘れてしまうところだった。
「すみません!私すっかりお返しするの忘れてました!」
「え?…ああ、あの時のハンカチ?」
「はい…。すみません、遅くなってしまって…」
取り出した地味な袋を坂崎さんに差し出す。
「本当に別にそのまま処分してくれてよかったのに。」
「いえっお借りしたものですから、きちんと返さないと。ちゃんと洗ってアイロンもかけましたので。ありがとうございました。」
「わざわざアイロンまで?何か逆に気を遣ってもらっちゃってごめんね。ありがとう。」
「いえ、こちらこそ。遅くなってすみませんでした。」
「ううん、全然。…あ−」
車道に目を向けた坂崎さんが、何かに気がついた。
彼の視線の先に、先ほど桜井さんたちが乗っていった車が見えた。
棚瀬さんを連行した車だ。
運転席には寝起きのように髪の乱れた棚瀬さんがいる。
相当焦っているのか。

迎えが…来てしまった。
「早いなぁ、あいつ。全部信号無視したんじゃないだろうなぁ。」
「さ、さすがにそこまではしないんじゃないですか?捕まりますよ。」
「だよねぇ。」
車は少々乱暴にバス停のすぐ近くで停車した。
「危ないなぁ…できれば乗りたくないな。」
苦笑いのまま、余裕のない棚瀬さんに軽く手をあげる。
棚瀬さんにはこの時ばかりは笑顔はなかった。
さすがに笑えないんだろう。
ひどく申し訳ない気持ちになる。
どう考えてもこうなったのは私のせいだ。
棚瀬さんに嫌われてしまったかもしれない。
“もう佐藤さんの本は読みません!”と言われてしまうんじゃないだろうか。
数少ないファンに嫌われるなんて悲しすぎる。
謝った方が…

「気にしなくていいよ。」
「え?」
「美弥ちゃんのせいじゃないから。」
私の気持ちを察してくれたのか、坂崎さんはそう言って笑った。
最後の最後まで…彼の笑顔に助けられてしまった。
…ああ、ダメだ。
ちょっと気を抜くと、目が潤んでしまう。

「さてと。じゃあ、そろそろ行くかな。」
「あ、はい。…本当に今日はありがとうございました。」
「ううん、美弥ちゃんが元気になって良かった。ちょっとでも力になれて嬉しかったよ。」
「ちょっとじゃないですよ!全部坂崎さんのお陰です。本当に感謝しています。」
照れくさそうに坂崎さんが微笑む。
「…ありがとう。…きっとさ、これからも色んなことが起きて、色んな辛いことや悲しいこともあると思う。こんな世の中だし、頑張ってもどうにもならないって時もあると思う。でもさ、こんな世の中だけど良いこともいっぱいある。きっとこの先には美弥ちゃんが輝く未来が待ってるよ。」
「…はい…」
「だから…どんな時も諦めないで行こうよ。きっと美弥ちゃんなら、夢を叶えられる。ファンの俺が言うんだから間違いないよ。」
「坂崎さん…」
「ね?」
「はい!私、頑張ります。もう二度と中途半端に諦めたりしません。絶対夢を叶えてみせます!」
「うん。」

本当にたくさんの温かな気持ちをありがとう。
少しの間だったけど、素敵な時間が過ごせて幸せだった。
伝えていない気持ちはあるけど、それは自分の中だけにしまっておこう。
今日までの出来事と一緒に、いつか…この気持ちも思い出にできるといいな。
いつか、笑顔で“そんなこともあったな”って笑えたらいいな。
「それじゃあ…」
「はい…お仕事、頑張って下さいね。」
「うん。美弥ちゃんもね。」
「はい!」
私の言葉に微笑みを返すと、坂崎さんは車へと乗り込んだ。
運転席の棚瀬さんが隣で何かを言っている。
坂崎さんはうんざりしたような顔で、こちらを振り返った。
きっと小言を言われたんだ。
やっぱり謝った方がよかったんじゃないだろうか。
そんな時、棚瀬さんが私を見た。
慌てて頭を下げる。
謝罪の意味も込めて、深々と。
すると棚瀬さんは、慌てたように窓を開けた。
「?」
「佐藤さんは何も悪くありませんよ!坂さんが悪いんですっ!」
「もう分かったから!悪かったって!」
助手席から坂崎さんがムッとして口を挟む。
いや、どう考えても私が悪い。
坂崎さんは悪くない。
「いや、あの、でも私が…」
「すみませんね、坂さんが邪魔をしまして。」
「え、ええ?そんな−」
「邪魔ってひどいな。」
「似たようなものでしょう。だいたい−」
「ああ、もう、分かった分かった。ほら、時間時間!」
「あ、ああ!急がなきゃ!では佐藤さん!今日はこれで失礼します!」
「あ、は、はい。お気をつけて!」
「佐藤さんの作品、これからも楽しみにしてますね!」
「あ、はい!頑張ります!」
「それじゃあ!」
棚瀬さんは笑顔で私に手を振ると、早速エンジンをかけた。

お別れする時が来た。
正真正銘の、お別れ。
…よかった、最後は笑顔でいられた。
笑顔で終われる。
「じゃあ、またね。」
坂崎さんが笑顔で手を振る。
「…はい、また…」
今度こそ、”また“なんて…ない。
今日が…最後。
最後なんだから。
私は精一杯の笑顔を作った。
「さようなら…!お元気で!」
「…美弥ちゃんも、元気でね。バイバイ!」

走り出した車を目で追う。
見えなくなるまで、何だか見送りたくて。
彼の姿が見えるわけでもないのに、何だか目を逸らせなくて。
遠ざかっていく車を、ただただ見つめ続けた。

笑顔で“サヨナラ”が言えたね。
私にもできるんじゃない。
私だって、やればできるんじゃない。
褒めてあげなきゃ、自分のこと。
泣かずにお別れができたね。
頑張ったね、私。

頬を一筋の涙が伝う。
もう我慢する必要なんて…ないよね。
もう泣いていいよね。
堪えていた涙たちが、ポロポロと零れ落ちた。


きっとこの出会いは神様が与えてくれたんだよね。
恋をしなさいって。
叶わなくてもいいから、本気の恋をしなさいって。
“恋愛小説”を書きたい、そう思ったのは彼を好きになったから。
この気持ちを物語に込めることで、何かを見つけなさい。
きっと神様はそう言いたいんだよね。
散々思いとは裏腹なものを書いてきたから。
自分の本当の気持ちを書きなさいって。
そう言いたいんだよね。

書くよ、私。
何があっても書き上げる。
どんな逆風が吹いても、私はもう負けない。
周りに何を言われようと、絶対に書いてみせる。
それが…私の望む道なんだから。

それで、いいんだよね。
私が選んだ道だもの。
私が求めてる道だもの。
それに間違いなんて、ないんだよね。

ね、坂崎さん。
私、頑張るよ。
頑張る。
だから…
今はまだ、想っていていい?
いつか、ちゃんと思い出にするから。
ちゃんと諦めるから。

だから…いいよね?

優しく微笑む彼の姿を探して、私は目を閉じた。
心の中の彼も、きっと私に微笑んでくれると信じて−


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