EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−27−

どのくらい泣いていたんだろう。
いつしか涙は消え、穏やかな気持ちになっていた。
あんなに不安だったのに、あんなに苦しかったのに、今はそんな気持ちも和らいでいる。
思い切り泣いたから?
弱い自分と向き合えたような、そんな気持ちになっているから?
それとも他に何か…
「…あ、晴れてきたね。」
耳元で声がした。
そっか、雨止んだんだ。
いつ?
全然気が付かなかった。
泣いてたから気付かなかったのかな。
それともその前から止んでた?
ついさっきのことなのに、ちっとも覚えてない。
だって何だか夢を見てたような気がして…。
これは…現実よね?
……
…あれ?
ここ、どこだっけ?
すごく暖かくて気持ちいいんだけど……

……

…って!!

「…う、わぁっ!!」
「わっ」
思い出した!
ここ、どこだっけ、じゃないわよ!
わた、私…っ
さっさささ坂−
「え〜…そんなに力いっぱい引き剥がしちゃうほど嫌だった?」
両手を軽く上げ、坂崎さんは苦笑して私を見ていた。
「え、いや、その、そういう…わけ…ではなくて…っ」
そうよ!そういうわけじゃなくて!
嬉しいけど…っ
死んでもいいくらい幸せだったけど…っ
そ、そんな、だ…っ抱き締めてもらうだなんて…っ
「美弥ちゃん、顔真っ赤。」
「−っ」
しょ、しょうがないじゃない!
抱き締められたんだから…っ
平気な人間がどこにいるのよっ!
慌てふためく私を見て、彼はクスクス笑い出した。
しかも、さも可笑しそうに。
ああ、もう…っ
恥ずかしくて逃げ出したい…っ
このバカ正直な顔、何とかならないのかしらっ
たまには涼しい顔とかできないのっ?
絶対坂崎さん、呆れてるよ…っ
もぉ〜恥ずかしいよぉ…っ

「…でも、よかった。美弥ちゃんらしさが戻って。」
「…え?」
坂崎さんに視線を戻すと、彼は嬉しそうに笑っていた。
さっきまでのからかうような笑顔じゃない。
とても優しい笑顔。
そんな顔されたら、ドキドキがちっともおさまらないよ…っ
「ずっと眉間にしわ寄せて何か考え事してる感じだったからさ。ほら、この前出版社で会った時も、何か考え事してるような顔してたよ。」
「そ…そうでした?」
「そうだよぉ。棚瀬がいることも気付かなかったし。そりゃあいつも小さいけどさ、さすがに見落とすほどの小ささじゃないでしょ。」
あれは単に坂崎さんしか見えてなかっただけで…。
…なんて言えるはずもなく。
「そ、そういえばそんなことも…あ、ありましたね。」
「そうだよ、だからちょっと心配しててさ。何か悩んでるのかなぁって。」
「…心配して下さっていたんですか…?」
「うん。話したいな、と思っててね。ほら、一人で悩むより誰かに聞いてもらうだけでも少しは気持ちが軽くなるでしょ?だから話だけでも聞いてあげられたなって思ってたんだ。でも時間がなくて…結局話もできないまま今日まで来ちゃった。」
「坂崎さん…」
気にかけてくれていたことへの嬉しさと、感謝の気持ちでいっぱいになった。
ずっと…心配してくれてたんだ。
私が悩んでること…気づいててくれたんだ。
一人で悩んでいた辛い時間は、決して孤独なんかじゃなかった。
私を…心配してくれている人がいて。
私を…見守ってくれている人がいたんだ。
一人じゃ…なかったんだ。
嬉しさで胸がいっぱいになった。

「少しは…力になれたかな。」
不安そうに尋ねる彼に、大きく首を振る。
「少しだなんて、とんでもないです!すごく…本当にたくさん力をいただきました。感謝の気持ちでいっぱいです!」
「やだな、大袈裟だよ。」
「大袈裟じゃないです!本当に、大切なことをたくさん思い出すことができました。ここにいる意味も…全部全部、思い出せました。全部坂崎さんのおかげです。ありがとうございました!」
精一杯の気持ちを込めて頭を下げた。
「お礼なんていいよぉ。」
「言いたいんです。言わせて下さい。言っても足らないぐらいです。」
「…美弥ちゃん…」
「…私…初心を忘れてました。本当に一番大切なことを忘れていました。…ダメですね、自分が作家になった理由を忘れるなんて。自分がダメなのに、いっぱいいっぱい人のせいにして…みっともないぐらい取り乱して…。これから進むべき道を、見誤るところでした。」
「……」
「…やっと、目が覚めました。くだらないことに悩むのはもう止めます。一番大切なのは、私の気持ちであって、この場所に拘る必要なんてどこにもないんですよね。私がここにいる限り、私の物語がなくなることはなくて。何かを失くすことになっても、私が私の心を失わなければいいんだって…ようやく分かりました。」
「…うん。」
「坂崎さんのように…坂崎さんが高見沢さんと桜井さんのことが大好きなように、私もいつまでも物語を書くことへの愛情だけは、決して失くさないようにします。」
「えっ 大好きって…やだな、そんなことは−」
「いいえ、あります。これだけは譲りませんよ。」
「ええっ?」
「坂崎さんは気付いてないみたいですけど、お二人の話をする時、一番の笑顔になるんですよ。」
「え…っ」
「無意識のうちにそんな笑顔になれるんですもの、相当お二人のことが大好きなんだと思いますよ。」
「……」
坂崎さんは困った顔をしてそっぽを向いた。
ほんのり頬が赤くなっている気がする。
…あれ?もしかして照れてる?
「…いいですね、仲間が大好きって。」
「…よ、よくないよ。気持ち悪いじゃん!女同士ならまだしも、いい歳した男相手にさぁ…」
「そうですか?私はとても素敵なことだと思いますよ。どんな年齢になっても、いつまでも仲間が大好きでいられることって、なかなかないと思います。」
「そ、そうかなぁ…」
「そうですよ。」
「…大好き…ねぇ……まぁ…二人のことは嫌いではないけど…」
「坂崎さんの”嫌いじゃない”は“大好き”ってことなんですよね。」
「……」
何か言いたげな顔で私を見た。
「…違いますか?」
「…美弥ちゃんも意地悪言うようになったね。」
「坂崎さんには負けますよ。」
「……」
じと〜っとした目で私を見る坂崎さんに、つい笑ってしまう。
まるで少年みたいだ。
「…何で笑ったのかなっ?」
「…え?いえ、まぁ…その、可愛らしいなぁと思いまして。」
「誰がっ」
「坂崎さんが。」
「何言って……」
突然坂崎さんの動きが止まった。
「?」
どうやらジーンズのポケットに入れていた携帯が振動したらしい。
取り出した携帯の液晶を見るなり、ひどく不機嫌そうな顔になった。
その顔で、電話の相手が思い浮かんだ。
「ごめんね、ちょっと電話。」
「あ、はい。」
よく考えたら、坂崎さんはこの後仕事のはずだ。
こんなところで私の話を聞いている場合じゃなかったんだ。
あれからどのくらい時間が経った?
10分、20分なんかじゃない。
きっともっと経ってる。
絶対、あの人は焦ってる。
きっとひどく怒ってる。
この電話もきっと…。
…全部私のせいだ。
どうしよう…

坂崎さんが通話ボタンを押すなり、わめくような声が聞こえてきた。
何を言っているのかは分からないが、かなり焦ったような慌てたような声だ。
携帯を耳から離して聞いていた坂崎さんがため息をつく。
「そんなでかい声出さなくっても聞こえてるよ!…うん…ああ、うん。だから分かってるって。これから…え?…ああ、はいはい、分かったよ!じゃあ5分で来いよ。それ以上は待たないからな。」
坂崎さんは携帯を放り投げるような勢いでボタンを押して電話を切った。
「…あの…もしかして棚瀬…さん?」
「ああ、聞こえた?そう、棚瀬。“いつまで来ないつもりですかーっ!”って。行くって言ってんのに“信用できません!迎えに行きます!”だってさ。だから5分で来いって言ってやったよ。絶対来れないもん。」
「…すみません、私のせいで…」
「え、違うよ。美弥ちゃんのせいじゃなくて、俺が自分で残るって決めたんだから。そのおかげで美弥ちゃんが笑顔になってくれたから、残って正解だったしね。」
「坂崎さん…」
「でも、ごめんね。またバタバタで。…時間なくなっちゃった。」
「いえ、そんな。お仕事なのに貴重な時間を割いてくださってありがとうございました。どちらで待ち合わせですか?」
「あ、うん。“バス停で待ってて下さい!”だって。戻らなきゃ。…美弥ちゃんは?このまま帰る?」
「あ…えっと…その…」
「ん?」
「…バス停まで…その…ご一緒してもいいですか…?」
「もちろん。じゃあ、行こうか。」
「はい…」

来た道を二人で戻る。
雲間から太陽の光が差し込み、足元の水たまりがキラキラと輝いている。
その眩しさに目を細めた。
さっきまでの雨がまるで嘘みたいだ。

…往生際が悪いよね。
もう、自分の書きたいものを書こうって決めたのに。
この場所に拘らないって言ったのに。
バス停に戻る必要なんて私にはないんだもの。
このまま駅へ行けばいいのに。
それなのに。

分かってるよ。
叶わない恋だって分かってる。
いつかは諦めなきゃいけないことも分かってる。
一緒にいられるわけがないんだから。
坂崎さんが心配してくれているのは、ただ作家としての私のこと。
決してそれは、異性として女性として…そんな感情じゃない。
私の作品を知る読者として、そして厳しい世界で生きる先輩として励ましてくれている。
そんなこと、ちゃんと分かってるよ。

それなのに、心のどこかで諦められない私がいる。
傍にいたいと願う私がいる。
好きでいる資格なんてない…そう思ったのに。
それでも傍にいたいだなんて。
…身勝手だね、私。

どうしたら…諦められるんだろう。
…どうしたら…

彼は隣にいる。
一緒に歩いてる。
こんなにも傍にいるのに、何故だかとても遠くに感じた。


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