EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−26−

「…思い出した?」
坂崎さんは私を見つめてにっこり笑った。
その笑顔に、友人の笑顔が重なる。
“やっと思い出してくれたね”
そう…笑っているように見えた。
ボロボロと涙が溢れてくる。
「…私は……」
「うん。」
「私は…誰か一人でいい…その人を笑顔に…したくて…」
「…うん。」
「私にできることは…物語を作ることしか…なかったから…他に…できることなんて…なくて……書くことが大好きだから私は…」
「作家さんになったんだね。」
坂崎さんの言葉に頷いた。
大好きな言葉で、大好きな物語を書きたい。
ずっとずっと書いていきたい。
それだけ。
たったそれだけだったのに。
「でも…」
「…でも?」
“書きたい”という気持ちは年々形を変えていった。
書くたびに、書き続けていくほどに形が変わる。
“認められたい”
それは一人じゃなくて、たくさんの人に。
いつしか純粋な気持ちは薄れていた。
「有名に…なりたかったわけじゃなかったのに…いつの間にか…たくさんの人に認められることを望むように…なって…誰かに…否定されることが怖くなってきて…」
「…長くやってると、たくさんの人に認められたくなる…みんなそうだよ。たった一人が認めてくれるだけじゃ、足りないって思うものなんだ。…欲が出てきちゃうんだよね。」
「大好きな小説が…だんだん自分の書きたいものから離れて…本当は違うのに…本当は違うものが書きたいのに…でも、周りから求められて…周りが望むものを書いて…」
「うん…」
「大好きだったのに…書くことが苦痛だなんて思ったこと…なかったのに…」
「…好きだからそれを仕事に選んだのに、好きでもないこともやらなきゃいけない。仕事だって頭では分かっていても、好きでもないこと…望んでもいないことをやるのは辛いよね。そんなことをするためにこの仕事を選んだわけじゃないのにね。…音楽も一緒だよ。たぶん、どんな仕事に就いても、それは必ず起こることだと思う。悲しいけど…それが現実の厳しさなんだろうね。」
「……」
「でも、それに負けてちゃダメだよ。好きなことを仕事として選んだ人は、それなりのリスクを背負わなきゃいけない。だからこそ、その世界で生きていける強さと自分自身と向かい合う勇気がいるんだ。」
「勇気…」
「…美弥ちゃんの身に何が起きているのか俺には分からないけど、進むべき道は一つしか選べない。まさに究極の選択だ。得るもの…失うもの…一つや二つじゃないかもしれない。たった一つを犠牲にすれば二つ三つ得られる選択肢があるかもしれない。できればそういう選択肢を選びたいよね。…でも、失ってはいけないものが一つだけあるんだよ。」
「失っては…いけないもの…?」
坂崎さんは小さく頷き、自分の左胸を指差した。
「自分の心。」
―ドクン―
「心…」
「そう、心。たくさん得るものがあっても、心を失ってしまったら得たはずのものも結局は失ってしまう。…自分がここにいる意味だけは、失っちゃダメなんだよ。」
「私が…ここに…いる意味…」
「美弥ちゃんは、どうしてここにいるの?」
「…私は−」
「有名になりたいんじゃ…ないんだよね?」
「私は…小説を…書きたかったから……書くことが好きだから…自分の気持ちや想いを…伝えたいから−」
「それが…美弥ちゃんの心。その心があるから、美弥ちゃんはここにいるんだ。」
「私の心…」
「俺も一緒だよ。俺は歌が好きだから。あいつらと歌うことが好きだから。だから俺は、ここにいる。その心があれば、何だって乗り越えられるよ。あいつらと歌えたらそれでいい。他の望みなんて、それに比べたらちっぽけなものだよ。俺はそんなものいらない。もらったってあいつらがいないなら一つだって欲しくないよ。」

…だから…なのね。
だからあんなにも輝いて見えるんだ。
だからあんなにも信頼しあえるんだ。
高見沢さんも…桜井さんも…きっと同じことを思ってる。
他の二人がいないのなら、名声だって地位だっていらないんだ。
そんなもののために彼らはいるんじゃない。
三人でいること。
それが…彼らが失いたくない、たった一つの望み。
その心があるからここにいる。
輝いているのは名声や地位があるからじゃない。
三人で歌い続けるという、その心が彼らを輝かせているんだ。
色褪せない想いや心が、今も彼らを輝かせている。
それが、彼らの輝きなんだ。

坂崎さんがそっと私の手を取った。
彼の温かさに、また自然と涙が溢れてくる。
「美弥ちゃんの心、それが何より大切なものだよ。それがあれば、何だってできる。どんなに辛いことも、きっと乗り越えていけるよ。」
まっすぐな目をして彼は微笑む。
「それにね、一人で乗り越えられない時は誰かに頼ったっていいんだよ。何でも一人で乗り越えられる人なんて、きっとこの世には一人もいない。何のために家族がいるの?仲間がいるの?…みんな支え合うためにいるんだよ。」
「…坂崎さん…」
「自分の弱さを無理に隠さなくていい。目一杯悩めばいいんだよ。だって自分の人生だもん、真剣に悩んで決めなきゃね。たった一度しかない美弥ちゃんだけの人生なんだから。」
「…私だけの人生……」
坂崎さんは小さく笑って頷いた。
「だからこれから進む道は、美弥ちゃんの心が選ぶ道を行けばいいんじゃないかな。美弥ちゃんの心が、一番求めているもの。それが答えなんだと俺は思うよ。」
「私の心が…選ぶ道…」


人は弱い生き物で。
だから自分が弱いことも…今を悩むことも…それは決して悪いことなんかじゃなくて。
きっと当たり前のことなんだ。
きっとそれが、生きている証。

人は弱いから…一人では生きていけなくて。
それでも強がっては一人で生きていこうと無理をしている。
強くなんてないくせに、あるような作り笑いをして。
分かっているのに、気づいているのに、いつだって弱さを隠そうとして。
私もその一人。
きっとそれはこの世界に存在するすべての人も同じで。
誰もが過去を振り返り、現在(いま)に悩み、明日を恐れている。

人ってなんて愚かな生き物なんだろう。
なんて弱いんだろう。
でも。
それでも…人は生きている。
苦しみながらも現在(いま)を生きている。

強い人間なんていないんだ。
みんな弱いんだ。
私だけじゃない。
坂崎さんも。
高見沢さんも桜井さんも。
みんなみんな、その弱さと向き合って現在(いま)を生きているんだ。
弱い自分と向き合う勇気を手に入れて。

私がここにいる意味。
私の望み。
それは“ここにいたい”なんてことじゃない。
もっと簡単で。
もっと単純なこと。
“書きたい”
それが私の望み。
それが私の心。
その心があればいいんだ。

雑誌に載せてもらえなくたっていい。
それが一番の望みじゃない。
仕事がなくなったっていい。
そんなこと、今まで何度も経験してきてる。
いつだって乗り越えてきたんだから。
雑誌に載せてもらえなくても、仕事がなくても、私はここにいる。
それは確かなこと。
書けなくなったわけじゃない。
書きたいものはたくさんある。
今まで書けなかったものがたくさんある。
それを書けばいいんだ。
心のまま、書きたいものを書けばいい。

あの頃のように。
大切な人へ精一杯のメッセージを送りたい。
それが私の望み。
たった一つの望み。

それが…
私の心。


頬を涙が伝う。
今日はたくさんの涙を流してきた。
悲しい涙、苦しい涙、悔し涙もあった。
でも、今日流した涙と、この涙はどこか違う。
みっともないほど強がってきた私の涙じゃない。
あの日、坂崎さんが私を認めてくれた時と同じように。
心が温かくなる…そんな涙。

私は望みをすべて手に入れようとしていた。
大切なことを忘れて、現在(いま)だけしか見ていなかった。
物語を書くことより、認められることだけを考えていた。
大切なのは、自分の想いを伝えることなのに。

…怖かったの。
手に入れたものを失うことが怖かった。
今を失うことが怖かっただけ。
大した地位でもないのに、今の自分を失いたくなかった。
失うという恐怖心にかられ、自分自身が望んでもいない道を歩いていた。
苦しかったのに、その気持ちに嘘をついては無理やり前に進んできた。
そんな道を進んだところで、何も得るものなんてないのに。
私は、知らない間にたくさんのものを失っていた。
何より大切な…私の心。
その心から小さな欠片たちがいくつも崩れ落ちていったのに。
違うものを手に入れて、それに気づかずに。
心は…ひどく泣いていたのに。

気づかないフリをして、大切な心を傷つけてきた。
ずっと。
ずっとずっと。

もう、止めよう。
望んでもいない道を進むこと。
自分の気持ちに嘘をつくこと。
自分の心に背くこと。
そして、強がることを。

私は強い人間なんかじゃない。
ただの人間、弱い人間なんだから。
だから泣けばいい。
気が済むまで泣けばいい。
自分の弱さに。
自分の愚かさに。
きっとそれが…等身大の私。
嘘偽りのない、佐藤美弥の本当の姿だから。

だから恐れるな。
強がりは捨てろ。
勇気を。
自分と向き合う勇気を持て−

「……っ」
耐え切れずしゃくりをあげた。
慌てて顔にタオルを押し当てる。
すると突然、坂崎さんが私の手を引いた。
(…えっ?)
一瞬のことだった。
私は彼に引き寄せられ、その腕に優しく抱き締められた。
「―っ」
坂崎さんの体温…そして鼓動。
それが私の全身に伝わってくる。
「…さっ坂」
慌てふためく私の言葉を遮るように、彼は何も言わずに私の頭をそっと撫でた。
(…坂…崎さん…?)
優しく私の頭を撫でる彼の手。
その手から、彼の優しさが伝わってきた。
“泣きたい時は泣けばいいんだよ”
彼の笑顔と同じくらい優しくて温かい手。
その温かさに目が潤む。

彼は私に、泣き場所を作ってくれたんだ。
私が思い切り泣けるように。
我慢しなくてもいいように。
「……っ」
堪え切れなくなった涙が目から零れ落ちていく。

本当に…どうしてそんなに優しいの?
そんなに優しくされたら…いつまで経っても諦められなくなっちゃうよ。
諦めようって…思ってるのに…

全部坂崎さんが悪いんだからね。
…私のせいじゃないんだからね…。
…全部…坂崎さんの…せいなんだから…

…ううん、分かってる。
ちゃんと分かってる。
でも…
今だけ。
今だけは…

溢れてくる想いと一緒に、私はただただ泣いた。
温かな彼の腕の中で。
彼の優しさに包まれながら…


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