EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−24−

桜井さんたちを乗せた車が見えなくなると、坂崎さんがふぅと小さくため息をついた。
「…さてと。ちょっと歩こうか。」
「…え?」
「雨、もうすぐ止みそうだし。」
坂崎さんは手のひらを空にかざし、小首を傾げて空を見上げる。
つられて空を見た…が、彼はそんな場合じゃないはずだ。
慌てて彼に視線を戻した。
「…あの…で、でも…坂崎さん、お仕事が−」
「近くにお気に入りの場所があるんだ。そこまで散歩しようよ。」
「…え?」
私の言葉が聞こえなかったのか、彼は穏やかな口調でそう言うと、突然私の手を取った。
「―っ」
カーッと指の先から頭の先まで熱くなる。
「……さ…っ」
「散歩散歩。ほら、行くよぉ。」
ぐいっと手を引っ張られ、坂崎さんが歩き出した。
「あ…」
引っ張られるまま、よたよたと歩き出した私に、にっこり笑って傘を差しかける。
「…何か、デートみたいだね。」
「…デ…っ」
「ああ、ほら、美弥ちゃん傘からはみ出てる。ちゃんと傘に入らないとまた雨に濡れちゃうよ。」
彼が手を引く。
「え…あ…」
彼の身体に引き寄せられ、私の肩が彼の腕に当たった。
「…っ」
彼の体温が伝わってくる。
驚くべき速さで波打つ鼓動が、彼にまで聞こえてしまいそうだ。
「風邪ひいちゃいけないしね。」
彼にはひとかけらの動揺すら感じられない。
それが余計に私の鼓動を激しくさせる。
「あ…でも…その…」
「ほら、こっちこっち。」
単語にすらなっていない私の返答など気にもせず、彼はそのお気に入りの場所とやらに急ぎ足で歩みを進めていく。
頭が混乱している私は、言葉を返すこともできず、ただ付いていくしかできない。

私…誰と歩いてる?
誰と手をつないでる?
見上げた先には、どこからどう見ても…
「…ん?」
笑顔の坂崎さんがいて…
私の右手は…
その坂崎さんの左手に…

何度見ても、それが真実らしい。
坂崎さんの傘に入れてもらって…
坂崎さんと手を繋いで歩いてる…。
手を…繋いで…二人で?
これは…なに?
夢?
全部夢なの?
B出版社からの電話も夢?
今日の出来事は全部夢だったの?

「美弥ちゃん、俺の顔に何か付いてる?」
「…えっ?」
ハッと我に返ると、首を傾げて私を見下ろす苦笑いの坂崎さんがいた。
「さっきからじーっと見てるから、何か変なものでも付いてるのかなぁって。…あ、もしかしてさっき食べたお弁当の海苔が歯に付いてるっ?」
「えっ…いえ、の、海苔は付いて…ないです…けど…」
「けど?」
「…その…こ、これは…夢…なのかな……と思って…」
「夢?どうして?」
「…さ、さ…坂崎さんと…その…」
手を繋いで歩いているだなんて…夢としか思えないもの…。
「美弥ちゃん、顔赤くなってる。」
「…っ」
「ふふ。夢じゃなくて現実だよ。ほら、雨の冷たさも感じるでしょ?」
そう言って坂崎さんは繋いだ手を傘の前に差し出した。
ポツポツと雨粒が私の手に当たる。
ヒヤッとした水滴の感触、雨の匂い、湿気を帯びた空気。
そして坂崎さんの手の温もり。
悲しいことにすべて感じることができる。
「ね?」
ね…と言われても、やっぱり夢としか思えない。

もちろんこれが現実なら嬉しく思う。
憧れの人と手を繋いで歩くなんて、簡単に叶うものじゃない。
今までの私なら、嬉しくて幸せな気持ちでいっぱいになっていただろう。
でも今は…
素直に喜べない自分がいる。
今の私には、嬉しい気持ちより、彼に対する罪悪感の方が勝っている。
これが夢じゃないのなら、さっき考えたことも夢なんかじゃないから。
私は坂崎さんからもらった言葉を否定した。
嬉しさと幸せと愛しさを感じるはずの彼の手も。
胸いっぱいに温かさを感じるはずの彼の優しさも。
今はただ、彼のすべてが私の心を暗く澱んだ場所へと引きずりおろして行く。
幸せになれるはずのこの瞬間(とき)が、こんなにも辛いなんて…

胸が痛い…
心が痛い…
何もかもが…痛いよ。

あなたはどうしてそんなに優しいの?
あなたの優しさが…
何より痛いよ。

「あの…」
「うん?」
「お仕事は…」
「大丈夫だよ。ちゃんと間に合うように行けるから。」
「でも−」
「美弥ちゃんは心配しなくていいから。」
「…でも−」
坂崎さんが握る手にギュッと力を込めた。
「…辛そうな顔してる美弥ちゃん放って仕事なんか行けないよ。」
「―っ」
「この前よりも…もっと辛そうだよ?そんな姿見て、放っておけるわけないよ。」
「……」
あなたの優しい声が、また…私の涙になる。

でもダメだよ。
ダメなの。
あなたに頼りたくないの。
そんなにも弱い人間になりたくないの。
あなたに頼ったら、もっともっと弱くなってしまう。
もっともっとダメになってしまう。
私は強くなりたいの。
あなたみたいに。

それなのに…

私の中に、あなたに縋りつきたいと願うダメな私がいるの。
弱くてもいい。
強くなれなくてもいい。
あなたが傍にいてくれれば、それでいい…って。
みっともないほど弱い私がいるの。

そんな私に負けちゃダメだって、私が私に叫んでる。
あなたに頼ったら、もっともっとダメになる。
佐藤美弥が、佐藤美弥じゃなくなる。
だからダメだって。

私が私の中で私自身と闘っている。
どちらが正しいの?
もう…私には何が正しいかなんて…分からないよ。


「…何があったのか…話したくないなら話さなくてもいいよ。自分の中で解決しなきゃいけないこともきっとあるだろうし、俺じゃ役に立てないことかもしれないし。でも…」
「……」
「辛そうにしてる美弥ちゃん置いて、仕事になんて行けないよ。……俺じゃ…役に立てない?」
「……」

痛いよ。
心が…痛い−

心の痛みが、私の歩みを止める。
「…美−」
「…これ以上…ダメな…人間に……なりたくないんです…」
「美弥ちゃん…?」
「これ以上…坂崎さんに頼ったら…私はダメになるんです…っ」
「そんなことは−」
「自分が一番分かってるんです!自分のことは自分が一番…分かってます…っ」
「美弥ちゃん…」
「もういいんです…っ私のことなんて放っておいて下さい…っ私は坂崎さんみたいになれない!どんなに頑張っても、私には夢を叶えることなんてできない…っ!私は坂崎さんとは違う…っ!私に…夢を叶える力なんてないんです…っ」
「……」
「…もう…辞めます……作家なんて…もう辞めますから…っだから放っておいて下さい…っ!」


“じゃあ勝手にしろ”
そう言ってよ。
“もう知らない”
そう言って。
優しくされればされるほど、辛いの。
惨めになるの。

突き放して。
いっそ、私のことなんて嫌いになって。
そうしたら私…
全部諦められるから。
この涙と一緒に。

あなたの手の温もりも。
全部忘れるから。


押し黙った坂崎さんは、握り締めた私の手をそっと離した。
彼の温もりが消えていく。
きっとこのまま、この温もりと一緒にあなたも私の前から消える。
私に怒りを感じて、もう二度と声なんて掛けてやるものか、そう思って。
それでいい。
もう、いいよ。
私のことなんて、忘れてくれていい。
私も忘れる。
あなたのことも、この世界のことも。
全部全部…
何もかも…

忘れてしまえ−


「…美弥ちゃんは嘘が下手だね。」
呆れたようなあなたの声が、俯いた私に静かに降ってくる。
その声は相変わらず落ち着いていて、声を荒げた自分が愚かにさえ思えた。
「今の、本心じゃないよね。」
「…嘘じゃ−」
「じゃあ、ちゃんと俺の顔見て言ってほしいな。」
「……」
「だって、さっきからちっとも俺のこと見ないんだもん。」
「それは…」
「顔見て言われたら、もう聞くのやめるよ。嘘じゃないんだなって…俺は美弥ちゃんの役に立てないんだなって思うことにする。…だからさ、ちゃんと俺の顔見て言ってよ。そうじゃなきゃ美弥ちゃんの言葉、俺信じないよ。」
少し早口で言う彼の声に、怒りか苛立ちのようなものを感じた。
自分でそう仕向けたのに、ひどく悲しくなる。

でも、例え声を荒げて責められても言い返せない。
怒りのこもった目で見られても、それは自業自得。
全部私のせい。
自分が情けないからよ。
「嘘じゃないなら言えるよね?」

自業自得…だけど。
あなたはやっぱり意地悪ね。
私に…何より辛いことをさせるのだから。
このまま立ち去ってくれれば、私の記憶の中のあなたは、ずっとずっと笑顔だったのに。
この先、思い出すたびにあなたは心の中でいつまでも私に怒りを向けるのね。

でも、そうしなければ私も吹っ切れそうにない。
あなたの怒った顔を見ないで、ただ逃げるだけじゃ…この気持ちを引きずるだけね。
ギュッと目を閉じた。

…あなたの怒った顔を想像するだけで、また涙が溢れてくる。
思い出すたびにあなたが私に怒りを向ける…
テレビや雑誌であなたの姿を見るたびに、胸が締め付けられる…
きっとそんな辛い日がこれから先、私を待っている。
そんな辛い日々を、思い出にできる日は来るんだろうか。
あなたを忘れられたら、この涙も辛い気持ちも消えてなくなるのだろうか。
今はとても、そんな日が来るなんて私には思えない…。

でも…
きっと泣いて…泣き続ければ、いつかは忘れられるんだ。
あんなこともあったねって…笑って話せる日がいつか…来るんだ。
きっと…
それがいつになるのかは分からないけど、その日はいつか私のところにやってくる。
その日を…今はただ、信じて待つしかない…。
その日が来れば、あなたを思い出にできるのだから。

あなたを忘れるために…
この世界を諦めるために…

あなたにさよならを−

きっとこれが最後。
あなたをこんなに近くで見るのも。
こんなにも辛くて悲しい想いをするのも。
全部全部、今日で終わり。
終わりにしよう。


私はゆっくりと顔を上げた。


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