EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−22−

本格的に降り出した雨が私を濡らす。
頬を伝うものに触れた。
これは…雨粒?
ううん、違うわ。
これは私の涙だ。
雨じゃない。
私の目から零れた涙…

こんな…
こんなことになるなんて−
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「…え?…次で終わりって…どういうことですか…!?」
『ですから…佐藤先生の連載、次回で終了ということになりました。』
「そ、そんな…!一年は載せていただけるはずじゃ−」
『途中、変更もあり得ると最初にお話ししましたよね?』
「でも!まだ半年も経っていないじゃないですか!半年は必ず、という約束で−」
『…僕はそんなことを言った覚えはありませんよ。先生、何か勘違いされているんじゃありませんか?』
「そんな…!」
『これはもう決まったことですから。短い間でしたが、ありがとうございました。あ、最後の原稿は来週中にお願いしますね。それでは失礼します。』
「ちょっと待ってください!…もしもし?もしもし!?……っ!?」
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
「うわーっ!降ってきちゃったよ!」
行き交うサラリーマンたちが、次々と走り去っていった。
激しい雨音と走り去る足音が、妙に遠くに聞こえる。
雨の中、半ば無意識に目の前にある横断歩道を渡る。
身体が震えるのは、雨に濡れたせいだろうか。
それとも…。
走る気力など、私にはなかった。

突然のB出版社からの電話は、予想もしていない内容だった。
“次回で打ち切り”
そんなことってあるのだろうか。
小さなB出版社の仕事。
それでも一年の約束で連載をもらい、私なりに頑張ってきた。
それなのに…。
今、唯一続いている連載…だったのに。

A出版社の向かいにあるバス停のイスに座り込んだ。
ずしりと身体が重く感じる。
いつも座っているイスなのに、今日はやけに座り心地が悪い。
いつもなら心地よく感じるはずの、バス停の屋根で奏でられる雨粒たちのメロディ。
それすらも耳を塞ぎたくなる。
雨に濡れた髪も、拭く気になれない。
声も…ため息すらも出ない。
出るのは涙だけ。

聞いてはいた。
作家の間であまり評判のいい出版社ではないことは。
連載小説だろうと何だろうと、途中で打ち切りにしてしまうことがあると。
知り合いの作家が、連載小説の途中で打ち切りにされ、ひどく憤慨していたことがあった。
彼からも、そしてA出版社の担当からも気をつけろと言われていた。
B出版社から連載の話が来た時、正直迷ったけど、そういう出版社だと知った上で私は仕事を請けた。
仕事を選ぶほどの余裕なんてなかったから。
一回ずつの読み切り短編小説の一年連載。
一年も連載させてもらえるとは正直思ってはいなかった。
知人の話も聞いていたし、期待はしていなかったから。
だから私は、半年は連載することを条件に仕事を請けた。
出版社側もそれを約束した…はずだったのに。

担当者と私の、単なる口約束にすぎなかったんだ。
上に話なんて、何一つ通ってなかったんだ。
それに気づけなかった。
なんて…バカなの。
何でこんな仕事請けたのよ。
いくら仕事を選ぶ余裕がないからって、何もこんな信用できない出版社の仕事なんて…っ

今更そんなこと言っても…遅い。
仕事を請けた私の落ち度だ。
B出版社のいい加減な口約束に騙された私の。
…誰も責められない。
自分の見る目がなかっただけなのだから。

私は、どうしたら…いいんだろう。
連載の仕事は、もうA出版社しかない。
それもまた、危うくなっている。
私が“恋愛小説”を書きたいと編集長に言えば、A出版社との仕事は確実になくなる。
私は…
この世界にいられなくなるかもしれない。

ねぇ…
誰か…教えてよ。
私はどうしたらいいのよ。
何をしたらいいのよ。
分からない…
分からないよ。

握り締めた拳にボタボタと大粒の涙が落ちた。
…どうして?
どうしてこんなことになるの?
私はただ…新しいものを作りたかっただけ。
新しいことに挑戦したかっただけなのに…!
私は挑戦しちゃいけないの?
私には無理だって…そう言いたいの?

私って何?
作家じゃ…だめなの?
それが私の歩むべき道じゃないの?

私は間違っていたの?

だったらはっきり言ってよ。
私に作家は向いてないって。
おまえには無理だって。
はっきりそう言えばいいじゃない。
もう諦めろって…誰か言ってよ。
…そうしたら私も諦めるから。
もう辞めるから。

だから…誰でもいい。
言ってよ。
私は−
“この世界にいるべき人間じゃない”って−


雨音の中に、聞き慣れたバスのエンジン音が混ざる。
道路にできた水溜りの水を跳ねながら、バスが停車し、昇降口の開く音がした。
きっと私が乗るべきバス。
でも私は顔すら上げられなかった。
自宅に帰ったところで何も変わらない。
この状況が何か変わるわけでもない。
…ここにいても何も変わらないけど。
どこに行ったって同じだもの。
どこにいたって同じでしょう?
だって私は、この世界にいらない人間なんだから。

バスがゆっくりと動き出し、次の停留所へと走り去っていった。
乗らなかったのは自分なのに、ひどく見捨てられた気分になる。
通りを走る車の群れも、私のことなど見向きもしないんだろう。
自分の居場所をなくした人間がここにいることも、誰も知らない。
きっと誰も気づいてはくれないんだ。

少し雨音が静かになった。
でも止む気配はない。
まるで私の気持ちのよう。
どんなに泣いても嘆いても、心はちっとも晴れない。
晴れるどころか、さっきよりもずっとずっと悲しみでいっぱいだ。
たった一人でこんなところで泣いて…。
たくさんの人間が住んでいるはずのこの国に、私の涙を知る人はきっと一人もいない。
どんなに涙を流しても、私の悲しみが伝わることなんてない。

変わりたいなんて…思うんじゃなかった。
ずっとずっと、今までと同じように書いていればよかった。
小さな可能性を信じるんじゃなかった。
どうせ私はこの世界で認められないんだから。
バカみたいにやる気になって…
挑戦しようだなんて、思うんじゃなかった。
結局私は、今の私から変われない。
あの人とは違う。

私はあの人みたいになれるわけがないんだから−


とめどなく流した涙は、いつしか乾いていた。
私はいつまで…ここにいるつもりなんだろう。
もう…帰ろうよ。
次のバスには乗ろうよ。
ここにいたって私は…

…雨音の中に、人の気配を感じた。
バス停に誰かが近づいてくる。
きっと私を見て怪訝な顔をするんだろう。
男にでも振られたか、そんな目で見られるんだ。
でも、誰が来ようと私には関係ない。
どうせ私のことなんて、気にも留めてくれないんだから。

−ピシャン−
…足音が私の傍で止まる。
「あの…佐藤先生…ですよね?」
どこかで…聞き覚えのある声だった。
誰…?
落ち着いたその声に、私は顔を上げた。
「あ、やっぱり。先日はどう……」
その人は、私の顔を見てギョッとしたような顔になった。
「佐藤先生、大丈夫ですか!?」
どうして…
「雨に降られたんですね!急に天気が悪くなりましたからね。タオルありますか?これ、よかったら。」
差し出されたタオルに戸惑った。
「あ、その…」
「…あ、私のこと忘れちゃいましたか?」
「い、いえ…ちゃんと覚えて…ます…」
こんな時に…
「ああ、それはよかった。記憶の彼方にいっちゃってたらどうしようかと。あ、タオルどうぞ。遠慮なさらずお使い下さい。拭かないと風邪ひいちゃいますからね。」
「…ありがとう…ございます…」
会うんだろう…
「いえいえ。こんなところでお会いしたのも何かの縁ですよ。車からふとバス停を見たら、佐藤先生によく似た方が座ってらっしゃるなと思いまして。降りて正解でしたね。」
初めて会った時と変わらない笑顔で、彼は…桜井さんはそう言った。
ただ違うのは、格好がものすごくカジュアルだということだろうか。
キャップを被り、ジーンズ姿でステージとはずいぶん印象が違う。
髪を拭きながら、彼に気づかれないように涙の痕をこすった。

次のバスが来たら、乗ろう。
とても普通には話せそうもない。
「…もしかしてどうやって帰ろうか困っていたところでした?それともバス待ちで?」
「バス…待ちです。前のバスに…その、乗り遅れて…しまって…。」
「そうですか。それにしても雨、嫌なタイミングで降ってきてしまいましたよね。私もさっき車に乗り込む時に降られてしまいましたよ。あと5分待ってくれりゃいいのに。ねぇ。」
眉毛をヘの字にして桜井さんは笑った。
笑顔になれる彼が羨ましくなる。

…どうして、ここにいるんだろう。
彼もA出版社で仕事をしているんだろうか。
「…あの」
「はい?」
「今日はどうされたんですか…?A出版社でお仕事…ですか?」
「ああ、いえいえ、違うんですよ。私は違うところで仕事だったんですけどね。坂崎が今日ここで仕事してるんですよ。」
「…さ、坂崎さんが−」
チクリと胸が痛む。
「ええ。このあと、今度はまた別の場所で三人揃っての仕事なんですけどね。あいつも似たような時間にここの仕事が終わるってことで、じゃあ拾ってってやるか、ってことになりまして。別にねぇ、あいつはあいつでちゃんとマネージャーと来てますから、私たちが待っててやることないんですよ?なのに何故かそんな話になりましてね。」
「そ、そうですか…」
「ええ、まぁ私の方が暇ですからね、次の仕事に差し支えるかって言ったらそんなこともないですし。」
苦笑いを私に向けると、桜井さんは傘越しに空を見上げた。
「少し…空が明るくなってきたみたいですね。そろそろ止むかな?」
「そう…ですね。」
「…佐藤先生、お仕事大変なんですか?」
「…え?」
「ああ、すみません、何だかお疲れのように見えて…。余計なお世話ですよね。いけませんねぇ…私の周りにやたらと忙しく走り回ってるヤツが二人もいると、どうも心配性になってしまって。”大丈夫か?”って聞いても返ってくるのは”大丈夫だ”って答えですからね、聞くだけ無駄なんですけどね。でも無駄だって分かってても、どうしたって顔色は見ちゃいますよ。心配ですからね。」
「…そうですね…」
「佐藤先生も無理はいけませんよ。何をするにもまずは身体が基本ですから。…って言えるほど胸を張れる素晴らしい生活してませんけどね。」
愛想笑いすら、返せない。
彼が笑顔であればあるほど、自分が惨めになっていく。
涙があふれそうになって、私は俯いた。
私の様子から何か察したのか、桜井さんは口をつぐんだ。
どんな顔をして私を見ているんだろう。
きっと哀れむような目で…見ているんだ。

どうして私なの?
どうして私ばかり、こんな目に遭うの?
私が何をしたっていうの?

頑張りたいのに…
周りが私の邪魔をする。

私は大それたことなんて、何も望んでいないのに。
有名になりたいとか…一流になりたいとか…そんなこと、望んでいない。
私はただ、認めてほしいだけ。
私という人間を認めてほしい…それだけ…なのに。

それすらも叶わないの?
私が私であることすら認めてもらえないの?

物語を書くことが私にできる唯一の、自分を表現するものだと思ってきた。
それすらも間違っていたの?
私には何ができるの?
何をすれば認めてもらえるの?
何をしても…
認めてもらえないの?

”そのままの佐藤さんでいいと思うよ”
嘘ばっかり…
全然ダメじゃない。
変わろうと思った私すらも認めてもらえないじゃない。
そのままの私でいたら、もっともっとダメだったんじゃない。

心にも無いこと…言わないでよ。
言ってほしくなかった。
本心じゃないなら…あんな言葉…聞きたくなかった。

私はあなたとは違うんだから。
成功したあなたと…
私は−

「……そろそろ、あいつの仕事も終わる頃かな。」
桜井さんの呟きに、びくりとした。
そして、自分の心にも。
私…今、何て思った?
「ツアー中だから、なかなか佐藤先生に会えないって残念がってましたから、きっと喜びますよ。」

会えるわけ…ないじゃない。
こんな情けない姿で。
”頑張る”って言ったのに。
あんなに勇気と元気をもらったのに。

そして今。
坂崎さんからもらったものも…
あんなに嬉しかった彼の言葉すら、私は疑っている。
こんな私に会う資格なんて…欠片もないわ。
「…あ、出てきた。」

−ドクン…ッ−

恐る恐る出版社に目を向ける。
行き交う車の向こうに、棚瀬さんを伴い出版社から出てきた彼を見つけた。
いつもならすごく嬉しいのに…
今日はあなたを見てもちっとも嬉しくない。
どうして今日?
今日だけは…あなたを見たくなかった。

二人に傘を差した一人の男性が近づき、頭を下げた。
桜井さんのマネージャーさんだろうか。
その人が何かを言いながらバス停を指差すと、二人がこちらを見た。
「お、気づいたかな?」
桜井さんが軽く手を上げると、それに答えるように彼が手を上げる。
そして笑顔で私を見た。

―ドクンッ―

居たたまれなくて、彼から目を逸らした。

いやだ。
見ないで。
こんな姿、見られたくない。
見てほしくない。

私は今、一番嫌な人間になってるの。
誰も信じられなくなってる。
あなたのことすら…
信じられなくなってるの。
だから…
お願い。
私を見ないで。
あなたに微笑んでもらえるような人間じゃないんだから。

私はもう…
この世界にはいられなくなるんだから。

そう。
だって…
私は、誰からも見捨てられた人間なんだから。


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