EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−21−

人生うまくはいかない。
その言葉が、悲しいくらい実感できた。
担当と、しばし無言で向き合う。
さすがの彼にも、いつもの笑顔はない。
「…そう。編集長からストップが…」
「え、ええ…。すみません…僕の力が足りないばっかりに…」
「何言ってるの。あなたは頑張ってくれたじゃない。…仕方ないわよ、こればっかりは。」
やっぱりな…そう思いつつも、私はショックを隠し切れなかった。
”あいつには違う分野を書ける力などない”
厳しい顔をしてそう言い放つ編集長の姿が目に浮かぶ。
悔しいけど、言い返せる能力も実力も…私にはない。
「編集長がダメって言うなら、書くのは無理ね。…次回作、どうしようかな。一応他にも考えているものはあるんだけど…」
「いや、でも、編集長はダメって言ってるわけじゃないんですよ?」
「え?…そうなの?」
「上と話してみないことには…って眉間にシワを寄せて、難しそうな顔をしてまして。」
「…上?」
「ええ、上って言ってました。編集長の権限だけでは簡単に許可できないみたいですよ。一応、うちも組織ですからね。今は上からの許可が下りないだろう、ということでその話はストップしろ…と。」
「上か…。編集長より厄介なのかしら。」
「…この前うちの編集部に来た時に見かけましたけど、嫌味を言われたらしくて帰ったあと編集長がやたらと不機嫌でしたよ。あんまり関係はよくないみたいですね。」
「さすがの編集長も上には弱いのかしらね。」
腰の低い編集長なんてとても想像できない。
「う〜ん…弱いというより…何て言うんでしょうか。弱みを握られてるんじゃないかと思うような感じでしたけどね。」
「弱み?やだ、何か怖いわね…」
「僕が聞いたのは…”君の目が節穴じゃないことを祈りたい”とか何とか。編集長が個人的に推した作家さんのことかな、と思うですけどね。起用したはいいけど、まだ頭角を現していない、とか。そんなところだと思うんですが…誰かなぁ…」
「う〜ん…あ、あの子じゃない?ほら、私の休み中に載るっていう新人くん。編集長が推したんじゃない?」
「いや、あの人は違いますよ。新人の作品を載せるのは編集長というより上からの指示ですから。それに連載を持たせたわけじゃないですし、次号は別の新人作家が載るわけですからね。」
「ああ、そうか。じゃあ誰のことかしらねぇ。」

編集長が推している作家ってどんな人なんだろう。
あの編集長が推すぐらいだ。
相当将来有望なんだろう。
私もそんな風に推されてみたいものだ。
…なんて、こんなこと考えている場合じゃないのに、誰なのかすごく気になる。
だって私の挑戦しようという思いを軽く却下されたんだもの。
現実逃避だってしたくなる。
「ねぇ、誰だと思う?」
「先生、そんなのんきなこと言っている場合じゃないですよ。ストップがかかってしまったんですよ?どうします?」
…現実逃避はさせてもらえないらしい。

「…ど、どうしますも何も…。ストップかかっちゃったなら諦めるしかないじゃない。」
それ以外、何ともしようがない。
挑戦する前にストップがかかったというのなら、私には今までの分野でしかある程度の作品は書けない、そういう評価をされているということになる。
簡単に先に進めるとは思っていなかったけど、挑戦すらさせてもらえないなんて思った以上にショックだ。
「諦めるんですか?僕はまだ諦めませんよ。だって完全に却下されたわけじゃないんですから。もう一度編集長と話してきます。上に話を通してもらえるよう、お願いしてみます。」
「でも…」
「担当として最後までやらせて下さい。先生の”恋愛小説”にかける情熱を、編集長に分からせてやります!」
勢いよく立ち上がり、担当はブースのドアを開けた。
「え、あ…」
「それじゃあ、僕は編集長と話してきます!先生は新しい作品の構想を続けていて下さい。絶対に説得しますから!また連絡しますね。失礼しますっ!」
「ちょ…」
私に止める間も与えず、担当は煙のように消えた。
彼はいつの間にあんなにも俊敏な動きをするようになったのだろう。
イスからひっくり返ったあの日が嘘のようだ。

私の新たな挑戦に、彼は異様に協力的だ。
もともと協力的ではあったけど、まさに異様。
あの日以来、今まで以上に熱い男になった。
あまりの熱さに、大好きな彼女に嫌われてしまわないか少々心配になる。

でもどちらかと言えば嬉しいことだ。
私が新しいことを始めようとすることで、彼も今までとは異なることをしなければならなくなる。
負担をかけてしまうことは少々心苦しいけど、彼にはこれからも編集者として頑張ってほしい。
だから何があっても頑張れる、そんな強い心を持ってほしいと思っている。
今回のことで、担当も一回り成長してくれそうな、そんな気がするから。
私がいなくても、他の作家の担当になっても。
彼ならきっと上手くやっていける。

でもそれは、編集長からOKがもらえればの話だ。
そこで躓いている以上、私も彼の成長も危うい。
彼がもう一度話してもOKが出なかったら?
もし編集長がOKしても上がOKしなかったら?
そうなったら私の”恋愛小説”への挑戦は、夢のまた夢だ。
ひとときの、私の中だけの想像で終わってしまう。
挑戦しようという熱い気持ちはどうなるの?
この気持ちも夢のように消えてしまうのだろうか。

でも…
もしかしたら挑戦して失敗するよりマシなのかもしれない。
成功するなんていう自信もないし。
余計な苦労もしなくて済むし。
そんな挑戦をしようとしていたことは、世間にも知られずに終わる。
そうよ。
今まで通り書いていけば、私はこの先も作家として…

…ダメだ。
ダメダメ。
また逃げようとしてる。
今の自分に縋ろうとしてる。
もう、そういうのはやめようって決めたのに。
それじゃ私は自分に負けたことになってしまう。
いつまで経っても弱いままだ。
今と何も変わらない。
じゃあ、どうしたらいい?
書かせてもらえない時は、私はどうしたらいいの?

「…あ〜ダメだわ。いいアイデアが見つからない…!」
ブースで悩んでいても仕方がない。
担当から連絡があるまで、自宅に戻っていよう。
荷物を手に取った時、携帯が振動した。
「ん?」
手にとって画面を見ると、担当からだった。
「…何か嫌な予感がする……」
恐る恐る”通話”ボタンを押す。
「…も、もしもし?」
『あ、先生。僕です。今、編集長ともう一度話したところなのですが−』
いつの間にこんなにも行動が早くなったのか。
「早いわね…」
『何言ってるんですか。こういうことは早いほうがいいじゃないですか!それでですね、編集長なのですが…』
なに?やっぱりダメだって?
”しつこい!”って怒られたとか?
そうだよね、しつこいよね。
一回ストップされたら諦めるべきよね。
「分かってるわよ、諦めるから。ちゃんと次回作は他の−」
『上に話していただけるそうです。』
「……え?」
『ですから、上に話していただけることになりました!先生、ちゃんと聞いてますっ?!』
「え、うそ…だって−」
『僕の話をもう一度聞いて、先生の次回作に懸ける意気込みを感じてくれたみたいです。』
「そ、そう。そうなんだ。じゃあ書いてもいいのね?」
『…あ、いや…問題はそこなんですが……』
と言いにくそうに口ごもる。
やっぱり上…か。
「…上の許可がやっぱり難しそうなのね?」
『ええ…それで編集…あ、編集長。え?あ、そうです、佐藤先生です。え?…あ、は、はい、分かりました。あ、先生?』
「ん?」
『編集長が先生と話したいと。』
「…は?!」
『今、変わりますね。』
「え…っいや!ちょ…」
そんなのやだよっ!
『もしもし。』
やや低い、落ち着いた声…いや、不機嫌そうな編集長の声に、身体が瞬時に硬直する。
「は…はいっ!さ、ささ佐藤ですっ」
目の前にいるわけじゃないのに、無意識に”気をつけ”の姿勢になった。
『君の次回作、話は聞いた。』
「は、はははいっ」
『雑誌として書く分野を変えることは、全く問題ない。こちらとしても全面的に協力するつもりだ。』
抑揚の無い単調な口調だけど、嬉しい言葉だった。
編集長から”協力する”だなんて言葉、聞けるとは思わなかった。
「…あ、ありがとうございますっ!」
私は、電話に向かって最敬礼をした。
営業マンか、私は。
『ただ…それなりの覚悟はしておいてくれ。』
いつも以上に低くなった編集長の声に、ゾクッと悪寒が走る。
「…え?」
『上には私から話す。だが、上からOKが出なければ次回作の話は白紙になる。それは佐藤くんも分かっているんだな?』
「…はい。」
『…上の意向によっては、最悪の結果になるかもしれん。それも…分かっているな?』
…え?
「最悪…というのは…」
『…君の連載枠が他の作家にあてられる可能性がないとは…私には言い切れん。』

―ドクン…ッ―
つまりそれは−

『上は、君の今の分野での活躍を期待している部分がある。新しい分野の作品が、同様に評価されるのであれば問題ないが、現時点ではどうなるか分からん。その部分を考慮した上で、上の連中がどう判断するかだ。さすがに独断で許可できるほど、私には力はない。上が決定した内容も、私には変えることはできん。』
携帯を持つ手が…震える。
『…もちろん、それは最悪の場合だ。連載枠をどうのこうのという話にまで発展するかは、その場にならんと何とも言えん。だが、そういう話になる可能性は捨て切れんのだよ。』
「…あ……私は…」
『そこまで話が発展するとは、私も思いたくはない。だが今の君の状況を考えると、申し訳ないがそうなることも考えられる。』
あ…ああ……そうか。
落選…した…から……。
『…そのことを重々承知の上での話なのだと思ってもいいのか、それを確認したい。』

血の気が引いた。
自分が思っているほど、簡単にできることじゃないんだ。
そうだ。
私は趣味で書いているんじゃない。
これはA出版社との…ビジネスなんだ。
契約内容と違うことをしようとしてる私に、上がOKを出すはずがない。
評価されるかどうかも分からないものを、書かせてもらえるはずがない。
編集長から話が出た時点で、私はクビだ。
挑戦どころか、私の作品すら…書かせてもらえなくなる。

…どうしよう…私、そこまで…
ドクドクと異常なまでに私の心臓が鼓動する。

「……」
言葉が…出てこなかった。
『…佐藤くん?…聞いてるのかね?』
何も考えられなかった。
何も返せなかった。
私には…答えられなかった。

『一日待つ。明日、どうするのか決めてくれ。』
ため息まじりにそう言った編集長の最後の言葉が、頭の中でグルグル回る。
挑戦する気持ちが大切だという新たに生まれた思いも、変わりたいと願う私の小さな望みも叶わない。
そんなことすら叶わないことにひどく悲しくなる。
そして…悔しくて腹立たしくて仕方がなかった。
作家のことを、ビジネスとしてしか考えていない上の人間に。
上の人間はそういう人間だと言う編集長にも。
でも、何より悔しくて腹が立ったのは…
“はい”とも“いいえ”とも言えなかった自分自身。
私の中に、まだまだたくさんの迷いがあること。
挑戦することより、この世界に残りたいという気持ちの方が、まだ大きいということ。
連載枠がなくなれば、私は−
自分を守ろうとする…そんな自分に腹が立った。

作家を辞める覚悟なんて…
ちっともできていないんじゃない。
変わりたいとか、挑戦したいとか…
口ばっかりで。
本当に私は変わりたいの?
本当に新しいことに挑戦したいの?
今を捨ててでも、私は”恋愛小説”を書きたいの?

変わりたいと願う気持ちも、挑戦したいという気持ちも…
坂崎さんに対する気持ちも…
もしかしたら…今だけなんじゃないの?

…分からない。
分からないよ。
自分が分からない。
あんなに書きたいと思っていたのに。
あんなにも変わりたいと思ったのに。

”君の連載枠が他の作家にあてられる可能性がないとは、私には言い切れん”
編集長の言葉が、頭から離れない。
最悪の結果、そうなることを私は恐れている。

”一日待つ。明日、どうするのか決めてくれ”
答えが…
出せないよ…


A出版社を出ると、今にも雨が降り出しそうな曇り空が私を待っていた。
まるで私の心模様そのままだ。

どうすればいい?
どうしたらいいの?

明日には答えを出さなければいけない。
ゆっくり考えている余裕なんてない。

自分の道を決めるのは自分自身。
そんなことは分かっている。
でも、今を失う恐怖に打ち勝てるほどの強さがない私に、そんなことを決められる強さなんて…。
そういう強さを持たなきゃいけない、自分では痛いほど分かっていても、未熟な私の心が現実から逃げようとする。
それじゃダメだって分かっているのに…
新しいことを見出せば、私自身も変われるのに…
それでも私は、今から抜け出せない。
今を失うことが怖い。
こんな…賞もとれない、未だに中途半端な人生だけど、それでも私の努力した結果だから。
それすらも捨てて、本当の意味で一からの出発をする。
…私にできる?
本当に私は、今を捨てられるの?

遠くで雷鳴が轟く。
本当に私の心を模したような天気だ。
どこかに晴れ間を見つけたいのに、それは叶いそうもない。

その時、右手に握り締めた携帯電話が私を呼んだ。
ビクリと身を震わせる。
また、担当からだろうか。
それとも編集長…?

ゆっくりと携帯を開く。
降り出した雨が一粒頬に落ちた。


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