EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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「…誰よあの人。知り合い?…いやいや、違う。いくらなんでも知り合いならもっと何かを覚えてるはずだわ。…何よ、どういうことなのよ。」
あまりの動揺に喉が乾き、ついうっかり喫茶店に入ってしまった。
まっすぐ自宅に帰るつもりだったのに何てことだろう。
さらに飲み物だけならよかったのだが、これまたついうっかり”今日のオススメランチ”まで注文してしまっている。
今日はコンビニ弁当で済ませようと思っていただけに、大きな出費だ。
「まぁ、出費はいいわ。明日から節約すればいいんだし。今はとにかくあの人が誰かってことよ。」
ブツブツと独り言を言うかなり怪しい人になっているが、彼が何者かを何としてでも思い出したい気分なので周りも気にならなかった。

何より驚いた”サトウさん”というあの最後の言葉。
何故私のことを知っているのか。
そりゃ、日本でよくある名字だから、当てずっぽうに言っても当たる確率は高い方だろう。でもだからといって適当な名字で呼ぶだろうか。いや、呼ばない。普通は呼ばない。…普通じゃない人だったとか。まぁそれはあり得る…いやいや、でも変な人だとしても普通は呼ばないでしょ。
あとは…あり得るとしたら私と面識があるか。もちろん一度しか会っていなくて挨拶もしっかりしていないような人の顔はあまり記憶に残らないけれど、出版社や記者なんかの顔は結構覚えている方だと思う。名前と顔が一致しなくても、顔は何とか記憶に残るものだ。
でも私の記憶に彼の顔はない。ないと言っては失礼かもしれないけど、ないものはない。

出版社に出入りしているような人なのだから、同業者なのかもしれない。男の作家っていうのは髪が結構ボサボサだったり、服の趣味が不思議だったするし。まぁ女も似たようなものかもしれないけど。
さっき”あれ?”と思ったのは何故だろう。
どこかで見たことがある顔だったから、だったのか。
そうなれば本のカバーに載っていた作家の写真を覚えていたとか、出席したパーティにいたとか、その程度のものだと思う。
あとはテレビか雑誌に出て……ん?…ちょっと待て?何か思い出したぞ。あの人に似てる人が載ってた記事があったような…。週刊誌?いや、違うなぁ。ファッション誌…いや違うだろう。旅雑誌…でもない。園芸…もっと違うか。料理…スポーツ…俳句……何だか遠ざかってる気がする。
美術…ああ、何かちょっと変わってたからそっち方面な気もするな。絵描き…彫刻家…陶芸家、うん、陶芸家は似合いそうだ。いやいや、似合う似合わないじゃないって。
あとは…写真家とか…ん?写真?…カメラ……あっ!あーっ!

私はようやく彼を思い出した。
「うわーっ!あの人アルフィーの坂崎さんだっ!カメラ雑誌で連載も持ってる!やだ〜すっごい有名人なのに握手もしなかったなんて…ああっなんてもったいないっ!」
どうしてその場で彼の名前を思い出さなかったのだろう。
作家をやっていても早々有名人に出くわすことなんてない。
私なんて一度だけ元プロ野球選手とすれ違ったくらいだ。
「あ〜あ、こんな偶然二度とないだろうなぁ…。結構歌も好きなんだよね。一度コンサートにも行ってみたいなぁと思ってたし。でもそんなに背の大きな人じゃないのね。私と10cmくらいしか違わなかったから、男性にしてみたら小柄よね。テレビで見るともっと大きく見えたけど。…でも変なの。歌手なのに私ってばカメラで思い出しちゃった。」
彼は歌手でありながら、カメラに関しては趣味を超えてすでにその道のプロと言えてしまうほど極めてる人なんだそうだ。それ以外のことはほとんど知らないけれど、他にも何か極めてることがありそうな気がする。
そういえば昔何か聞いたことがある。…熱帯魚…だったかな?

しかし…もったいないことしたなぁ。
せめて握手くらいしてもらえばよかった。
ちょっとした、いやすごい自慢になったのに。
……
…いや?
ちょっと待ってよ?
私、そんな有名人の私物に対して「変な柄のマフラー」だとか言いませんでした…?
「結構おっさんが…」なんてことも言った気が…
……
「ど、どうしよう…まずいんじゃない、私…!」じわじわと変な汗が出てきた。
私の名前を知っているということは、つまりは私が誰か知っているわけで…。
まずすぎる。
かなりまずいんじゃないの?
坂崎さんは笑ってたけど、きっとムッとしてたんだわ。
だからチクチクとさりげに刺すようなことを繰り返して…。
「も〜何でその場で気づかないのよぉ〜!…バカだなぁ、私。これだからいつまでも三流なのかも……。」
バタッとテーブルに突っ伏した。
今度A出版社に行ったら首切られてたりして。
いやーあり得る。大いにあり得る。
こんなとこでランチ食べてる場合じゃないわね…はは〜…。
…はぁ。
私の作家人生もここで終わりかしら。
結構色んなことに耐えて頑張ってきたと思うのよね。
ポッと出の若い作家とは比べ物にならないくらいの道のりを来たんだもの。
私の人生で三つや四つ物語が書けるわ。
…そんな私の作家人生がこんな風に消えていくなんて、寂しいなぁ…。
私が悪いんじゃないわよね?だって誰のマフラーかなんて知らなかったんだもの。
あれ見て”あ、これ坂崎さんのマフラーだ”って分かるのは大ファンの人ぐらいよ。
大ファンの人だって分からないかもしれないし。

……でもさ?
よく考えたら別にこれから大人気作家になるほどの野望があるわけでもないじゃない?
何か賞でもとってある程度売れればそれでいいわけだし。
今更苛められたとしても失うものなんてこれ以上ないって。
「…そうよ、別に坂崎さんに嫌われてたとしても状況がこれ以上悪くなることはないわよね。はっきり言ってすでにどん底だし。」
それにもう会うことはないだろうし。
「そうよ、もういいじゃない。もう会うことはないって。」
自分に言い聞かせるように呟き何度も頷いた。
残るサラダを口に運び、バッグから書き途中の原稿を取り出す。
まだ来週締め切り分のB出版社への原稿は書き出したところで止まっているのだ。
目標を見失っている時に書けるわけがないのだが、書かないわけにはいかない。
自分の生活がかかっている。
「私には今、やらなきゃいけないことがあるでしょ?成功した人のご機嫌を気にしている余裕はないのよ。」
原稿を見つめて一人呟いた。


―三日後―

私はとにかくついてないらしい。
四日後に出すB出版社の原稿は何とか書き上げられそうで、ちょっとは上向き傾向にある。
でも、やっぱり運はないようだ。
三日前に出会った同じ場所で、私は運のなさを実感した。
「あ、佐藤さん!」
「……あ゛」
途端に血の気が引いた。
「また会ったね、佐藤さん。」
「あ…ええ、あははは…こんにちは……」
二度と会うことはないだろうと思っていた坂崎さんにまた会ってしまった。
今度は私がブースへ向かう階段を上っていたら、だ。
彼は相変わらずニコニコと私に微笑みかける。
反対に私は引きつり笑い。
何でこの時間にここへ来たのか、ひたすら後悔した。
後悔しても遅いけれど。
今日は例のマフラーはしていなかった。
もしかして私が”変な柄”って言ったから?
…いやいや、今日は暖かいからしてないだけよ、そう、そうよ。
「だいたいこの時間に打ち合わせ?」と彼が尋ねてきた。
返事をしないわけにもいかない。
「ええ、まぁ。」
「そうなんだ。大変だねぇ。」
「…え、ええ。……さ、ささ坂崎さんもいつもこの時間なんですか?」
「……」
突然彼はきょとんとした。
私、変なことを聞いただろうか。
「え?あの…私何か変なこと……」
「あ、ううん、そうじゃなくて。僕のこと知ってたんだなぁと思って。ちょっと意外。」
「え、意外ですか?」
「うん。佐藤さんは僕のこと知らないだろうなぁって勝手に思ってたところがあって。そっかぁ知ってたのかぁ…。嬉しいなぁ、ねぇ棚瀬?」
「そうですね。」
気が付けば坂崎さんの隣にスーツを着た男性が立っていた。
…最初から居たっけ?
突然現われたってことはないよね。
きっと最初から居たんだ。
「こいつはマネージャーの棚瀬です。」
「あ、はぁ。どうも。佐藤です。」
「初めまして。チーフマネージャーをしております棚瀬です。お会いできて光栄です。」
「へ?そんな光栄に思われるような人間では…」
「いえ、有名な作家さんにお会いできるなんて、滅多にありませんから。」
坂崎さん同様彼もニコニコと愛想よく微笑んだ。
「…え、そんな…。有名だなんて…」
確かに賞が取れなくて有名かもしれないけど…。
「有名ですよ。いやぁ、本当にお会いできて光栄です。私、佐藤先生の本はよく−」
「棚瀬、さっき電話しなきゃ、って言ってなかった?」
マネージャーの言葉を遮り坂崎さんはマネージャーが手にしている携帯電話を指差した。
「…あ、そうでした。すみません、ちょっと失礼します。坂さん、ここにいらっしゃいます?」
「うん、ここにいるよ。外は花粉が飛んでるしね。」
と坂崎さんが返すとマネージャーは苦笑いをして階段を駆け下りていった。
どうやら坂崎さんは花粉症らしい。

「…あの」
少々びくびくしながら坂崎さんに話しかけた。
三日前のことがあるからどうしてもびくびくしてしまう。
「ん?」
「今…マネージャーさん私の本がどうとか…」
「ああ、そうそう。あいつね、佐藤さんの本全部読んでるの。」
「ええっそうなんですかっ!?うわっ恥ずかしいっ!」
「だから喜んでたの。本当はサイン欲しかったんじゃないかな。」
「ええっサ…サインだなんて、そんな大それたものはないですよっ」
「本人が書いたものであれば、ファンは何でも嬉しいもんなんだって。あ、そうだ。」
そう言うと坂崎さんはバッグを開けて本を取り出した。何か見覚えのあるカバーだ。
「実は僕も今佐藤さんの本借りて読んでるんだ。ほら。」
私の最新刊…。
ショックと恥ずかしさで倒れそうだ。
何だか頭がクラクラする。
「みみみ見せなくていいですっしまって下さいっ」
「ええ、何で?すごくいい話なのに。」
「そ、そんなことはありませんよ…」
だって落選なんだから。
……
何だろう、この気持ち。
ものすごく不愉快な…いやな気分…。
「そうかなぁ…。すごくよかったけど。棚瀬もすごくいいって。ラストで泣きましたよ〜って言ってたよ。」
「…そ、そうですか。」
「うん。」
頷きながら、坂崎さんはにっこり笑った。
……
褒めてくれたのに“ありがとう”という言葉が出てこない。
どうしてだろう…。
どうしてこんな気持ちになるの?
どうして言えないの…?
「賞を受賞した本も読んだけど、僕は佐藤さんの本の方が好きだな。」

“僕は佐藤さんの本の方が好きだな”

…いや。
もう、やめて−

「ストーリーもだけど、文章も−」
「でも」
「え?」
「どんなに褒めていただいても、落選は落選ですから。受賞した本より劣っているのは確かです。…これから打ち合わせがありますので失礼します。」
坂崎さんの顔も見ずに一礼して、私は駆け出した。
もう1秒もその場にいたくなかったから。
落選のあとに何を言われても、選ばれなかったことに変わりはないんだから。
“僕は佐藤さんの本の方が好きだな”
だからなに?
今はそんな言葉ほしくない。
聞きたくもない。
何故だか無性に泣きたくなった。


「先生、気分悪いんですか?顔色悪いですよ?」
「…あまりいいとは言えないわね。ごめんね、打ち合わせ中なのに…」
「いえ、あまり無理はされない方がいいですよ。この前も最近あまり眠れていないって…」
「大丈夫、大丈夫よ。そんなに心配しないで。ちょっと疲れがたまってるだけだから。」
「でも…」
「本当に大丈夫だから…」
「……」
心配そうな担当者の目は、どう見ても私を憐れんでいる。
それと同時にきっと私にいい加減嫌気がさしてきた頃だろう。
賞が取れないのは彼のせいじゃないもの。
「…先生。やっぱり今日はもう終わりましょう。ゆっくり休んで下さい。きっと今は休養が必要なんですよ。」
そうね。
確かに今の私には休養が必要なのかもしれないわ。
…休養したところで以前のように書けるようになるとは今は思えないけど。
「…ありがと。ごめんね、気を遣わせてしまって。」
「いえ、そんな。前の連載、相当ハードでしたからこちらこそ申し訳ないですよ。僕が不甲斐ないばかりに先生に負担をかけさせてしまって…。」
「何言ってるの。あなたのせいじゃないわよ。私のためにすごく頑張ってくれてるし感謝してるのよ。」
そうよ、あなたのせいじゃないわ。
私がこんななのは誰のせいでもなくて。
私のせい。
全部私のせい…。


ブースを出て担当者の背中を見送ってから、ようやく歩き出した。
が、少し視界が揺れたような気がして一旦立ち止まった。
「やだ、めまい…?」軽く頭を振ってみる。
少し頭痛もするような気がした。
「…寝不足のせいかしら。帰ったら今日は早めに寝なきゃね。」
一息ついて再び歩き出したが、足元がふわふわしておぼつかなくなってきた。
何か…おかしい。
立ち止まってみたが、視界はさらに揺れる。
立っている感覚もなくなってきた。
まるで目が回っているかのようだ。
しだいに視界がぼやけ始め、明るさが失われていく。
建物内に響く人の声、足音、徐々にその音も遠くなる。
見回しても、どこがブースでどこが階段かも分からなくなってきた。
「ど、どうしよう…っ」
不安な気持ちがまるで津波のように押し寄せてくる。
けれど頼れる人はいない。
担当者はもう職場へ戻ってしまっている。
自分で何とかするしかない。
とにかくブースに戻れば座れる。
座ればどうにか落ち着くはずだ。
「ブース…戻って……」
どこにあるのかも分からないブースを求めて前方へと手を延ばした。
手すりでもあれば…
手を差し出しながら一歩踏み出そうとした時、揺れ続ける薄暗く不確かな視界が大きく傾いた。
倒れる−それだけは分かった。
もうどうすることもできない。
…私…どうなるの……
「……っ!」
暗闇に消えていく歪んだ視界の中に、誰かいたような気がした。


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