EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−19−

「先生、入ってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ。」
担当が笑顔で控え室に入ってきた。
彼は今日、とにかく一日中笑顔でいる。
もともといつも笑顔なのだが、それに輪をかけてずっと笑っていると思う。
逆に疲れそうだ。
「準備大変?」
「いえ、もうだいたい終わりましたよ。あとはみなさんが来るのを待つだけです。…先生暇ですよね。ちょっと早く来すぎました…張り切りすぎちゃってすみません。」
「いいのよ、私もこんなこと初めてだから、早めに来て心の準備しておいた方がいいし。」
「そうおっしゃっていただけると助かります。挨拶、もうまとまってます?」
「うん…もう、思ったことをそのまま言おうと思って。変に難しいこととか格好つけたことを言っても、気持ちが伝わらないかなって。」
「そうですね、小難しい挨拶したってみなさんに伝わりにくいですよね。」
「うん。」
2杯目のお茶を飲み干す。
パーティの前にお茶でお腹いっぱいになりそうだ。
「あ、そうそう。“質問タイム”っていうのがあるので、みなさんから質問が来たら先生は答えて下さいね。」
「質問タイム?私に対してみんなが質問してくるの?」
「ええ。みなさん日ごろ聞きたくてもなかなか聞けないこととか、きっと色々あると思うのでこの機会に。」
「そんな聞きたいことなんて、ないと思うけどなぁ…」
「あるんですって。だって僕もありますし。」
「え、あるの?何?」
「聞いたら答えてくれます?」
「…質問の内容によって。」
「そう返されると思いました。」
「聞くだけ聞いてみたら?もしかしたら答えてあげられるかも。」
「…答えてくれない気がしますけど……」
「それならやめておけば?」
「ああ…っ 聞くだけ聞きます…っ」
「あ、そう。どうぞ〜」
「…相変わらず意地悪ですよねっ」
「あはは、仕方ないでしょ、こういう性格なんだから。それで?何が聞きたいの?」
「…これは僕だけじゃなくて、誰もが聞きたいことだと思うんですけどね。」
「うん?」
「今回受賞した作品のことなんですけど…」
「うん。」
「…単刀直入にお聞きします。」
「…なに。」
「あの作品はフィクションっておっしゃってますけど、本当にフィクションですか?」
「…どっちだと思う?」
「答えになってないじゃないですかっ!」
「どうせみんなはノンフィクションで、相手は誰だーって聞きたいんでしょ?分かってて“はい、ノンフィクションです”って言うわけないじゃない。」
「…と、ということはやっぱり−」
「残念だけどフィクションよ。」
「…本当ですかぁ?」
「悪いけど、あんな話が本当なわけないじゃない。フィクションだからこそ書けたのよ。何で世間はそんなにノンフィクションにしたいかなぁ…」

今回めでたく受賞した作品に対して、ノンフィクションではないか、という噂が持ち上がっている。
それは受賞する前、つまり雑誌で連載中からあった噂なのだが、受賞したことでさらに噂が大きくなっていっているらしい。
直接私に“ノンフィクションでしょ?”と聞きに来た作家仲間もいる。
よほどノンフィクションにしたいらしい。
…彼らの気持ちは、分からないでもないけど。
私も彼らの立場になったら、たぶん…真相が知りたいと思う。
といっても、この狭い世界の中での話であって、広い世間ではさほど大きな噂になっているわけではない。

「そりゃみんな気になりますよ。先生のこれまでの作品を知っている人たちにとっては、なおさらですよ。」
「そんなに衝撃的だった?」
「衝撃的でしたよ!僕は最初、この作品の構想を聞いた時にイスから転げ落ちたじゃないですか!」
「…ああ、そんなこともあったわね。あんなに驚かなくてもいいのに。」
あの日の彼の驚きようといったら、尋常じゃなかった。
今思い出しても面白い。
「だって仕方ないじゃないですか!僕は先生の初期作品から全部読んでる人間ですよ?担当になってずいぶん経ちますし、先生の作品傾向は誰よりも分かってたつもりだったんですから!それが!」
「……」
「と、突然“恋愛小説を書こうと思う”だなんて…!まったく違うジャンルなんですからイスからだって転げ落ちますよ!」

…確かにね。
今までひとつのジャンルの物語しか書いていなかった私が、突然書いたこともない”恋愛小説”を書くと言ったら驚くだろう。
まだ”エッセイ”とか“探偵小説”なんて作品を書いた方が、世間も頷いただろうな。
「だから余計にノンフィクションだと思うわけね。」
「当然でしょう、それは。きっと佐藤先生ご自身の恋愛話を綴った作品なんだろうって誰だって思いますよ。」
「まぁね、それも分かるんだけどさ…」
「本当に違うんですか?僕には本当のことを言って下さいよ。」
「ええ?だから−」
「担当が本当のことを知らないっていうのは嫌ですよ!本当にフィクションなんですねっ!?」
目をウルウルさせて担当が私をじっと見つめる。
「……」
そういう目で見られると弱いのよね…。
どうしたものか…。

本当にあの作品はノンフィクションではない。
自分が体験したわけではなく、架空の物語だ。
でも…
すべてがフィクションというわけでも…ない。
私が感じた気持ち…想いも入っている。
あの人への想いを、作品の中にこれでもかというほど入れてしまっている。
主人公の心の動きは、私自身。
主人公の台詞は、私の本当の気持ち。
でも物語は夢物語。
夢物語の中に、伝えられなかった自分の気持ちを込めた。
フィクションだけど、フィクションとは言い切れない。

…話したっていいよね、別に。
担当に話したところで、彼にそのことが伝わるわけでもないし、ましてや私がどうこう言ったところで、何かが変わるわけでもないし。
それに、今となってはもう思い出だもの。
彼と最後に会ってから、どのくらいの月日が流れた?
もうずいぶん経つじゃない。
思い出…。
そうよ、思い出にするしかないのよ。

「…答えになっていないかもしれないけど…」
「え?」
「物語は完全なフィクションよ。あんな夢物語、現実にあるわけないでしょ?でも…」
「で、でも…?」
「…主人公の気持ちや想いは…私の心そのものよ。この作品を書き始めた頃の、私の気持ち。」
「……」
「だから厳密に言ったら…フィクションじゃないのかもしれないわね。」
「…やっぱりいらっしゃったんですね!」
「え?何が?」
「恋人ですよ!いないいないって嘘ばっかり!」
「いないわよ。」
「…へ?だって物語のラストは…」
「小説ぐらいはハッピーエンドにしてあげなくちゃ。悲恋で終わるなんて可哀想でしょ?」
「先生…」
「私は物語の主人公みたいに相手に気持ちを言うだなんて、そんな勇気はなかったし、元々叶わない想いだったしね。現実は小説みたいに甘くはないのよ。」
「……」
押し黙った担当の顔を見てギョッとした。
「や、やだ、何泣きそうな顔してるのよ。」
「だって…作品に登場する主人公の気持ち、すごく読者に伝わってくるんですよ。相手のこと、本当に好きなんだなぁって感じるんです。先生、本当にその人のことが好きだったんですね…」
「…う、うん…まぁ…」
“好きだった”じゃないよ。
私は今でも…
「主人公と同じように先生もその人とハッピーエンドになってほしかったです…」
そう言うと、担当はボロボロと大粒の涙を零した。
「…もう…恥ずかしいなぁ…」
相変わらず涙もろい。
泣きたいのは私の方なんだけど。
バッグからハンカチを取り出すと、彼に差し出した。
「これで拭きなさい。あなた、そんなんで今日のパーティの司会できるの?途中で泣かないでよ?」
「な、泣きませんよ…。せ、先生の晴れ舞台なのに、それを台無しになんてしません…」
…いや、確実に泣く気がする……。
彼が泣いた時のために、一人代役を頼んでおこう…。
「…ほら、コーヒーでも飲んだら?落ち着くわよ。」
って何で私がコーヒー入れてるんだろう。
今日の主役は私よ?
「は、はい。ありがとうございます…」
グスッと鼻をすすり、担当は温かいコーヒーを口に含み、ホッとため息をついた。

彼の手に握られた私のハンカチは、きっとあの時の彼のハンカチと同じ状態なんだろうな。
…今思えば。
あのハンカチ、洗って返さなかった方がよかったのかもしれない。
だって私だったら、人の鼻水がついたハンカチなんて返してほしくない。
たとえきれいに洗っても、何だかきれいに思えないし。
きっと彼に返したハンカチは処分されてる。
…せっかくだから記念にもらっておけばよかった。
「落ち着いた?」
「はい…」
「そのハンカチ、返さなくていいからね。」
「え、でも…」
「そっちで処分しといて。そんな高いものじゃないし、気にしなくていいから。使ってくれてもいいし。」
とにかく返さないで。
「え、あ、はい…。」
私の勢いに押されたのか、素直に頷きグスッともう一度鼻をすすってハンカチをポケットにしまった。
よしよし。
そのまま持ってなさいよ。
「それで…」
「ん?なに?」
「その…その方は今…どうされてるんですか?」
「…元気みたいよ。」
テレビで見るかぎりでは、ね。
ついこの間も相変わらず格好良く歌ってたもの。
見なきゃいいのに見ちゃったわよ。
「会ってはいないんですか?」
「…ねぇ、そんなにハッピーエンドになってほしいの?」
切なそうな顔で私を見る彼に、思わず苦笑する。
「だって…先生には幸せになってほしいです。」
「あら、今で十分幸せよ。こんな素晴らしい賞をもらえたんだもの。それに私がやるべきことは自分の言葉を物語にしていくこと。今はそれ以外は考えられないわ。」
「先生…」
「ほら、いいの?下、見に行かなくて。編集長も戻ってこないけど、大丈夫かしらね。」
「…あ、は、はい。そうですね、ちょっと見て来ます…」
担当はまだ何か言いたそうな顔をしつつ、部屋を出て行った。

有難いことではある。
あんな風に私のプライベートも心配してくれて。
彼は今年、結婚が決まった。
だからたぶん、余計に私にも幸せになってほしいのだと思う。
でも、今の私には恋人とか結婚とか…そんなこと、とても考えられない。
この先、どんな作品を書いていこうか、何を読者に伝えていこうか…それしか頭にない。
もちろん、傍に好きな人がいてくれたら…
私を優しく見守り、支えてくれる人がいたら…
そう願う気持ちもないわけじゃない。
できることなら、いつも愛する人が傍にいてほしいと思っている。
作家としてではなく、一人の女として愛されたいと…
そういう気持ちはいつだって心の隅にある。

でも、私は作家として、長い階段を上っている途中の人間。
まだ半分も上っていない未熟者だ。
作家として成功することが、私の長年の夢でもある。
その夢のために、私は作家として頑張ると決めたのだ。
自分の気持ちに嘘をついて。
無理やり…気持ちを押し込めて。
正直辛いことの方が多かった。
頑張らなきゃ…そのたびに彼の顔が浮かんで。
忘れなきゃ…そう思うほど余計に忘れられなくて。
途中で投げ出したくなった時期もあったけど、それでも私は何とか連載を続けた。
大変だったけど、原稿が締め切りに間に合わなかった、なんてことは連載中一度もない。
実はこれが一番の自慢だったりする。
自慢できるような自慢でもないけど。
作品の連載が始まってしばらくすると、女性からのファンレターの数が格段に増えた。
予想外だったけど、何より同性に共感してもらえたことは嬉しいことだった。

今までいくつもの作品を書いてきたけど、この作品を書き上げた時の達成感は未だに忘れられない。
この私が恋愛小説を書き上げたのだ。
何より自分が一番驚いた。
私にもできるんだって。
頑張ればできるんだって、心からそう思った。
そして完成して気づいたことは、彼に伝えたかった想いを主人公に託していたこと。
書いている間は必死で、そんなことに気づきもしなかった。

そんな作品が文学賞に選ばれた。
賞のことなんて考えていなかっただけに、本当に驚いている。
何年も賞のことを考えて作品を書いてきたから。
今でも信じられないくらいだ。
でも、この作品が選ばれたのはきっと偶然ではないと思う。
賞は狙うものじゃない。
それを気づかせてくれるための、神様からの贈り物。
きっと…きっとそう。

私は作家の道を選んだ。
あの人と同じように、私は夢を追い続けるんだって…そう決めたの。
私には、物語を書くことしかできないから。
それだけが取り柄だから。
彼からもらった言葉や笑顔は、今も私の心の中に鮮明に残っている。
だから…これからも頑張れる。
それだけで私は頑張れる。

私の本を読んでくれる人がいる限り、私は作家として生きる。
彼にそう告げたあの日から。
私は…
この道を選んだの。

    ・
    ・
    ・
    ・
    ・

「次回作の構想は進んでますか?」
A出版社に出向くと、相変わらずの笑顔で担当に尋ねられた。
「うん…まぁ、ぼちぼちね。」
「そうですか!次はどんな話なんですかっ?」
「あ、いや…まだしっかりとまとまってないのよ。だからもうちょっと待ってくれる?来週には何とかまとめるから。」
「そうなんですか。分かりました、来週楽しみにしてますね。」
妙にウキウキしながら担当はお茶を入れてくれた。
「なぁに?何かウキウキしてない?良いことでもあったの?」
「え?だって先生の新作がまた読めるなぁって思ったら嬉しいじゃないですか。」
「ええ?そんなことで?」
「そんなことって、何言ってるんですか、当たり前じゃないですか。いつも構想の段階でワクワクさせられるから楽しみにしてるんですよ。」
本当に何て良い子なんだろう。
頭をくしゃくしゃしてやりたいわ。
「…今度、どこか食べに行こうか。」
「えっ?僕とですか?」
「そう。もちろん私のおごりで。」
「い、いいんですかっ?」
「いつもお世話になってるからね。日ごろのお礼ってことで。」
「いや〜そんなぁ…。」
「何が食べたい?」
「えっと…そうですね〜僕中華が好きなんですよ。」
「へぇ、中華かぁ。…ねぇ、和食は?」
「ああ、好きですよ。結構なんでも食べます。」
「そう。じゃあ和食にしましょ。美味しいところ知ってるのよ。」
「……先生?」
「ん?」
「…単に和食が食べたいだけなんじゃないですか?」
「ばれた?」
「バレバレです。」

コンサートに行ってから今日で一週間。
私は以前と同じようにA出版社とB出版社へ通っている。
何も変わらない日常を過ごしていると、あの日がまるで夢だったように…そしてつい一週間前のことなのに、ずいぶん昔のことにようにも感じてしまう。
本当は何も変わっていないわけではないけど。
「それじゃ、また来るわ。」
「はい、お待ちしています。」
笑顔の担当に見送られ、私は少し早いランチタイムを過ごすべく、いつものようにビル内の喫茶店へと向かった。

あの日、私はみっともないぐらい気が動転していた。
これまでにない混乱ぶりだったと思う。
きっとあの時の私は、あの日で永遠に会えなくなるような、そんな気持ちになっていたんだろう。
別れ際に自分の気持ちに気づいたことも、動転した原因の一つでもあるけど、何も永遠の別れだと思わなくてもいいのに、と今は呆れる気持ちさえある。
そう思えるようになったのは少し時間が経って落ち着いたから。
あの時は心に余裕なんて、これっぽっちもなかった。
コンサートから帰った後も、何も食べる気になれなかったし、翌日は何もする気になれず、一日中これでもか!というぐらいぼーっとしていたし。
仕方ないといえば仕方ないのだ。
恋煩い、なのだから。
さすがの私も食だって細くなる。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
「えっと…カツサンドのセットで。」
一週間も経てば、そんなものは戻るけど。

この一週間、何度かA出版社に来ているが、彼に会ってはいない。
彼の言うとおり、コンサートツアーが始まったことで、出版社との打ち合わせ時間は本当にバラバラなんだろう。
あの時はそのことが動揺するきっかけになったけど、落ち着いてみると会えない方が好都合ではないかと思うようになってきた。
だって所詮は片思い。
叶うはずのない恋なのだ。
会わない方がいい。
会ったり話す機会が当たり前のようにあったら、私は叶わない恋に淡い期待を抱いてしまう。
もっともっと会いたくなる。
そうならないように…叶わないのだと自分自身に言い聞かせるためにも、会わない方がいい。

…なんて。
そんな風に自分に言い聞かせて簡単に諦められたら、どんなに楽だろう。
頭では分かっていても、たとえ叶わない想いだと分かっていても、私は無意識のうちに彼を探してしまう。
ここへ来ると、また偶然会えるのではないか…そう考えてしまう。
おかげでここへ来るとつい長居をするようになった。
何もここでランチを食べなくてもいいのに、毎回のように寄っては偶然を期待している。
”美弥ちゃん”
そう私を呼ぶ彼の声が聞きたくて。

「お待たせしました。カツサンドです。」
テーブルに並べられた品を食べつつも、喫茶店から見えるビル内の様子を伺うことは忘れない。
もしかしたら通りかかるかもしれないし。
…ほら、やっぱり期待してる。

”次回作の構想は進んでいますか?”
本当はほぼまとまっている。
でも担当の問いかけには自信を持って答えられなかった。
構想通りの作品が自分に書けるのか…そんな不安があるから。
今まで通りの作品を書いた方がいいのではないか、そんな迷いがあるから。
口にしたら後戻りはできない。
そう思ったらまだ言えなかった。

私は、ずっと一つの分野に拘りを持ち、その分野が私の作品には向いていると長年信じ込んでいた。
もちろん、自分の作品に一番向いている分野ではある、それは確かだ。
だから長い作家人生の中でも、私は他分野の物語を書いたことがない…いや、書こうと思ったことがない。
だって私には今の分野が一番向いていると思っていたから。

でも、それでいいのだろうか…そんな不安な気持ちが生まれた。
拘りを持つことはいいことでもあるけど、視野が狭いという意味では短所でもある。
その拘りが本人を開花させるものならば、それは長所と言える。
私は…どちらなのか。
坂崎さんは私の作品を褒めてくれた。
そのままでいい、と言ってくれた。
でも、本当にそれでいいのだろうか。
彼の言葉を胸に、今まで通り作家続けていけばいいのだろうか。

何かが違う。
そういうことじゃない…そう思えてならない。
今のままでいいわけがない。
変わらなければ、何かが変わらなければ私はいつまでも三流作家だ。
決して一流を目指しているわけじゃない。
メディアに出たいわけでも、有名になりたいわけじゃない。
認めてほしい。
私自身を、そして私の作品を。
ただそれだけ。

きっと今まで通りの作品を書いた方が、気持ち的にも楽だ。
自分のスタイルを守っていけば、それなりのものは出来上がるのだから。
でも今のままでは、今まで通りの作品しか作ることができない。
それでは自分を変えることも、作品を変えることもできない。
彼はそのままでいいと言ってくれたけど、きっとそれは私に自信を持たせようとして出た言葉であって、本心ではない。
そのくらい、私にも分かる。
あの時、私は変わりたいと心から思った。
内面でもいい、まずは何でもいいから自分を変えていくきっかけになるような、そんな変化が必要だと感じたのだ。
どうすれば変われるのか、それははっきりとは分からないけど、何かを変えることで私は何かを見つけられるような気がする。

そこで私は賭けに出ることにした。
違う分野に挑戦しようと考えたのだ。
新たな…それが自分にとってどんな力になるかは分からないけど、違う何かを作り出したい。
今までの作品で得たものも失ったものもすべて使って、新たなものを作ってみたい。
もちろんこれはかなり無謀な賭けだ。
成功するか、失敗するかなんて分からない。
新しい分野を始めるには、それなりの勇気がいる。
でも、挑戦したい気持ちが私の中にある。
これは作家になって初めてのことだ。
そんな前向きな気持ちを持てたことは、私にとっては目覚しい進歩でもある。
閉じこもっていた殻から出た…それを証明する変化なのかもしれない。

長年の作家生活で培ってきたものだけでは、とても補えない挑戦。
成功する自信は、はっきり言って無いに等しい。
たぶんマイナスからの出発になる。
だから担当に言うのをためらったわけで。

それでも挑戦しようと心に決めたのは、今の私を認めてくれた人がいたから。
彼の言葉が私に勇気をくれた。
失敗したっていい。
私は自分が書きたいものを書く。
挑戦して納得できる作品ができなければ、私の実力はそんなものだということだ。
世間からもそういう評価をされれば、それはそれで納得できる。
今後の自分の可能性を諦めることも、作家を…辞める決心もつく。

もう私は、誰かに勝ちたいなんて思わない。
”誰々みたいになりたい”なんて思ったりしない。
私は私だから。
私は…
自分の弱い心に負けたくない。

自分にだけは負けたくないから。


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