EVERYBODY NEEDS LOVE GENERATION

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−18−

「……?…先生?……佐藤先生!」
「………へっ!?」
慌てて顔を上げると、見知らぬ男性が不機嫌そうな顔で私を眺めていた。
「先生、着きましたよ?大丈夫ですか?」
担当が私の顔を覗き込んできた。
「…あれ?」
「あれ、じゃないですよ。パーティ会場に着きましたよ。やだな、寝てたんですか?」
「…え?あ、ああっ!そ、そう。着いたのね。」
そうだ、思い出した。
私は自分の受賞パーティに出席するためにタクシーに乗ったんだ。
不機嫌そうな顔で私を見ていたのは、タクシーの運転手。
代金の支払いも終わっているのに、客が降りないんじゃそりゃ不機嫌にもなる。
「ご、ごめんなさいっ ありがとうございましたっ」
慌ててタクシーを降りる。
「わっ」
ドレスの裾を踏んで転びそうになった。
「わぁっ先生危ないっ!」
担当の彼に支えられ、何とか転倒は免れた。
「あ、ありがと。」
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん。」
「ドレス着慣れてないの、バレバレですね。」
「……」
どうせ着慣れてませんよ。
嫌だわ…思い出に浸っている場合じゃなかった。

「わっ素敵なお店!」
「でしょう?先生、イタリア料理が好きって言ってたんで、先生の好きそうなお店を選んだんですよ。」
「えっ!この前、今日のために何料理が好きか聞いたの?」
「そうですよ。」
「なんだーそうだったんだ。ありがと。」
「へへ、だって今日は先生のためのパーティなんですから!僕だって気合入りますよ。」
ムンッと胸を張って彼は嬉しそうに言った。
有難いことだ。
「嬉しいわ。でも、こんな素敵なお店を貸切にしたら高いんじゃない?大丈夫なの?」
「もちろんですよ。ちゃんと編集長の許可ももらってますから。」
「え…編集長の?」
「そうですよ。もう着いてるんじゃないですかね。」
「えっ!編集長…来てるの?」
「当たり前じゃないですか。先生の受賞パーティですよ?編集長が来なくてどうするんですか。」
い、いや、そうなんだけど…
「あの編集長が…私のパーティなんかに来るのかな…って…」
だって散々迷惑かけ続けた作家のパーティに来る?
いくら受賞のパーティでも、今までのことを忘れるはずがないもの。
「だから来ますって。今朝からウキウキしてましたよ、編集長。」
「は?何言ってるの。きっと違うことよ。何か他に良いことがあって−」
「違いますって。…あ、ほら!もう来てますよ。」
「うそっ!」
嘘ではなかった。
店に入ると、準備で慌しい店員たちの中に紛れて編集長の姿があった。
本当に来てる。
…いや、もしかして似てる人?
そうだ、編集長似の店長さんとか…

「編集長!早いですね!」
彼が声を掛けると、編集長似の男性が振り返った。
…本物だった。
「おお、来たか。授賞式は無事に終わったようだな。」
「はい、無事に。ね、先生?」
「え、ええ…。」
コクコクと頷きながら恐る恐る編集長を見上げる。
「そうか。よかったよかった。」
いつもの厳しい顔はそこにはなかった。
満足そうに笑う、穏やかな顔をした編集長を初めて見た。
「編集長も出席できればよかったんですけどね。」
「大事な打ち合わせが入ってしまってな。行くつもりだったんだが…行けなくてすまなかったな、佐藤くん。」
「…えっいえっ!」
へ、編集長が謝った!
そんなこともあるんだ。
は、初めて見た…。
「じゃあ、先生。まだ早いので、2階で待っていて下さい。控え室作ってありますんで。」
「ひ、控え室?そんなのいいのに。その辺の隅で待ってるわよ。」
「何言ってるんですか!ゲストが集まったら、僕の合図で先生がにこやかに登場するんですから!格好良く登場していただかないと困りますよ!」
「ええっ!そんなことするの!?」
「当然です。だって今日はめでたい日なんですから!」
…が、頑張りすぎじゃない?
そこまでしなくても…。
「ほら、上に行ってて下さい。僕は下で準備がありますから。あ、編集長もよろしければ上で…」
「そうだな。ちょっと早く来すぎたようだから、私も上で待たせてもらおう。」
「そうして下さい。じゃあ先生、準備ができたら呼びますから。」
「えっ…ちょっ…」
止める暇もなく、彼は通りがかった店員に声を掛け、店の奥へと消えていった。
編集長と上で待てと?
こんな嬉しい日に、そんな地獄みたいな状態にさせるの?
私が編集長を恐れていることは分かっているはずなのに、どういうつもりなんだろう。
「佐藤くん。」
「はっはいっ」
「階段こっち。」
編集長が2階への階段を指差す。
「あ、は、はい…」
行くしかないらしい…。

2階へ行くと、「控え室」と書いた紙が貼られた部屋があった。
編集長が扉を開ける。
“控え室”になっているこの部屋でも、十分素敵なパーティができそうだ。
「控え室と呼ぶのは申し訳ないような部屋だな。」
「そ、そうですね。」
「とりあえず座りなさい。…お、お茶とコーヒーがあるようだ。佐藤くんは何を飲む?」
「えっあっ…そんな!私が入れますっ」
「いいからいいから。君は座っていなさい。今日の主役なんだから。お茶かね?」
「は、はい。お茶で…。すみません…」
いいと言われても何だか謝ってしまう。
人のためにお茶を入れる編集長…初めて見る姿ばかりだ。
今日は相当機嫌がいいということだろうか。

「それにしても本当によかった。」
「…え?」
編集長が私の前にコップを置いた。
ふわりと湯気が立つ。
「待ち焦がれた佐藤くんの晴れ舞台。私が編集長として在籍している間にこんなめでたい日が来て、本当に嬉しいよ。」
…編集長?
ど、どうしちゃったの…?
「どうしたね、そんなぽかんとした顔をして。はは、そうか。私がそんなことを言うなんて、と思ってるんだな?」
ば、ばれた…。
「これでも私は心を鬼にして厳しくしておるんだよ。優しい編集長じゃ、社員も育たんからね。…あいつもずいぶん成長したようだ。君の担当にしてよかったんだろうな。」
目を細めて微笑む編集長の顔に、鬼と感じるところは一つもなかった。
普段そう感じていたことすら嘘だったのではないか、と思いたくなるような、そんな優しい顔だ。
「…佐藤くんにも相当厳しくしてきたが、それに負けじと頑張ってくれた。それが今日の成果だと私は思っている。本当におめでとう。」
まさか編集長に“おめでとう”と言ってもらえるなんて…。
「…あ、ありがとうございます。」
「佐藤くんは優しい性格で競争心もそんなにない。こんな子が作家としてやっていけるんだろうかと最初は不安だったよ。どんなに良いものを持っていても、この厳しい世界に立ち向かう強い心がなければ潰れてしまう。いつ”辞める”と言うか冷や冷やしていたよ。」
そう言って編集長は自分で入れたコーヒーを一口飲み、私を見た。
編集長がそんな風に思っていてくれたことに、私は衝撃を受けた。
ずっと私のことを疎ましく思っていると思っていたから。
全部私の思い違いだったの…?

「去年体調を悪くした時は、本気で辞めてしまうんじゃないかと思ったが…その後体調はどうだね?」
「…あ、はい。体調はとても良いです。去年いただいたお休みで十分休ませていただきました。」
「そうか、それは良かった。あの時のことは謝らんといかんな…」
「え?」
「私は早く佐藤くんに賞を取ってもらいたくて…ずいぶん無理を言ったからな。佐藤くんが倒れたことを人から聞かなければ、体調不良のことも気づかずに、さらに無理をさせていた可能性だってあった。倒れてから気づくような編集長で本当に申し訳ない。」
そう言って編集長は私に深々と頭を下げた。
あの編集長が私に頭を下げる…?
そんなことがあるのだろうか。
これは…夢じゃないんだろうか。
見たことのない編集長の姿に私の頭はパニックになった。
けど頭を下げる編集長は間違いなく私の目の前にいる。
夢などではない。
「…へ、編集長!そ、そんな頭を上げて下さいっ倒れたのは編集長のせいではありません!自分が不甲斐ないばっかりに体調管理もできずに倒れただけのことですから…!」
「佐藤くんがいつも以上に去年の落選にショックを受けていたことは分かっていた。そのことに対しての気遣いを私はできなかった。これは私の落ち度としか言いようがない。」
「そんなことは…」
「あの時…”もっと頑張れ”などという言葉がほしかったわけではなかっただろう?」
「…え?」
編集長は苦笑いを私に向ける。
「そんな言葉を言われても、何の力にもならないということを知っていたはずなのに、私は佐藤くんにその言葉を投げかけていた。私はね、若い頃同じことを上司に言われたんだよ。佐藤くんが倒れたと聞いてハッと気づいた。若い頃、そう言われて私は頑張れなかったんだ。言われたことで自分に自信をなくして、会社を辞めた。私は一番嫌いな言葉を君に言ったんだと、ようやく気が付いたんだ。」
「編集長…」
「今思えば、その上司も部下の私を思っての言葉だったんだろう。自分も部下を持つようになって…自分自身がその言葉を言う立場になってようやくそう思えるようになってきた。…同じ立場になって初めて気づくとは、まったく頼りない上司だな、私は。」
手元のコップを見つめ、編集長は小さく笑った。
よく見ると、編集長の顔にはずいぶんシワが増え、昔より柔和な顔になっていた。
いつ?
彼はいつの間にこんなにも歳をとったのだろうか。
私はまったく気が付いていなかった。
自分のことばっかりで、周りの時の流れなんて見向きもしていなかったんだ。
編集長は怖い人なんかじゃない。
ずっとずっと前から優しい人だったんだ。
ただ、私がきちんと向き合っていなかっただけ。
私が彼を見ようとしなかっただけ。
私のために、私を育てるために編集長は厳しくしてくれたんだ。
”佐藤さんにもいい仲間がいるじゃない”
彼の言葉が私の心に響く。
私はたくさんの人に支えられていたんだ。

そんな大切なことに今頃…しかもこんな形で気づくなんて…。
申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
何か言うべきなのに、かける言葉が見つからない。
押し黙ったまま編集長を見ると、彼はコップを両手で持ったままため息をついた。
「熱く…なりすぎていたのかもしれんな。佐藤くんの実力を一番買っていただけに、余計に力が入っていたのかもしれん。」
「えっ?」
「佐藤くんを今の雑誌の連載作家として起用したのは私の独断だったんだよ。絶対にこれから売れる、とね。」
うそ…。
「嘘じゃないぞ、佐藤くん。」
照れくさそうに編集長が笑った。
「君の作品を見て、私の勘が働いたんだよ。”この子はもっと良くなる”とね。」
「…ほ、本当ですか?本当に…」
「こんなことに嘘なんかつかんよ。もちろん、若いから荒削りなところはいっぱいあったぞ。まだまだ変えていかなくてはいかん所も山ほどあったよ。…そうそう、自分の作品に自信が持てん所も、な?それは今でもまだまだあるとは思うがね。」
「……」
「まぁ…自信が持てんのは誰にでもあることだ。周りが認めてくれれば自ずと自信はついていく。きっと今回の受賞で、大きな自信とまではいかんだろうが、人並みの自信はついただろう?」
…見透かされていて、何も返せない。
はい、とも言えずただコクリと頷く。
編集長はにんまりと笑った。
「そんな弱点や欠点は誰にでもある。完璧な人間などいない。大事なのは自分の欠点をどう補うか、だよ。佐藤くんの場合は、自分の感じたこと…伝えたいことをそのまま自分の言葉で表現すればいい。それが君の作品の良い所だ。格好などつける必要はない。感じたままを君の言葉で読者に伝えればいいんだよ。君の言葉が読者にそのまま届いて、それが読者の力になるんだ。だから自信を持てばいい。その自信がまた、君を一回りも二回りも成長させてくれるだろう。」

編集長の姿が涙で歪んだ。
私…知らなかった。
気づかなかった。
彼が誰よりも私のことを応援してくれていたこと。
誰よりも私のことを分かってくれていたこと。
そして一番私の作品を愛してくれていることに。
長い間、それに気づけなかったなんて。
こんなに長い間、彼を誤解し続けていたなんて…
今までの編集長に対する自分の態度を心の底から後悔した。
申し訳なさでいっぱいだ。
私は何て詫びればいいのだろう。
どんな言葉で感謝の気持ちを伝えればいいのだろう。
ああ、いい言葉が見つからない。
伝えたいことはたくさんあるのに、それが言葉になって出てこない。
何でもどかしいの…。

…賞をもらっても所詮は私。
格好いい言葉なんて浮かばない、そういうことなのね。
それにきっと私にそんな言葉は似合わない。
感じたまま、それを言葉にすればいいんだ。
そうすることで一番気持ちが伝わる。
それが私の良い所…そうですよね?
「編−」
「礼などはいらんよ。」
「…」
「…もう礼はもらっとる。こんな名誉をもらったんだ。それで十分だ。」
「編集長…」
「それにこんな所で泣いたら、頑張ってした化粧がとれるぞ。パーティに出る前に崩しちゃいかんだろう?」
そう言って、編集長はまたニヤリと笑う。
一瞬で涙が引っ込んだ。
「さてと、私はちょっと下の様子を見てこよう。佐藤くんはここでゆっくりしていなさい。」
「あ、は、はい。」
コーヒーを飲み干して控え室の扉を開けると、編集長は何かを思い出したように立ち止まって振り返った。
「…何か?」
「言うのを忘れていた。君の式に出られなかったのは社長に呼び出されていたからでね。」
「はぁ…」
「社長から直々に言われたよ。」
「…?」
「佐藤くんは、わが社の看板なのだから逃げられないように気をつけろ、とな。」
「えっ?か、看板っ!?えっ!に、逃げ…」
「当分、うちからは出られそうもないな。ま、もっとも…私も出す気はさらさらないがね。」
「編集長…」
小さく笑い、編集長は控え室を出て行った。

こんなにも、嬉しいことが続いていいんだろうか。
私、明日から悪いこと起きない?
大丈夫?

階段を下りていく編集長の足音に耳を澄ます。
嫌いだったはずの彼の足音が、まるで拍手のように聞こえた。
誰よりも温かい、祝福の拍手。
引っ込んだはずの涙が、じわりと舞い戻ってきた。
「…ごめんなさい、編集長。ありがとう…編集長……」

ああ…。
化粧、元通りに直せるかしら……。


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