「Cafe I Love You」
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-9-

ドタドタと階段を駆け下りてくる音がして、店の奥のドアが勢いよく開いた。
「ア、アルッ!!!」

父ちゃんは、髪の毛がぼさぼさで、眼鏡がちょっと斜めになってて寝起きみたいな姿だった。
そんなボクも、涙と鼻水とヨダレでひどい顔だけど。
「ア、アル……ほ、本当にアルが…アルがしゃべって……」
「と、父ちゃん……」
「…っ!!」
父ちゃんの小さな目が大きくなる。
「…ほ、本当に……しゃべってる……」
「父ちゃぁん……」
「ああっまた泣く!せっかく拭いたのに!」
嘆くタカミザワの膝から飛び降りて、父ちゃんのところへ駆け寄った。

父ちゃんが座り込んで、ボクの顔をジッと見つめる。
「アル…なんで…」
「父ちゃん……ボクのこと、嫌いになった?」
「え?…何で?どうして嫌いになるんだよ?」
「だって…猫なのに人間の言葉を話すんだよ?変でしょ?おかしいでしょ?…気味が悪いでしょ?」
「…確かに普通じゃないね。でも、アルはアルだよ。何にも変わってないよ」
「…ほんと?」
「うん、本当。ごめんな、アルが一生懸命話しかけてくれてたのに気付いてやれなくて。自分がおかしくなったんだと思ったんだ。アルや他の猫たちと話ができたらいいなって思 ってたから、とうとう幻聴が聞こえるようになったのかってね」
「父ちゃん……父ちゃんは何もおかしくなってないよ!ボクがおかしくなっちゃったんだ 。ごめんね、びっくりしたよね」
「そりゃあ、びっくりするよぉ…明日、病院に行こうかと思ってたぐらいなんだから。でもよかった!もう元気になったよ!」
「そっか、よかった!…あ、でも…」
「ん?」
「悲しいこともあったけど、それはもう大丈夫?」
「え?悲しいこと…?」
「途中で会ったお気に入りさんがデートに行くって、悲しそうにしてたよね?」
「へっ!?」
また父ちゃんの小さな目が大きくなった。
「お気に入りさん、減っちゃって残念だったけど、きっとまたすぐに新しいお気に入りさんが現れるよ!」
『ぷっ!』
ボクが言ったことが面白かったのか、サクライとタカミザワが笑ってる。
「そ、そこっ!何笑ってんだよっ!」
「だって…なぁ?」
「なぁ?」
二人はニヤニヤしながら顔を見合わせた。
「猫に言われちゃ…」
『なぁ?』
「何が、”なぁ?”だよ。うるさいなぁっ」
父ちゃんが頬を膨らませる。

「ボク、変なこと言った?」
「う、ううん!ありがと、そんなことまで心配してくれて」
「だって、ボクの父ちゃんだもん。心配するのは当然だよ」
「アル…」
父ちゃんはボクの頭を撫でると、いつものように抱っこしてくれた。
身体も心も一瞬で暖まる。
「うれしいな。アルは僕のこと”父ちゃん”って呼んでくれてたんだね」
「うん…いつも呼んでるよ。だってボクの父ちゃんだもん」
「…ありがとう」
父ちゃんにギュッとされて、また涙が出そうだよ。
よかった、嫌われてなくて。
よかった、父ちゃんがいつもの父ちゃんに戻って。

ボク、ここにいていいんだよね?
ずっとずっと、父ちゃんの傍にいていいんだよね?

「と、父ちゃん…」
「ん?」
「ボク、ここに」

グゥ~キュルキュルキュル~

父ちゃんとボクのお腹が同時に鳴った。
『……』
思わず顔を見合わせる。
あ、父ちゃん、ちょっと恥ずかしそう。
父ちゃんは、ご飯食べてないもんね。
ボクもまだちょこっとしか食べてないし。

「はははっ!」
タカミザワの笑い声に父ちゃんと二人で振り向くと、笑ってるタカミザワのすぐ隣で、サクライがカウンターテーブルに皿とカップを置いていた。
「安心して腹が空いたんだろ。ちゃんと食っとけ」
皿の上には、さっき二人が食べたのと同じお肉がのっている。
あ、そうか、父ちゃんの分だ!
え、でも、いつの間に作ったんだろ?
「う~ん、肉かぁ…食べられるかなぁ」
「タカミザワと違ってあっさりしたソースに変えてある」
「あ、そうなの?」
「どうせタカミザワと同じソースで出したら、”こんなに食べられないよぉ…”って言うだろ。ちゃんとおまえの好みに合わせて作ってやったんだ。残さず食え」
「う~ん、まるで嫁」
「だっ誰が嫁だ!」
「ヒゲが生えた命令口調の嫁なんてほしくないなぁ…」
「俺だってサカザキみたいな女好きで多趣味で、目で人を殺すようなやつに嫁ぎたかねぇよ!」
「誰も目で殺してないけど…じゃあタカミザワならいいの?」
「お、俺っ?」
突然、父ちゃんに指を差されて、タカミザワが慌ててる。
サクライを見ると、眉間のシワがさらに深くなっていた。
「どっちも嫌に決まってんだろ!」
「こっちだってやだよ!」
「むしろ、見た目だけならタカミザワのが嫁だろ。嫁らしいことは何もできないけど」
「見た目だけね。一番男らしいもんね」
「…褒められてるのか、けなされてるのか分からないけど…。んーでも、サクライが女で美人なら、嫁にはいいよな。毎日美味い飯とスイーツは食える」
「酒癖が悪いけどね」
「口も悪いけどな」
「だから嫁じゃねぇっての。アホなこと言ってないで、サカザキはとっとと食え。タカミザワは食い終わったんなら、さっさと皿持ってこい」
『冷たい嫁だなぁ…』
「だから嫁じゃねぇ!!」

「ふふっ」
やっぱり三人のやりとりは面白いや。
聞いてると吹き出しちゃったりするんだよね。
一日一回は笑ってる気がするなぁ。
「…おい」
サクライの冷たい声。
見ると、ボクを睨んでいた。
わ、やばい!怒らせたかも!
「は、はいっ!」
「おまえも笑ってないで、とっとと」
「食べます!食べます!だからご飯を処分するなんて言わないでっ!」
父ちゃんの腕から飛び降りてご飯の元に素早く戻ると、ボクはお皿を奪われないように前脚でガードしながら、むしゃむしゃと頬張った。
早く食べなきゃ!サクライならやりかねないもん!

「あはは、アルってばサクライが言わんとすること、ちゃんと分かってる」
「いっつも眉間にしわ寄せて、何だかんだ怒ってるから猫も察するんだなぁ。すごいな」
「…フン」

普段から怒られてるからね。
サクライの声のトーンでだいたい分かるんだ。

ボクに対しては、いつだってトーンは低いけど、それでも機嫌がいい時とそうでない時はやっぱり違うんだよ。

ものすごく不機嫌な時はね、もっともっと声が低いし、冷たいの。
そういう時は、近づかないように気を付けてるんだよ。

「サクライってさぁ、何でそんなにアルに冷たいんだよ。もうちょっと優しくしてやれよ。なぁ、サカザキもそう思うだろ?」
「う~ん…サクライがアルに優しくても何か気持ち悪いけどね。ねぇ、アル?」
ご飯を口いっぱいに頬張りながら、”うん”と大きく頷いた。
そりゃ、優しくしてくれたら、それはそれでうれしいけど、何か企んでいそうで怖いかな。
「気持ち悪くなりたいんなら、やってやるけど?」
「なりたくないからやめて」
「俺もいやだ。見たくない」
「だったら優しくしろなんて言うな」
ボクは…ちょっとやってみてほしいかも。
…怖いもの見たさ?

「…ほんっと可愛くない」
「ヒゲ生やした男が可愛くてもおかしいだろ。しかも中年だぞ?」
「だって、サカザキは―」
「こいつと一緒にするなよ。こいつはおかしいんだよ」
「な、なんで僕がおかしいってことになるんだよっ」
「中年が可愛いなんて、おかしいだろ」
確かに父ちゃんは可愛いと思う!
でも、おかしいのかな?
「は、はぁ?べ、別に可愛くないよっ!サクライ何言ってんのっ!」
「え~何だよぉ、サクライはサカザキが可愛いと思ってんのー?」
「…その言葉、タカミザワにそっくりそのまま返す。誰だよ、若かりし頃、声掛けられて可愛いなと思って、家まで付いて行っちゃったやつは」
「うっ…!」
そうなの!?
タカミザワを見上げると、目が泳いでて、何か顔もちょっと赤い。
「だいたい、うちの客、半数はサカザキが連れて来たんだろ。サカザキが人なつっこい笑顔で”よかったら店においでよ”って誘うもんだから、みんなその笑顔に騙されちゃって。タカミザワもそのうちの一人ってことだろ」
「……言い返せない自分が悲しい…」
「もしかして、未だに騙されて…」
「バカ言え!サカザキが女だと思ったその時だけだ!今は、女好きで性別関わらず手のひらでいいように転がす笑顔に裏がある男だってことは百も承知だ!」
「ひどい言われよう…」
「元々はサカザキが悪いんだろ!人を騙すような笑顔を振りまくから!」
「何だよ~、声掛けなきゃよかったわけ?それに店に客を連れて来ちゃいけないの?店のためを思ってやってるのにさぁ…」
「客が来るのは良いことだけどさ!でも、…なぁ、サクライ?」
「まぁな。客が来てくれて、常連になってくれるのは有難いことなんだが」
「なんだが?」
「連れてくる人たちがね」
「…ああ、訳ありさんばっかりってこと?」
「…やたら多いな」

確かに。
ボクと散歩に行って、何かに悩んでたり落ち込んでる人を見かけると、父ちゃんが声を掛けて店に連れてくるもんね。
で、サクライが作ったものを食べて元気になって、常連さんになる…なんていうのがよくあるパターン。

もちろん、普通にグルメ雑誌を見たり、人づてに聞いて店に来る人もいるけど、常連になってくれるのは、父ちゃんが連れてきたり、じーちゃんみたいな人たちばっかりだ。

「それはまぁ…仕方ないじゃん。そういう人を見ると、声掛けちゃうんだもん。放ってお ないし。サクライだって、落ち込んでたムッシューに店に来てって言ったんでしょ?」
「ま、まぁ…」
「タカミザワだって、連れて来たことあったじゃん」
「ま、まぁ…」
「ほら、僕だけじゃないじゃん」
『……』
無言で二人が顔を見合わせた。
あはは、言い返せることがないみたい。

「きっと、ここにはそういう人たちがやってくる運命なんだって」
「…どんな運命だよ」
呆れたようにサクライが呟く。
「落ち込んでた人たちが元気になってくれるんだよ?いいことじゃん?そういう姿を見てると、こっちも元気もらえるし」
まぁね、とタカミザワが頷いた。
「確かにそれはうれしいけどな。来た時に下を向いていた人が、顔を上げて笑顔で帰っていくのを見ると、よかったなって思うし」
「でしょ?それに、サクライは腕の見せ所じゃん。作り甲斐あるでしょ?」
「…まぁな。自分が作ったもので誰かが元気になると思えば、な」
「だったらいいじゃん。終わりよければすべてよし、で」
「まぁ…」
「ねぇ…」
「ね?」
そう言って、父ちゃんが首を傾げてニコッと笑う。

『…うん』
二人が素直に頷いた。

こうなると、二人はもう何も言えなくなるんだよね。
いつも父ちゃんの可愛い笑顔に負けちゃう。

…もしかしたら、何も言えなくなるのには他にも理由があるのかもしれないけど。
実は怖い…とか。

やっぱり、二人のことは父ちゃんしか操れないな。
ボクじゃ無理だもん。


……あれ?

そういえば…さっきのタカミザワとサクライのケンカはどうなったの?
今にも殴り合いが始まりそうな感じだったのに、もういつもの二人に戻ってる。

え?なに?
あれもいつもの言い合いのうち?

もう一緒にお店なんてできないんじゃないか…ってぐらいだったのに?


……あ、あれで?

す、すごいなぁ…。

ケンカするほど仲がいいって父ちゃんは言うけど、あのケンカは誰が見ても仲が悪いようにしか見えなかったよ。

でも、あれがただの言い合いなら、本気でケンカしたら、この二人はどうなっちゃうんだろう?

言い合いじゃ済まないよね。
取っ組み合いのケンカになって、お互いを殴りあって…

きっと、食器なんかも割れて、お店の中もグチャグチャだ。

………

…ああ、想像するだけで怖い。

ボクは頭の中に浮かんだ恐ろしい情景を、美味しいご飯で飲み込んだ。


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