「Cafe I Love You」
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タカミザワは、はぁ…とため息をついた。

もちろん、ボクのためにじゃなくて、サクライに対して、だ。

「何だよ、そのため息は」
「…ひねくれてるなぁってため息」
「ひねくれてて結構。タカミザワは単純すぎるんだよ」
「悪かったな!単純で!」
「あとはすぐ真に受ける。だから、ムッシューの話に感化されちまうんだよ」
「ふん、素直だって言ってくれ。ひねくれ者よりマシだろ」
「はーん、素直ねぇ…」
「おまえだって昔は素直だったじゃん。田舎から都会に出てきた好青年はどこに行ったんだよ」
「…そんなもん、歳をとれば変わるんだよ。学生の頃から変わらないおまえが異常だ」
「い、異常?異常はないだろ!」
「異常だろ。な~んにも成長してないなんて。ちょっとは成長した方がいいんじゃないの、身長以外も」
「はぁ!?おまえに言われたかないね!自分のことは棚に上げてよく言うよ!自分のテストの点数、忘れたのか!?」
「テストなんて関係ないだろ」
「関係ある!」

ああ、また言い合いになっちゃった。
どうして、この二人はすぐこうなるの?

ねぇ、ボクが悲しんでること、知らないでしょ。
気づいてないでしょ。

サクライがひねくれてるから、ボクは傷ついたんだよ?
ボクのことも、少しは気にしてよ。

「いつまでもテストの点数でどうのこうの言われたくないね」
「おまえがひどい点数取るからだろっ」
「おまえだって授業さぼってただろうが!」
「サクライと違って、さぼってもテストの点数は取れるも~ん」
「うわっ!嫌なやつ!女をとっかえひっかえするし、おまえ最悪だな!」
「と、とっかえひっかえなんかしてねぇよ!」
「してたじゃねぇか!いつも違う女といただろ!」
「はぁ!?」
タカミザワがバンッ!!とカウンターを叩いて勢いよく立ち上がると、カウンター越しに二人が睨み合う形になった。
ボクはびっくりして二人の顔を交互に見やる。
表情がいつもより険しい。

あ、あれ、どうしたの…?
いつもより険悪なムードになってるよ…?

「もう一回言ってみろ!」
「何度でも言ってやるよ。いつも違う女といて、ずいぶん楽しそうにしてましたねぇ!」
「なんだよそれ!俺がいつそんな風にしてたよ!?」
「いつ?そんなんじゃないだろ。いつも、だろ」
「い、いつも!?」

は!そ、そうか!
いつもなら父ちゃんが仲裁に入ってくれるから、ケンカは途中で終わるけど、今日は父ちゃんがいないから、どんどんひどい言い合いになっちゃってるんだ…!!

う、うわぁ…どうしよう…
このままじゃ本気のケンカになっちゃうよ…!

止めなくちゃ…でも、ど、どうやって止めたらいいの?

「俺はそんな風にしてたことなんかねぇよ!誰かと間違えてんだろ!」
「おまえを見間違えるわけないだろ。こ~んなやつは一人しかいねぇよ」
「じゃあ聞くけどなぁ!俺がどこの誰といたんだよ!見たんなら言えるだろ!!」
「たくさんいて分かんねぇなぁ…。それに俺の知らない女ばっかりだったし?…ああ、もしかしてうちの大学だけじゃなくて、他の大学の女だったとか?そりゃもっと分かんねぇな」
「はぁ!?」

ね、ねぇ、もうやめよう?
今日は止めてくれる父ちゃんもいないんだから、ケンカなんてしないでよ。

ボク、文句言わずに静かにご飯食べるから。
人間の言葉にいちいち反応しないようにするし、二人の邪魔もしないから。

だから…

だから、ケンカしないでよ。

ボクが「ニャア…」と鳴くと、二人が同時にボクを睨みつけた。

『おまえは黙って食べてろ!!』

「おまえが見たのは、たまたま一緒にいた女友達だろ!」
「女友達?ふん、どうだか」
「何だよ、その言い方!気にいらないなぁ!」
「別に気にいってもらえなくて結構」

……っ

ひ、ひどいよ…
…そんな言い方しなくたって…

ボクはただ、ケンカなんてしないでって言いたかっただけなのに。

どうして?
何で誰も分かってくれないの?

美味しいご飯を”美味しい”と思って食べてても、やめてって鳴いても、誰もボクの気持ちに気づいてくれない。

ねぇ、ボクの気持ちはどうでもいいの?
どうして気づいてくれないの?
ボクにだって辛いことや悲しいことがあるのに。

人間は、言葉を話さないと分かってくれないの?

すごく悲しくて、すごく悔しいよ。

ボクにだって感情はあるんだ。

…ボクにだって……

「あーもう!おまえのそういうとこが気にいらないんだよ!あえてオブラートに包んだような言い方してさぁ!」
「はぁ?はっきり言わないのは俺の優しさだろ?」
「何が優しさだよ!言いたいことがあるならはっきり言えばいいだろ!!」

そうだよ。
ボクにだって、言いたいことはいっぱいいっぱいあるんだ…!

聞いてほしいことが山ほど…山ほどあるんだ…!!

「じゃあはっきり言うけどなぁ!勉強ができてモテモテだったからって、天狗になってんじゃねぇよ!」
「て、天狗だって!?」

「…う……さい…」

「その鼻が何よりの証拠だろ!」
「こっ、これは生まれつきだ!!」
「昔はもっと低かったと思うけどなぁ!」
「ば…っ」
「学生の頃から今日までちやほやされて、どんどん高くなってんだろ!」
「な…っ」

「うるさい……」

「はぁ?うるさいのはおまえだろ!タカミザワに”うるさい”って言われる筋合いはない!」
「何言ってんだよ、おまえが言ったんだろ!でかい声のサクライに”うるさい”なんて言われたくないね!」
「俺は言ってねぇよ!」
「じゃあ誰が言うんだよ!ここにはサクライと俺しかいないんだぞ!?おまえしかいないじゃないか!子供みたいな声色使って、気持ち悪いなぁ!」
「俺じゃないって言ってるだろ!タカミザワだろ!」
「違う!」
「じゃあ誰だよ!」
「知らねぇよ!俺でもなくて、サクライでもないなら、そこにいるアルじゃないの!」
「は!そんなわけ―……」
「……?な、何だよ、突然黙って……」
「……タカミザワ、本当に…おまえじゃないのか…?」
「だから、俺じゃないって言ってるだろ!」
「…俺も…本当に言ってない」
「……え?」
「俺でもないんだ、本当に」
「…じゃ、じゃあ、今のは……誰だよ?」
「…今、タカミザワが言っただろ」
「…へ?」
『……』

見つめ合った二人の視線がボクに向けられる。
その顔には、まさか…って気持ちが表れてる。

ボクはずっとここにいたい。
父ちゃんのそばにいたい。
ずっとずっといたいよ。

でも、もう無理。
悔しくて、悲しくて、辛くて…
黙ってなんていられない…!

誰でもいい。
誰か…ボクの話も聞いて…!

「…は、はははっ…ま、まさか、アルじゃないよな?」

「ボクだったら何?」

「うわあぁぁぁぁっ!?」
「!!??」
タカミザワが豪快にひっくり返って尻餅をついた。
サクライはサングラスの奥の目を大きく見開いて石みたいになってる。

ふん!
くだらない言い合いするから悪いんだ。

ボクはペロペロと前脚を舐めて、顔を洗う。

「あ~あ、やっと静かになった。さっきからくだらないことで言い合いしてさ。せっかくの美味しいご飯がまずくなるじゃん」

「……っ」
口をパクパクさせるタカミザワは魚みたい。
面白いことが好きなタカミザワも、今回ばかりはきっと受け入れられないよね。

「だいたいさ、子供みたいにケンカするの、いい加減やめたら?いつも父ちゃんが言ってるでしょ。いい大人がみっともないよ」

「……」
微動だにしないサクライ。
きっと、しばらくしたら、わなわな震えだして、包丁を持ってここから出て行けって言うんだ。
人間の言葉を話す猫がいるなんて、お店にとって迷惑な存在でしかないもんね。

もういいよ。
どうせ追い出されるんだから、言いたいこと、全部言ってやる。

「サクライはさ、普段はクールなくせして、タカミザワが言うことにはいちいち突っかかるよね。そういうところはどうかと思うな、ボクは。父ちゃんぐらい、大人になった方がいいよ」

「…ア、アル…お、おまえ……」
信じられない、と言いたげな顔でサクライが呟く。

「何?おまえ、化け物だったのかって言いたいの?…そうだよ、変な猫に会ったら、突然話せるようになっちゃったんだよ。話せたらいいなって思ってたけど、ちっともいいことなんてなくて、どうしたらいいのか分かんなくて…っ!お、お腹空いてるのに、食欲もなくなってたんだからね…っ!」

ああ、ダメだ…
な、涙が出てきちゃった…

二人の姿が涙で滲む。

「…で、でも、サクライが作ってくれたご飯がすごく美味しくて、ちょっと元気出てきたのに……ふ、二人が言い合いするし、”やめて”って言ったのに冷たくされるし……ボク…ボク……」

「……お、おい…」

「ボク……ボク……う…ううっ…うあぁぁぁっ!」

もう限界。
だって、父ちゃんに嫌われて、二人にも嫌われて、ボクはまた一人になっちゃうんだから。

野良に戻ったら、ご飯、どうしたらいい?
縄張り争いで、ケンカなんてしたくないよ。
広場の猫たち、ここの猫じゃなくなっても優しくしてくれるかな…。
ジェイ、これからも友達でいてくれるかな…。

ここを出る前に、父ちゃんにちゃんとお礼は言いたいな。
気味悪く思われてもいいから、今までありがとうってことは伝えたい。
あと……大好き…だよ……って。

「うわぁぁぁっ あぁぁぁっ」
「…ちょっ…落ち着…」
「あぁぁぁっ ううぅぅぅっ うぅぅぅああああああぁぁっ」
「お、おいって……」
「うわぁぁぁっ あぁぁぁっ ううああああぁぁぁっ」
「………ああ!もうっ!泣くな!!」
「っ!?」

突然、首の後ろを掴まれた。
目の前にサクライの顔が出てきて、ボクは固まった。
今にも壁に投げつけられそうなぐらい、険しい顔。

ああ、とうとうここから追い出されるんだ。
そう思った。

もう、父ちゃんに”ありがとう”を言う機会もなくなっちゃうんだね。
最後にもう一回だけ、ギュッてしてほしかったな…

「おまえ……」
サクライが睨みつけてくる。
分かってるよ、化け物は出て行け!って言いたいんでしょ。
グスッと鼻をすする。
「…サ、サクライが言いたいことは分かってるよ。ボクはここから―」
「おまえ、サカザキに話し掛けたのか?」
「……え?」
「そうやって、サカザキに話し掛けたのかって聞いてるんだ」
怪訝に思いながら頷いた。
「……」
そんなこと聞いて、どうするの?
ううん、そんなことじゃなくて。
サクライ、出て行けって言わなかった。
どうして?
包丁持ってこないの?
ドアを開けて、ポイッて放り投げないの?

…もしかして……受け入れてくれたの?

「…タカミザワ」
「……」
「タカミザワ!」
「…あ…え?」
「呆けてる場合じゃねぇよ」
そう言って、サクライはボクを床に座り込んだままのタカミザワの膝の上にポンと置いた。
見上げると、タカミザワが大きな目をさらに大きくしてボクを見ていた。
「……ア、アル…本当におまえがしゃべってるのか…」
「…うん……」

何度も瞬きをして、穴が開くぐらいボクを凝視する。
その顔に、気味悪く思ってる感じがないように見えるのは、ボクがそう望んでるから?
ううん、ボクが望んでなくても、タカミザワはそういう人間なんだ…と思いたい。

「…こ、これは現実なのか?実は夢なんじゃないか?だって、猫がしゃべるなんて!!な、なぁ…サクライ……サクライ?おい、こんな時にどこに電話してんだよ?」

店の奥に行ったサクライを見ると、受話器を手にしていた。
ちょっと不安になる。
…警察?それとも保健所?
もしかしたら、オカルト集団に売り払ってやろう…とか?
「お、おい!!」
突然、タカミザワがボクを抱いて慌てて立ち上がった。
あ、ボクと同じことを考えたみたいだ。
「もしかしてアルをどっかに売り払おうなんて、思ってないだろうな!?」
「……」
「サ、サクライ!おまえ!!」
「うるさいな。黙って―…あ、もしもし?寝てた?…ああ、悪いな。大事件が発生したんでね」

…誰?

「おまえさ、自分がおかしくなったと思ってないか?…あり得ない空耳が聞こえて、自分の体調が悪いんだって、さ」

…も、もしかして…

「…やっぱり。大丈夫、おまえがおかしくなったんじゃない。もしおまえがおかしいんなら、俺とタカミザワもおかしいってことになる」

……父ちゃん…

じゃあ、父ちゃんは、自分がおかしくなったと思って、それで……
ボク、父ちゃんに嫌われたわけじゃない…?

サクライがボクを見た。

いつも冷たくて、全然優しくないサクライ。
さっきもすごく悲しい気持ちになった。

でも、今はボクのために父ちゃんの誤解を解いてくれてる。
言葉は冷たいけど、サクライがしてくれることには、ちゃんと優しさがある。
すごく美味しいご飯もそう。
今もそう。

ボクのこと、興味はないかもしれないけど、サクライはサクライなりに、ボクのことを理解してくれてるんだ。

またボタボタと大粒の涙が出てきた。
”出て行け”って言われなくてホッとしたのと、うれしいのと、あと色んな気持ちが入り混じってるから、この涙の意味が自分でもよく分からないよ。

「ザ、ザグラ゛イ゛ィ……」
泣きながらサクライを見つめると、すごく嫌そうな顔をした。
きっと鼻水とヨダレが垂れて、すんごい顔なんだろうな。
「おかしくなったのは、どうやらアルみたいだ。自分の目で確かめてみろ。今、わーわー泣いてて、こっちは夕飯の片づけもできないんだ。なんとかしてくれ」
そう言って、フンとボクから顔を逸らした。

ううぅ…やっぱり冷たい……

でも、さっきみたいに悲しくはならないよ。
だって…サクライは、本当は優しいんだもん。
じゃなきゃ、父ちゃんに電話なんてしてくれないもん。

「わっ!アル!ヨダレが垂れてるっ!汚っ!サ、サクライ!ティ、ティッシューッ!!」

慌ててるタカミザワにはお構いなしで、サクライをじっと見る。

…ね?
そうだよね?

ボクの熱い視線を感じたのか、サクライがもう一度ボクを見た。
その顔は、やっぱりすごく嫌そうな顔だった。

でも…

…でも……

「それに、アルがおまえのこと、呼んでるぞ。…”父ちゃん”ってな」


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