「Cafe I Love You」
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-5-

スノーは、相変わらずの口調でもう一度、
『…あなたの願いを叶える方法を知ってる…そう言ったのよ』
と言った。

『…それ、どういうこと?』
ボクが尋ねると、からかうように小首を傾げる。
『どういうことかしらね?』
『今更はぐらかそうとしないでよ。ボクが一番願ってるって分かったから、その話でボクを引き留めたんでしょ?』
『…あら、思ったより頭が良いのね』
『君に褒められてもうれしくないよ』
『そうでしょうね。あなたから私が嫌いって伝わってくるもの。まぁ、人間にも猫にも好かれようなんて思ってないから、そんなこと気にしないけど』
『……』
『…分かったわよ。本題に行きましょ。方法を知ってるというより、私が話せるようにできると言った方がいいわね』
『……は?』
ボクはポカンとした。
だって、そんな答えが返ってくるなんて、思わなかったから。

ある街に住む、ナントカっていう人間が、そういう薬を作ってるとか。
ナントカ山にしかない、ナントカの実を食べればいいとか。
父ちゃんの髪の毛を一本もらって、魔女に呪文をかけてもらうとか。
そ、そういうことじゃなくて?

『私は真面目に話してるわよ。私には、普通の猫にはない不思議な力があるの』
確かにスノーの顔は冗談を言ってるようには見えない。
でも、彼女の言うことはあまりにも現実とかけ離れてる。
どんなに真面目に言われても、ボクには冗談にしか聞こえない。

不思議な力があって、人間の言葉を話せるようにできるだって?
猫が?
そんなこと、できるわけがない!

『ボクには冗談にしか聞こえないよ。ううん、ボクだけじゃない、誰が聞いたってみんな信じないよ』
『そうね、誰も信じないでしょうね。でも、もし本当に話せるようになったら、あなたは信じるしかないでしょ?』
『…ねぇ。君の話はどこまでが本当で、どこまでが嘘なの?ボク、頭がおかしくなりそうだよ』
『嘘なんて一つもないわ。すべて本当の話よ』
『それは君がそう思っているだけじゃないの?』
『残念だけど、思ってるだけじゃなくて、現実の話よ』

スノーは普通の猫とは違う、確かにそう思う。
でも、不思議な力があるとか、そんな話は簡単に信じられないよ。
だって、人間ですら、そんなことできないんだよ?
人間ができないことを猫ができるなんて有り得ない。

『どんなに言われても、やっぱりボクには信じることはできないよ』
『そう。でも、あなたが信じる信じないは、私には関係ないわ』
『え?』
『私の話を信じる子なんていないことは分かってるもの。信じてもらおうなんて思ってないわ。私はただ、手伝ってくれる子を探しているだけ』
『…手伝うって何を?ボクは君を手伝う気はないよ』
『あなたの意思なんて関係ないわ。決めたの、あなたに手伝ってもらうって』
『え!?』
『もちろん条件が揃えば…の話だけど。もしあなたが人間の言葉を話すことができたら、一緒に探すのを手伝ってもらうわ』
『何言ってるんだよ!勝手に決めないでよ!そんなできもしないことで-』

そこまで言って、ボクを睨むスノーの迫力に思わず口をつぐむ。
『今、私の言ったこと、聞いてたの?言ったでしょ?条件が揃えばって。できるかできないかはやってみないと分からないのよ』
『な、何それ、スノーの話…全然分からないよ!』
『分からなくて結構よ。あなたはただ、実験台になってくれればいいのよ』
『じ、実験台!?』
『そう、実験台。あなたは選ばれた実験台よ。できるかできないか、私が試すだけ。できなかったら、この話は忘れてもらっていい。私だっている必要のない街にいたって仕方がないもの。できないと分かったら、すぐにでも街から出ていくわ。でも…もしできたら、手伝ってもらうわ。絶対に』
そう冷たく言い放ったスノーの姿にボクはギョッとした。
まるで別人のように瞳の色がブルーに変わったのだ。
『目がっ!何っ!?ス、スノー!?』
長い毛が逆立って、真っ白なスノーの体を青白い光が包んでいく。
『な、何っ?』
驚くボクとは対照的に、スノーはその光の中で満面の笑顔になっていた。

『ふふ…やっと見つけたわ。この街にある。この街のどこかにあるんだわ』

何のことを言っているのか分からない。
でも、ボクは身の危険を感じて、一歩二歩と後ずさった。

青白い光はどんどん大きくなる。
まるで生きているみたいだ。

一体、何が始まったの?

光の中のスノーに目を向けると、ブルーの瞳がボクを見た。
心臓がドクンとなる。

『さぁ、アル。こっちにいらっしゃい』

冗談じゃない!
ボクはブンブン首を振って、勢いよく駆け出した。
とにかく今は、ここから…広場から逃げなくちゃ!

『…逃がさないわよ』
スノーの冷たい声に振り向くと、青白い光が人間の大きな手のような形になったかと思うと、一直線にボクへと向かってきた。
『うわぁっ!』
慌てて、さらにスピードを上げたけど、光の手が覆い被さってきて、あっという間に光の中に飲み込まれてしまった。
『わぁーっっ!!!』
恐怖を感じて思わず目をつむる。

と同時に、身体がおかしな感覚に襲われた。
さっきまで足の裏にあった、いつもの広場の石畳の感覚がないのだ。
足を伸ばしてみたけど、何にも触れられない。

な、なに…?…どういうこと…?

恐る恐る目を開けると、そこには真っ白な世界が広がっていた。
『…っ!?』

周りを見渡したけど、何にもなかった。
噴水も花壇も、人間の気配もない。
何の匂い、音も。
地面も、空も。
ボク以外……何もない。

何もないことに、ひどく恐怖を感じた。

必死に足をバタバタしたけど、すべてが真っ白だから進んでいるのかすら分からない。

ここは、広場じゃないの?
ボクは一体どこにいるの?

『…や、やだよ!怖いよ!!父ちゃん!父ちゃん、助けてっ!!』
叫んだけど、父ちゃんの声は返ってこない。
『大丈夫よ、死にはしないから』
代わりにスノーの声がどこからか聞こえてきた。
『ス、スノー!?どこ!?どこにいるんだよ!?ここから出してっ!』
周りを見渡しても、真っ白な世界にスノーの姿はなかった。
スノーの匂いもしない。
ボクの鼻がおかしくなっていないのなら、スノーはここにはいない。

じゃあ、何で声が聞こえるの?
一体、何がどうなったの?

『アル、あなたのおかげでようやく私の探し物が見つかりそうよ』
『君の探し物なんて知らないよ!早くここから出してよっ!』
『言ったはずよ。人間の言葉を話すことができたら、あなたには手伝ってもらうって』
『いい加減にしてよ!ボクは猫だ!人間の言葉なんて、話せるはずない!!』
『そう思うのも今のうちよ。あとで私の言うことが嘘じゃないって思い知るわ』
『そんなこと―』
『…あら、飼い主が戻ってきたみたいよ』
『えっ?父ちゃん!?父ちゃんっ!!』
『会ったら、飼い主に話しかけてごらんなさい。フフ…飼い主、どんな顔をするかしらね。楽しみね。明日の夜、ぜひ聞かせて。私、ここにいるから。詳しい話もその時にしてあげるわ』
スノーの話なんて、何ひとつ耳に入ってこない。
ボクは今すぐこの訳の分からない場所から、そしてスノーから逃げたかった。

『父ちゃんっ!!』
「アル~?どこ~?」
父ちゃんの声だ。
『父ちゃんっ!ボクはここだよ!!助けてっ!』
『…いやぁね、まるで私がさらったみたいじゃない。失礼しちゃう。…まぁ、いいわ。今日のところはこれくらいにしといてあげる。現実を受け入れられたら、ここに来なさい』
『父ちゃぁ~ん…っ!』
『うるさいわね、今戻してあげるわよ。その、”父ちゃん”によろしくね』

突然、真っ暗になると、今度は落ちていく感覚が襲ってきた。
『…っ!!』
あまりの怖さに声も出なかった。
高いところから飛び降りた時とは比べ物にならない。
まるでいつも太陽が光ってる、あの果てしない高い空から落ちてるみたいだ。
ゴゴゴゴゴ…とすごい音と一緒に、ものすごい風がボクに向かってくる。
風が口の中にいっぱい入ってきて、ひどく息苦しいし、ビシビシ風が当たって顔が痛くて目も開けられない。
ああ、自慢のヒゲが抜けて飛んでいっちゃってたらどうしよう。

ボクはどうなっちゃうの?
どこに落ちていくの?
屋根の上?水の中?それとも地面?
ボク死んじゃうの…!?

「… …… … …?」
風の音に混じって、何かが聞こえてきた。
…これは…声…?誰…?

ハッとして、落下する恐怖の中、目を開けた。
父ちゃんの…父ちゃんの声だ…!

「お~い!アル~?」
ボクを探してる父ちゃんの姿が、真っ暗闇の中にぼんやりと見えた。
父ちゃんだ!よかった!

父ちゃんっ!!

叫んだけど、声が出ない。何で!?
父ちゃん!父ちゃん!!ボクはここだよ!ここにいるよ!気づいて!

父ちゃんはボクに気づいてくれない。
辺りを見回しながら、広場の出口の方へ行ってしまう。

父ちゃん!父ちゃん!!

必死になって声を絞り出そうとしたけど、やっぱり声が出ない。
父ちゃんの姿が、だんだん遠く、そしてだんだん消えていく。

やだ!やだよ!父ちゃん、行かないで!!ボクはここにいる!!お願い!気づいて!!
父ちゃん!父ちゃん!!

父ちゃ―んっ!!!



「…あ、いた!こらっ!ダメでしょ!ちゃんと駐輪場で待ってなきゃ!」
『……』
「あれっ?…アル?寝てるの?こーらっ!」
身体を揺らされて、ボクは目を開けた。
顔を上げると、呆れたような顔でボクを見ている父ちゃんがいた。
「おはよ。ダメだよ、こんな噴水のとこで寝てちゃ。変な人に連れて行かれたらどうするの?」
『……』
何だかぼんやりする。
ボク…寝てたの?

「ほら、帰るよ」
父ちゃんに抱き上げられて駐輪場に連れて行かれる。
ボク、何してたんだっけ?
父ちゃんのことを待ってて…噴水を見に行って…それから……ええと…
あれ、変だな。
思い出せないぞ?

「ごめんね、待ちきれなくて遊びに行っちゃったんだよね」
(うん…確か…)
「フルーツ屋さんが大混雑でね、時間かかっちゃって。遅くなっちゃったから、タカミザワが怒りそうだよ。急いで帰ろうね」
(うん…)
「アル、寝ぼけてるな?カゴは荷物でいっぱいでもう入れないから、帰りは肩だよ?大丈夫?」
(うん…)
「いつものニャアがないなぁ…大丈夫かなぁ…」
苦笑いする父ちゃんを見て、ニャア~って鳴きたかったけど、何かがモヤモヤして鳴けなかった。

駐輪場に着くと、父ちゃんがボクをひょいっと肩に乗せた。
「いい、アル?眠いかもしれないけど、家までは頑張ってよ?途中で寝て落っこちないでね?」
(うん、頑張る…)
「さ、行くよ」
父ちゃんの声とともに、自転車が動き出す。
ボクはモヤモヤしたまま、何でモヤモヤしているのか、父ちゃんと別れた後に何があったのか思い出そうとしていた。

確か噴水を見に行ったはずだ。
広場の猫たちに会えるかもと思って行ったけど…確か……誰もいなかった、そうだ、誰もいなかったんだ。
つまんなくて、駐輪場に戻ろうと思ったはずなのに、何でボクは噴水のところで寝てたんだろう?

眠くなって寝ていた?
そんな…眠気なんて、ボクはちっともなかった…はずだ。
だって、買い物に来る前にたっぷり昼寝したんだもん。

何だろう…何かを忘れてる気がする。

「…そういえば、広場の猫たちはいなかったけど、アルは一人で遊んでたの?」

…ボク一人……ううん、誰かいた。
ボクは誰かと一緒だった。

誰かの姿がぼんやりと浮かぶ。

でも…誰と?
ボクは誰と会った?
誰と話した?

誰と何を話した?

「珍しいね、広場に誰もいなかったなんて。今日は猫会議でもあるのかな?なんてね。でも、本当に猫会議があるなら、一度は参加してみたいもんだなぁ」

ううん、今日は猫会議はないはずだ。
ジェイが来週だって言ってたもん。
だから、今日は誰かには会えると思ってたのに、何故か誰もいなかったんだ。
そんなこと、今までなかった気がする。
広場に誰もいないなんて、そんなこと…

ううん、でも、誰もいなかったわけじゃないんだ。
誰かがいた。
誰かがいたんだ。
あれは誰だったんだろう。

何でボクは、それを忘れているんだろう?
つい、さっきのことのはずなのに。

「でも、誰もいないところでアルが遊ぶとも思えないなぁ。誰もいない時はつまらないのか、すぐ戻ってくるもんね、アルは」

…うん。
戻ろうって思ったんだよ、ボク。
なのに、あそこにいたんだ。
どうして?

「それとも新しい子がいた?あんまり喜ばしいことじゃないけどさ」

…新しい子?

「新顔さんを見つけて話しかけたけど、逃げられちゃったかな?…あ、もしかして昼間見た子に会えたとか?」

昼間?

「ほら、あの…きれいな長い毛の白い猫」

…長い毛の……白い………猫…っ!!


ス、スノー!!!思い出した!

そうだ!ボクはスノーに会って、変な話をされて、おかしなところへ連れて行かれたんだ!!

「いたたたた…アル、爪立てたら痛いよ~。どうしたんだよ、急に力入れちゃって。図星だった?」
「父ちゃん!さっきね!」

父ちゃんの動きが止まった。
自転車もぴたりと止まる。

…父ちゃん?どうしたの?

不思議に思っていると、父ちゃんがボクの方を見た。
小さな目を大きく見開いて、何かに驚いているような顔だ。
どうしたの?

「……今のは…アル……じゃないよね…?」

え?何が?

「ち、違うよねぇ…今、子供が傍を通って行ったから、あの子だよね。あまりに近くで声がするから、アルかと思っちゃったよ。あはは、びっくりしたなぁ…」
そう言って、父ちゃんは再び歩き始めた。

父ちゃん、何言ってるの?
父ちゃんの言い方、まるでボクが人間の言葉をしゃべったみたいに-

………。

今度はボクの動きが止まる。

そういえば…さっきボク、父ちゃんに向かって何て言った…?

”ニャア~”じゃなくて…何て言った……?

いつもは誰に話しかけても、ボクの口から出てくるのは”ニャア~”だ。
そんなの当たり前。
だって猫だもん、それしか出てこない。

でも、さっきボクは…”ニャア~”じゃなくて…まるで人間みたいに……

『私には、普通の猫にはない不思議な力があるの』

気味の悪いスノーの言葉が蘇ってきて、背筋に悪寒が走る。

まさか…

ううん、そんなことあるわけないよ!
だって、あの子の話はただの妄想だ。
猫にそんなことできるはずない。
プルプルと首を振る。
確かにあの子は普通とは違ってたけど、だからって、そんなことできるなんて、とても信じられない。
きっと、父ちゃんが言うように、さっき走っていった子が言ったんだよ。
それで、ボクの”ニャア~”が聞こえなかっただけ。
そう、きっとそうだ。

勝手に納得して顔を上げたけど、
「でもなぁ…」と父ちゃんはしきりに小首を傾げている。
「”父ちゃん”って聞こえたけど、さっきの子供は一人だったよなぁ…親らしき人はいなかったと思うんだけど…?」


でも…

もし、あの子の話が本当だったら?
あの子の話は妄想じゃなくて、すべて真実だとしたら…?
青白い光に包まれたブルーの瞳をしたスノーは、異様な姿で気味が悪かった。
あの時、ボクを人間の言葉が話せるように、何かをしたってこと?
猫のボクが、人間の言葉を話せるようになったっていうの?

…そんなことが……あるの…?

「あ、劇のセリフの練習だったのかも。ああ、きっとそうだ。誰かが近々学校で発表会があるって言ってたし。それにしても、まさかアルが?って思っちゃうなんて、笑っちゃうよね」
はははっと笑う父ちゃんの横顔をじっと見つめる。

もう一度、声を出してみよう。
そうすれば、はっきりする。
このモヤモヤもすっきりする…きっと。

ごくっと唾を飲み込む。

大きく息を吸って、目の前にいる大好きな人の名前を言ってみる。

「……と、父…ちゃん……」

「……え?」
振り向いた父ちゃんと目が合った。

まさか…が確信に変わる。
やっぱりボクは人間の言葉を話してるんだ。
スノーの言っていたことは、本当なんだ。

どうしよう!?ボク、人間の言葉を話してるよ!!

父ちゃんはポカンと口を開けて、ただただボクを見つめている。

街の高台にある時計台が、いつものように時刻を知らせる鐘を鳴らす。
時間が止まったようなボクたちのことなんて気にもしないで。

ねぇ、父ちゃん。

ボクが人間の言葉を話しても、父ちゃんはボクのこと、嫌いにならないよね?
父ちゃんは、ずっとボクの父ちゃんでいてくれるよね?

ボクはもう一度、大好きな人の名前を呼んだ。

「と、父ちゃん…っ」

父ちゃんは、ずっとずっとボクの父ちゃん…だよね……?


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