「Cafe I Love You」
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新たなお気に入りさんを見つけるべく内心盛り上がってる父ちゃんと、そんな父ちゃんが押す自転車のカゴに入れられたボクがマルシェに着いた時、予想通りたくさんのお客さんで賑わっていた。
あちこちで威勢のいいおじさんやおばさんがお客さんたちに声をかけてる。
そんな賑やかな声を聞きながら、駐輪場に自転車を置いて、父ちゃんに抱っこされて早速買い物だ。

ここはもともと街の広場なんだ。月水金の午後と、日曜日の朝は色々な店が屋台を出して、マルシェになるんだよ。
マルシェがない日は街の人たちがのんびり過ごす憩いの場。ボクも父ちゃんと時々遊びに来るよ。

「今日はタカミザワの要望で、ステーキにするんだって。いい肉買ってこいって言われたけど、いい肉は高いからねぇ…中くらいのでいいよね」
ボクも食べられるなら、上がいいけど、どうせボクはもらえないから中と言わず、下でいいんじゃないかな~なんて言ったら、タカミザワに怒られちゃうよね。
「肉かぁ……明日はあっさりしたものがいいなぁ」
ボクはたまにはカリカリじゃないご飯が食べたいなぁ…そう!サクライが作ってくれた、あのすっごく美味しいご飯みたいなの!
「ん?アルも何か食べたいの?じゃあ、美味しそうなお魚があったら買っていこうか」
本当!?やったぁ!魚も大好き!
「おっ魚って聞いて興奮してるな?よし、じゃあまずは魚屋に行こっか」
はーい!
上機嫌になったボクは父ちゃんと魚屋を目指した。


「これでよしっと。ふぅ、重かった」
自転車のカゴはボクのお魚から晩ごはんのお肉などなど、たくさんの物でいっぱいになった。
さっきの美味しそうな魚…早く食べたいなぁ…。
あ、よだれが出てきちゃった。
「さぁ、帰ろうか」
うん!…でも、何か忘れてるような気がするんだけど…気のせいかな?

父ちゃんが自転車の鍵を差した時、近所のおばちゃんが両手に袋を下げてやってきた。
「あら、猫ちゃんとお買い物?」
「あ、こんにちは。ええ、散歩がてら。お、たくさん買いましたね」
「そうなの。夕飯の買い出しに来たのに、余分なものまで買っちゃって」
「あはは、ありますあります。僕も美味しそうな魚があったんで、アルに買っちゃいましたよ」
「そうよね~美味しそうなものがあれば、誰だって買うわよねぇ。…ほら、これ。見るからに美味しそうでしょ?」
そう言っておばちゃんが見せてくれた洋ナシを見て、父ちゃんが声を上げた。
「ん?どうしたの?」
「しまった!サクライに頼まれてたフルーツを買うの忘れてた!」
あ、そうだ!フルーツを忘れてたんだ!
「…あらま。眉間にいっぱいシワを作って怒るわよ~?」
ポンッと不機嫌そうなサクライの顔が浮かんだ。
「ですよねぇ」
「もう一回、行くしかないわね」
アハハッと笑いながら、おばちゃんは自分の自転車に荷物を積んだ。
「アル、俺一人で行ってくるから、ここで待ってて?すぐ戻るから」
そう言うと、父ちゃんは駐輪場の真正面で店を開くおじちゃんに声をかけた。
「すみません。すぐ戻るので、あの自転車に載せている荷物を見ててもらっていいですか?」
「おお、いいぞ。ま、この街に泥棒なんか、いねぇと思うから、見てても無駄な気はするけどな」
「ええ、僕もそう思いますが、念のため。すぐ戻るんで」
「ほいほい。行ってきな」
「お願いします。じゃあ、アル!ちょっとそこで待っててね!」
はーい、行ってらっしゃーい。

小走りでマルシェの中へ戻っていく父ちゃんの後ろ姿を眺めつつ、ボクは自転車のサドルの上に座った。
いつもなら “ごめん、忘れた”って首を傾げて笑顔で謝ったら許してくれるけど、今日はボクの魚を余分に買っちゃってるし、謝っても許してもらえそうにないもんね。

おばちゃんが荷物を積み終えて、自転車を押して広場を出ていくと、ボクはポツンと一人になった。
フルーツ屋さんはマルシェの一番奥だし、人気のお店だからちょっと時間がかかりそうだな。
そうだ、暇つぶしに噴水を見に行こう。

サドルから飛び降りると、
「お、おまえさん、そこにいろって言われてたろ?遠くに行くなよー?」
って店のおじちゃんに言われたので、ボクはニャア~と返事をしてから、近くの噴水に向かった。
噴水からピュッて出てくる水が面白いし、花壇もいっぱいあるから、虫や蝶にも出会えるかも。友達にも会えるかもしれないな。
広場に住んでいる野良猫たちとは、父ちゃんのおかげで友達なんだ。普通なら、睨まれちゃったりケンカになったりするんだけど、ボクの父ちゃんからエサをもらってる猫も多くて、ボクには優しくしてくれるんだ。

でも、噴水に着いた時、周りを見渡してみたけど、残念ながら誰もいなかった。今日はみんな出掛けてていないみたい。ちぇ、つまんないの。
花壇にも蝶一匹もいなくて、がっかりしながら噴水を覗き込む。ゆらゆら動く水面にボクのつまらなさそうな黒い顔が映ってる。
しばらくすると、噴水からピュッと水が出てきたけど、ちっとも楽しくない。

誰もいないなら、ここにいてもやることはないし、駐輪場に戻って父ちゃんを待っていよう。
そう思って噴水から飛び降りた時、ふわっと誰かの匂いがした。

あれ?この匂い…どこかで……誰だっけ?
匂いのする方を見て、ボクはアッと思った。白い猫が丸い噴水の反対側にちょこんと座ってる。
昼間見た子だ!

こんなところで何してるんだろ?
他の猫の縄張りなのに、大丈夫かな。

一歩踏み出したところで、
『知らんやつには気をつけろよ』ってジェイの言葉を思い出した。

…確かに知らない子だけど、声をかけるぐらいなら平気だよね。
引っ越してきたなら、あいさつをするのは礼儀だし、他の猫の縄張りにいることも言っておかないと。
そう勝手に答えを出して、ボクは噴水の反対側を目指して歩き出した。
すると、まだずいぶん離れているのに、彼女の耳がピクンと動いた。
『…誰?』
そう尋ねる彼女。
でも、ボクの方は向かずに、鼻をクンクンして辺りを見回している。
ボクは首を傾げた。この子…もしかして目が悪いのかな?
ボクは駆け寄って緊張しながら声をかけた。
『…あ、あの…こんにちは!ボ、ボク、アル!近所に住んでるんだ。驚かせちゃったよね?ごめんね?』
すると、彼女がようやくボクを見た。彼女の瞳は透き通ったライトグレーで、見られると何だか心の中まで見透かされそうな目をしていた。
でも、ボクを見ているというより、声がした方を見たって感じがする。やっぱり目が悪いみたい。
彼女は、ゆっくりと瞬きをしてから、
『…別に驚いてはいないけど。何か御用?』
とツンとしたセリフを返してきた。
…う~ん……ジェイの言っていた感じの子かもしれないぞ……。

『昼間、ボクが住んでる家の前を歩いていったから、どこの子かなって思って。き、君の名前は?』
『あなたに名乗る必要があるの?名乗らないとこの街にいてはいけないわけ?』
『そ、そんなことは…』
『じゃあ、名乗る必要はないわね』
そう言って、顔をプイッと反らした。
う…う~ん……。
『か、飼い主さんと引っ越してきたの?』
『……』
『お、お家はどの辺?』
『……』
ボクの質問には答えず、彼女は無言で毛づくろいを始めた。

…無視ですか。

こんな調子じゃ、仲良くなるのは無理そうだ。
父ちゃんみたいに話術があれば仲良くなれるのかもしれないけど、ボクにはそんな才能ないし。
それに、絶対に仲良くなりたいって思ってるわけでもないもん。

もういいや。
こんな子放っといて、駐輪場に戻ろ。

……

…でもまぁ、とりあえず言おうと思っていたことだけ伝えておくか。
女の子だしね。
う~ん、なんてお人好しなボク。
あ、違った。
猫だから、お猫好し?

『あ、あのね、ここも他の場所も他の猫の縄張りだったりするから、気をつけてねって伝えたかっただけなんだ。そ、それだけだから。じゃ、じゃあ…』
すると、毛づくろいをしながら、
『そういうあなたも他の猫の縄張りに入り込んでるってことよね。あなた飼い猫でしょ?危ないんじゃないの?知らないわよ、ケンカになっても』
と返された。
絶対に無視されると思ってたから、予想外の反応にびっくりした。
慌てて答える。
『ボ、ボクは平気だよ。飼い主の人が広場の猫たちにエサをやったりしてるから、みんなボクには優しいんだ』
すると、彼女は驚いたようにボクの方を見た。
『…そうなの。じゃあ、この街の猫たちにある程度、顔が利くってことね』
あれ?何か表情と口調がちょっと優しくなった気がする。
『そ、そんな、街の猫たちみんなではないよ!この広場と…あとは家の周りぐらいだよ』
『それだけ顔が利けば広いじゃない。あなた、飼い猫のくせに欲張りね』
『よ、欲張り…そ、そうかなぁ…あはは…』
前言撤回。ちっとも優しくなってなかった。

『…あなたなら、手伝ってもらえそうね』
『え?』
『私、スノーっていうの。この街には三日前に来たの』
どうしてか分からないけど、彼女は自ら自分のことを話し出した。
最初に聞いた時は答えなかったのに、何で?
それに手伝うって何のこと…?
怪訝に思うボクのことなんて気にしないで、彼女は続ける。
『あなたは私のことを見たみたいだけど、私、目がほとんど見えないし、まだ街に来たばかりだし、どこを歩いていた時のことなのか、さっぱり分からないの』
『そ、そう…』
『でも、暮らしにはそんなに不自由してないのよ。目が見えない分、他の感覚が敏感だし。あなたが近づいてきた時も、早く気づいたでしょ?』
『う、うん…』
『だから、同情なんてしないで』
…同情してほしいようにも聞こえるけどね?と思ったけど、口に出すのはやめておいた。
『ああ、そうそう。あと、私に飼い主なんていないわよ』
『えっ?じゃ、じゃあ…野良…』
『ええ』
意外だ。
野良とは思えないさらさらな毛並み、日頃からトリミングしてもらってるとしか思えないような艶。
見たところ、身体のどこにも汚れや傷もない。
どう見てもどこかお金持ちの人の家で飼われているような姿だ。
野良と言われても、ボクには信じ難かった。

『意外?』
ボクの心を読んだかのようにスノーが言う。
『う、うん…』
『最初はちゃんと飼い主がいたわよ。でも、捨てられたの』
『そ、そうなんだ。良くない飼い主さんだったんだね…』
『私が普通の猫なら、ずっと可愛がってもらえたんでしょうけどね。私を飼ってると変なことが起こるから、気味が悪いんですって』
『変なこと?』
『仕方ないじゃない、私自身コントロールできないんだから』
『…コントロール?』
『まぁ、コントロールできていたとしても、気味が悪いって言われるんでしょうけど』

…何の話をしてるのか、全然分からなくなってきた。
首を傾げるボクに、スノーが言う。
『詳しく知りたい?』
ボクは思わずブンブンと思い切り首を横に振った。
どうもこの子は不思議ちゃんみたいだ。
深く関わると面倒なことになりそうな気がする。
ジェイの”その辺でやめておけ、関わるな”って顔が頭に浮かぶ。
うん、やめとくよ。
というより、最初からやめておけばよかったよ。

『ううん!もういいよ!話が長くなりそうだし。それにもうすぐ父ちゃんも戻ってくるから、ボクもう行くよ』
『大丈夫よ、手短に話すから安心して。…なかなか手を貸してくれそうな子に出会えなかったけど、この街に来て、ようやく手伝ってもらえそうな子に出会えたわ』
そう言うと、スノーは小さく笑った。
その笑みに何か大きな意味があるようで、何だか怖くなる。
と、同時にボクはハッとした。
さっき聞いたジェイの話。

『誰かを探してあちこちの街を渡り歩いているやつがいるらしい』

もしかして、この子が?まさか…。
手伝うって、人探し?猫探し?

『あなた…アルって言ったかしら?』
『そ、そうだよ』
『アル、あなた…人間の言葉を話したいって思ったことはない?』
『えっ!?』
ボクはドキリとして固まった。
突拍子もないことだったから、それもあるけど、一番驚いたのはそんなことじゃない。
だって…今日、ううん、今日だけじゃなくて、ずっとずっと前からそう思ってたから。
父ちゃんに拾ってもらった二年前、カフェの飼い猫になった時からずっと思ってた。
父ちゃんに…三人に、”ありがとう”が言いたいって。ボクは幸せだよって。

そんなボクの気持ちを感じ取ったのか、スノーはまた小さく笑った。
『その様子だと、思ったことがありそうね。…というより、思ってるって言った方が正しいのかしら?』
スノーの透き通った瞳でじっと見られて、ゾクッとした。
この子は本人が言った通り、普通の猫じゃないような気がする。
普通じゃない猫がどんな猫か分からないけど、とにかく普通じゃない、そんな気がする。

ボクの中の小さな警戒心が徐々に大きくなってきた。
”気をつけろ”って、ボクがボクに訴えてる。
腰を上げて身構えた。
『…何でそんなこと聞くの?君、何者?この街に何しに来たの?』
しっかりしたいと思ってるけど、ボクの声は残念ながら震えていた。
だってこんな猫と、会ったことがないんだもん。
『あら、警戒しないで。ただ聞いてみただけよ』
ボクとは逆に、スノーはいたって冷静に答えた。
ボクみたいに動揺もしないし、表情もあまり変わらない。
まるで感情がないみたいだ。
だから余計にスノーが怖いと感じるのかもしれない。

それに、スノーの言い方はまるでバカにしているように聞こえて、何だか気分が悪くなる。

もしかして、ボクをからかってる?

猫なんだから、人間の言葉を話せるようになるわけがないでしょ。
あなたバカね。

そう言われたみたいにボクには聞こえる。

そんなこと、分かってるよ。
叶わないことなんだってことぐらい、ボクだって分かってる。
でも、叶わなくても、思うことは自由だ。
文句を言われる筋合いはないし、彼女には関係のないことだ。

スノーの変わらない表情と、淡々とした口調が、ボクを余計に嫌な気分にさせる。

『…思ってたら何だって言うの?それは叶わないってことぐらいボクは分かってるよ』
『誰も否定しようなんて思ってないわよ。ただ、そう思ってる子が最適だから聞いてみただけよ』
『最適?』
何を言ってるんだ?
この子はボクと会話する気があるんだろうか。
会話が成り立たないと、どんどん嫌な気分になってくるよ。
こんなこと初めてだ。
こんなに嫌な気持ちになったのも、好きになれない猫と会ったのも。
もうやだ。早く帰ろう。

『ボク、君とは普通に話せないみたいだ。帰るよ』
『待ちなさい、本題はこれからよ』
背を向けたボクに、スノーは抑揚のない口調で引き留めてきた。
もう、うんざりだ。
ボクはため息をついて振り返る。
『その本題は、他の猫に話して。ボクは興味ないから』
『…あら、いいの?あなたには願ってもない話なのに』
『君はボクのこと何にも知らないでしょ。それはきっと、ボクじゃなくてもいい話だ。広場にいる猫たちに話したらいいよ』
ボクと同じように、誰にも相手にされないだろうけど。
『そうね、あなたのことは何も知らないけど、飼い主が大好きでそのことを飼い主に伝えたいと思っていることは分かったわ。あ、そうそう、あとは笑っちゃうくらいお人好しなのもね』
『……』
返事もしないで、ボクは歩き出した。

『最近、そういう子になかなか出会わないのよね。絶滅危惧種になっちゃったのかしらね?』
知らないよ、そんなこと。

『ねぇ、アル』
うるさいな。
いい加減にしてよ。

『…私があなたの願いを叶える方法を知ってるって言っても、聞く気はない?』

だから、聞く気はないって言って―

……え?

思わず足を止めた。

今、何て言った?

ゆっくりと振り返ると、スノーはさっきと変わらない様子で、ただボクの方を見ていた。

ボクの願いを叶える方法って?
そんな方法があるの?

胸がドキドキしてきた。

散々、彼女のことを嫌だと思ったのに、ボクはバカだなって思う。
でたらめなことを言って、ボクをからかいたいだけなのかもしれないし、本当に願いが叶うわけじゃないのかもしれない。
それなのに、ボクは話の続きがすごく気になってる。
何も話す気も聞く気もなかったのに。

それだけ、ボクが叶ったらいいなって思ってるってことだ。
叶わないことだって分かってるって?
よく言うよね。
ボクは大嘘つきだ。

父ちゃんに「大好きだよ」って言いたいんだ。
「ボクは幸せだよ」って言いたいんだ。
いっぱいいっぱい、父ちゃんとお話ししたいんだ。

だから、叶う方法があるのなら知りたい。

知りたいよ。

スノーのいるところへ、一歩ずつゆっくりと歩み寄る。
『…ねぇ、今……今、何て言ったの?』

ボクの言葉を聞いて、スノーはゆっくりと瞬きをした。
そして、ふさふさした立派なしっぽを揺らすと、小さな笑みを浮かべて言った。
『やっと少しは聞く気になってくれたようね』

そう。
あの、抑揚のない、淡々とした口調で。


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