「Cafe I Love You」
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…ん…ふ、ふぁ~…よく寝たぁ…
うーんと伸びをして目を開けると、お日さまがいつの間にか頭の上も通り過ぎて、西の空にいた。
そうか、さっきから子供の足音がすると思ったら、学校が終わったんだね。
あんまり気持ちがいいから、いつもよりいっぱい寝ちゃった。

店の中を覗くと、数人の常連さんがいつものように父ちゃんたちと楽しそうに話をしていた。
まだボクの相手をしてくれそうにないな。

『よう、アル。ずいぶん暇そうだな』
声の主は隣の家に住んでるジェイだ。ボクと同じように、家の前でちょっと太めの身体を横にして、眠そうな顔でボクを見ていた。
『そう言うジェイこそ、暇そうだね』
『そうでもないさ。今日はこれでも忙しい方だ』
『どう見ても暇そうにしか見えないけど?』
『暇そうに見えて、実は忙しいんだよ』
『ふ~ん』
ジェイはボクがここに来た時には、もう隣の家に住んでいて、ボクより少し年上。ちょっと口が悪いけど、結構優しくて面倒見がいいお兄ちゃん的存在なんだ。
ケンカは強くはないし、走るのも得意じゃないけど、ちょっと目つきが怖くて見た目に迫力があるからケンカになることがあんまりない。
損なのか得なのか…。

大きなあくびを一つして、ボクはジェイの隣に座った。
『ねぇ、ジェイ。さっき、向こうの道を白い猫が歩いていったんだけど、どこの子か知ってる?』
『白いやつ?』
『そう、長い毛の真っ白な子だった』
『…知らねぇな。この辺に越してきたんなら、誰からか情報が入るもんだが、今のところそんな情報は来てないぜ』
『そっか、ジェイも知らないか…』
『なんだ、その白いやつは女だったのか?』
『うん』
『一目ぼれか?』
ニヤリと笑うジェイに、またボクは慌てた。
『父ちゃんみたいなこと言わないでよぉ。ボクはただ、見たことがなかったから、どこの子かなと思っただけだよ』
『それが恋の始まりだったりするもんだ。でも、気位の高そうな女だったら、止めといた方がいいぞ。お高く留まって偉そうにしやがる。貢がせるだけ貢がせて、飽きたらポイだ。女は控えめなやつがいい』
ジェイの持論で考えると、さっきの子は止めておいた方がいい部類になりそうだ。
まぁ、ボクはそんな気はないけど。

『…ただ、知らないやつがいたってのは、少し気になるな』
目を細めてジェイが呟く。
『え?どうして?』
『最近、聞いた話だ。誰かを探してあちこちの街を渡り歩いているやつがいるらしい』
『へぇ?それが、ボクが見た子かもしれないんだ?』
『何とも言えんな。噂だから、姿かたちははっきりしない。あるやつは白いって言うし、別のやつは茶色いって言いやがる。ほとんどが聞き伝わった情報で、どうせ実際にそいつに会ったことがあるやつなんて、数えるほどしかいないんだろ』
『ふ~ん。その猫が探してるのは猫なの?』
『そこらへんもさっぱりだ。噂なんてものは、必ず背びれや尾ひれがついちまう。本当は誰も探していない可能性だってあるからな』
『そうだね』
『知らんやつには気をつけろよ。おまえは元野良猫なのに、警戒心が無いからな』
それは自分でも少し自覚してる。そういえば父ちゃんにも言われたことがあったっけ。よっぽど無いってことかな。

『うん、気をつけるよ』
『おまえの親父も、あんまり野良猫どもに声かけてると、変な噂が広がって利用されるぜ。餌に困ったらあいつのところに行けばいいって思われても困るだろ』
ジェイの言う”親父”とは、父ちゃん、つまりサカザキのこと。父ちゃんが野良猫に会うと声をかけたり、餌をあげてるのは知ってる。だってボクもそのうちの一匹だったから。
『父ちゃんはそう思われてもいいって、きっと思ってるよ。野良猫が一匹もいなくなることが、父ちゃんの願いなんだって。ボクはそんな父ちゃんに拾われたんだもん、父ちゃんを応援するよ』
『…ふん、ま、俺に害がなけりゃ別にいいんだけどよ』
『そんなこと言って、本当は父ちゃんのこと心配してくれるんでしょ?』
『…なっ…ちがっ』
『心配しなくても大丈夫だよ。それに、ボクたち以外のたくさんの猫たちと父ちゃんが仲良くなっても、ボクたちの相手をしてくれなくなるなんてこともきっとないからさ』
ボクがそう言うと、ジェイは大きな体を転がしてボクに背を向けた。
『…だ、誰がそんなこと言ったよ…!…お、俺はおまえの親父なんて別に興味ねぇし…っ だいたい顔見るたびに痩せろってうるせぇんだよ、あいつは!』

「アル~あれ、いない」
お、噂をすれば…だ。父ちゃんが店から出てきた。
父ちゃん、ボクはここにいるよ!
ボクの鳴き声に父ちゃんが気づいた。
「あ、いたいた。ジェイのところにいたのかぁ」
ニコニコして父ちゃんがやってくる。
「二人で談笑中だった?ジェイ、少しはダイエットしてる?」
すると、ジェイはバッと勢いよく立ち上がると、シャーッと捨て台詞を吐いて家の中へ駆け込んでいってしまった。
「あれ?俺、何か怒られるようなことした?…あ、ダイエットダイエットって言い過ぎたかな?」
ポリポリ頭をかいて、父ちゃんが舌を出す。
ううん、あれは照れてるんだよ。
って父ちゃんに教えてあげたいなぁ。
本当、ジェイは素直じゃないな。

絶対認めないけど、ジェイは父ちゃんのこと気に入ってるんだ。
最初は好きじゃなかったみたいだけどね。
父ちゃんはボクたちが喜ぶことをいっぱい知ってるし、猫の扱いもよく分かってるから、ジェイみたいに素直じゃない猫も上手く操っちゃうんだ。
その時その時のジェイの機嫌に合った距離を保ってくれて、例えば、撫でてほしいけど素直に言いたくないなって時も、父ちゃんはピンときて、ジェイを撫でてあげる。

ボクがここに来る少し前にジェイのお母さんが死んじゃったんだけど、その時もずっと傍にいてくれたんだって。
ジェイからは、『全然落ち込んでもいなかったのに、いつまでも居やがるから呆れたぜ』って聞いたけど、呆れたって言いながら顔は嫌そうじゃなかったし、ジェイの性格を考えると、きっとものすごく嬉しかったんだと思う。
ジェイにとっても、父ちゃんはお父さん代わりなんだろうな。

「アル、これから夕飯の買い出しに行くけど、散歩がてら一緒に行く?」
やった!行く行く!!父ちゃんと散歩だ!
ボクの元気な返事を聞くと、父ちゃんはひょいとボクを抱き上げた。
「車や自転車が多くなる時間だから、マルシェまでは抱っこね」
うん、分かった。
「本当にアルは人間と会話してるみたいにタイミングよくニャアって鳴くなぁ」
だって分かってるんだもん。
「あ、サカザキ!!よかった、まだいた!」
店から勢いよくサクライが出てきた。
「ん?何かあった?」
「一つ頼み忘れた。フルーツも何種類か頼む」
「あいまい過ぎる追加だなぁ」
「いつもの店で、店長にいくつか選んでもらってくれ。新作タルトの試作に使いたいって言えば、オススメをくれるから」
「なるほど。で、何個ずつ?」
「とりあえず三つずつで」
「分かった。じゃあ、荷物が増えるなぁ。自転車で行くかな」
「悪いな。一番暇なタカミザワに頼みたいところなんだが…」
「違う物を買ってくるもんね」
「ああ、それにあいつに財布を渡したら、余計な物まで買ってきやがるからな」
「確かに」
「……」
ふいにサクライが後ろを向く。
「どうかした?」
「…いや、タカミザワがまた聞いてて、出て来るんじゃないかと思って」
「そこまで耳がよかったら、人間じゃないよ」
「だよな」
ひどい言われようで可哀想だけど、本当のことだからボクは何も言えないや。
って、そもそも二人の会話に加われないけど。
「じゃあ、悪いが頼む」
「うん。じゃ、アルはカゴね」
父ちゃんの抱っこがよかったけど、仕方ないか。

ジェイの家との間にある店の裏口へ向かう。置いてある自転車のカゴにボクはストンと入れられた。
「飛び出しちゃダメだよ?」
うん、と返事。大丈夫、ボクは危ないことはしないもん。
「あ、しないってか。そうだよね、ジェイじゃないもんね」
どこからともなくシャーッと怒りの声が降ってきた。父ちゃんと見上げると、ジェイが2階の部屋の窓からこっちを見下ろしていた。あ~目が血走ってるよ。
「あ、聞かれちゃった。ごめ~ん、ジェイ」
ジェイはフンッと顔をそらして丸まった。あれは当分機嫌が悪そうだ。
「しばらく相手にしてくれなさそうだなぁ」
ジェイは根に持つからね。でも、大丈夫。大好きな猫缶をあげれば、あっという間に機嫌直っちゃうよ。

「まだ時間あるし、のんびり行こうか」
そう言って父ちゃんは、自転車を押して歩き出した。
マルシェは、トラムの駅前にあって、この時間は大賑わいのはず。
夜ご飯を買いに来る人が多いのもあるけど、夕方はあちこちでセールが始まるから、それが目当ての人も多いんだ。
サクライがパティシエ兼シェフってこともあって、マルシェの食べ物屋さんとは、ほとんどが顔見知り。
さっき話に出てきたフルーツ屋さんは常に利用してるから、サクライも信頼して店長オススメをよく買ってくる。
いつも甘い香りがして美味しそうなんだけど、残念ながらボクの口に入ることはないんだな。
いつも味見してる父ちゃんとタカミザワがうらやましいよ。

「あ…」
と父ちゃんが声を上げた。
何か忘れ物かな?と思ったけど、父ちゃんの顔を見たら、そうじゃないってすぐ分かった。だって、笑顔だもん、父ちゃんがこんな風に笑顔になる人は限られてる。
「…あ、サカザキさん。こんにちは」
駅前に住んでいるOLさんだ。父ちゃんのお気に入りさん。
「こんにちは。珍しいね、こんな時間に会うなんて」
「あ~そうですね。今日は仕事が休みなもので」
「そうなんだ。…帰るにはお家と逆だから、これからお出かけ?」
そう尋ねた父ちゃんの声が少し低くなった。あれ?どうしたんだろ?
「え、ええ。お友達とディナーなんです」
「そっか。楽しんできてね」
…あれ?
「はい。それじゃあ、また。アルもまたね」
う、うん、またね。
手を振る彼女を見送っていると、自転車が動き出した。
「さ、行こう」
やっぱりちょっと元気がなくなってる。いつもならもっとお話するのに、今日はやけにあっさりだったし、どうしたんだろう?
ボクの視線に気づいたのか、父ちゃんと目が合った。
「ん?どうした?何か言いたそうな目して。…もしかして、いつもより素っ気ないんじゃない?って思ってる?」
うん。
「今のニャアは”うん”なの?」
そう言って父ちゃんは苦笑い。
「ま、細かいことはいっか。…そうだね、素っ気なかったね。だって、仕方ないよ。これからデートに行く人に陽気に話しかけられないでしょ」
えっ?デートなのっ!?さっき友達と食事って言ってたのに?父ちゃん、何で分かるの?
「いい?アル。女の子はね、はっきり言わないものなんだよ。言われたことをそのまま鵜呑みにしちゃダメ」
そ、そうなんだ…
「なんてね。…そっか~彼氏ができたんだ…」

ああ…ションボリする父ちゃんにかける言葉が見つからないよ。
…って、ボク喋れないけど。

できることと言ったら、鳴くかスリスリしかない。
よし、スリスリしよう!とカゴの中で立ち上がった。
けど、パッと顔を上げた父ちゃんのセリフを聞いて、スリスリするのはやめた。

「そういえば、サクライがマルシェに可愛い店員さんがいるって言ってたよね。今日もいるかな?どの店だろう?サクライに聞いておけばよかったな。お気に入りさんが増えるといいなぁ。ねぇ、アル?」

…そうだった。
父ちゃんのお気に入りさんは一人じゃないんだった。
今の駅前のOLさん、カフェに来るお客さん、パン屋のお嫁さん、ばあちゃんの孫……あと…誰だっけ?

「あれ?アル、今度は無視?ひどいなぁ…」

どこまでが本気で言ってることなのかなぁ…とボクは思う。
父ちゃんはあんまり自分のことを話したがらないし、本心を言わないんだ。
だから、いつも一緒にいるボクでも、お気に入りの中に本気の人がいるのかいないのかもさっぱりだ。
もしかしたら、その中にはいなくて、別にいるのかもしれない。
そういえば、たまに一人で出掛けるぞ?……もしかして…恋人のところ?

…今度、こっそり後をついていってみようかな?
父ちゃんの意外な一面を見れたりして?

「…ふぇ……っくしょん!! …う~ん、風邪かな?それとも誰かが俺の噂をしてるのかな?」

…ばれた?


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