「Cafe I Love You」
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しばらく首輪を撫でていたサクライが、ハッと我に返って顔を上げた。
照れくさそうにボクたちを見る。
「…す、すまん。当時のことをあれこれ思い出して…」
ううん、とみんなで首を振る。
レインと過ごした一年と、それからの五年。
六年分もあるんだもん、思うことがたくさんあるはずだ。
レインがいなくなってから、サクライがずっと一人で抱えてきた苦しい想い。
それはきっとこの先も消えない。
一生心のどこかには残る。
ボクがひとりぼっちになった時の悲しみと同じように。
たったひとりで生きていることが辛くて寂しくて、生きている意味が見つからなかったあの頃のボクのように。
ああいう気持ちは簡単に忘れたり、消えたりするものじゃないから。

でも…

「…サクライくん」
トモエさんがサクライに歩み寄る。
「は、はい…」
「ごめんね、色々現実離れした話をして。頭が混乱してるでしょう?さすがに、あたしが話したことをすべて信じてほしい、なんて言わないわ。でもー」
「いえ、信じますよ」
トモエさんの言葉を遮ってサクライが即答した。あまりにはっきりと言われたからか、トモエさんが逆にびっくりしてる。
「へ…?し、信じてくれるの…?」
「ええ。先輩の話、全部信じます」
「ぜ、全部?本当に?」
「正直、半信半疑なところはありますよ。こんな小さな水晶の中に魂って。見えないだけに余計に疑いの目を向けたくなる。でも、先輩の言う通りここに…この中にレインがいる、そう信じたいんです。…この首輪から感じる懐かしい温かさを信じたい」
「……」
「…それに…」
「それに?」
「先輩はそういう嘘は言わないでしょう?」
うん、ボクもそう思う。
トモエさんはこういう時に嘘を言ったりしない。時々おかしなことは言うけど、嘘つきじゃない。だからこそ、父ちゃんもトモエさんに協力をお願いしたはずだ。信用できない人に頼んだりする人じゃないもん。
トモエさんがあら、と目を丸くする。
「それは分からないわよ?買いかぶりすぎじゃない?」
「そりゃあ、時々おかしな発言もありますけど、大事なこととか、特に猫に関しては本当のことしか言わないと思います」
「…その、”時々おかしな発言”っていう部分は心外だけどね」
「時々というか、”よく”ね」
「サカザキくん?何て?」
「…いえ、何も?」
「ははっ まぁ確かに”よく”だな」
「サクライくん?」
「いや、まぁ、それは置いておいて。大丈夫、先輩のことは信じてますよ」
「…まぁ、そういうことにしときましょう。…ありがとう、サクライくん」
「いえ。それと…さっき思い出したんです、俺」
「うん?」
「レインを飼うと決めた時、レインに幸せになってほしい、そう思ったんです。最期を看取りたいとか、そんなことじゃなかった。残された日々をただ幸せに過ごしてほしい、そう思ったんです」
「うん」
「大事だったのは最期の日だけじゃない。何より大切にしなければいけなかったのは、レインと過ごす日々だったんだ、と。今さら気づくなんて遅いですけど」
サクライの言葉にトモエさんが微笑んだ。
「そう、大切なのは毎日よ。人間だって、猫だって何だってそう。日々、愛情を伝えることが幸せに繋がっていくものなのよ。…あのね、サクライくん」
「はい」
「実は、さっきからサクライくんの足元にいるんだ」
「え?…いる…?」
「うん。レインがね」
『え!?』
三人がギョッとしてトモエさんが指さすところを凝視する。
「サクライくんとわかり合えたことで、やっと姿を見せてくれたみたい」
「こ、ここにいるんですか…」
「うん。サクライくんのことを見上げて、脚にスリスリして。大好き!って伝えたいのね」
「え…」
「サクライ、大好き!だって!めちゃくちゃ好かれてるじゃん!」
タカミザワにグリグリと肘を押しつけられたサクライは、
「は、ははは…」と、自分の足元を見下ろして照れくさそうに笑った。
「そうそう、アルくんにもレインが見えてるみたいよ?」
『ええっ!?』
三人がすごい勢いでボクを見る。その勢いにおののきながら、コクッと頷いた。
「う、うん。でも、さっき一瞬ぼんやり見えただけ。今はもうボクも見えないよ」
「そ、そうか…」
「でも、本当にサクライが大好きって感じだったよ!」
「お、おお…」
「ねぇ、サクライ。もう後悔したりしないでね?レインのことも忘れたりしないで。ずっとずっと、大好きでいてあげて。レインに必要なのは、きっとそれだけだよ」
ボクの言葉にサクライが頷く。
「ああ、もう後悔はしない。レインのことも忘れようなんて思わない。死ぬまで忘れない」
「…うん!」
サクライがもう一度自分の足元を見下ろす。姿は見えないけれど、きっと寄り添う温かさは伝わるはずだ。そして、レインが残した想いも。
「ねぇ、サクライ?レインがどう想っていたのか、もう分からないなんてことはないよね?」
父ちゃんにそう聞かれて、サクライが笑う。
「…そうだな。今さら気づくなんてレインには怒られそうだが、先輩やみんなのおかげで十分すぎるほど分かった」
「うん」
「最期は独りにしてしまって、別れの言葉も言えなかったが…」
「うん」
「あいつは俺を恨んだりしていなかった」
「うん」
頷く父ちゃんとしっかりと目を合わせ、そして優しく微笑む。
「あいつは……幸せだったんだな」
「うん…」
サクライは大切な首輪を両手で包み込むと、その場に屈んで足元に視線を向ける。
姿が見えるわけじゃない。それでも、まるでそこにいるレインが見えているかのように、サクライは優しく微笑んだ。
「レインと過ごした一年は、本当に毎日が幸せだったよ。おまえと出会えてよかった。ありがとう、レイン」

辛かった気持ちは消えない。
でも、その辛さを乗り越えられる時はきっと来る。
その気持ちを忘れたり、我慢したり、心のどこかにしまい込むんじゃなくて。
その気持ちと向き合えた時に、きっと乗り越えられる。

「みんな」
ボクたちを見上げたサクライの顔には、迷いや陰りはどこにもなかった。
あるのは、今までボクが見たこともない、とても幸せそうな笑顔だけだった。
「ありがとう、みんな。もう大丈夫。大丈夫だ」

想いの形は変わる。
消えないけれど、変わるんだ。

消えない”思い出”という形に。


「…うぅぅぅぅぅ~」
「…何で俺じゃなくてタカミザワが泣くんだよ」
「だって…サクライのそんな顔……久しぶりに…み、見たからあぁぁぁ~っ」
「鼻水汚ぇなぁ…ほら、ティッシュ」
「ううぅぅぅ……」
「タカミザワって最近、よく泣くよね。歳取ったんじゃない?」
「あれ、父ちゃんも目が潤んで―」
「…しっ」
「ふふっ」
もちろん、ボクもだけどね。
きっとトモエさんも……んん?
父ちゃんと同じように涙ぐんでいると思ってトモエさんを見たけど、なぜか口をポカンと開けて、まるで置物みたいに固まっていた。
それに、ボクを見て固まってるような…
「父ちゃん…」
「ん?」
「トモエさんが…」
「え?…あれ?先輩?何を固まって…あの、アルがどうかしたんですか?」
そう父ちゃんに聞かれても無反応だった。でも、何だか目がキラキラしてるように見える。
気のせいかな?
「どうした?」
サクライとタカミザワも父ちゃんの傍までやってきた。
「いや、先輩が何かアル見て固まってて」
「グスッ…ほ、本当だ…」
「おまえ、何かしたのか?」
「ええ?ボクは何も…」
「ああぁぁぁ…!」
「わぁっ!」
トモエさんが突然叫ぶから、毛が逆立つほど驚いた。
みんなも何事かとトモエさんを凝視する。
「…ま、まさか霊が乗り移ったとかじゃないよね…?」
「タ、タカミザワ!そういうこと言わないでよ!」
父ちゃんがボクをギュッと抱き締めると、慌ててサクライの後ろに身を隠した。
「お、おい、何で俺の後ろに隠れるんだよ…っ」
「だって!」
「お、俺も!」
「なっ タカミザワまで!おまえらは俺を何だと思ってるんだよっ」
『盾!』
「おい!」
サクライの背中から、そぉっとトモエさんを覗き見ると、さっきよりもさらに目を輝かせていた。
あれ、あの目、見覚えがあるなぁ。どこで見たんだっけ…?
「せ、先輩、どうしたんですか?怖いんで、ちゃんと説明してくださいよ…!」
サクライの後ろに隠れたまま父ちゃんが声をかけると、ようやくトモエさんが口を開いた。
「……あのさ…」
『……っ』
みんなが息を飲む。
「…突然、アルくんの言葉が分かるようになったんだけど……」
『……えっ!?』
…あ!そうだ!じいちゃんだ!!
ボクが人間の言葉を話せるようになっちゃったって、父ちゃんたちから聞いた時のじいちゃんの目だ!あの時の目にそっくり!!
って、ちょっと待って?ボクの言葉が分かるようになったって…何で!?何で急に分かるようになったの!?
頭の中が?でいっぱいになる。
そんなボクのところにトモエさんが勢いよく駆け寄ってくる。
「アルくん!!」
『!』
その勢いにサクライが慌てて横に避け、タカミザワもサクライにくっついて避ける。父ちゃんも逃げたそうにしているけど、頑張ってその場に留まった。何歩か後ずさってはいるけど。
「アルくん!何かしゃべってもらえない!?」
「…えっと……ト、トモエさん?」
「”トモエさん”…!!アルくんが…アルくんがあたしの名前を呼んでくれたぁ!!!やっぱり分かる!!」
トモエさんがその場をクルクル回って踊り出した。ものすごくうれしそう。
「う、うわぁ…踊り出しちゃったよ…」
あ、父ちゃんが引いてる…
サクライも引き気味だ。
「た、確かにアルの言葉が分かってるみたいだな。でも何で突然先輩まで分かるようになったんだ?アル、おまえ何かしたのか?」
「ボ、ボクは何もしてないよ!?そもそもボクが何かできるわけないじゃん!ボクに特別な力があるわけじゃないんだから!」
「あ、そうか」
「じゃあ、何で?」
「さぁ…」
『う~ん…』
みんなで首を傾げる。
「…あ!分かったわ!!」と踊っていたトモエさんが嬉々として声を上げた。
『え?』
「そうよ、首輪よ!あたし、さっきレインの首輪に触れたわ!」
「あ、確かに触ってましたね」
「レインの魂が宿っている首輪に触れて、レインの力の影響を受けたんだわ!」
手のひらを見つめて、トモエさんがほぅ…とため息をつく。ああ、うっとりしてる。
「え、じゃあ、あの首輪に触った人はみんなアルの言葉が分かっちゃうってことですか?」
「そうかもしれないわね」
「何それ!怖っ!サクライ、しまっといた方がいいよ!他の人まで分かるようになったら大騒ぎになっちゃう!」
「そ、そうだな」
タカミザワに言われて、サクライは手に持っている首輪をケースに戻しポケットに入れた。
色んな人たちと話せるようになったらそれはそれでうれしいけど、確かに大騒ぎになりそうだよね。
スキップしながら、トモエさんがまたボクと父ちゃんのところにやってくる。キラッキラな目をして。いや、本当にじいちゃんにそっくりだよ、トモエさん。
「まさか、こんな形でアルくんとお話しできるようになるなんてね。ふふ、うれしいわ」
「ムッシューが拗ねそうですね」
「確実に拗ねるわね。先生に自慢してやろうっと」
「何て性格が悪いんですか」
「だって!しょうがないじゃない。大好きな猫と会話ができるなんて、一生無理だと思ってたんだから!」
そうだ。ボクがニャアって返事するだけで、うれしそうに笑ってくれるトモエさんだもん。それがちゃんとした人間の言葉だったら、もっともっとうれしいはずだ。
「…ト、トモエさん!あのね!」
「う、うん?」
「お家にいる保護猫たち、みんなトモエさんのこと好きだよ!丘の上の野良猫たちもトリオもトモエさんに感謝してるよ!持ってきてくれるご飯も美味しいってトリオたちが言ってた!」
「…っ」
「いつもボクたち猫のためにありがとう!ボクたちはみんな、トモエさんのこと大好きだよ!」
「……や、やだぁ…そんなこと言われたら泣いちゃうじゃないぃ…っ」
トモエさんが目を潤ませてうろたえる。あ、ああ、涙がポロポロ落ちてきちゃった。
「ご、ごめんなさい…泣かせちゃった…」
「可愛いアルくんだから許すぅぅぅ…アルくん、今度あたしが作ったご飯食べてぇぇぇ…」
両手で顔を覆ったトモエさんが涙声で言う。
「ボクに作ってくれるの!?わぁい!うれしい!楽しみにしてるね!」
「ああん、もう、可愛いぃぃぃ!今度山ほど作って持ってくぅぅぅ!」
「え、ちょっ…山ほどは困ります!アルが食べられるだけ持ってきてください!」
「余ったら広場の野良猫たちにあげればいいじゃないのよぉぉ…せっかくなんだから、いっぱい作りたいいぃぃ」
「ああ、分かりました!みんなにあげます!あげますから!だから、好きなだけ作ってきてください!」
「う~めっちゃ大量に作ってきてやるぅぅ…」
「もう…」
「うううぅぅぅ…」
「ほら、先輩。これ使ってください」
父ちゃんがハンカチを差し出すと、トモエさんが恥ずかしそうに受け取って顔を逸らした。
「…ありがと…」
「返さなくていいですよ。先輩の鼻水がついたハンカチを返されても困りますから」
「…ちょ、言い方…!な、何なのよ。こんな時も優しくないなんて!通常運転すぎない!?」
「俺はいつだって通常運転です」
「…か、可愛くないー!」
「可愛くない後輩ですみません」
二人の言い合いはいつも通りだ。でも、父ちゃんはすごく優しい顔をしてる。
きっと、心の中ではよかったなって思ってるんだろうな。
トモエさんも猫と話せたらいいのにって、思ってたはずだから。
…もしかしたら、本当はすごくうれしいのかもしれない。
父ちゃんがボクとお話しできるようになった時と同じくらい。
それなら、トモエさんにそう言えばいいのにね。よかったねって。
わざと意地悪なこと言わなくてもいいのに。

ふと、父ちゃんもサクライのように、いつか後悔をしてしまう気がした。
もし、トモエさんと明日から会えなくなったら、今言わなかった言葉や気持ちは伝えられないまま、ずっと父ちゃんの心の中に残ってしまう。
あの時言えばよかったってきっと後悔する。
ボクは父ちゃんにはサクライのように辛い気持ちを抱えてほしくない。
伝えたい時にちゃんと言葉にしてほしい。
後悔して、悲しい顔をしてほしくない。
「父ちゃん」
前脚で父ちゃんの胸をトントンすると、父ちゃんがボクを見下ろした。
「ん?」
「…トモエさんに言いたいのはそんなことじゃないよね?」
耳元でそう言うと、父ちゃんがギョッとしてボクを凝視する。
何も言わないけど、顔にそうだって書いてある。
「人間と人間なのに…言葉にすればちゃんと伝わるのに、どうして言わないの?」
「…そ、それは…」
「ねぇ、父ちゃん。ボク、父ちゃんにはサクライみたいに後悔してほしくないよ」
ハッとして父ちゃんが目を見開いた。
ボクの言いたいことが分かったみたいだ。
「…ア…ル…」
父ちゃんが言わない言葉は、ほんの小さなことかもしれない。明日でも明後日でも来年でも言えることかもしれない。
でも、必ず明日が来るのかは人間だって分からないはずだ。
当たり前のように傍にいた人が、明日もいるとは限らない。
伝えられないまま、二度と会えなくなることもあるんだ。
もし、そうなったら…父ちゃんは後悔しない?
言わずにさよならしてもいいの?
ねぇ、父ちゃん。

「……」
しばらく考え込んでいた父ちゃんがボクの頭をポンポンした。
そして、泣いているトモエさんに一歩近づく。
「……先輩」
「…何?今さらハンカチ返せって言っても返せないわよ。鼻水つけちゃったし!」
「…いや、ハンカチは本当にあげますって。そうじゃなくて…あの…」
「…何よ?」
「…その……夢、だったんですよね?猫と会話をすること。…ムッシューの研究にただ一人賛同するほど」
父ちゃんの言葉にトモエさんが思わず顔を上げた。
照れくさそうに父ちゃんがトモエさんに笑いかける。
「大好きな猫と話せて、お礼もご飯も美味しいって言ってもらえて。今まで先輩が頑張ってきたこと、猫たちにも伝わっていてよかったですね」
「…サ、サカザキくん…」
「今回のことはレインの不思議な力によるものではありますけど…それでも、先輩の一番の夢が叶って、俺もうれしいです」
「…や、やだ、何言って…っ」
「俺は先輩がいたから、野良猫たちの保護活動と出会うことができました。今も続けられているのも、先輩がいるからです。いつもありがとうございます」
「…っ」
トモエさんの目からまた涙がポロポロと落ちてきた。
いつも意地悪なことばかり言う父ちゃんだけど、本当は優しい人だってトモエさんも分かってるよね。
それに、誰よりもトモエさんの気持ちが分かっている父ちゃんの言葉は、きっとトモエさんに一番響いてる。
「…な、何よぉ…通常運転はどこ行ったのよぉ…っ」
「たまには可愛い後輩になろうかなと」
「急にやめてよぉ…っ」
「ふふふ。…先輩、これからも頼りにしてますからね」
「…うぅ……ま、任せとけぇ!」
もう一度、ハンカチに顔を埋めたトモエさんから絞り出された涙声の言葉は、ちょっぴり素直になった父ちゃんを満面の笑みにした。

ね?
言葉って大事でしょう?
伝えるって大事でしょう?
伝えたいことは、ちゃんと言葉にしてあげてね。
きっと相手に届くから。

きっときっと、笑顔になるから。



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