「Cafe I Love You」
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-33-


「……」
見上げた先の父ちゃんの顔は、とにかく悲しそうでボクは胸が苦しくなった。
店を出てからずっと黙々と歩く父ちゃん。ボクもおしゃべりする気にはなれないから、黙って父ちゃんの腕の中におさまっている。
少し離れて後ろを歩くサクライとタカミザワも何も言わない。
…ううん、誰も何も言えないって言った方がいいかもしれない。

あの後、ボクとサクライは慌てて店にいる父ちゃんに見せに行った。父ちゃんは一瞬目を見開いて驚いていたけど、悲しそうに見つめるその顔で分かった。父ちゃんも知ってるんだって。きっとさっきのトモエさんからの電話で聞いたんだ。
「サクライとタカミザワも広場に一緒に来てほしい。理由は歩きながら話すよ」
広場に行く理由は言われなくても分かった。
…たぶん、サクライも。

父ちゃんの腕の中から後ろを歩くサクライを見る。ボクの問いかけでサクライも気づいているはずだ。ジャケットのポケットに手を入れて俯いて歩くその姿は、ひどく辛そうに見えた。あのポケットの中にはさっきのケースが入っている。
サクライが大事にしまっていたレインの……

ボクはレインに会ったことはない。
でも、スノーの匂いは知っている。
あと、スノーの不思議な力も。
レインの物からスノーと同じ青白い光が出てきて、スノーと同じ匂いがするなんて、そんなの理由は一つしかない。それがどうしてなのかは分からないけど、それしかないじゃないか。

「……」
父ちゃんは真実を知って悲しんでるんだと思う。そして、ボクやサクライたちにそのことを伝えることを迷ってる。自分と同じように悲しませたくなくて、言わなきゃいけないけど言いたくない…って。ボクを撫でる父ちゃんの手が震えてるのは、きっとそんな迷いがあるから。
そうだよね。こんなこと、サクライに伝えたくないよね。
やっとサクライが少し本当のサクライに戻ってきて、レインのことも話せるようになったところだったのに。
どうしてこんなことになるんだろう…

でも…
父ちゃんが知った事実はサクライが知らないままでいいことじゃないはずだ。
これはきっと言わなきゃいけないこと。スノーのためにも、レインのためにも。
そして、サクライのためにも。
「…ねぇ、父ちゃん」
「…う…ん…?」
「ボク分かったよ。スノーが誰なのかってこと」
「え…っ!?」
父ちゃんが身体をビクリとさせて立ち止まると、ボクを見下ろした。
「…さっき見せたレインのね…匂いがスノーと一緒だったから」
「…っ」
「でもね?どういうことなのかは全然分からない。どうしてって思う。父ちゃんはトモエさんから聞いたんだよね?」
「…うん……」
「ボクもちゃんと知りたいよ」
「アル…」
「サクライにも言わなきゃいけないんだよね?」
「……」
その言葉に父ちゃんが振り返ってサクライを見た。同じように立ち止まったサクライとタカミザワが不安そうな顔でボクたちを眺めてる。
「うん…でもー」
「あのね。ボクには父ちゃんがいるから、何を聞いても大丈夫だよ。サクライも父ちゃんとタカミザワが傍にいるんだもん。きっと…きっと大丈夫だよ」
「…ア、アル…」
そう、みんな大丈夫。だって一人じゃないもん。いつだって誰かが寄り添ってくれる。ボクが辛い時に父ちゃんがいてくれるように。
だから―
「父ちゃん」
「うん?」
首を傾げた父ちゃんの顔に思いっきりスリスリする。
「父ちゃんにはボクがいるよ」
「……っ!」
「母ちゃんが死んじゃった時、仲間と離ればなれになった時、すごくすごく悲しかったけど、父ちゃんと出会えたからボクはもう悲しくないよ。ボクの悲しい気持ちは父ちゃんが消してくれた。だから今度はボクが父ちゃんの悲しい気持ちを消してあげるよ」
「ア…ル…」
「ずっとずっと、ずーっとずーっと父ちゃんの傍にいて、いっぱいいーっぱいスリスリするからね」
「……あり…がとう…!アル…ッ」
ギュウッと父ちゃんが抱き締めてくれる。
ボクが一番大好きな人。ボクの一番大切な人。
父ちゃんの力になれるのなら、ボクは何だってするよ。
だって、大好きな大好きな父ちゃんなんだもん。
ボクに幸せをくれた、大好きな大好きなボクの父ちゃんなんだもん。

父ちゃんにもらった幸せを、今度はボクが返すよ。
父ちゃんがいつも笑顔でいられるように。
父ちゃんが幸せいっぱいになるように。

ずっとずっと、傍にいるよー


「……父ちゃん、ちょっとは元気出た…?」
「…うん、ちょっとどころじゃないくらい元気が出たよ!元気だけじゃなくて勇気も!」
顔を上げた父ちゃんが鼻をすすって照れくさそうに笑う。
「本当?」
「うん!僕はものすごく幸せだな。こんなに可愛いアルがずっと傍にいてくれて、しかも直接言葉で言ってもらえるなんて…っ」
「へへっ」
「ありがとう、アル。先輩から聞いたことはとても悲しい話だけど、ちゃんと真実を伝えるよ」
「うん」
「サクライとレインと、そしてスノーのために」
「うん」
「ねぇ、アル」
「うん?」
「もう一回、ギュッてしていい?」
「もちろん!!」
父ちゃんがもう一度ボクを抱き締めて、ゆっくりと優しく撫でてくれる。
その手はもう震えていなかった。

大丈夫、大丈夫だよ。
ボクはいつだって父ちゃんの味方だよ。
だから、父ちゃん。
頑張って。


深く息を吐くと、父ちゃんが顔を上げてもう一度後ろを振り返った。ボクたちの様子を黙って見ていた二人が父ちゃんを見る。
「先輩から…スノーの正体が分かったって連絡があったんだ。サクライには辛い話を聞かせることになると思う。ごめん…」
「……」
「…え?サクライ…?」
タカミザワが不思議そうに二人を交互に見やる。サクライはゆっくりと息を吐き出すと、ポケットの中からあのケースを取り出した。じっとそのケースを見つめると、顔を上げてしっかりと父ちゃんを見た。
「スノーはレイン、なんだな…?」
「…えっ!?」
タカミザワが大きな目をさらに大きく見開いて驚く。
驚くよね、そうだよね。誰もそんなこと思わないよね。ボクだって思わなかった。今も、信じられない。でも、そうじゃなきゃ成り立たないんだ。サクライが持ってるレインの物からスノーの匂いがするなんて。
「サクライ、気づいてたんだね…」
「さっきアルが言ったんだよ。これを出した時、何でスノーの匂いがするんだって。それにおまえの顔でだいたい分かる。そんな顔されたら、俺に関係あるって丸分かりだ」
「はは、そっか。そうだよね…」
「ちょ、何言ってるんだよ!?レインは死んだんだろ!?スノーがレインだなんてあるわけがないじゃないか!」
「確かにレインは死んでしまった。それは間違いない。そうだよね、サクライ?」
父ちゃんに聞かれて、サクライが頷く。
「ああ、それは俺が保証する。それに火葬もしたから、レインの身体が存在するはずがない」
「じゃ、じゃあ何で…!!」
「理由は分からないが、レインの遺品からスノーの匂いがするのなら、スノーはレインなんだろう。アルはレインと会ったことはない。知っているのはスノーの匂いだ。それと同じなら同一と考えるしかない」
「に、匂いが似てるだけかもしれないじゃないか!なぁ、アル?すごく似てるだけじゃないのか?な、そうだろ?」
「ボクもそう思いたいよ!思いたいけど…でも…一緒なんだ」
残念だけど、さすがに同じ匂いを間違えるなんてことはない。スノーとレインは同じ匂いだ。
「で、でも…」
「タカミザワ、猫は人間とは比べ物にならないほどの嗅覚を持ってる。それにこいつが嘘を言うとも思えない。アル、スノーは白い猫だったな」
「う、うん」
「で、毛が長いんだったよな」
「うん、そう。レインは…?」
「…毛の長い真っ白な猫だった。あと、目は獣医の話では白内障になっていて白濁があったが、もとの色はグレーだろうと言われた。スノーは?」
「…うん、スノーの目もグレーだよ。薄いグレー。…あ、あと、力を使うとブルーになってたよ」
「そうか。レインの目も時々ブルーに見えることがあった。レインに不思議な力があったのかどうかは俺には分からないが、ブルーに見えた時は何か力を使っていたのかもしれないな。…やっぱりレインとスノーは同じ猫と結論づけるしかなさそうだ」
「そ、そんな…」
タカミザワが呆然と立ち尽くす。
「で、でも!ボクには分からないよ!死んじゃったレインがどうしているの?おかしいよ!」
死んでしまった猫が存在するなんて、どう考えても変だ。猫だけじゃない。人間だって犬だって、何だってそうだ。死んだら動かなくなって冷たくなる。そして二度と会えない、それが普通だ。それなのに、レインがいるなんておかしい。

「俺にもそこが分からない。確かにレインは死んだ。サカザキとアルが会っていたスノーと名乗ったレインは一体何だと言うんだ?」
父ちゃんがキュッと唇を噛み締める。
「それは……」
「…あたしから説明するわ」
『!?』
突然聞こえた女の人の声にみんなでビクッとする。
現れたのはトモエさんだった。暗いから表情は分かりにくいけど、いつもの明るい声じゃない。
「先輩、広場で待ってるって…」
「サカザキくんが言いにくそうだったし、あたしが話した方がいいかなって思ってね。時間がないから歩きながら話すわ。みんな来て」
そう言うと、トモエさんが踵を返して歩き出した。慌てて父ちゃんとサクライ、タカミザワが後を追う。
「先輩!本当にスノーはレインなんですか!?」
先を急ぐトモエさんにタカミザワが問いかける。
「ええ、それは間違いないわ」
「…そんな…」
「でも、正しく言えば、あの子はレインではないの」
「は?そ、それはどういう―」
「…レインの欠片。一部なのよ」
「…か、欠片?…い、一部?」
欠片?一部?…一部って…どういうこと?
「そう、一部よ」
トモエさんが振り返る。そして、サクライを見た。サクライが戸惑いながらトモエさんを見つめている。
「…レインの一部って…それはどういうことですか?」
「レインがすでに亡くなっているのは、紛れもない事実よ。あの子の身体はもうないわ。…でも、まだあるのよ。あの子の魂と力は今もこの世に残ってる」
「…え?」
「本来はレインの命が尽きた時に身体も魂も、そしてあの子の力も消えるはずだった。でも、魂と力は残ってしまったの」
「魂と力が残った…?」
「…これはあたしの推測だけど、死を迎えた時にあの子の力が暴走したんじゃないかと思う」
「暴走?」
「例えば…そうね、感情が高ぶったり、強い想いを抱いたり。死の間際にレインの中で何かが起きたのだと思う。その時におそらく身体と魂が離れてしまった。魂は身体に戻ることができず、別のところに入り込んだ」
「別のところ…」
「でも、レインの力はとてつもないから、入り込んだその場所に魂が入りきらなかったのね。その入りきらなかった魂の一部からもう一つの存在が生まれた。それが―」
「スノー…」
「…魂の欠片であるスノーは魂の一部だから、持っている記憶や力も中途半端。そして長い年月、本来の魂から離れていることで記憶はどんどん消え、力もなくなっていく。今はサクライくんに出会う前の苦々しい記憶が強く残り、異常なまでに人間を嫌うスノーという猫になってしまったんじゃないかと思う」
「…じゃあ、スノーは俺のことは覚えていないってことですか?」
「まったくないわけではなさそうだけどね」
「え?」
「さっきちょっとね。あたしが見せたものに反応があったから、少しは何らかの記憶があるみたいよ」
「反応があったんですか」
「ええ。でも、どの程度覚えているのかは何とも…。ねぇ、サクライくん、レインが亡くなってからどのくらい経ってる?」
「え?あ、ああ…イヴェールを出る頃だから…五年くらいです」
「五年か…それだけ魂と離れてしまっているのなら、記憶がなくなっていくのは当然ね。もともと不完全な状態だから、まだ自我があって何か記憶が残っているだけでも奇跡よ」
「そう…なんですか」
「あの子が持つ力のおかげかもしれないわね。普通だったらとっくにー」
「い、いや!ちょ、ちょっと待ってくださいよ!話の次元がおかしくなってる!!」
タカミザワがトモエさんとサクライの間に割って入ってくる。
「サクライ!おまえ、普通に応じてるけど変だって分かってるか!?死んで身体はもうないのに広場にいるような状況なんだぞ?そもそも、そこがおかしいだろ!」
「…あ……」
そうだよ。身体がないのに、スノーとして存在しているなんて変だ。一体どういうことなんだろう?
サクライがハッとしてトモエさんを見た。
「…つまり、広場にいるのはレインのゴーストってことですか?」
「…あの子の場合は特殊で、ゴーストと一言で言うのは正しくないけどね。でも、大まかに言ったらゴーストになるわね」
ゴースト?ゴーストって何だろう?
「父ちゃん、ゴーストって何?」
「……オバケのこと」
「…オ、オバケ!?父ちゃんの苦手な!?」
「そ、そう…」
スノーはオバケ…死んじゃったレインのオバケ!?ボクが広場で会って話してたスノーはオバケだったの!?匂いもあったのに?ちゃんと目の前にいたのに!?
…え、ええぇーっ!?
「ボ、ボクと父ちゃんはオバケと会ってたの!?」
「そう…なるね……」
「え、ええ…」
で、でも、思い返してみれば、色々おかしなことがあった。突然現れたり、あっという間にいなくなったり。あんな細い脚で走れるとは思えないから、不思議だったんだよね。
そうなんだ…スノーはオバケだったんだ…
「……」
サクライは言葉が出てこなくて固まり、タカミザワはサクライの隣で青い顔をして頭を抱えてる。
「…ゴ、ゴースト…!?う、嘘だろぉ…!?あ、あり得ない…!」
「でも、タカミザワくん?ここに普通の猫じゃなくなったアルくんがいるわよ?どう説明するの?」
「うっ…」
「アルくんのことが起きた時点で、何が起きてもおかしくないのよ。もはやどんな動物が人間の言葉を話してもおかしくないし、ゴーストが視えたり怪奇現象が起きたって不思議じゃないわ」
「そ、そうですけど!」
「それにタカミザワくんとサクライくんも、すでにレインの力の影響を受けてるんだから、無駄な抵抗はやめて受け入れてほしいわね」
「えっ!?」
「当然でしょ?アルくんの言葉が理解できるということは、あなたたちにもその力が影響しているってことよ。サカザキくんとアルくんが広場にいる時、この街にあるレインの魂とスノーが共鳴してレインの力が発動してる。その時にあなたたち二人もその力の影響を受けているわ」
「…え?ってことは、俺たちだけじゃなくて、その力が発動した時にこの街にいた人たちは全員影響を受けてー」
「さすがに街全体に影響を及ぼすほどの力は今のレインの魂にはないわ。影響を受けたのは魂の一番近くにいたあなたたち二人だけよ」
「は?俺とサクライだけ?…え?魂の一番近くにいた…?」
首を傾げているタカミザワに父ちゃんが言う。
「タカミザワ、思い出してよ。トリオたちが家から妙な気配がするって言ってたでしょ?」
「え?ああ、うん。でも家中を探したけど、結局何も…え?ま、まさか、その妙な気配が…」
「そう、レインの魂なんだよ」
「ええ!?」
「!!」
タカミザワと固まっていたサクライが驚いて父ちゃんとトモエさんを交互に見やる。ボクもびっくりしてトモエさんを見た。父ちゃんの言葉を肯定するように、トモエさんがこくりと頷く。
「トリオたちが感じ取っていた気配はレインの魂だったのよ。広場にいたサカザキくんがスノーの力の影響を受けた時、店にいたサクライくんとタカミザワくんは近くにあったレインの魂の影響を受けていたというわけ。だからアルくんの言葉が分かるのがあなたたち三人だったのよ。もし店にまだお客さんがいたら、その人も分かるようになっていたでしょうね」
そうか!だから、サクライとタカミザワもボクの言葉が分かったんだ!
どうしてじいちゃんや他の人たちは分からないのに、二人は分かるんだろうって不思議だったけど、そういうことだったんだね。
あの家にレインの魂があったなんて、びっくりだ!
…あれ、でも、何で?何であの家にレインの魂が…?
「い、いや、待って!?な、何で家にレインの魂が!?い、いつ!?いつから!?どこにいるんだ!?」

……”いる”?
タカミザワのその言葉が引っ掛かった。
何かが違う気がする。

サクライと出会う前にレインがどこに住んでいたかは分からない。でも、死んじゃうまでサクライと一緒にイヴェールにいたんだから、この街に住んでいたことがあったとしても、レインの魂がここに”いる”っていうのは変だ。
もし”いる”なら、最後に暮らしたイヴェールにいなきゃおかしい。
サクライが店を出すって決めたのはオリオンヒルズにいた時で、家を探したのもこの街で店を出すって決めてからだって父ちゃんが言ってた。だから、この街に住むこともあの家に住むことが決まったのもレインが死んでしまったあとだ。
だから、レインの魂はあの家に”いる”わけがないんだ。

じゃあ、何であの家に?
いつから?どうやって?
レインの魂はどうやってあの家に来たの?

来た…
でも、身体はない…
魂だけ…

”魂は身体に戻ることができず、別のところに入り込んだ”
トモエさんの言葉を頭の中で繰り返す。


別のところ…って…どこ…?
レイン…どこにいるの?

……

……あ…

”どうしても捨てられなくてな。あいつのために選んだ物だし、その…思い出が詰まってるし…な”

サクライの言葉。
小さな箱。

……ああ…

スノーと同じ青白い光。

サクライがレインのために選んだ、大切な…大切な…レインのー

あ…ああ…!

「……ま…さか―」
ボクと同じタイミングでサクライも気づいていた。手に持っているケースを凝視している。
驚くサクライにトモエさんが微笑む。
「そう、その”まさか”よ。レインの魂はね、ずっとずっと飼い主の傍にいたの。ずっとあなたと一緒に」
トモエさんはサクライが手にしているケースを見た。レインの遺品だ。
「見せてもらっていいかしら?」
「え、ええ…」
サクライからケースを受け取ると、トモエさんはゆっくりフタを開けた。
青白い光を放つそれは、先ほどと同じようにそこにあった。それを見たトモエさんは悲しげに微笑む。
「これはサクライくんがレインのために?」
「……ええ。飼うのなら、やはり着けなきゃと思って」
「レインによく似合いそうね」
ケースの中にあるもの、それは首輪だ。サクライがレインのために選んだレインの首輪。
水色の首輪で真ん中に青色のリボンが付いている。そのリボンの真ん中にはキラキラした丸い玉があった。
「この玉は水晶ね」
「ええ。誕生石をつけられるというものだったんですけど、レインの誕生月は分からないので、水晶にしました。レインが死んだ時に一緒に火葬しようかと思ったんですけど、何かできなくて…」
「…そう」
トモエさんはそれをそっとケースから取り出し、サクライの手のひらに載せた。そして、上から包み込むようにトモエさんが手を重ねる。
「この中よ」
「…え?」
「首輪についている水晶の中に…レインの魂があるわ」
『えっ!?』
みんながサクライの手の上の首輪を見る。あの、真ん中の小さな玉の中にレインがいるの!?
「…この…この中にレインの魂が……?」
サクライがキラキラした玉を見つめる。
「一緒に火葬できなかったのは、レインからの念かもしれないわね。ここに私がいる、燃やさないでって」
「……そんな…」
「あなたからもらった首輪ですもの。レインにとって、とても大切な物だったんじゃないかしらね。ねぇ、サクライくん?レインが亡くなってから今日まで、何か困ったことや大変だったこととか、何かあった?」
「…え?いえ…そういうことは何も。むしろ―」
「順調だった?」
「…ええ。レインが死んでオリオンヒルズに引っ越した後、新たな仕事もすぐに見つかったし、店長から独立を勧められたんです。独立すると決めた時もこの物件がすぐ見つかったし、ウエイターを探そうと顔の広いサカザキに相談したら、二人で手伝ってくれると言ってくれて。店を開いた後もそれなりに客も来てくれて、今日までびっくりするぐらい順調で―」
「愛されてるわね、この子に」
「え?……まさか順調だったのは…」
「この子の魂があなたを守ってくれていたの」
「……」
「レインはあなたのことが大好きだったのよ。あなたがレインを大切に想うのと同じくらいに」
「…っ」
「…レインはサクライくんと出会う前、様々な人間に飼われているの。これまで集めた情報の中で、飼い主を転々とした白い猫がおそらくレインのことだと思うわ。他の噂ももしかしたらレインのことかもしれない。あの子はあたしたちが思っている以上に、とても辛い過去を持っている子だわ」
「…だからあんなにも人間を…」
「きっと普通の野良猫以上に人間を忌み嫌っていたでしょうね。それでもあなたに出会って本当の愛情を知ることができて、初めて人間に心を開くことができたんだと思う」
「……」
「レインはあなたとの暮らしが本当に幸せだったのよ。だからこそ、魂だけになっても離れずに傍にいた。あなたとずっと一緒にいたかったのね」
あの丸い玉の中にレインがいる。死んでしまっても、ずっとずっとサクライと一緒にいたんだ。離れたくないと思うほど、レインはサクライが大好きだったんだ。ボクと父ちゃんみたいに。

「……まさか…ずっとこんな近くに…。死を受け入れられなくて、忘れようとしていたひどい飼い主なのに。それなのにずっと…五年も俺を守っていたのか…こんな情けない飼い主のために……」
「…情けなくなんてないわ。レインが今もあなたを守っていることがすべての答えじゃない。あなたは素晴らしい飼い主だったのよ」
「先…輩…」
「そうだよ、サクライは情けなくなんてないよ。レインを最期まで愛してあげた立派な飼い主だ。レインは最期まで幸せだったと思うよ」
「サカザキ…」
「先輩とサカザキの言う通りだ。ちっとも情けなくなんてない。おまえは頑張ったよ」
「タカミザワ…」
三人が大きく頷いて、サクライの手のひらにある首輪を見つめた。
サクライはレインの首輪を両手で包み込んで、愛おしそうに撫でる。優しくゆっくりと。
きっと毎日あんな風にレインを撫でてあげていたんだろうな。名前を呼びながら、優しく優しく。その愛情がレインに伝わらないわけがない。

「レイン…」
サクライがそう呟いた。
とその時、青白い光が一瞬だけふわりと優しい暖かな色に変わったような気がした。
まるで…そう、春に咲く桜の花みたいな。
そしてー

……え…?

ぼんやりと何かがサクライの横にちょこんと座っているように見えた。
大きさはボクぐらいで…猫のような…
も、もしかして、あれは……!
トモエさんを見てみると、ボクと同じようにサクライの横にいるものを見て微笑んでいた。
トモエさんにも見えてるんだ!
父ちゃんやタカミザワ、サクライは気づいていない。きっと何も見えていないんだ。
三人にどう伝えようかとまごまごしていたら、それはゆっくりと立ち上がった。
そして、サクライの脚に身体を擦り寄せてサクライの周りを一周すると、スーッと消えていった。

…き、消えちゃった……
見えていただろうトモエさんを見ると、ボクと目が合った。
ボクの言いたいことが分かったのか、トモエさんが小さく頷いてくれた。
やっぱり!今のはレインだったんだ!
レインはずっとサクライの傍にいた。
サクライには見えないけれど、ずっと傍でサクライに寄り添っていたんだ。
サクライに買ってもらった大切な首輪の中で、ずっとずっとサクライを守っていたんだ。

姿を見せてくれたのは、サクライに伝えてほしかったからだよね?
自分はここにいるよ、傍にいるよって。
サクライのことが大好きだったんだよって。
とっても幸せだったんだよって。

ありがとう、レイン。
姿を見せてくれて。
君の想い、しっかりと受け取ったよ。
サクライにはボクが伝えるからね。
絶対絶対、伝えるからね。


サクライを愛おしそうに見上げるレインの姿が、いつまでも離れなかった。


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