「Cafe I Love You」
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-32-

ガタンッ ドサッ

「わっ!」
突然の音にびっくりしてボクは飛び上がった。
サクライに仕返しとばかりにひっくり返されて、あっちこっちわしゃわしゃされていたから、油断してた分、余計に驚いちゃった。
音のした方を見ると、棚から何かが落ちたみたいで床にいくつか散らばっている。本とか雑誌、あとは何かの箱かな。
サクライがよいしょと立ち上がった。
「…何で落ちてきたんだ?おまえ、脚で棚を蹴ったか?」
「蹴ってないよぉ!」
「そうだよな。おまえのその短い脚じゃ、棚まで届かないしな」
「どうせ短いよ!」
「ははは」
落ちてきたものを一つ一つ拾って棚に戻していくサクライだったけど、最後の1つを手に取ると、ピタリと動きが止まった。
手にしているのはお菓子でも入っていそうな小箱。それを見つめている。
「これ…」
「サクライ?」
ボクの声にハッと我に返ると、振り向いて照れくさそうな顔をした。
「あいつの話をしていたからか、あいつの遺品が落ちてきた」
「え!!」
「すっかり忘れていたが、取っておいたことを今思い出したよ」
駆け寄ってサクライを見上げる。
「レインの?」
「ああ。どうしても捨てられなくてな。あいつのために選んだ物だし、その…思い出が詰まってるし…な」
箱の中には女の人がするアクセサリーを入れるようなケースが入っていた。中身は見えないけど、キレイなケースでサクライのレインに対する想いを感じて、胸がキューンとする。
「サクライは本当にレインが大切で大好きだったんだね」
「…大好…お、おまえ、そういうことをよくそんなはっきりと言えるな」
「何で?はっきり言っちゃいけないの?だって大好きだったんでしょ?」
「ま、まぁ、そ、それはそうなんだが…。照れもせずよく言えるよな」
「ボクね、人間の言葉が話せるようになって余計に思うんだ。思っていることは口に出さなきゃダメだって。話せなくなるかもしれないし、二度と会えなくなるかもしれない。言える時に言わなきゃ伝わらないもん。だから、今はとにかく伝えたいことは全部言おうと思ってるんだ」
「……」
「だって、後悔はしたくないでしょ?後からああすればよかった、こうすればよかったって、思いたくないから」
サクライにはその気持ちを分かってもらえるはずだ。見上げた先のサクライは、悲しげな笑みを浮かべて小さく頷いた。
「…そうだな。照れくさいとか恥ずかしいなんて、逃げてちゃダメだな」
「そう!」
「でも、何かなぁ…おまえに言われるのは癪だなぁ…」
「ふふーん。ボク、サクライより経験豊富なんだからね。分からないことがあったらボクに聞いてよね!」
「なぁにが経験豊富だ」
指でボクの額をグリグリして、クククと笑う。
こうしてサクライと普通に話してることも、本当にうれしいんだよ?
言うとサクライが照れちゃうから言わないけどね!
「ねぇ、中には何が入ってるの?見たいな」
「ああ、これか?ずっと開けてないからどうなっているか分からないが、これはあいつの……っ!」
そのケースを箱から出して手のひらに置いた途端、サクライがビクリとした。
「サクライ?どうしたの?」
「……な…」
「ねぇ、どうしたの?」
信じられないと言いたげな顔でボクを見る。
「…ケースが…」
「うん…?」
「ケースが…何か熱い……」
「え!?熱いって、どういうこと!?…もしかして、中の物が燃えてるの!?」
「も、燃えていたら火が出てるだろ!何ていうか…カイロみたいな…いや、でも、そんな発熱するような物じゃ…な、何で…」
「あ、開けてみたら…?」
「開けるの怖いな…」
サクライは恐る恐るケースをゆっくりと開いた。すると、中から眩しい光が漏れてくる。
「うわ!何だこれ!?ひ、光ってる!?」

その漏れてくる光と匂いに今度はボクがビクリとする。

…え?
何で…?
どうして?
訳が分からなくなった。
だって、ここにあるはずがないのに。

これは一体どういうことなんだろう。
何故サクライの部屋にあるのか。
考えてもボクにはまったく分からない。
似てるだけ?別のもの?
ううん、違う。同じだ。
間違えようがない。
この光もケースの中からする匂いも。
どんなに鼻が利かなくなっても、この光と匂いは誰かと間違えたりしない。

「何でこんな光って…な、何が起きてるんだ…!?」
光を呆然と見つめるサクライに聞いても、きっと分からない。
でも、ボクは聞かずにはいられなかった。

「…サクライ…」
「…お、おい、こ、これは一体どういう―」
「…それは……誰の物…なの?」
「…え?」
「本当に…レインの物…?」

サクライの手のひらの上で輝く青白い光。
これはあの時と同じ光。
そして、この匂いも。
間違えるはずがない。
これは、あの子の―

「な、何を言ってるんだよ?これは間違いなくレインの―」
「じゃあ、どうして?」ボクはサクライを見上げて問いかけた。
「…え?」
「…どうして…レインの物からスノーの匂いがするの?」
「……え…?」

ねぇ、どうして…―?

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・
真っ白な世界がいつしか闇へと変わると、ぼぅ…と白い小さな姿が浮かび上がってきた。
フワフワと綿毛のような白い小さな塊。
弱々しく鳴く頼りない生き物。
ああ……あれは…子供の頃の私だわ。
まだ何も知らなくて、この力のことも認識できていなかった小さな私。
人間と暮らせることがうれしかった私。
何も知らなかったあの頃が一番幸せだった。

生まれてまもなく、飼い主が見つかり、ケージに入れられて車という乗り物で運ばれた。今よりはまだ目が見えていたから、車の窓から見える風景が物珍しくて、まだ子供だった私はずっと外を眺めていたっけ。 見るものすべてが新鮮で、これからの未来を楽しみにしていた。
とある場所に着き、出迎えた人間が私を見て微笑んだ時、私はこの人間とこれから暮らすんだと分かった。
私と共に生きる人間。私を欲してくれた人間。
この人間が悲しんでいる時は励まして、困っている時は手を差し伸べたい。大丈夫、私があなたを助けてあげる。
私はこれから飼い主のために生きるのだ。

その気持ちがすべて空回りになるとも知らずに。

飼い主のためにと頑張る私とは裏腹に、日に日に飼い主の様子がおかしくなっていった。私を怯えたような目で見てくる。いっぱい頑張っているのに、笑顔を見せてくれない。どうしてそんな目で見られるのか分からなくて、戸惑った。

どうして?毎日、色んなことを手伝ってあげているのに。
餌だって自分で準備してるし、出掛けている時には部屋だって掃除してキレイにしてる。帰ってきた時はドアだって開けてあげてるわ。両手がふさがってる時は開けられないでしょう?
それなのに何をしても飼い主は喜んでくれない。どうしたらいいの?私は途方に暮れた。

ある時、飼い主が誰かにヒソヒソと話しているのを聞いた。
「猫を飼い出してから、おかしなことが起きるんだ」
おかしなこと?そうか、だから私が手伝ってあげても喜べなかったのね。でも、おかしなことって何だろう?
耳をピクピクさせて会話を聞く。
「家に帰ってくると、玄関のドアが勝手に開いたり…鍵を掛けていたはずなのに」
…何を言ってるの?あなたのために私が開けてるのよ!
「テレビが勝手についたり、消えたり…」
あなたが観たいとか、そろそろ寝ようと言うからやってあげてるんじゃない!
「猫の餌用の皿に勝手に餌が出てたり、水が増えてたり…まるで猫が自分でやっているみたいで…」
そうよ!あなたが大変だと思って、私が自分でやってるのよ!

一生懸命伝えるけれど、私の声は飼い主に届かない。

どうして伝わらないの?あなたの言葉は分かるのに、あなたは私の言葉が分からないの?どうして?
ジッと飼い主を見つめると、苦痛に歪む顔で言った。

ああ気味が悪い…!あっちへ行け!!

翌日、見知らぬ人間にまたケージに入れられた。飼い主がもう飼えないと言ったのだ。こんな気味の悪い猫、いらないと。
どうしてそんな風に拒絶されたのか、私は分からなかった。この力が自分にしかないということを知らなかったから。猫はみんな持っているんだと思っていたから。
だから、次に連れてこられた家でも同じことをした。自分にできることはそれしかないから。今度の飼い主は喜んでくれるかもしれない、たまたま、あの人には気に入ってもらえなかっただけ。そう思って。

けれど、結果は同じだった。

最初はキレイな子だと褒めて可愛がってくれるけれど、しばらくすると私を見る目が変わる。

恐ろしい…!
化け物だ…!
こんな気味の悪い猫、いらない…!


どの人間も同じだった。
飼い主のためにと思ってやっていたことは、すべて飼い主にとって、異常で気味の悪い出来事でしかなかったのだ。
私は異常なのだと知った。

誰からも必要とされない存在。
誰からも愛されないー

私は悲しくて悲しくてたまらなかった。

何度も気味悪がられて、いつしか期待することもやめ、人間と暮らしたいとは思わなくなった。それなのに、いつの頃だったか人間たちは何故か私を飼いたがるようになった。どこかにたどり着く度に誰かが私を見にやってくる。
誰かが言っていた。
「こいつを飼うと幸せになれる」と。
誰がそんなことを言ったのか。
これまで、私を飼って幸せになった人間など、見たことがないのに。
きっと、おかしなことばかりが起こるからと、手放すための理由として、嘘を言った人間がいたんだろう。
見た目だけに騙されて、何て人間は馬鹿なのと心の中で笑った。
しばらくしたら、知るだろう。幸せになれるなんて嘘だと。

何も変わらない生活に飼い主が疑念を持ち始めると、私は力を使った。飼い主が私を手放すように。
少し変わったことが起きれば、手のひらを返したように化け物扱いするんでしょう?私は何も悪いことなどしていないのに。
ころりと態度を豹変させる人間たちの方がよっぽど化け物よ。

人間なんて嫌い。
幸せに暮らしている猫も嫌い。
みんなみんな、大嫌い。
何もかも。


深い悲しみが憎しみに変わる頃、私は人間の家を飛び出した。
人間から逃れるために。



行くあてもなく、彷徨い歩いた。目的などないし、生きる意味もない。このまま、死んでしまえば人間に飼われずに済む。悲しみも憎しみも消えて、きっと楽になれる。
誰からも必要とされないのだ。生きていたってどうしようもない。

空から水滴が落ちてきた。あっという間に身体が濡れて、脚が震えてくる。
冷たい…寒い…
きっと、力を使えば濡れた身体を乾かすこともできるだろう。暖かな家も餌をくれる人間もすぐに見つかるだろう。
でも、もうそんな気は起きなかった。ただ、楽になりたい。それだけだった。

よろよろと道の端に座り込む。真っ白だった身体は泥だらけだ。キレイじゃないなら、人間も寄ってはこないだろう。
濡れた身体がどんどん冷たくなってきて、意識も遠のいていく。
ああ、これで悲しむこともなくなる。憎しみも消える。
生まれてからずっと、思い返しても何一つ良いことなんてなかった。

お金持ちの家で優雅に暮らしたかったわけでも、たくさんの人間に愛されたかったわけでもない。
私はただ、誰かに必要とされたかった。
おまえがいて幸せだと、言われたかっただけ。

たった一人でよかった。
本当の愛情に、ただ、包まれたかった。

 ・
 ・
 ・

ポタリと前脚に水滴が落ちて我に返る。
そう、そうだ。
私は自分で野良になったのだ。
これは私が自分で選んだ道。後悔などしていない。
脚をプルプルと振って水滴をはらう。
これは決して私から出たものではない。雨だ。そう、あの時と同じように空から降ってきた雨粒だ。

悲しみはもうない。
すべて憎しみに変わったのだ。
今更、悲しいなんて―


「……」
「…っ!!」
見知らぬ人間の気配を感じ、全身の毛が逆立つ。
顔を上げると、一人の人間がいつの間にか近くに立っていた。
こんな距離まで近づかれて気づかなかったなんて。驚きつつキッと睨みつける。 牙をむき、来るなと威嚇するが、構わず近寄ってきてすぐ傍に腰を下ろした。
手を出してきたら攻撃して逃げよう。いつでも攻撃できるように身構えた。
「…安心して。あなたに危害を加える気はないわ。ほら、この匂い、あなた知っているでしょう?」
そう言うと、人間が両手を私に差し出してきた。かすかにあの子の匂いがする。確かにさっきまでこの人間の近くにあの子がいたことは間違いないらしい。あの人間の匂いもする。他の人間の匂いも、そして、何か食べ物の匂いも。
でも、だからと言って危険がないとは言い切れない。

ようやくあの子を少し信じてみようと思ったところなのだ。その知り合いだからと簡単に信じられるわけがない。私は攻撃体勢を解くことなく、睨みをきかせる。
「…やっぱりあたしじゃダメよね」
受け入れてもらえないと分かっていながら来たらしい。それなのにここへ来たこの人間の目的はいったい何なのだろうか。
「あなたに一度会っておきたかったの」
私の疑問を読み取ったのか、その人間はさらりと答える。
「だから、会えてよかったわ。この街に来てくれてありがとう、あなたを歓迎するわ」
この街にはおかしな人間が多いのか。ありがとうと言ってくる人間が二人もいるなんて。
人間を一通り観察してみる。ぼんやりと見える輪郭は女のようだ。“父ちゃん“とはまた少し違い、何か特殊な力を感じる。少し自分に近いのかもしれない。だからここまで近づかれても気づけなかったのだと思う。

そこまで読み取って、もしかして、と思う。好き好んで私に関わってくる人間なんて、早々いない。あの子はもう一人“父ちゃん“に似た人間がいると言っていた。あれはこの人間ではないだろうか。
「あなた、本当に頭が良いのね。興味深いわ」
目をキラキラさせて私を見てくる。“父ちゃん“より変人なのだろうことはだいたい理解できた。 この人間がもう一人の人間ならば、さしずめ私のことを探りにきたのだろう。
「そう。あなたのことをもっと知りたいと思ってね」
この人間には、こちらの考えを読み取る力があるようだ。こんな人間と暮らしていれば、自分の特殊さを感じずに過ごせたかもしれない。
「あたしも、もっと早くあなたに会いたかったわ」
私をじっと見つめて、悲しげに微笑んだ。
遅い。もう何もかも遅いのだ。たらればなんて、言ったところでどうしようもない。

ふと、手にしているバッグから何かを取り出した。
ふわりと食べ物の匂いがする。先ほどもした匂いだ。エサで釣ろうとしているのかもしれない。
…それにしても、これは何の匂いなのだろうか。何だか懐かしいような、ホッとするような匂いだ。
そう、まるでいつも身近にあったような……

…今、私は何て言った?
……身近にあった?

「……これね、今日もらったの。うちの子たちにって。あなたもお一つどう?」
包みを私に見せると、中から一つ取り出し、コトリと目の前に置いた。
置かれた物を見つめる。 ぼんやりと見えるそれは、小さな魚の形をしていた。 見た目は人間が食べるお菓子のようだ。
でも、これは人間用ではない。猫のために作られた魚クッキーだ。猫が食べても害のない材料で作っていて……

……

自分の言葉にゾクリとした。

何故、これが魚クッキーだと分かったのか。
形が魚だから?それだけ?
では何故、私は猫用だと分かるのか。
何故安全な食べ物だと分かったのか。
それは、つまり―


私は…私はこれが何か知っている―


「オリオンヒルズのケーキ屋さんで買ってきたんですって。猫用の魚クッキー。昔働いていたパティシエさんが考えた物で人気商品なのだそうよ。…あなたのお口に合うかしら?」

ドクンドクン―

導かれるようにそれに顔を近づけると、ゆっくりと鼻で触れた。
ああ…何て美味しそうな匂い。
いや、美味しそうな、ではない。これは美味しい。とても美味しいと知っている。
だって…だって、これは―

”今度店で出す猫用クッキーの試作、食べてみてくれよ”

突然聞こえてきた声に、ハッとして辺りを見回す。

「…どうしたの?」
しかし、いるのは例の人間だけだ。
では、今の声はいったい…

「何か思い出したの?」

思い出した?
今の声は、私の中の記憶だというの?
今のはいったい誰?

“なんだ、気に入ったのか?ははは!じゃあ、家でも作ってやるよ“

「…あなたの大切な人、かしら?」

大切な…人?
私の?
…な…に、それ…

知らない。
そんなの…そんなの知らない…!
幻覚のようなそれを振り払いたくて頭を振るが、頭の中にこだまする声は離れてはくれない。

何なの?
この人間の仕業?
やめてよ!
私は…私は……!!

”おまえに名前をつけなきゃな”

名前?
何を言っているの?
私の名前は―


“おはよう、―“


頭の中に響く声が、その優しい声が、はっきりと聞こえてくる。
そして、私を優しく撫でる手のひらの感覚にハッとした。

ドクンドクン…


…知っている。
この声を。
この手のひらを。
私は…知っている。


“―、行ってくるな。良い子にしてろよ?“


温かくて、とても心地よくて。
それは私の…


“―、ただいま。良い子にしてたか?“


”―、おいで”


…知っている。
この声は…私の大切な…―


前脚に水滴が落ちた時、人間が言った。


「…あなたの本当の名前を知っている人を連れてくるわ。だから泣かないで、スノー」


私の…本当の……名前……

私の名前は…―




“よし、今日からおまえの名前は―だ“



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