「Cafe I Love You」
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常連のじいちゃんは、カウンターのいつもの席に座り、大好きなコーヒーの香りを確かめるように顔の前でくるくるとカップを回した。ボクもいつものようにじいちゃんの隣の席からじいちゃんを見上げる。

「うん、いつもの香りだ。私が同じ豆で煎いてもこの香りは出ない。不思議なものだね」
「ありがとうございます」
サクライが口元に小さな笑みを作って頭を下げた。
「教えてもらった通りにやってはいるのだけどね。やはり腕が違うのかな」
「そんなことは…。私のコーヒーは、きっとこの店の雰囲気が助けてくれるのだと思いますよ」
「なるほど。では喧嘩もスパイスのひとつで、必要不可欠なのだろうね」
じいちゃんの言葉にサクライはサングラスの奥の目を一瞬見開いて苦笑い、タカミザワは持っていた洗ったばかりのスプーンをカシャンと落とした。あ、父ちゃんは笑いをこらえてる。
「し、失礼しました…っ」
タカミザワが頭を下げると、じいちゃんはニコリと笑った。

さっきまで繰り広げられていた言い争いは、結局父ちゃんが入り口にじいちゃんが立っていることに気づいて、ようやく終了。
ひっくり返りそうな勢いでサクライがじいちゃんのところへ駆け寄って平謝り。
タカミザワはそんなサクライに続こうとしたけど、一歩踏み出したところで足の小指をテーブルの脚にぶつけるというドジを踏んで、結局駆け寄ることもできず。タカミザワって何であんなにドジなんだろうねぇ…。
それにしても、お客さんが来てることに気づかないなんて、ダメだよね。
ボクが教えてあげようと声をかけたのにさ。
うるさい!なんて言うから結局気づけないんだよ。

じいちゃんは、近所に住むこの街の雰囲気がそのまま人間になったような、そんな紳士なんだ。
一人で住んでるから、ここへ来てサクライたちと話をするのが楽しいんだって。ボクのことも可愛がってくれる優しい人なんだよ。

三人がここでカフェを始めた頃、じいちゃんの奥さんが死んじゃって、じいちゃんはひどく落ち込んでいたんだって。庭の椅子に座って毎日ぼんやり。きっと、心にぽっかり穴が開いちゃったんだよね。
そんな時、たまたまサクライがじいちゃんの家の前を通りかかって、そんなじいちゃんを見て声をかけたんだって。”うちのコーヒー、よろしければ飲みに来て下さい”って。
サクライはじいちゃんがコーヒー好きなのは知らなかったけど、コーヒーが好きそうに見えたんだってさ。
それ以来じいちゃんは毎日のように来るようになったんだよって父ちゃんが教えてくれた。

きっとボクと同じだ。じいちゃんも幸せな気持ちになって、ここにいることが心地よくなったんだと思う。
ぽっかり空いた心の穴なんて、すごく大きなモノじゃなきゃ塞げないのに、それをサクライのコーヒーが塞いだってことだ。
やっぱり何かあるのかな、サクライが作るものって。それとも単なる偶然?
じいちゃんと話すサクライを見上げてみたけど、そんなボクの視線も心の声もちっとも届いてないみたい。

美味しそうにコーヒーを飲むじいちゃんの腕に顔をすり寄せた。
さっきはごめんね、二人のせいで長々立たせちゃって。
「ん?アル、どうしたんだい?突然甘えて」
すり寄ったボクをじいちゃんはゴツゴツした、でも優しい手で撫でてくれた。そんなボクを見て、
「…うーん…ごめんなさいってことかもしれないです」
と父ちゃん。
「ごめんなさい?」
「ええ。アルが最初にいらっしゃったことに気づいていたようで、僕たちに教えようとしていたんですよ」
「ほう」
「なので、二人の喧嘩のせいでごめんなさいって言いたい…のかな。ね、アル?」
さすが父ちゃん!ボクのことよく分かってる!
「まっさかぁ〜!」ハハハッとタカミザワが笑った。
「いや、あながち嘘ではないかもしれない」
神妙な顔でじいちゃんが頷く。
「え?」
「アルは頭がいいから、人間の言葉もきちんと理解できていて、私たちの話に頷いたり、笑ったり、怒ったりしているかもしれないよ」
「僕もそう思います」
父ちゃんが大きく頷いた。
「え〜アルが?そうかなぁ…。サクライはどう思う?」
「…そう言われてみれば、さっきメニューボードを置く時に、どかないから強引に置いてやったら、ニャーニャー鳴いて、まるで怒って何か文句を言ってるみたいだったな」
そうだよ、ボクは怒ってたんだよ!
「ええ〜サクライまで何言ってんだよ。こいつがそんな繊細か?」
「タカミザワよりは繊細かもな」
おっ!サクライたまには良いこと言うね!そうだよ、タカミザワより繊細なんだよ、ボクは。
「失礼な!」
「ま、タカミザワより繊細かどうかは分からないけどさ、僕たちが考えてる以上にアルは色々分かってると思うよ」
そう言って父ちゃんがボクの頭を撫でた。
「そうかなぁ…」
タカミザワの大きな目がボクをじっと見る。

そうなんです!
もぉ〜、そろそろボクのこと分かってほしいなぁ。なんだかんだでボクがここに来てもう二年なんだから。

ボクが文句を言ってると、タカミザワがボクに顔を寄せてきた。
「何だよ、アル。何か訴えてるのか?」
やっと分かった?って、相変わらず色白できれいな顔だよね。女の子たちが肌や髪のお手入れのことを聞いてくるのも当然かも。でも、特に何もしてないからアドバイスのしようがないんだって。髪の毛だって乾かさずに寝るような人だし、そりゃアドバイスなんて無いよね。
「タカミザワより繊細だ!当たり前だって言ってるんじゃないか?」
「猫がそんなこと言うかよ。それ、サクライが言いたいだけだろ!」
「…バレたか」

じいちゃんがボクの頭をポンポンした。
「アル、おまえが謝る必要はないんだよ。悪いことをしたわけじゃないんだから」
ん〜そうなんだけどさ。ここの猫である以上、飼い主の至らないところはボクがカバーしてあげないと…な〜んて。サクライとタカミザワにボクの気持ちが分かったら、”もう一度言ってみろ!”って首を絞められそうだ。よかった、二人が繊細じゃなくて。
「そうだよ、悪いのはあの二人なんだから」
父ちゃんは二人を指さした。
そうだよね、二人が悪いんだよね。二人ともソッポを向いてるけど。
「アルはいい子だね。私のことを気にかけてくれてありがとう。ほら、天気もいいし、外で日向ぼっこをしたらきっと気持ちいいよ」
本当だね、今日はお日さまが元気いっぱいだ。
よーし、気を取り直して、日向ぼっこしようかな。
じいちゃん、サクライの美味しいコーヒーを飲んで、今日も頑張ってね。
ごゆっくり!

椅子から飛び降りて扉のところで父ちゃんを呼ぶ。
「はいはい、ちょっと待ってね」
開けてもらった扉を出て、ボクはサクライが置いたメニューボードの前に腰を下ろした。
はぁ〜やっぱりここが一番落ち着くなぁ。
ポカポカのお日さまが気持ちよくて、ウーンと大きく伸びをした。
こりゃ、あっという間に寝ちゃいそうだぞ。

毛づくろいをしていると、コツコツと杖の音が聞こえてきた。この音はばあちゃんだな。
顔を上げて念のため確認。
「おや、アル。日向ぼっこかい?いいねぇ気持ちよさそうで」
やっぱりばあちゃんだ。
うん、今日は天気がいいからね。気持ちいいよ、いいでしょ〜。
一本裏に住んでるばあちゃんは、父ちゃんとサクライのガーデニングの先生。
店の前にある鉢植えやプランター、屋上の菜園も、元気に育ってるのはばあちゃんのお陰なんだよ。
ばあちゃんはいろんな知恵を持っててすごいんだ。花に元気がないな〜って時は、ばあちゃんに相談すればたちまち元気になっちゃうし、新しい野菜を育てる時も上手な育て方を知ってる。サクライも父ちゃんもばあちゃんには頭が上がらないんだって。

父ちゃんがばあちゃんに気づいて扉を開けた。
「おはようございます。今日は朝からいい天気ですね」
「おはよう。本当にね、アルも花たちも元気そうで何よりだわ。あなたもお元気?」
「ええ、僕も二人も元気ですよ」
「それはよかった。今日はね、うちで種から育てた苗を持ってきたの、大きくなればきっと料理にも使えるわ」
ばあちゃんはそう言って手に提げたビニール袋を父ちゃんに見せた。
「いつもすみません。またご指導お願いします。さぁどうぞ」
「ありがとう。じゃあアル、日向ぼっこごゆっくりね」
うん、ばあちゃんもゆっくりしていってね。


ばあちゃんが来たということは…あの人もそろそろ来るな。
だいたいみんな来る時間って一緒だよね。だから来ないと逆に心配になったりしてさ。
来なかったらボク、家まで様子見に行っちゃうかも。

…あ、来た来た。
コーヒーを飲んで、新聞を読んでから仕事に行くビジネスマン。
歳は…三人より下かな。この人も優しい良い人だと思うんだけど、ボクとはすごく距離を置くんだ。
え?何でかって?見ていれば分かるよ。

やってきたビジネスマンにボクはご挨拶。
「…っ」
彼はビクッと肩を震わせてボクを見ると、見なかったことにして店の扉を開けて入っていった。
相変わらずだなぁ。ほぼ毎日のことなんだから、そろそろビクッとしないでほしいよ。

そう、彼は猫嫌い。
あ、“嫌い”ではないんだっけ。何かね、猫アレルギーなんだって。ボクの毛とかがダメで、くしゃみと鼻水が止まらなくなるらしいよ。アレルギーって大変なんだね。
そういえば父ちゃんも何とか症だって言ってたなぁ。
人間って大変なんだね。
でも、それでも彼はこのカフェに毎日のように来るんだから、じいちゃんと同じようにサクライのコーヒーにハマッた人の一人なんだろうな。


とまぁ、ボクの一日はこんな感じで始まるんだ。
こんな風に始まる毎日、もしかしたら君にとっては平凡すぎてつまらないかもしれないね。
毎日違うことが起きたり変わったことがあって、ワクワクしたりドキドキしたり。確かにそれも楽しいけど、ボクはこういう平凡な毎日、結構好きだよ。
野良の時は“今日“しか考えられなくて、”明日“とか未来のことなんて何にも考えてなかったんだ。
考えてなかったというより、考えられなかった…が正しいかも。
だって、今日はご飯食べられるかなぁって毎日不安だったし、縄張りを広げていく強い野良猫に道でばったり出会わないか…ってびくびくしてたもん。
明日は何しようかな〜なんて、そんなのんきなこと考えたことなかったなぁ。
そりゃ、自由に外に遊びに行ったりできないし、窮屈なこともあるよ。人間と一緒で、一人で居たい時だって猫にもあるし。
でも、“一人じゃない”ってすごく安心するんだ。
悲しい時、辛い時、うれしい時も楽しい時も、ボクの傍にはいつだって父ちゃんがいる。
それが毎日当たり前のようにやってくるんだ。
大好きな父ちゃんがいつも傍にいてくれるなんて、そんな幸せなことはないよ。

と言っても、ここにいるとサクライに気づかれないようにプランターの葉っぱをかじってみたり、タカミザワがお皿をひっくり返してボクのところにフォークが飛んできたり、日常の中にも思ったよりスリルがあって面白いんだけどね。

こんなにボクは幸せなんだよってこと、父ちゃんにちゃんと言葉で伝えられるといいんだけどな。
父ちゃんが大好きで、ボクに「うちにおいで」って言ってくれてすごくうれしかったよって、伝えたいな。
ボクの気持ち、父ちゃんはきっと分かってると思うけど、やっぱりちゃんと自分の言葉で伝えたいんだ。

ボクが人間の言葉を話せたらなぁ…。

「ありがとうございました」
サクライの声と一緒に扉が開いて、じいちゃんが出てきた。
「今日も美味しいコーヒーをありがとう。また一日頑張れるよ」
「それは何よりです」
「いつも通り、すぐに燃料切れになって明日また来ると思うのだけれどね」
「はは。お待ちしております」
ボクも待ってるよ!
ボクの声にじいちゃんはニッコリ笑った。
「アルも今日一日頑張るんだよ」
うん!

美味しいコーヒーで温まったじいちゃんの背中を見送ると、サクライは店の中へと戻っていった。
ボクの姿がまるで見えないみたいに、ボクには見向きもしなかった。
見えてないわけないんだよね。一言ぐらいボクに声をかけてくれたっていいのに。
そういうとこ、父ちゃんみたいな優しさがないよね。
最初に作ってくれた、あの美味しいご飯は幻??
なんで俺が猫のメシを作らなきゃいけないんだよってブツブツ言いながらも、ボクが感動するぐらい美味しいご飯作ってくれたじゃん。

本当はすっごい優しいって分かってるよ、そうじゃなきゃあんな美味しいご飯作れないもん。
でも、態度はいつも冷たいんだよね。
猫が嫌いってわけでもなさそうだけど、好きでもなくて。
言ってみれば…そう、興味がないって感じ。

実は興味がないっていうのが意外に悲しい。
嫌いなら嫌いって言ってくれた方がこっちもあきらめがつくけど、興味がないって目にも入ってないみたいで嫌なんだよね。

たまにでいいから、サクライから話しかけてほしいな。
邪魔!!なんてセリフじゃなくて、もっと普通のこと。
みんなみたいに「今日はいい天気だな」とかさ。

ボク、サクライのことも好きだよ。タカミザワも。
きっと二人は知らないだろうけど。


なんて思っていると、嗅ぎ慣れない匂いが流れてきた。
ん?何だろう?ボクは鼻をクンクンして、匂いがする方を見ると、向かいの歩道を駅の方から、一匹の猫が歩いてくるのが見えた。
僕とは正反対の真っ白でふわふわした長い毛の女の子。野良猫とは思えない、何だか品のある感じ。
この街では見たことのない猫だ。
どこかの家の中で飼われていて、逃げてきたのかな?
ボクより年上っぽいけど、女の子が一人で大丈夫かなぁ…

ボクの視線を感じたのか、彼女は店の真向かいで足を止めて、顔をこちらに向けた。
ボクはドキッとした。その子の目がすっごくキレイだったから。ビー玉みたいにキレイな目で透き通ってて、何だか吸い込まれそう。

『あ…』
ボクが声をかけようとしたら、彼女はプイッと顔をそらしてまた歩き出し、あっという間に見えなくなった。
あ〜あ、行っちゃった。
あんたみたいな猫とは仲良くしないわよって感じだったな。
友達にはなれそうにないなぁ。


「あれ、アル、振られちゃった?」
父ちゃんの声が降ってきた。
見上げると、ニヤニヤ笑う父ちゃんがいた。
ち、違うよ!声だってかけてないのに!
「キレイな子だったねぇ。野良ではなさそうだし、最近飼い主さんと引っ越してきたのかもね。一回振られたからって諦めちゃダメだぞ?」
だからっ!違うってば!
「でも、押すだけじゃなくて、引くのも大事だからね。女の子は難しいんだから。恋は駆け引きだよ」
違うって言ってるのに…。
「サカザキ…猫相手に何言ってんだよ」
扉を開けたサクライは呆れ顔で父ちゃんを見ていた。
「ん?恋の手ほどき」
「猫に話すことかよ」
「猫だって恋はするでしょ。何、サクライが聞きたかった?」
「聞きたかねーよ」
「あ、そう」
「そんなことより、悪いが頼まれてくれ。マダムがこれから買い物に行くんだそうだ」
桜井が小声で言う。
「ああ、はいはい。付き添いね」
「ちょっと重いものを買わなきゃいけないらしい。重いものならタカミザワの方がいいとは思うんだが…」
「荷物は持てるけど、転びそうだもんね」
「悪かったな!ドジで!」
店の中から聞こえてきたタカミザワの声に、クスクスと父ちゃんが笑う。
「地獄耳だなぁ…」
「あいつ、自覚はあるんだな」
「みたいだね」
「じゃあ、悪いが頼む。15分後…ぐらいだと思う」
「オッケー。じゃ、それまでに洗い物を終わらせとくかぁ」
「おう、よろしくな」
白いシャツを腕まくりしながら、
「じゃあ、アル。日向ぼっこ邪魔してごめんね。仕事してくるよ」
と父ちゃんは手を振りながら店に戻っていった。
…と思ったら、小走りで戻ってきた。
どうかした?
「アル!」
ん?
「恋は駆け引きだぞ!」

だ、だから違うってばーっ!!
「よしよし、その活きだ!」


もしかしたら、ボクのことを一番分かっていないのは、父ちゃんなのかもしれない…


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