「Cafe I Love You」
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「ありがとうございました」父ちゃんがトモエさんに頭を下げた。
「あら、別に大したことしてないけど」
「きっかけを作ってくれましたから。先輩の言葉がなかったら、聞けませんでした」
「まぁ、あれだけ壁を作られちゃうと気軽には聞けないかもね。話してくれて良かったわね」
「はい」心底うれしそうに父ちゃんが笑った。店の中では、サクライとタカミザワが後片付けをしている。ガラスの向こうに見える二人の姿は、すごく楽しそうだ。サクライのあんな満面の笑み、初めて見たよ。
「家まで送ります」
「大丈夫よ、まだそんなに遅い時間じゃないし。七不思議の場所でも巡りながら帰るわ」
「…まっすぐ帰ってほしいんですけど」
「何言ってるのよ。あたしの活動時間はこれからよ!」父ちゃんがうんざりした顔をしたところで、ふと知っている匂いがして耳をピンと立てて匂いの先を見た。
「アル?どうした?」
「…あ、あれじゃない?ほら、あそこに猫が…あら?あの子たち、最近上の公園で餌をあげてる子達じゃない」
「ああ、トリオじゃないか」
「トリオ?」
「広場を縄張りにしている三匹なんですよ。訳あって上の公園に身を寄せているそうです」
そのトリオが店の反対側にある家と家の間に身を隠して、こちらを見ているのだ。ボクは首を傾げた。どうしてこっちに来ないんだろう。
「何だ、元々こっちにいる子達だったの。でも、訳あって…ってどういうこと?強い野良猫が来て追い出されたの?」
「いや、アルの話では、広場で妙な気配を感じたらしくて、怖くて上の公園に避難しているらしいですよ」
「…妙な気配?」
「ええ。不思議な力を持つスノーのことかなって思ってるんですけど、トリオは広場でスノーを見かけたことがないみたいなんですよ。そうなるとスノーじゃない別の何かなのかなって…」
「……」眉をひそめてトモエさんが何やら考え込む。

『タクローさん!!』ボクが呼んでも、やっぱり来てくれない。父ちゃんとトモエさんからはエサをもらっているのだから、怯えなくてもいいはずなのに。
「父ちゃん、呼んでも来てくれないよ」
「え、来ないの?どうしたんだろう?じゃあこっちから行ってみよう」
「うん!」
「あたしも行くわ」
みんなで店の反対側に行ってみる。

『タクローさん!コパンダ!トウフ!』
三匹に近づくと、顔が強張っていて警戒しているようだった。
その様子に、挨拶も忘れて駆け寄る。
『タクローさん、どうしたんですか!?何かあったんですか!?』
『…な、何かって、それはこっちのセリフだ。』
『え?』
『そうだよ!アルのところに行こうとしてたけど、アルの家から広場で感じたのと同じ気配がするから怖くて近づけなかったんだよ!』
『え!?』
『アルは大丈夫なのっ!?家の中に何かいるんじゃないのっ?』
トウフが体当たりする勢いで聞いてくる。広場と同じ妙な気配が家から?何を言っているんだろう。
『家には今はサクライとタカミザワしかいないよ。他には何の気配も…』
『おまえが気づいていないだけかもしれないぞ。人間の言葉が話せるようになってから、おまえの匂いが分かりにくいし、おまえも前と感じ方が変わっているのかもしれない。あとで親父に家中を見てもらった方がいい。』
真剣な顔でタクローさんに言われて、ゾクッとした。確かに人間の言葉を話せるようになってから、ボクは前より鼻が利かないし、鈍感になっている気がする。ボクが気づいていない何かが家の中にいてもおかしくない。ボクは顔を引きつらせながら頷いた。
『タクローさん、コパンダ、もう帰ろうよぉ…』
トウフはプニプニの身体を小さくして二人をツンツンした。声はもう涙声だ。そんなに恐ろしい気配なのだろうか。ボクにはどうしても分からないから、もどかしい。
『分かった分かった。アルにあのことを伝えたらな。』
『あのこと?』
『ほら、上の公園周辺にいるヤツらに白い猫の話を聞いてみるって言ってただろ?』
『あ、はい。タクローさん、聞いてくれたんですか?』
『ああ。何匹かと話したら、色んな話が聞けたよ。そいつらみんな、”広場か公園周辺に行けばエサにありつける”って噂を聞いてこの街に来たらしいぞ。』
『それって…』二人を見上げた。
「…ん?なぁに?」
「どうした?」
『そう、この人と親父だ。トラム沿線の猫たちに聞くと口を揃えてこの街に行けって言うそうだ。すっかり有名人だな。』タクローさんが呆れたように言う。
『あはは…』猫の世界で有名になっちゃうなんて、父ちゃんもトモエさんもすごいや。後で話しておこう。
『で、色々聞いた感じでは、毛長の白い猫の話は二つあるみたいだ。』
『二つ?』
『そう!』コパンダが大きく頷いて、続ける。
『一つは何かを探していて協力してほしいって頼まれるって内容。で、本当か嘘か、協力したら美味しい猫缶が山のようにもらえるって。』
『ね、猫缶?』
『それを聞いてトウフが、”それならボクは喜んで協力するよぉ!”って言ってたけど、トウフじゃ役に立てないよね、きっと。』
『あはは…トウフが役に立つかどうかは分からないけど、猫缶の話は嘘だと思う。くれるってボク聞いてないし。』
噂に余分なしっぽがついてしまってるみたいだ。というか、あのスノーが猫缶をくれるだなんて、そんなことはないと思う。”見つけるまでご飯抜き”と言われた方がスノーらしくて頷ける。
『やっぱりそこはデタラメだよね。』
『たぶんね。そもそも猫缶もらっても自分で開けられないよ。』
『確かに。』タクローさんとコパンダが頷く。
『もう一つは?』
『それがさ、全然違うんだよ。』
『違う?』
『うん、全然違う。ね、タクローさん。』
『たぶん違う猫の話だ。ずいぶん前にあった噂らしいからな。俺より年上のじいさんたちが言ってたんだよ。』
『どんな話だったんですか?』
『何かね、飼うと幸せになるんだって。』
『…幸せ?』
『コパンダ、言い方が悪い。”飼うと幸せになれると言われている猫”がいるという噂があったらしい。それが毛長の白い猫なんだそうだ。』
『へぇ…』
『詳しくは分からなかったが、人間たちの中で広まった噂らしいから、親父たちも聞いたことがあるかもしれないぞ。』
『そうですね、聞いてみます。』
『じゃあ、あんまり長居したくないから、もう行くな。アル、おまえ、本当に気をつけろよ?』
『…は、はい…!』
『またな、アル!』
『アル、気をつけてよぉ…!』
本当にここに長くいたくないらしい。タクローさんたちは駆け足で丘へ続く長い坂を上がっていった。トウフまで走っているなんて、相当だ。

「アル、何か聞けた?」
「うん」
ボクはタクローさんたちから聞いた話を父ちゃんに伝えた。まずは白い猫のことだ。
「飼うと幸せになる白い猫?」父ちゃんは聞いたことがないらしい。すごく怪訝な顔をしてる。
「タクローさんより年上の猫たちから聞いた話だから、昔の話じゃないかなってタクローさんが言ってたよ」
「先輩、そんな話……知ってるみたいですね」
見上げたトモエさんは、不機嫌そうに半目になっていた。
「まさか猫たちからその話を聞くなんてね。みっともなくて恥ずかしいわ」
「もしかして、噂ではなく実話ってことですか?」
「本当に飼うと幸せになるのかどうかは分からないけど、昔、そういう風にもてはやされた猫がいたそうよ。…そうね、確かに白い猫だと言われていたはずだわ」
「先輩がそんな風に言うということは、良い話じゃなさそうですね」
「金持ち連中から生まれた話なんですもの、良い話なわけないわ。もてはやされたその猫は、どう考えても幸せではないんだし」
「…ええ」
「きっと金持ちから金持ちへあちこち転々と……」そこまで言うとトモエさんが口をつぐんだ。
「先輩?」
「……気になるわね」
「…?」
「誰かと似てない?」
「誰かと?……え、もしかして、スノーって言いたいんですか?」
「スノーには不思議な力があるから、もし、その力で飼い主の願いを叶えてきたとしたら?色々な飼い主に飼われてきた理由にも繋がるわ」
「タクローさんより年上の猫しか知らないような話ですよ?どう考えても十五年…いや、二十年以上は前の話でしょう。健康体ならまだしも、スノーが二十年生きているとはとても思えない」
「確かにかなり前の話だわ。…でも、もし不思議な力のせいで、普通の猫より寿命が長いとしたら?」
「ああ…まぁ…そう考えれば、確かに有り得ますけど…」父ちゃんは悲しげな顔をした。きっとボクと同じことを思っているんだろう。スノーのことじゃないといいなって。噂話になってしまうようなことばかり経験してきたなんて、あまりにも気の毒だ。

「どちらも白い猫だからって、二つの話が同一の猫の話と考えるのは安易だけど、その可能性があるなら、調べてみた方がいいと思うの。そういう話に詳しい友人がいるから聞いてみるわ。違うなら違うで切り離せるし」
「…そうですね」
すると、トモエさんがしゃがんでボクの顔を覗き込んできた。
「ねぇ、アルくん。彼らは他にも何か言ってなかった?聞いたこと、全部教えてほしいの。人間より猫の情報の方が真実に近づける気がするのよ」
「…えっと……あ!そうだ!広場でタクローさんたちが感じた妙な気配が家からもするって怯えてたんだ!だから家の方に行けなかったって言ってたよ!」
「え?」さっきよりもっと怪訝な顔になる父ちゃん。
「家の中に変なものがいるかもしれないから、気をつけろって!」
「な、何、それ……」
ものすごく困惑してる。無理もない、そういうの嫌いだもんね。
「どうしたの?」
「……」
「やだ、顔色が悪いわよ?大丈……ちょ、ちょっと待って!サカザキくんのそういう顔はもしかしてもしかして!!」
「…その、もしかして、ですよ。先輩の大好きな系統の話です。オカルト的な」
「なになになになにーっ!?」
「広場でタクローさんたちが感じた妙な気配が家からもして、怖くて家の方に行けなかったと話していたそうです」
「…え?」
「妙な気配って一体何なんだろう…」父ちゃんは不安そうに道路の向こうにあるボクたちが住む家を見上げた。どうしてボクには何も感じられないんだろう。ああ、ボクにもその気配が分かればいいのに…!
「…妙な気配、か」トモエさんが呟く。
「妙なってことは、タクローさんたちは何の気配か分からないってことだよね、アル?」
「そうみたい。前に猫でも犬でも人間でもないって言ってたから」
「猫でも犬でも人間でもない、か。ますます先輩好みの話だな…」
「……ねぇ、アルくん?」
「なぁに?」
「確認したいことがあるの。答えてくれる?」
「うん!」
「返事してくれてありがとう。そのタクローさんたちトリオはスノーに会ったことがないのよね?」
「ないって言ってたよ。広場で見たことないって」
「広場で見たことがないそうなので、たぶん、ないと」
「そう。アルくんはスノーとは広場で出会ったのよね?広場のどの辺り?」
「噴水だよ」
「昨日も噴水のところだったよね?」
「うん、同じ場所」
「初めて会った時も昨日も噴水のところです。あ、でも、スノーの姿を見たのを含めたら、この辺りを歩いているところも見てますね」
「それはおそらくこの街に来た時ね」
「ええ、声をかける猫を物色していた時でしょうね」
「……」
少し考え込んだトモエさんは、今までになく真剣な顔だ。 頭が良くて変なことを研究しているトモエさんなら、あれこれ考えたら何か分かるのだろうか。
「…何か、分かったんですか?」
「…ん?一つ一つの情報を色んなパターンで繋げてみてるところ。バラバラになったパズルのピースをはめていくみたいにね」
「え、今の段階で繋げられるんですか?」
「ところどころは繋げられる…かもね。まだピースが足らないけど。…さて、アルくん」
「ん?なぁに?」返事をすると、トモエさんがにっこり笑って言った。
「アルくんに任務を与えたいと思います」
「え?」
「は?」
「次にスノーに会った時、スキンシップしてみてください」 突然の変な任務にギョッとする。
「え!?ス、スキンシップ!?」
「あら、驚いてる?そう、スキンシップ。挨拶とか、猫同士でスリスリするでしょう?」
「…す、するけど、スノーとなんて無理だよぉ…」
「スノーとは無理って言ってます。僕も無理だと思いますよ。人間はもちろん、同じ猫にすら気を許していないんですから」
「気は許してないかもしれないけど、近づいた時に一瞬でも触れる時があるかもしれないじゃない?」
「えぇ…」
「スノーの場合はそんなこと、一切なさそうです。ねぇ、アル?」
「うん…どんなに頑張っても、触れるほど近くには行けないと思う」
「そもそもスノーは一定の距離を保っていて、話せるアルですら近づくと離れます。僕が少しでも近づいたら威嚇してくるんですよ?触れるほど近づくなんて、とても無理ですよ」
「それを可能にするのがあなたたちの役目でしょ」
「いつからそんな役目になったんですか」
「…今?」
「はぁ?」
「あはは!冗談よ、冗談。できたら、よ。触れそうな機会があったら触ってみてってこと。この先のこともあるし、毛並みとか気になるじゃない」
「まぁ、身体の状態が心配ですから、触って確認したいですけど…」
「でしょう?健康状態も少し分かったらいいなと思っただけ。アルくん、無理やり触りに行かなくてもいいからね?セクハラになっちゃうから」
「セ、セクハラ…」それって人間の世界だけじゃなくて、ボクたち猫の世界でもあるのかなぁ…。

「じゃあ、あたしは行くわね」そう言ってトモエさんは家とは反対の広場の方へと歩き出した。
「え、逆ですよ?」
「さっき言ったでしょ?七不思議を巡って帰るって」
「そ、そんな呑気な。トリオが言っていた妙な気配はどうしたらいいんです?」
うん、父ちゃんの一番の不安はそこだよね。
「ああ、それならたぶん大丈夫だと思うわ」
「その根拠は?」
「数々のオカルト情報から導き出した答えよ。確信はまだ持てないけど」
「それじゃまだ分からないってことじゃないですか!」
「そりゃそうよ、ある程度仮説は立てられたけど、まだ選択肢が多すぎるもの。可能性のあるものを一つずつ潰していかなくちゃ」
「え?仮説は立てられたんですか?」
「ある程度はね。まだその程度よ」
「ある程度立てられただけすごいですよ!七不思議を巡ってないで聞かせてくださいよ」
「まだ話す段階じゃないわ。あたしの情報や知識だけじゃ絞り込めない。あくまで可能性があることを頭の中に並べただけよ。話すのは仲間の情報や知識、色んなことを集めて絞り込んでからよ」
「…いや、でも…」
「サカザキくんが早く知りたい気持ちも分かるわ。でもね、むやみに様々な仮説を口にして、本来は関係のなかった人たちのことまで晒したり、傷つけたり…なんてことはしたくないのよ」
「……」
「だから、もう少し待って。あとは一つずつ仮説を潰していくだけだから」

トモエさんは本当に真剣に考えてくれている、そう感じた。
スノーのことだけじゃない。ボクや父ちゃんのこともだ。
不思議な人で、何を考えているのかよく分からない人だけど、父ちゃんと同じように心はとっても優しい人なんだって分かってきた。
この人に任せておけば、スノーの飼い主も探している物も見つかるような気がする。

「…分かりました。もう少し待ちます」
「話せる時が来たら、すぐに連絡するわ。その妙な気配も何か分かったら説明するけど、あたしの見立てでは、あなたたちにもさっきのトリオたちにも害はないわ」
「…その見立て、信じていいんですか?」
「信じられないなら、しばらくは川の字で寝たらいいじゃない」
「川の字?…川の…はぁ!?俺たちがですか!?」
「だって怖いんでしょ?」くくくっとトモエさんが笑う。
「…っ」
「二人が一緒にいてくれたら安心だものね。ふふ、大丈夫。誰にも言わないから」ニヤニヤしながら、トモエさんは歩き出した。
「そ、そんな川の字になってなんか寝ませんよ!!」
「あ、そう。じゃあ、そういうことにしておきますか。頑張って一人で寝てちょうだい。じゃあね~」
ヒラヒラと手を振りながら、軽やかな足取りで歩道を進んでいく。カーブを曲がって姿が見えなくなると、父ちゃんのドッと疲れたような大きなため息が頭上から降ってきた。
川の字って何のことか分からないけど、たぶんタカミザワとサクライと一緒に寝るってことだよね。父ちゃんは寝ない!って言ってたけど、ボクは三人一緒に寝たっていいと思うんだけどな。集まって寝ると温かくて安心するもん。
なんて思っていると、父ちゃんがボクを抱き上げた。
「さ、家に戻ろうか」
「うん」
「とりあえず、変なものがいないか、タカミザワとサクライにお願いして家中見てもらおう」
「うん」
「何にもないとは思うけど、アルはなるべく僕と一緒にいてね。僕がいない時はサクライかタカミザワと一緒にいること。できるだけ一人にはならないようにね」
「うん、分かった」
「あと…」
「うん?」
「……妙な気配が解決するまで、しばらく一緒に寝ようね」
「うん!」

父ちゃんと一緒に寝られるなら解決しなくてもいいかも…なんて思っちゃったことは、父ちゃんに内緒だよ?


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