「Cafe I Love You」
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「…ねぇ?」
その不安そうな声に、みんなが顔を上げた。ボクもご飯をモグモグしながら、トモエさんを見る。
「あたしもいていいの?」
「サクライがいいって言ってますし。ねぇ?」夕食をモリモリ食べているタカミザワに問い掛けられて、サクライがコクリと頷く。
「ええ、話すきっかけを作ってくれたのは先輩ですからね。聞いてもらっても構いませんよ」
「そ、そう?サクライくんがそう言うなら、このまま同席させてもらおうかしら」
「本当は聞きたいんでしょう?目がキラキラしてますよ」 父ちゃんに指摘されて、トモエさんはペロリと舌を出した。

サクライは小さく笑うと、静かに話し始めた。
「きっかけは、イヴェールにいる時に猫を飼い始めたことなんだ」
「猫?猫を飼ってたんだ?」
「店で会った人に聞いたよ。野良猫を拾ったんだよね?」
「ああ。アパートの前でうずくまっているのを見つけて。ひどく弱っていたから放っておけなくて、病院に連れていったんだ。高齢だったこともあって、長くは生きられないって言われたよ」
「その猫を引き取ったんだ?」
「アパートはペット禁止だったから悩んだんだけどな。鳴きもしないし歩くのがやっとな猫だったし、飼ってもばれないかなと思って。まぁ、出会ったのも何かの縁だし、残された時間を一緒に暮らして、最期を看取ってやろうと思ったんだよ」
「サクライくんらしい」ふふっとトモエさんが笑った。父ちゃんもタカミザワもうんうんと頷いている。 そうか、それが本来のサクライなんだ。 それを知ると、なるほどと思うことがたくさんある。 ボクに興味がない態度をとるのに、美味しいご飯を作ってくれたし、ボクが人間の言葉を話せると分かった時には、ちゃんと信じてくれたし、父ちゃんにも伝えてくれた。 あれは、本来のサクライの姿が見え隠れしてたんだ。

「身近に猫を保護しまくってる人がいるからな。それを見てきたから、そういうことが当たり前になっちまったんだろうな」目の前にいる二人を見て、サクライが苦笑する。
「確かにそれはあるね。大学一、二の猫好きが近くにいたら影響されるよ」
「え、俺は先輩ほどすごくはないけど」
「あら、何言ってるのよ。そっちの方がすごいじゃない」
『いや、どっちもすごいから。』 サクライとタカミザワにツッコまれる。
「でも、二人と同じことをするのは俺には無理だって、飼ってみてよく分かったよ」
「え、どういうこと?」トモエさんが首を傾げる。
「二人はたくさんの猫の面倒を見てきてますよね」
「そうね」
「俺はたった一匹でだめでした。死を……受け入れられなかった」
「……」
「人間のことを信用していない野良猫だったから、最初はちっとも可愛くなかったんだ。でも、世話をしていくうちに、徐々に慣れて甘えてくれるようになった。それがうれしくて、愛情を注ぎ過ぎてしまった。長く生きられないと言われていたのに、もしかしたら自分が頑張って世話をしたら長く生きられるかもしれない、そんな希望を持ってしまった」
「そう思うのは当然だよ。俺も一日も長く生きてほしいと思って世話をしてるよ」
「あたしもそうよ。それに誰だって死を受け入れられないものよ。頭では分かっていても、そう簡単に割り切れるものじゃない。そんな日が一生来なければいいのにって毎回思うわ」
「でも、覚悟はできてますよね、いつか来るその日の。…俺はその覚悟ができていなかった。希望しか持っていなかった。だから、飼い始めて一年経った頃、仕事から帰ってきて冷たくなっている姿を見つけて、愕然とした」
「……」
「…最期を看取ってやろうと引き取ったのに、結局は看取ってやれなかった。誰もいない部屋で、たった一人で逝ってしまった。何故仕事を休まなかったんだろう…何故一緒にいてやらなかったんだろう…。死も受け入れられず、看取れなかった後悔に苛まれて、自分という人間が嫌になって。…何もやる気が起きなくなって、店も辞めて逃げるように街を出たんだ」
「…そう…だったの…」トモエさんがポツリと呟く。

「もう、そんな思いはしたくない…そう思って、オリオンヒルズに越してからは、誰ともなるべく親しくならないように暮らすことにしたんだ。…いい大人が馬鹿みたいだろう?たかが猫一匹で。でも、パティシエとしてなかなか芽が出ない時に出会ったそいつは、唯一の癒しの存在だったんだ。一緒に暮らしていくうちにやっとオリジナルケーキを評価してもらえるようになって、自信もついてきた。そいつと出会ったことで人生が上手く行き出したような、そんな気もしていた」
「サクライにとって、とても大切な存在だったんだね」
「ああ…失って初めて気づいたよ。どれだけそいつに励まされてきたのか。どれだけ癒されてきたのか」
「精神的に支えてくれた子を失ったんですもの。人が変わったようになるのも無理ないわ。…辛かったでしょうね」
トモエさんの声が沈んでいる。サクライを見るその目もとても悲しそうだ。
そんなトモエさんにサクライが悲しげな笑みを浮かべると、父ちゃんとタカミザワを見やった。
「その後、独立を決めて、そいつのことを思い出す暇もないぐらいがむしゃらにやってきて今に至る…というわけだが、まさかこんなにも二人に心配されていたとは…。心配かけて本当にすまなかった」
「良かった」タカミザワがポツリと呟いた。
「…?」サクライが首を傾げる。
「理由がサクライらしくて安心した。サクライが俺たちの知ってるサクライのままで良かった!」と心底うれしそうにタカミザワが笑う。
それを見て、サクライがちょっと顔を赤くした。そんな可愛く笑われちゃ、照れるよね。
「そうだね。お人好しなサクライがどこかに行っちゃったのかと思ったけど、中身は全然変わってなくて良かった。話してくれてありがとう、サクライ」父ちゃんもタカミザワに負けない笑顔でサクライに笑いかける。
「…い、いや、こっちこそっ」プルプル首を振るサクライの顔がさらに赤くなった。
「もう一人で悩むなよ?店のことだって、一人で抱え込まずに、俺たちにできることは言ってくれよな」
「お、おう…っ」 笑顔の二人にウンウン頷くサクライは、今まで見たことがないほど照れまくってる。トモエさんはそんな三人を眺めて、
「……仲良しめ。今日は川の字で寝ればいいわ」なんて呟いている。 うん、言いたいことは分かる。ボクそっちのけで三人で盛り上がってること、よくあるもんね。
元々仲が良い三人だけど、これでさらに距離が縮まったんじゃないかな。今までよりももっとボクそっちのけで盛り上がっちゃうのはちょっと寂しいけど、父ちゃんの心配がなくなる方がうれしいから、我慢するよ。

(…よし!)
ボクは顔を上げて、ピンと耳を立てた。
サクライの話を聞いて、ボクもサクライに言わなきゃいけないことができた。これはきっとボクが言わなきゃいけないこと…ううん、違う。 ”ボクにしかサクライに伝えられない”ことだから。

「あのね!サクライ!」
「…何だ?」
「サクライが飼っていた子がどんな子かは分からないけど、その子はとっても幸せだったと思うよ!」
「…だと…いいんだがな」信じていなさそうな顔をして目を逸らす。まるで、ボクの言うことなんて、って思っているみたいですごくムカッとした。
「ボクも野良猫だったんだよ!?サクライよりその子の気持ちは分かってるよ!」
「…っ」サクライがハッとした。父ちゃんたちも真剣な顔でボクを見てくる。
トモエさんだけ首を傾げてるけど、こればっかりは仕方ない。後で誰かボクが言ったことを教えてあげて。
「サクライは、その子が死んでしまった時に一緒にいられなかったことばっかり後悔してるけど、その子はそんなこと、何も気にしてない。その子にとって何より大事で、何より心に残っているのは、サクライと過ごした時間の方に決まってる!」
「俺との…時間…」
「その子は一人ぼっちであちこち彷徨って、他の野良猫にいじめられたり、人間にあっちいけってされたり、すごく悲しいことを経験してきたと思う。ボクだって、ここにたどり着くまで色んなことがあったよ。母ちゃんは死んじゃったし、一緒に暮らしてた友達とはぐれて一人になった。怖い野良猫や犬に出会って殺されちゃうかもしれないって思うこともあったよ。たまには優しい人間に出会ってご飯がもらえたりしたけど、何日もご飯が食べられないことなんてよくあったし、逃げたり隠れたりしてぐっすり眠ることもできない。楽しいことも…うれしいことも…何もなかった…っ」
その頃のことを思い出して、ボクは涙目になった。ああ、やだな。また汚い顔になっちゃう。
「……」
「…でも、この街に来て父ちゃんがボクを見つけてくれた。一緒に暮らそうって抱き締めてくれた。ボクはポカポカになって、とっても幸せな気持ちになったよ。最初にサクライが作ってくれたご飯も本当に美味しくて夢中で食べたんだから!また食べたいってずっとずっと思ってたんだからね!」
「…アル…」
「ボクは父ちゃんの猫になって、すごくすごく幸せだもん。だから、もしボクがじーちゃんになって死んでしまう時にそばに父ちゃんがいなくても、悲しくなんてない。だって、ずっとずっと一緒にいてくれたんだもん…っ!そんな一瞬より、ボクには一緒にいてくれた時間の方がもっともっと大事だもん…っ!」
背後から優しく抱き上げられて、ギュ…ッと抱き締められた。誰か、なんて、考えなくても分かる。
ごめんね、父ちゃん。鼻水出ちゃってて汚い顔で。
「アル…ありがとう…」父ちゃんの声がちょっと震えてる。
「父ちゃん、ボクは幸せだからね?大好きな父ちゃんと一緒にいられるだけでうれしいよ!」
「うん……うん…!」
「広場の猫たちも、ジェイも、父ちゃんが大好きだよ。いつもありがとうって言ってるよ!」
「そ、そっか!嫌われてなくてよかった!」潤んだ目でボクを撫で撫でして、父ちゃんはうれしそうに笑った。
父ちゃんに気持ちを伝えたいって思っていたけど、本当に伝えられるなんて。今、この瞬間はスノーに感謝しかない。

後ろで鼻をすする音がしたので、振り返ってみた。そこには大きな目にいっぱい涙を溜めてボクを見ているタカミザワがいた。
「アル…おまえぇ……」
「タカミザワってば、もらい泣きしてる」父ちゃんがククッと笑う。
「こ、ここに来るまで、大変だったんだなぁ…っ」
「うん、大変だったけど、父ちゃんと出会えたからもういいんだ!ボク、タカミザワも大好きだよ!おっちょこちょいだけど!」
「うれしいけど、一言多いわ~…っ」
「だって本当のことだもん。ね、父ちゃん?」
「そうだね」
「おい!」
「ねぇ!ちょっと!何となくは分かるけど、あたしにもちゃんと説明してちょうだい!」トモエさんが我慢できない!と言いたげに、タカミザワの服を引っ張った。そうだった、ボクが言ったこと、トモエさんに話してもらわないと。
「タカミザワ、トモエさんにボクが話したこと、伝えてくれる?」
「ええ、俺?…まぁ、いいけど…」
「誰でもいいから!早く!」
「あのですね、アルが……あぁ、泣ける……」
「ちょっとぉ!!」
タカミザワとトモエさんのやりとりは放っといて、くるっと元に戻って言う。
「もちろん、サクライも大好きだよ!」
「…お、俺も?」なんで、と不思議そうにする。
「そりゃあ、冷たいなぁって思うこともあるけど、だからってボクにひどいことをするわけじゃないし、父ちゃんがいない時はご飯も作ってくれる。サクライが優しい人間だっていうのはちゃんと分かってるもん」
「そ、そうか…」
「ねぇ、サクライ?サクライにとって、その子と過ごした時間は大切な時間だったんでしょ?」
「……そう…だな」
「それなら、サクライは後悔するんじゃなくて、もっとその子と過ごした幸せだった時間を思い出してあげてよ。じゃなきゃその子が可哀想だよ」
「え…」
「…そうだね、アルの言う通りだ。幸せだったその子との時間の方が、サクライにとってもその子にとっても大事だと思うよ。命が尽きるその瞬間は、誰にも分からない。サクライは自分を責める必要なんてないんだよ」
「……」
「俺にも看取れなかった猫たちはたくさんいるよ。どんなに一緒にいたくても、いられない時だってあるんだからね。…だからこそ、後悔しないようにたっぷり愛情を注ぐんだ。毎日毎日、こうやって”大好きだよ”って」父ちゃんがボクを優しく撫でる。
「父ちゃんに撫でてもらうと、それだけで幸せな気持ちになるんだよ。その子もサクライに撫でてもらって、きっと幸せな気持ちになっていたと思うよ」
サクライが俯いて呟く。
「……俺のことを…」
「ん?」
「…恨んではいないだろうか…」
「恨んでるわけないよ!」
「……幸せだったと思うか?」
「幸せだったに決まってるよ!”サクライのお家の子にしてくれてありがとう”ってきっと言ってるよ」
「…そうか」
「うん!」
「……そうか」うっすら見えるサングラスの奥の目が、少し潤んでいるような気がした。
「ね、サクライ。少しずつでいいからさ、その飼ってた猫のこと、色々聞かせてよ。きっとそうすることで、その子の供養になると思うよ」父ちゃんが優しい笑顔をサクライに向ける。
「…そう…だな」
「焦らなくてもいいよ。少しずつ、少しずつでいいよ」
「…ああ」
「じゃあ、手始めに教えて?」
「ん?」
「何て名前だったの?」
「…な、名前か。それは…」ちょっと言いにくそうに口ごもり、照れくさそうな顔でこちらを見る。
「…笑うなよ?」
「笑わないよ。ねぇ、アル?」
「笑わない!」
「…”レイン”って言うんだ」
「レイン?」
「そう、”雨(Rain)”のレイン。出会ったその日―」
「雨だったんだ?」
「…そ、そう」
「サクライさぁ、俺によく”猫につける名前が安易だって言うけど、人のこと言えないじゃん」
「…ごもっともです……」
「これからは安易だって言わないでよ」
「はい…言いません…」
「でも、良い名前だね」父ちゃんがにっこり笑う。
大切だったその子の顔が浮かんだのか、サクライは小さく微笑んだ。


ねぇ、レイン?
君の気持ち、サクライに伝えられたかな?
少しでも伝えられていたらいいな。

君のご主人様は君のこと、今でも大切に想っているよ。
君と同じくらいね。

会って話したかったな。
ご主人様自慢したかったよ、君と。

ボクは目を閉じて、遠い空にいるレインを想った。


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