「Cafe I Love You」
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カランとドアが開いた。来たよ、あの人が。
三人が一斉に入口を見た。もちろん、ボクも。
「おっはよう!」
朝から何だかご機嫌なトモエさんがそこにいて、こちらに向かって親しげに手を振ってきた。サクライとタカミザワは一目でトモエさんだと分かったようで、懐かしそうな顔をしたけど、すぐに戸惑ったような顔になって、遠慮がちに頭を下げた。
…あ、もしかして美人さんだから照れてる!?
「あ…ど、どうも…」
「…ん!サクライくんね!?まぁ!格好よくなってるじゃないの!元気そうね!」
「お久しぶりです。先輩は相変わらずお美しいですね」
「ふふふっ ありがとう!サカザキくんと違ってサクライくんは見た目も中身もしっかり大人になったわね!パティシエになって、モテモテなんじゃないの?」
「い、いやぁ、そんなことは…」
「謙遜しちゃって!…と、あなたはタカミザワくんね!」
「は、はい…っ ど、どうも…」
「相変わらず白いわね~!…どうやったらそんな真っ白になれるのよ?美白してるの?」
「え、ええ?いや、何も…」
「え、何もせずその白さ?ムカつくわね~」
「ええっ…あ、あの、そんな寄らなくても…っ」
トモエさんがぐっとタカミザワに顔を寄せるから、さすがのタカミザワも照れちゃってるよ。
そういえば、こんな風に女の人とおしゃべりしている二人ってあんまり見たことがないな。何か新鮮だなぁ!
「うわぁ…何、この肌の透明感。これでお手入れなしとか、嘘でしょ。ね、ね!ちょっと触らせて!」タカミザワの顔を触ろうと、トモエさんが両手を伸ばす。
「え、あ、わ…っ」真っ赤になって、タカミザワが後ずさっていく。
「ちょっと逃げないでよ!触るだけだから!」
「触らなくていいですって…!」
「やだ!触りたい!ついでにそのキューティクルなツヤツヤな髪も!」
「ええ…っ」
「…ゴホン!」父ちゃんが咳払いをした。すると、トモエさんが動きを止めて父ちゃんを見る。
その隙にタカミザワが逃げ出して、サクライの背後に回った。あはは!面白いな!
「先輩、何しに来たか覚えてます?」
「ウェイトレスでしょ?」
「一応覚えてましたか」
「一応って何よ、一応って」
「だって、タカミザワとじゃれ合ってるし」
「あらやだ、ジェラシー?」
「……」
「その目やめて!怖い!」
「……いいですか?先輩はウェイトレスですからね?他に余計なことはしないでくださいよ?」
「…何よ、余計なことって。あたし、余計なことなんてしないわよ」
「……」父ちゃんはトモエさんに疑いの目を向ける。
「やぁね、その目。安心して、オカルト的な発言は最小限にするから」
「先輩の最小限が一番信用できないんですよ。そう言って、本当に最小限だった試しがな―」
「あーうるさいなぁ。手伝ってほしいの、手伝ってほしくないの、どっち?あたし、帰るわよ?」
「僕は別に…わっ」
タカミザワが父ちゃんの背中をぐいぐい押して店の入口まで連れて行く。
「ちょ、ちょっと…」
「おまえ、早く出掛けろよ!これ以上おまえと話してたら、怒って本当に帰っちゃう!…それとも、怒らせようとしてるとか!?」
「そんなつもりは…」
「じゃあ、さっさとオリオンヒルズに行って来いよ!」
「…うん…でも…」
「心配するな。もし、先輩が暴走しても俺たちで何とかするから」
「サクライくん、サラッと失礼なこと言わないでくれる?あのね、あたしだって大人なんだから、場をわきまえた行動ぐらいできるわよ」
「あ、す、すみません…」
「サカザキくん、さっさと行ってらっしゃい。…時間があまりないんでしょう?」
「……」
トモエさんが言う“時間がない“は、スノーのことだ。この人もスノーのことを父ちゃんと同じくらい気に掛けてくれている。変な人だけど、猫に対しては本当に優しい。
「父ちゃん、行こう!」ボクが声を掛けると、見下ろしてにっこり笑った。
「そうだね、行こうか。店で何かあってもサクライの責任だしね」
「うん!」
「おいっ!」
「先輩でいいってタカミザワが言ったんだし、顔と髪を触られまくっても仕方ないよね」
「うん!」
「おいっ!」
「行ってきま~す」
『とっとと行って来やがれっ!!』
サクライとタカミザワの冷たい声を背中に浴びて、ボクと父ちゃんは店を出た。

「サカザキくん、これ」一緒に出てきたトモエさんが、父ちゃんに何やら紙を渡した。
「え、何ですか?」
「オリオンヒルズでの白い猫の目撃情報があった場所の地図よ。今朝までに集まった情報をまとめてみたの」
「…いくつか印がありますけど、これは?」
「この星印が一番目撃情報があった場所よ。丸印のところは二件程度、三角印は一件」
「なるほど。…と、いうことは…星印の場所に何かあるかもしれないわけですね」
「そうなるわね。目撃情報が多数あるということは、それだけ噂ではなく本当に目撃したという可能性が高いから、何か手掛かりが見つかるかも」
「分かりました。この場所に行ってみます」
「何か聞きたいことや調べてほしいことができたらメールして」
「ええ、何かあったら連絡します。じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい。アルくん、サカザキくんをよろしくね。可愛い女の子に付いていきそうになったら頑張って止めてね!」
うん!分かった!
「先輩!アル!…もうっ!」


…さてと。
まずトラムの駅に行くんだよね。
「父ちゃん、オリオンヒルズってところはトラムでどのくらいなの?遠いの?」
「うん?隣町だから、そんなに遠くないよ。トラムだと五つ向こうだね」
「そうなんだ!父ちゃんは行ったことある?」
「前に僕が住んでいたところのすぐお隣なんだけど、実は数えるぐらいしか行ったことがないんだよね。サクライが勤めてた店も行ったことがないし」
「そうなんだぁ」
「サクライが働いていたケーキ屋さん、美味しいって評判だったらしいから、帰りにでも寄ってみようか」
「うん!」

目の前に広場が見えてきた。午後からのマルシェの準備をしている人、散歩している人、今日は人が多い。スノーらしき猫は……いないみたい。人が多いから、どこかに避難しているのかな。
でも、トウフみたいに人間の家でご飯をもらったり、一晩お世話になったりなんて、あの人間嫌いなスノーがするとは思えない。広場の他に安心して隠れられる場所があるなんて、この街に長年いるタクローさんから聞いたこともないし。
今、どこにいるんだろう。
フッと現われて、フッと消えてしまう。いるのに、まるでいないような。
本当に何もかもが不思議で、スノーという猫は簡単には理解できない存在だと会うたびに思い知らされる。

トラムの駅に着くと、通勤・通学時間を過ぎたからか、人の姿は少なかった。父ちゃんに抱っこされてホームの隅に立ってトラムが来るのを待つ。
トラムの駅って小さいね。椅子もないし、ホームが低いから飛び上がらなくても上れちゃう。本当にこれが駅なの?って思っちゃった。

…そういえば、トラムに乗るのは初めてだ。…あれ、猫って乗ってもいいのかな?
「父ちゃん、ボク、トラムに乗っても大丈夫?」
「…うん、今、僕も気になった。動物用のキャリーに入れて乗れば問題ないと思うけど、抱っこはどうだろう…。ダメだな、アルがおしゃべりできるようになったら、つい猫だってことを忘れちゃうよ。…可愛い息子と一緒にいる気持ちになっちゃう」そう言ってニコッと父ちゃんが笑うから、ボクはキューンとなった。
「だ、大丈夫!ボク、父ちゃんの服の中に入ってジッとしてる!」
「…いい?ごめんね、アル」
「ううん!あ、トラム来たよ!」
ボクは慌てて父ちゃんのパーカーの中に入り込んだ。ここ、すごく居心地がいいんだよね。だから、実は入れてうれしかったりする。
でも、父ちゃんは嫌だよね。見た目、ぽっこりお腹になっていて、まるで太った人みたいになっちゃってるもん。
「ごめんね、父ちゃん。ぽっこりお腹になっちゃってるよね」
「え?あはは、気にしてないよ。アルが温かくて気持ちいいよ。ずっとこうしていたいぐらい」
そう言って父ちゃんが服の上から撫で撫で。父ちゃんは優しいなぁ。

キキーという音の後、プシューと音がすると、父ちゃんが歩き出した。いよいよトラムに乗り込むぞ。静かに…静かに…。ボクはぬいぐるみみたいに動きを止める。
「…よっと…」あ、父ちゃん、トラムに乗ったみたい。歩いて……ん、座ったぞ。
ガタンと音がしてトラムが動き出した。よし、出発だ!いざオリオンヒルズへ!
どんな街なのかな。スノーを知っている人か猫に会えるかな。ドキドキする!

カタンカタン…

…ん?何の音?
聞こえてくる音に耳を澄ます。

カタンカタン…カタンカタン…

…トラムが動いている音…かな?
こんな音がするんだね。どこから出てる音なのかなぁ…。
それに、さっきからカタカタ揺れてるし。
嫌な揺れじゃないけど。

…いや、どっちかと言えば、心地いいくらい。
……なんだろうな、だんだん眠くなってくる。
父ちゃんの撫で撫でが気持ちいいし…このカタカタする揺れが…すごぉく……気持ち……いい………なぁ……

「…アル。…アル?」
父ちゃんの声に、うとうとしていたボクはビクッとする。気持ちいいから、ついつい寝そうになっちゃったよ!
「着いたよ。出てきても大丈夫だよ」
開いたファスナーからひょこっと顔を出すと、ボクたちが暮らす街と雰囲気の似た街並みが広がっていた。
「ここが…」
「オリオンヒルズだよ。ほら、坂の上に見えるのがオリオンヒルズっていう丘。街の名前は丘の名前からとったんだね。きっと夜は星がキレイに見えるんだろうな」
父ちゃんが指差す方に木々が見える。きっとあれが丘なんだろうな。そこまでは長い坂道になっていて、まるで街が空に向かって伸びているようだった。
「さてと。じゃあ、先輩から教えてもらった、白い猫の目撃情報が集中してる場所に行ってみようか」
「うん!」
「先輩が言うには、その場所で夜中にフラフラと彷徨うように歩く白い猫を見たという人が複数いるらしいんだよね。だから、近所の人の中にも、その白い猫を見た人がいるかもしれない」
「もし見たって言う人や猫が見つかったら、どんな白い猫だったか、詳しく聞きたいね」
「うん、そうだね」
「父ちゃん、あの丘の上まで行くの?」果てしなく続く長い坂を見上げる。猫のボクでも途中で息切れしちゃいそう。もしトウフならここでヤダヤダ!って拒否するな。
「え?ううん、上までは行かないよ。目撃された場所はね…えっと……あっちだ」もらった地図を見ながら、父ちゃんは歩き出した。駅前の少し広い道路を渡ってしばらく上り坂を歩いて行くと、迷うことなく目の前に現れた脇道に入っていく。
「父ちゃん、すごいね!そんなに来たことがないって言ってたのに、地図だけで迷わず行けるんだね」
「…先輩がね、今回はものすごく分かりやすい地図をくれたんだよ。目印とかも正確に書いてる。店の名刺もこのくらい丁寧に書けば、迷わず行けるのにね。…本当、猫が絡まないとやる気出さないんだから」
「あはは、トモエさんらしいね」
「らしいといえばらしいけど、いい加減で困っちゃうよ。…あ、この先みたいだよ」
見上げた先にあった店の看板を見て、父ちゃんが前方を指差した。先には何があるんだろう。
ボクが住む街と同じような家々が並んでいて、特に変わった様子もない。でも、白い猫の目撃情報がたくさんあるのなら、そこには何かがあると思うんだけど…
「……と、ここ…かな?」父ちゃんの足が止まる。
「…え?…こ、ここ?」ボクは見渡して首を傾げた。だって…何もない。ありふれた、ただの街角。特別、お店があるとか、広場があるとか、噴水があるとか…そんなこともない。街の人たちが普通に行き交っていく、どこにでもある一角だ。
「…何も…ないね」父ちゃんもボクと同じ気持ちみたい。
「父ちゃん、本当にここ?」
「…そのはずなんだけど……うん、もらった地図だと、やっぱりここだよ」トモエさんからもらった地図をもう一度見て、父ちゃんは頷いた。
見渡しても、普通の家が建ち並んでいるだけ。
「…隠れるところもないし、人だって結構通っていくよ。こんな人目に付くところでスノーが目撃されるかな?」
「確かにそうだね。スノーだったら、一番避けそうな場所だもんね。スノーじゃないのかなぁ…」
ボクと父ちゃんがう~ん…と唸っていると、通りがかったおばあさんが声を掛けて来た。
「もしかして、ケーキ屋に来て迷ったのかい?」
「え、あ、えっと…」
「ケーキ屋なら、あっちだよ。よく迷う人がいるんだよ」
「あ、違うんです。ちょっと…調べていて…」
「…調べる?」おばあさんの顔色が曇る。
「あの、ここで白い猫が目撃されているらしいんですが、ご存じですか?」
「…白い猫?」
「ええ」
「さぁ…知らないねぇ。何だい、飼い猫が逃げたのかい?」
「え、ああ…まぁ、そんなところです」
「ふぅん…。近くに野良猫を何匹も飼っている人がいるから、聞いてみたらどうだい?そこにもしかしたら、迷い猫もいるかもしれないよ」
「そうですか!ぜひその方のお家を教えていただけますか?」
「すぐそこだよ。あそこの…ほら、オレンジの屋根の」
「…あ、あれですね。ありがとうございます。聞いてみます」

早速、教えてもらったお家に行ってみる。お家の目の前にある庭でおばあさんが一人、花壇のお手入れをしていた。
「あの人…かな?」
「…うん、たぶんそうだよ。あの人から色んな猫の匂いが……あ、庭にいるよ、猫!」
おばあさんの横に、子猫が二匹いた。すでにボクに気づいていて、こちらをジッと見ている。色違いの首輪をしていて、大きさも同じぐらいだから兄弟かな。
「あの~すみません!」
父ちゃんが声を掛けると、おばあさんが顔を上げた。
「こんにちは。ちょっとお尋ねしたいことがあるのですが、いいですか?」
「こんにちは。ええ、いいですよ。どうぞ、そこから入ってらして」
「ありがとうございます。では、失礼して…」
「可愛い黒猫ちゃんね。お名前は?」
「アルです」
「アルと言うの。ふふ、可愛いわね。こんにちは」
ニャア~とボクもご挨拶。
「まぁ、いい子ね。ちゃんと挨拶してくれるの」おばあさんが優しく撫でてくれた。おばあさんも猫好きの優しい人、だね。
『おにいちゃん、だれっ?』
『だれっ?』子猫たちは興味津々でボクを見上げている。
「父ちゃん、降ろして!」
「はいはい」
父ちゃんに下に降ろしてもらうと、早速子猫たちがこちらに駆け寄ってきた。
『こんにちは』スリスリご挨拶。
『こんにちは!』
『こんにちはぁ!』
『ボクの飼い主がおばあさんとお話がしたいんだって。ちょっとお邪魔するね』
『ふぅん。ねぇねぇ!ボクたちとあそぼうよ!』
『え、えぇ?』
『あそぼうあそぼう!!』グイグイ二匹が押してくる。
『あ、ちょっと、いや、ボクは…』
『さっきね!バッタがいたんだよ!』
『え!バッタ!?』ついうっかり目がキラーンとなってしまった。バッタがいたと聞いたら、誰だってこうなるよ!
『そう!でも、ピョーンってとんで、にげられちゃったんだ』
『おにいちゃん、いっしょにさがしてよ!』
『え、ボクも?』
『よぉし!だれがいちばんさいしょにみつけてつかまえるか、きょうそうだぁ!』
『いくぞぉ!それぇ!!』
『え、ちょ、ちょっと待って!』
二匹は楽しそうに駆け出していく。
『はやくーっ!!』
これは付き合ってあげないとダメそうだ。
バッタを探しているフリをしながら、父ちゃんとおばあさんの話を聞くとしよう。
もしバッタが見つかったら………ごめん、バッタ優先!

「まぁ、一緒に遊んでくれる子が来てくれてよかったわね」
「すみません、うちの子まで遊び出しちゃって」
「いいのよ。うちにはあとは年寄り猫しかいないから、あんな風に遊んでくれる子がいないのよ。きっとうれしいんだわ」
「そうですか。あ、本当だ、あそこのカゴの中にいますね。…あ、お家の中にも。たくさん飼っているんですね」
「ええ、野良だった子や捨てられていた子を引き取って飼っているのよ。でも、カゴの中の子は通い猫。午前中はこうして家に来るのだけれど、お昼になると帰っていくの」
「他にも通っているお家がいくつもあるんでしょうね」
「そうね。どこで何をするのかも、きっと決まっているんだわ。この子は美人だし、あちこちで可愛がられているんじゃないかしら。お泊まりするお家には、きっと素敵な男性がいるのよね?ねぇ、ミモザ?」
バッタを探しているフリをしつつ、ミモザと呼ばれたカゴの中にいるトラ猫を見た。おばあさん猫みたいだけど、確かに美人さんだ。ご機嫌ななめなのか、ムスッとした顔で毛づくろいをしている。
「本当、キレイな子ですね。ミモザという名前がよく似合います」
「ミモザが咲いている頃に我が家にひょっこり現れてね。だからミモザ。でも、他のお家では、きっと違う名前よね」
「あはは、きっとそうですね」
「もう、十年は経つかしらねぇ…ああ、ごめんなさい。何かお聞きになりたいんだったわね。何だったかしら?もしかしてケーキ屋さん?」
「え?いえ、ケーキ屋では…」
「あら、そうなの。ごめんなさいね。ケーキ屋さんに来た人に尋ねられることが多くて」
「先ほど道で会った方にもケーキ屋を探している人と思われましたよ。そんなに迷う人が多いんですか?」
「評判のお店だから遠くから来る人が多いの。これといって特に目印になるお店もないし、初めて来た人にはちょっと分かり難いみたいね」
「なるほど。そんなに美味しい…あ、もしかしたらサクライが働いていたケーキ屋かな」
「…え?…今、サクライっておっしゃった?」
「え?ええ」
「もしかして、ケーキ屋にいらっしゃったパティシエのサクライさん?」
「あれ、サクライをご存じですか?髭の…」
「ええ、ええ!あなた、サクライさんとお知り合いなの?」
「はい。今、サクライがやっているカフェで働いている、学生の頃からの友人のサカザキと言います」
「まぁ!そうなの!サクライさん、お元気?」
「はい、今のお店で頑張っています」
「そう、それは何より。辞めると聞いた時は残念だったけれど、今も美味しい物を作っているなら私もうれしいわ」
「あいつの作る物は本当に美味しいですからね」
「そうなの。店長さんが作った物ももちろん美味しいけれど、サクライさんが作った物は、食べるととても幸せな気持ちになるのよね。店長さんも褒めていてね。絶対に自分の店を出すべきだと毎日のように言っていたわ」
「そうなんですか」
「また食べたいわ。今はどちらに?」
「今は…あ、お店のカードが確かカバンの中に……ええと…あ、あった!持ち歩いていてよかった。こちらです」
「ありがとう。…まぁ、娘夫婦が住んでいる街じゃないの。時々行くのよ。今度行った時はお店に寄るわ」
「ありがとうございます。サクライにも伝えておきますね」

…父ちゃーん。
聞きたいことが聞けてないよぉ?
でも、サクライを知っている人だったなんて、面白いや。
世間は狭いってこういうこと?
『あーっ!バッタいたーっ!!』
『ほんとうだ!!まてーっ!!』
あ、バッタが見つかったらしい。二匹が庭を走り回る。
これでボクはお役御免、だね。ふぅ…。
小さい子は元気だな。
ボクも子供の頃はあんな風だったのかな?

『……』
(…ん?)視線を感じて振り返ると、カゴの中で丸まっているミモザさんが、横目でこっちをジッと見ていた。…いや、見ているというより、睨んでいると言った方がいいような。
あ、ボク、まだ挨拶してなかった…。だからボクのこと、睨んでるのかも…。
通い猫って言っていたから、街のことや野良猫にも詳しいかもしれないし、ご挨拶して、ちょっと話を聞いてみよう!
と思ったら、子猫たちがまたこっちに来た。
『おにいちゃん!バッタつかまえてよぉ!』
『ちっともつかまらないよぉ!』
『え、えぇ…ボク、ちょっとミモザさんに話を…』
『ミモザばあちゃんに?』
『なにを?』
『この街の野良猫のことが聞きたいんだ』
『ふぅん…』
『ばあちゃん、いろいろしってるよ!すごいものしりなんだ!』
『へぇ、そうなんだ?』
『うん。だって、にんげんのいってることがわかるから、まちできいたにんげんのはなしをおしえてくれるんだ』
『…え?』
『ばあちゃんがかってきたものもおしえてくれるよ。きょうのごはんはおいしそうなさかなだよって!』
『そうそう!そのひはごはんがたのしみなんだよね!』
『ねー!』

それ……ボクと一緒だ。
彼女もボクと同じように人間の言葉が分かるんだ。
そうか、だからさっき、おばあさんに言われてムスッとしていたんだ。あれは何度も同じことを言われて、うんざりしていたんだね、きっと。

『ん~…でも、ミモザばあちゃん、はじめてあうコとはおはなししないよね』
『あ、そうだね。しないね』
『そうなの?』
『うん。しらないコとはおはなししないんだって』
う~ん…じゃあ、ボクとは話してくれなさそうだ。
でも、もしかしたら、何か知ってるかもしれないからなぁ。
…とりあえず話しかけてみよう。
『…あっ!バッタだぁっ!!』
『まてぇぇ!!』
子猫たちが再びバッタを追いかけていく。その様子を見ながら、ボクはおずおずとミモザさんに歩み寄った。
『こ、こんにちは、ミモザさん。ボク、アルって言います』
『……』ミモザさんはカゴの中で丸まったまま、ボクの方を少しだけ見たけど、興味なさそうにプイッと横を向いた。今のはかなり冷たい目だったなぁ…これは手強いぞ…
『あの…ちょっと、野良猫のことを調べているんですけど…』
『……』
『この辺りで、毛長の白い猫を見たことはありませんか?目撃されているのは夜中みたいなんですけど…』
『……』無言のままミモザさんは顔を埋めてしまった。無視を決め込んでる。こりゃダメだ。

「あら、ミモザ。可愛い黒猫さんに挨拶もしないの?ダメねぇ…。ごめんなさいね、アルくん。その子、知らない猫には冷たいのよ」
ううん、おばあさんのせいじゃないし、仕方ないよ。
一応、ミモザさんには謝っておこう。
『お休みのところを邪魔をしてすみませんでした』
丸まったミモザさんの背中に頭を下げて、ボクは父ちゃんに声を掛ける。
「父ちゃん、おばあさんに聞いてみて?」
ミモザさんから話を聞くのは無理だと察してくれて、父ちゃんがコクッと頷いた。
「あの、僕たち白い猫を探しているんですが、この辺りで見かけたことはありませんか?」
「白い猫?…野良猫?」
「ええ、たぶん野良だと。夜中にこの辺りでウロウロしていたと人づてで聞いたんですよ」
「…私は見たことないわねぇ…真っ白なの?」
「ええ。毛長で真っ白、瞳はライトグレーです」
「まぁ!そんなキレイな子がいたら、私が気づかないわけがないわ。絶対に声をかけるもの」
「はは、ですよねぇ…」
「…あ、でも、例えその白い猫がこの辺りにいたとしても、夜中なら気づいていないだけかもしれないわ。年寄りはベッドに入るのが早いから。ふふふっ」
「…あ、そうかぁ…」
「夜中のことなら、もっと若い方に聞いた方が…ああ、そうだわ。ケーキ屋さんの近くに遅くまでやっているレストランがあるの。そこには若い店員さんもいらっしゃるし、帰る時に見ているかもしれないわ」
「そうですか!では、そこの店員さんにも聞いてみることにします。アル、行ってみよう」
「うん!」
確かに遅く帰る人が見ている可能性はあるね!よし、行こう!

父ちゃんの元へ行こうと一歩踏み出した時、
『…あんた』と背後から声が聞こえてきた。
『え?』振り返ると、ミモザさんが身体を起こしてこちらを見ていた。
え、今の…ミモザさん?話しかけて…くれたの?
『…え、あの…』
『…あんた…人間と話ができるのかい?』
『えっ!』聞かれると思ってもいないことを聞かれて、ボクはびっくりした。どうして話せるって分かったの?
『できるんだね?』
『…はい。で、でも、どうして分かったんですか?』
『あんたが飼い主に人間の言葉で話しかけたからね』
『…あ…』
そうか、ミモザさんは人間の言葉が分かるわけだから、ボクと父ちゃんのやりとりも分かったんだ。
『でも、まさか生まれつき、じゃないだろう?』
『も、もちろんですよ!これは、その…白い猫の不思議な力で―』
『やっぱりそうかい』
『え?』
『どうりで匂いが似ているわけだ。てっきりあの子が姿を変えて、この街に戻ってきたのかと思ったさ』
ミモザさんは納得したように呟いた。
えと…匂いが似てるっていうのはどういうことかよく分からないけど、あの子って…それってまさか…
『あの…その、あの子って…』
『あんたたちが探しているその白い猫、だとワタシは思うんだけどね』
『えっ!や、やっぱりスノーのことですか!?』
『スノー?』
ミモザさんが首を傾げる。
『…え、あ、あれ?違うんですか?』
『…そんな名じゃなかったよ』
『え…』
『まぁ…あちこちで違う名を名乗っていることも考えられるよ。ワタシにも名はたくさんあるからね』
ミモザさんはウンと伸びをすると、カゴから出てゆっくりとした足取りで歩き出した。
『あ、あの…』
『あの子と会った時のこと、聞きたいんだろう?』
『は、はい!』
『ここじゃ、他の子や人間もいて話しにくい。あの子と会った場所に行くかい?』
『あ、は、はい!お願いします!』
ボクは慌ててミモザさんに付いていく。

「…アル?どうした?」父ちゃんが不思議そうにボクを追ってきた。
「父ちゃん!ミモザさんがスノーかもしれない子と会ったことがあるんだって!」
「え!」
「その子と会った場所に行って話を聞かせてくれるって言ってくれてる!」
「そうなんだ。僕も行っていいのかな?」
ボクと父ちゃんの視線を受けたミモザさんは、一旦立ち止まって振り返った。白髪交じりのひげがお日さまを浴びてキラキラしている。
『あんたも?…そうだねぇ…』
クンクンと何やら匂いを嗅いで、ミモザさんがニヤリとした。
『”父ちゃん”もいいよ。その背中のバッグに入っている美味そうなおやつをくれるならね』



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