「Cafe I Love You」
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「……」
ふと、視線を感じて顔を上げると、スノーがジッとボクの方を見ていた。
「…ん?なに?」
「…どうしたら、そんなに呆れるほど素直な性格になるのかと思って」
呆れるほど…って、何か引っ掛かるけど。
「野良の時からこういう風だって思われてるみたいだけど、ボクだって野良猫の時は人間が怖かったし好きじゃなかったんだからね」
「あら、そうなの。てっきり、野良の時も人間に優しくされて、苦労なんてしていないと思ってたわ」
「ボクを何だと思ってるの…」
「能天気な元野良猫?」
「ちょっと!!ボ、ボクだって少しは辛い想いをして生きてきてるよ!」
「あらそう」
「全部父ちゃんのおかげなんだからね!父ちゃんはボクが父ちゃんのことを怖くなくなるまで、ずっと広場に通ってきてくれたんだ。この人は大丈夫だってボクが思えるようになるまで、ちゃんと距離を置いてくれた。ボクのことを一番に考えてくれる人間に出会えたから、ボクは変われたんだ」
「……」
「心から想ってくれている人間に出会えば、変われるって思ってる。全部の人間を好きになるのは難しいけど、その人間だけは信じられる」
「…ふぅん…」
「ボクはスノーにもそんな人間がいると思うよ」
「……」ジトッとボクを睨むように見る。
「…な、なに?」
「やっぱり呆れるぐらいおめでたい性格ね。すべての猫がそんな人間と出会えるわけないでしょ」
そう言って、スノーはふぃとボクから目を逸らした。
「…現実はあなたが思っているほど、甘くもないし単純でもない。そんな夢物語みたいなことは言わないことね。あなたと同じように、信頼できる人間に出会える野良猫なんて、一握りよ」
「……」
夢物語……そんなんじゃない、夢じゃない…そう言い返したかったけど、言えなかった。すべての野良猫が、信頼できる人間に必ず出会えるかって言われたら、ボクは頷けない。
ボクは自分の小さな世界の中しか知らないから。ボクが言っているのは、単なるボクの希望…だから。
スノーの言う通り、それは…

「確かに現実は違うね。スノーの言う通り夢物語だ」上から父ちゃんの声。
「父ちゃん…」
「でも、そう思うこと、そう願うことは決して悪いことじゃないと僕は思うな。僕もアルと同じ気持ちだからね。できることは限られているけれど、悲しい猫が一匹でも減ってくれたらいい、僕はそう思う」
父ちゃんの手がボクを優しく撫でてくれる。この温かな手は何より安心する。どんな時もボクを救ってくれる、大好きな…大好きな父ちゃん。
「アルが僕と同じ気持ちでいてくれてうれしいよ。だからこそ、ここでアルと出会ったのかもしれないね」
「父ちゃん…っ」
「アルと僕が出会った子たちは、これからも手助けしていこう」
「…うんっ!」
「……猫が甘ちゃんだと、飼い主も甘ちゃんね。本当、おめでたい―」
「もちろん、スノーも僕たちが出会った猫なんだから、手助けするよ。こんな人間に助けてもらいたくないかもしれないけどね」
「……」スノーが無言で父ちゃんを見た。その目は相変わらず怖い。でも、最初よりはよくなった…気がするのは気のせいかな。
「…もちろん、人間に助けてもらうなんて本当は嫌よ。特にあなたみたいな人間にはね。でも、もう私だけで探している時間の余裕はないのよ。この街に来て、力が使えると分かって喜んだけど、私に残された時間は短いの。…悔しいけど」
「スノー…」
「それにあなたの言う通り、私が過去を思い出さないと手掛かりが見つからないということも、認めざるを得ない。過去を思い出すなんてものすごく嫌だけど、大切な物を見つけるために何とか思い出してみるわよ」
「…うん、僕たちもできるだけ協力するから。ね、アル?」
「うん。父ちゃん、トモエさんは何か言ってた?」
「仲間から少しずつ情報が届いてるって。その中から、先輩が気になった内容を教えてもらったよ。ねぇ、スノー?オリオンヒルズって街にいたことはある?」
「…オリオン…?」
「そう。ここから…トラムの駅五つ向こうにある街なんだけど…。その街とこの街の間で真っ白な猫の目撃情報が多くあるんだって」
「真っ白な猫!スノーかもしれないね!」
「うん。それも毛長だっていうから、スノーの可能性が高い。もしかしてスノーはトラムの線路沿いに移動してきたんじゃないかなぁって思うんだけど…」
「ええ。この街には線路沿いを歩いてきたわ。線路を行けば、必ず街にたどり着くと思ったから」
「やっぱり。おそらくオリオンヒルズからこの街までは、線路を目印に来てると思う。住んでいた街がオリオンヒルズの可能性もあるよ」
「すごい!さすがトモエさんだね!」
「…さすが…と言っていいのか悩むところだけどね。情報をくれた仲間とやらは、一体どんな人たちなのか…怪しいことこの上ない…」
「う、うん…まぁ…それは…そうだけど…。でも、情報をくれたんだもん。きっと良い人だよ!」
「…そ、そういうことにしておこうか。あれこれ考えても仕方がないしね。とりあえず、オリオンヒルズに行ってみることにするよ。何か手掛かりが見つかるかもしれない」
「ボクも行く!もしかしたら、スノーを知ってる猫に出会えるかもしれないもん!」
「そっか、そうだね。猫に会ったらスノーを知ってるか聞いて行こう」
「うん!」
「…オリオン……」ピンと来ていない顔でスノーが呟いている。さすがに街の名前は記憶にないかもしれないね。でも、目撃されている白い猫がいるんだもん。きっとその中にスノーと会ったっていう人間や猫もいるはずだ。さらに話を聞けば、住んでいたお家や元飼い主も分かるかもしれない。そこから、大切な物にもきっとたどり着ける!
「店に戻ったら、明日休みがもらえないか相談してみよう。スノーの状況からして、できるだけ早い方がいいだろうからね」
「…うん…」
「ねぇ、スノー。広場で寝泊まりしてるんだよね?夜は少し冷えるし、よかったら僕の部屋に―」
「どうして嫌いな人間の部屋に行かなきゃいけないのよ。行くわけないでしょ」
「だよね…」
「私のことは構わなくて結構よ。あなたたちに頼んだのは大切な物を見つけること、それだけよ」
「…そ、そうなんだけどね?」
「もう話は終わったんでしょ?さっさと帰ったら?」そう言って、フンと顔を背けると、身体ごと後ろを向いた。ああ…。あれは粘っても決してウンとは言ってくれないだろうな。
父ちゃんもそれが分かったのか、それ以上は何も言わなかった。
「…じゃあ、帰ろうか、アル」
「うん。じゃあね、スノー。また…来るからね」
「次に来る時は手掛かりの一つや二つ、見つけてきてほしいものね」
「……」もう…可愛くないなぁ…。
「そうだね、何か見つかって報告できるといいんだけど」
「何にも報告できることがなかったら、盛大に笑ってやるわ」
「…は、ははは…」

父ちゃんがボクを抱っこして、
「じゃあ」スノーの後ろ姿に声をかけた。返事はなかったけれど、しっぽが一度だけフワッと動いたから、一応あれで挨拶しているつもりらしい。
スノーに背を向けて歩き出したところで、
「可愛くないな、本当」とボクは呟いた。
「父ちゃんもそう思うでしょ?」と尋ねると、父ちゃんが苦笑しながら、
「アル、スノーに聞こえちゃうよ」と小さな声で囁いて、チラリと振り返った。
…のだけれど。
「…あれっ」
「ん?」
「スノー…もういない」
「え?」
たった今スノーがいたはずの場所に、スノーの姿はなかった。
噴水から繁みまでは結構離れている。あの細い脚で駆け出しても、そんなに早く走れないはずだ。
「…ああ、噴水の向こう側に隠れたのかな」そう父ちゃんが言ったけど、匂いもないから、向こう側にもいないと思う。

…不思議だ。
ここに来た時も、スノーの匂いはなかったのに、突然現れた。そして帰る時も突然いなくなる。
彼女の能力のせいなのだろうか。わざと匂いを消したりできるのかな。

タクローさんたちが変な気配を感じたと言っていたけど、スノーからはそんな気配は感じられなかった。
彼女に会ってから、不思議なことが色々起きてる。ボクの鼻が前より利かなくなったみたいだし、ボクの気配も、みんなに感じ取ってもらいにくくなってる。
ボクが人間の言葉が話せるようになったことで、何かが変わったのかな。
スノーのせいなのか、それとも他に何か…

…う~ん…分からないや。


店に帰ると、スノーのこと、そしてスノーが何を探しているのか忘れてしまったこと、そしてトモエさんからもらった情報のことを、父ちゃんが掻い摘んでサクライとタカミザワに話した。
サクライが眉間にしわを寄せて口を開く。
「…じゃあ、オリオンヒルズにその白い猫が住んでいたのかもしれないってことか」
「今のところ、かもしれないっていう可能性だけ、だけどね。でも、それを当たるしか方法がないからさ」
「まぁ、そうだな。当人…いや、猫か。そいつが忘れちまってるわけだからな」
「そうなんだよ。まさか探している物すら何か忘れちゃってるとはね…。ね、アル。びっくりしたよね」
「うん…」
あれ、とタカミザワが声を上げる。
「どうした?」
「…なぁ、オリオンヒルズって、誰か住んでたことなかったっけ?…あれ、サクライか?」
「えっ」ボクはびっくりしてサクライを見た。
「ああ、この店を開く前にな」
「あ、サクライだったんだ。僕も誰か住んでたような気がしたんだ。…そうか、独立の話が出たのは、その街で働いてた時だったんだ?」
「そう。でも、一年経つか経たないかでここに来たから、街の知識なんてほとんどないぞ。アパートと店への往復とか買い物でマルシェに行くぐらいの行動範囲しかなかったし。そんな白い猫の話なんて、店長からも客からも聞いた記憶がない」
「その目撃情報が出始めたのがいつか、っていうのもあるよね。サクライが住んでる間じゃないかもしれないし」
そうタカミザワに言われてサクライが頷く。
「ああ、それもあるな。もっと最近か、はたまた俺が住む前かもしれない」
「街に行って、住んでる人たちに聞いてみるしかないんじゃないの?」
「うん、そう思ってるところ。ねぇ、サクライ。明日、休みもらってもいいかな」
「え、急だな、おい」
「時間があれば、休みの日に行けばいいんだけど、スノーには時間がないんだ。のんびりはしていられない」
「…そんなに具合が悪いのか、その白い猫」
「見た目は不思議な力で元気そうに見せてるけど、身体はやせ細ってて…。病院に連れて行けないから何とも言えないけど、本人が言う通り長くはないのかなって思う」
「サカザキがそう思うなら、当たってそう。そんな身体になっても探してるって、一体何なんだろう?」
「相当大事なものなんだろうな」
「うん。だから見つけてあげたいなって思うんだ。でも、それにはまずスノーがどこに住んでいたかとか、元飼い主を見つけないことには…」
「確かに。そいつが忘れちまってる以上、住んでいた街や元飼い主に当たるしかないな」
「うん…」
「…タカミザワ」
「ん?」
「明日は二人分頑張れよ」
「え、ええっ!?」
「サクライ…!」父ちゃんの顔がパァッと明るくなる。
「オリオンヒルズに行ってこい。こっちは何とかする」
「ありがとう!…でも、さすがに二人じゃ大変だよね?誰か僕の代わりに手伝ってくれそう人、声かけてみようか」
「そりゃ、誰かいたら助かるけど、そんな人いるのか?」
「頼む!誰か声かけて!俺、二人分なんて無理だよ!!」
「やればできるだろ」
「できねぇよ!」
「でも、そんな快諾してくれるような人がいるか?」
「探してみるよ。…女の子がいいでしょ?」
「俺はどっちで―」
「女の子!当たり前だ!男なんていらない!」タカミザワが地団駄を踏んで猛アピール。そんなに女の子がいいの?何か父ちゃんみた…モゴモゴ。
「…あ……」
「ん?」
「…いや、一瞬、先輩が浮かんだんだけど、あの人はウェイトレスなんてやりたがらないだろうなって。料理は上手いみたいだけど」
「面白そうじゃん!先輩呼んでよ!両方手伝ってもらえるなら、サクライだって助かるだろ?」
「そりゃ助かるけど…オカルトカフェになっちまわないか?」
「た、確かにそこは気になるけど…。で、でも、常連の男性陣も喜びそうだよ。美人の店員がいるなんて、うちには無いことだし」
「まぁな。先輩見たさに客が増える気もするし、店としては有り難いな」
「…やっぱり先輩はやめておこう。他の人に―」
「…はは~ん、サカザキってば、先輩が客の誰かに気に入られるのが嫌なんだろ!」タカミザワがニヤニヤする。
「違うよ。あのね、僕は先輩とは―」
「話が合わないところもあるけど、嫌いじゃないだろ?」とサクライに突っ込まれて口をつぐむ。
「…そりゃ嫌いじゃないよ、でも―」
「恋愛対象じゃない」
「…そう」
「じゃあいいじゃん!」
父ちゃんとサクライの間にタカミザワが割って入る。
「手伝ってって言ってみてよ。別におまえの彼女じゃないんだからさぁ…」
「……」
「彼氏がいないなら、出会いの場になって先輩にとってはいい話だし!」
「……」
「もし客に気に入られようが、サカザキには関係ないだろ?ただの先輩なんだし」
「お、おい、タカミザワ…」
「ん?何?」
サクライの顔を見た瞬間、ようやくヒンヤリとした空気を感じたのか、タカミザワがハッとした。やっと気づいたね。ボクの隣からさっきが流れてきてる、この不機嫌な冷たい空気に。
「……」無表情で窓の外を見ている父ちゃんに気づき、
「…あ、えと…」とタカミザワがビクビクしながら、言葉を探す。
ボクとサクライは、ただ二人を見守るしかない。

ねぇ父ちゃん。
嫌いじゃないってことは、好きなんだよね?だから、タカミザワに言われた言葉にムッときて、不機嫌になってるんだよね?…違うの?
…って聞けないけど…。
う~ん…父ちゃんとトモエさんの関係、ボクにはよく分からないや…
今度、父ちゃんがいない時にサクライに聞いてみようかな。
サクライなら、そういうところ、分かってる気がする。

「…そうだね」
ポツリと父ちゃんが呟いた。タカミザワがビクッとする。
「え?…え?」
「…先輩はただの大学の先輩だもんね。二人のために手伝ってもらえないか聞いてみるよ」
満面の笑みでそう言った父ちゃんに、ボクも含め、全員の背筋がゾクッとする。
さすが父ちゃん…笑顔が怖いよ…

早速トモエさんに電話をかける。
「…あ、サカザキです。今、いいですか?あの、明日オリオンヒルズに行ってみようと思っているんですけど…ええ、早い方がいいと思って。それで―」
「…やだって言うかな、先輩」タカミザワがサクライに尋ねる。
「やってる店も適当なんだろ?面倒くさいって断られる気がしないでもない」
「確かに…」
「ま、そうなったら、タカミザワが二人分頑張ればいいだけだ」
「え!先輩以外には声掛けてくれないのかよ!」
「おまえ、サカザキに何人声かけさせるんだよ。いくら顔が広いっていっても、何人も声かけていくわけにはいかないだろ」
「…ま、まぁ…そ、そうだけど…でも…二人分は無理だって!」
「俺、店を手伝ってって言えるほど親しくしている女友達はいないし、あとはタカミザワが自分で知り合いに声掛けろよ」
「えぇ…俺だってそんなに…」
「あれ、あのコとあのコとあのコはどうした?」
「どの子だよ!!って、指を折るな!指を!」
「あと―」
「だからやめろって!たくさん女友達がいたのは昔の話だろ!」
「…女…友達ぃ?」
「うるさいなぁ!」
「…うるさいのはそっちだよ」
ポツリと聞こえたその声があまりに低いので、二人とボクは凍るかと思った。父ちゃんが無表情でボクたちを見ている。
「…せ、先輩、どうだった?嫌だって?」
サクライに言われて、父ちゃんが呆れたように首を横に振る。
「逆だよ。やるってさ」
「え!」
「ウェイトレス、やってみたかったんだって。でも、ちゃんとバイト代はもらうからねって言ってた。サクライ、僕の給料から明日一日分を引いて、先輩に渡しといてよ」
「分かった。ちゃっかりしてるな」
「本当だよ。…でも、本当に先輩でいいの?知らないよ?普通の人じゃないんだからね?」
「…そう言われるとだんだん不安になってくるけど…だ、大丈夫だろ!ウェイトレスやるのに不思議ちゃんなところは表に出てこないって。…たぶん」
「甘いな、タカミザワは。ウェイトレスの仕事は問題なくできると思うけど、問題はそこじゃない」
「…どこだよ?」
「…一日一緒にいれば分かるよ」
「サカザキ、昔何かあったのか?」
「……ん?」
「な、何でもない…」
父ちゃんの笑顔に何も言えなくなったサクライ。昔、何かあったんだろうね…。だから、好きだけど、”嫌いじゃない”なんて言い方するのかな。
「僕は知らないからね?あとは二人に任せるから」
何となく、父ちゃんの代わりをトモエさんにしたことを後悔しているような、そんな顔をするサクライとタカミザワなのだった。

う~ん…明日どうなるんだろう…


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