「Cafe I Love You」
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「…つ、つまり…その”大切な物”が何だったのか、長年探している間に忘れちゃった…そういうこと?」
困った顔の父ちゃんに聞かれて、
「ええ」とさらりとスノーが答えた。
「”ええ”って……何で忘れちゃうんだよぉ!」
ボクがもう!と嘆くと、ムッとしてスノーが言い返してくる。
「あのね、忘れたくて忘れたわけじゃないわよ」
「え?」
「それはどういうこと?」
父ちゃんが尋ねる。
「どんどん記憶がなくなっていくのよ。今日は覚えていたことも、明日になったら忘れてしまう」
「…わ、忘れちゃうの?」
「そう、まるでそんなことなかったかのようにね。それがどんなに大切なことでも、忘れたくないと思っていても忘れてしまう。もしかしたら、明日にはあなたたちのことも忘れているかもしれないわね」
「…そんな…。と、父ちゃん、忘れちゃうのも病気なの…?」
「…う~ん……人間にそういう病気はあるから、猫にもあるのかもしれないけど…どうなんだろう…」
「スノーが忘れちゃってるなら、探そうにも探せないよ!」
「う~ん…」
「でも、この街にあることは確かよ。それは間違いない」
「どうしてそう断言できるの?」
父ちゃんが尋ねると、スノーがボクの方をを見た。
「アルが人間の言葉を話しているからよ」
「え?ボク?」
「探している物が何かは忘れたけど、それがないと私は力が使えないみたいなのよね」
「そうなの!?」
「ええ。これまで他の街でも猫たちに言葉を与えようとしてもできなかったけど、この街に来たらアルにはできたのよ。それって、この街にあるってことでしょ?」
「で、でも、何でそれがこの街にあるの?スノーはこの街に住んでいたことがあるの?」
「…記憶にないのよね。この広場も見覚えないし」
「覚えていないだけなのか、本当に来たことがないのか、難しいところだね…。でも、もし初めて来たのにこの街にあるってことだとしたら、それを持っている人がいるんだろうね。あるいは、猫か犬か…」
「そうか!誰かが持ってるってことなんだね!スノーはその大切な物をどこかに落としたの?元々はスノーが持っていたものなんだよね?」
「残念だけど、何も覚えていないわ。私の力の源が何なのか…何故それが自分の元から離れたのか…手元からなくなった理由は分からない」
スノーの言葉を聞いて、父ちゃんがムムム…と唸った。
「う~ん…その大切な物って、一体何だろう…。力を使うために必要ってことだから、スノーの力の根源みたいな物なのかな。僕はてっきり、スノー自身に備わった力だと思っていたんだけど、それは違うのかなぁ。それが何だったのか、他に何か覚えていることはないの?」
「……私にとって、大切な物だということしか覚えていないわ。それを探して、街を転々としてきたんだもの、とても大切な物なんだと思うわ」
「…う~ん…情報が少なすぎるなぁ…」
「どうしよう…父ちゃん…」
腕を組んで考え込む父ちゃん。
まさか、探してほしいと言ってきたスノーが、何を探しているのか忘れてしまっていただなんて、思いもしなかったよ。

「ねぇ、スノー?昔のことはまったく覚えていないの?覚えていることもあるの?」
「…何となく断片的に覚えていることはあるわ。それもそのうち忘れるかもしれないけど」
「忘れてしまったことを思い出したりすることもあるのかな?」
「…さぁ?思い出そうと思ったことがないから、分からないわ」
「う~ん…」
「父ちゃん…」
「…まずはスノーに色々思い出せるかどうかを確認してみないといけないね。この街に来る前はどこの街にいたのか、とか。それができないとお手上げだよ」
「でも、昨日のことも忘れちゃうんだよ?そんな前のこと、思い出せないよ、きっと」
「スノーにとって、大切なことは思い出せるかもしれないよ。ねぇ、スノー。昔の飼い主から呼ばれていた名前とか、覚えていたりしない?」
「…忘れたわ」
「思い出してみて?もしかしたら、出てくるかもしれない」
「何で思い出さないといけないのよ」
鋭い目で父ちゃんを睨むスノー。
ああ…怖い…。
でも、父ちゃんは負けずに食い下がる。
「スノーは昔のことを思い出す必要があると思うんだ。どんなことが大切な物に繋がるか分からないから、今はとにかく色んなことを思い出してみてほしい。嫌なことも思い出してしまうかもしれないけど、今のままだとその大切な物は見つからないよ」
「……」
「そ、そうだよ。探している物を見つけるためだよ。嫌かもしれないけど、お願いだから思い出してみて?」
ボクも勇気を出して言ってみる。
「……」
けれど、スノーはフイッと目を逸らして、不機嫌そうな顔で前方を睨むだけだった。
う、う~ん…これは拒否してる…ってことなのかな…
スノーが協力してくれないと、前に進めないのに…

しょんぼりしていると、
「…確か……」とスノーが口を開いた。
「え?」
「確か…ホワイトとか…」
「出てきたね!」
「…ジュディとか…ああ、マリーもあったわね。あら、結構出てきたわね」
「名前は飼い主から呼ばれることが一番多いから、結構思い出せるんじゃないかなって思ったんだ。名前で飼い主が判明して、暮らしていた街も分かるかもしれない」
「…なるほどね。変わった名前だったら、飼い主が分かる可能性があるわけね」
「そう。他にも思い出せる?」
「…そうね……ああ、そういえば、見た目じゃない名前をつけた人間もいたわね。最初、”何それ、全然私らしくない”って思ったのよね」
そう言って、珍しくスノーが小さく笑った。
わ…初めて見た、あんな顔。
何だ…普通に笑えるんじゃないか。
「そうなんだ、どんな名前だったの?」
優しい声で父ちゃんが尋ねる。
「何だったかしら……いつも真っ白な見た目で名前をつけられていたから、その名前はとても新鮮で、結構気に入って―」
そこまで言って、スノーは固まった。
「…スノー?」
ボクが声をかけると、元の無表情に戻ってしまった。
「でも何だったかは思い出せない。何人もの人間に飼われてきたんだから、全部は思い出せないわよ」
フイと逸らしたスノーの横顔が、少し照れくさそうに見えた。
らしくないことを話したから、かな?
猫らしい…というより、無表情とか怖い顔以外の普通の表情もできるんだね。ボク、てっきりそういう感情はないのかと思ってた。スノーもボクと同じ猫なんだ。ただ…飼い主と生きてきた環境が違うだけ。
もしかしたら、ボクがスノーみたいになってしまってもおかしくないんだ。人間にひどいことをされて、人間を憎んで、恨んで。誰のことも信じられなくて。
父ちゃんがどんな猫にも優しくする気持ち、少し分かった気がする。
猫のせいじゃなくて、人間の…せいだから。

「大丈夫。色んなことを話して、色々思い出してみて?思い出そうとすることが大切なんだと思う」
「……」
「アル、スノーに色々思い出してもらえるように、色んなことを聞いてみて。僕は一度先輩に連絡してみるよ。何か情報があるかもしれないから」
そう言って、父ちゃんは電話を取り出した。
「うん、分かった!」
「…先輩?」
スノーが怪訝な顔をする。
「この街にいるもう一人の猫好きな人だよ。その人も父ちゃんに負けないぐらい猫が好きなんだ」
「こんな人間がもう一人いるの?本当、嫌な街ね」
「ひどいなぁ…変人の先輩と僕を一緒にしないでほしいよ」
「あなたも一種の変人でしょ」
「ははは…」
ダイヤルしながら、父ちゃんがベンチに腰掛ける。
すぐに繋がったのか、
「…あ、先輩、僕です。サカザキです」と話し始めた。
父ちゃんとトモエさんの会話も気になるけど、今はとにかくスノーの過去を知らなくちゃね!

「ねぇ、スノー。スノーって名前は、誰がつけたの?」
「…この街に来る前にいた街で、野良猫にエサをやってる人間」
「あ、飼い主じゃないんだね」
「もうずっと、人間とは暮らさないようにしているから。人間と暮らすとろくなことがないんだもの」
「…その…エサをくれた人間の名前は分かる?」
「知るわけないじゃない。エサを置いていくだけなんだもの」
「そっか…じゃ、じゃあ、今までの飼い主さんの名前は覚えてる?」
「飼い主の名前?……覚えてないわ」
「そっか…飼い主は何人かいたんだよね?」
「…数えていないけど、何人もいたわね」
「一番最初の飼い主さんが、スノーのことを気味悪がって捨てちゃったの?」
「……ああ、そうそう。私を飼い始めてからおかしなことが起こるって言って、気味が悪いからって捨てられたのよ」
「それは男の人?他にも一緒に暮らしてた人がいたの?」
「…男だったと思うけど…」
「飼い主が何人かいたのなら、その中に良い人もいなかった?」
「良い人?…最初はみんな優しかったわよ。真っ白でキレイな猫だって。でも…不思議なことが起こると気味が悪いって、結局は捨てるのよ」
「ずっとスノーを可愛がってくれた人はいない?みんな…スノーにひどいことしたの?その”大切な物”、もしかしたら、飼い主さんがくれた物かもしれないよ?」
「……飼い主が…くれた…物…」
スノーの表情が今までと少し違うような気がした。
何か、思い出したのかもしれない。
「…あ、じゃあ、最後の飼い主さんのことなら覚えてる?」
「最後?」
「そう、一番最後の飼い主さん」
「……」
「最後の飼い主さんなら、一番記憶に残っているのかなって思うんだけど…」
「……最後…」
スノーなりに思い出そうとしてくれているみたいだけど、どうやら最後の飼い主さんの記憶は薄いみたいだ。
でも…何だろう。
スノーの表情は、ただ忘れてしまっただけじゃないような…そんな気がする。
「スノー?」
「…私はどうして……に…」
スノーが何かを呟いた。
「え?」
聞き返してみたけど、スノーはハッとすると元の不機嫌そうな顔に戻ってしまった。
「…何でもない。最後の飼い主なんて、忘れたわ。どうせ記憶にまったく残らないような人間だったんでしょ」

さっきの顔…何か気になることがあるような…そんな顔だった。何かを思い出したのか、思い出しそうになったのかは分からないけど。
何て言ったのか気になるな…でも、もう一度聞き返したって、絶対に教えてはくれないよね。
とりあえず、父ちゃんにはあとで話しておこう。


”どんなに大切なことでも、忘れたくないと思っていても忘れてしまう”

そんなの…日々記憶がなくなっていくなんて、可哀想だよ。大切なことも、忘れたくないことも忘れてしまうなんて……。
もし自分がそんな風になったら…そう考えただけで、胸がキュウッて苦しくなる。
父ちゃんとのこと、記憶がなくなって忘れちゃうなんて絶対に嫌だ。

でも、そんな風になっても、自分の命がいつなくなるか分からない今も、スノーはずっとずっと探し続けてる。
それだけ、スノーが探している物は大切で、スノーにとって幸せな時の物だと思う。
そんなに大切な物なら、手元に返してあげたい。
辛いことまでいっぱい思い出させてしまうかもしれないけど、いっぱい話して、いっぱい思い出して、スノーの”大切な物”を見つけてあげたい。

それが見つかった時、スノーはきっと幸せだった時の記憶を思い出せる。ボクはそう、思うから。

ボクだったら…
ボクだったら、何が”大切な物”かな。
野良猫の時には母ちゃんや仲間が大切だったけど、飼い猫になった今はやっぱり父ちゃんからもらった物が一番大切だな。

たくさんの愛情はもちろんだけど、色んな物をもらったよ。
暖かいボク専用のベッドに、毛布、ボクがついつい追いかけちゃうお気に入りのおもちゃ。
ご飯のお皿に水入れ、トイレに爪とぎ、いっぱいいっぱいある。
全部ボクのために買ってくれた物。
父ちゃんに大事にしてもらえてる。
それが分かるボクの大切な物たち。

きっと、スノーにもそんな大切な物があるはずだ。
ううん、きっとじゃなくて、絶対に…絶対にあるはず!

そして、きっとそれがスノーが探し続けてる”大切な物”なんだ。
同じ猫のボクなら、きっとそれが何か分かる。きっと分かる。

スノーの”大切な物”、ボクが…ボクが絶対に見つける!

見つけるんだから…っ!!


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