「Cafe I Love You」

う〜ん、今日もいい天気だなぁ。
ボクは朝の心地よい日差しを浴びて、ウンと伸びをした。

あれ、君、初めて見る顔だね。
この街は初めて?ようこそ、我が街へ!
小さな街で、観光名所もあまりない、ありふれたところだけど、とっても良い街だよ。
自慢できることといったら、車より自転車の数の方が断然多くて空気が美味しいところぐらいだけど。
あ、電気で走るトラムがあることも自慢の一つかな。ボクはトラムに乗るより眺めることの方が好きだけどね。

ボクはアル。
この街に住んでいる黒猫。よろしくね。
ボクが住み始めたのは二年前だから、まだまだ新参者だけど、とっても住みやすくて良い街だと思うよ。そりゃ、都会みたいに何でも揃う大きな店はないから、不便なこともあるよ。トラム以外に電車は走っていないし、バスは一時間に二本、通勤・通学の時間帯でも四本しかない。
でも、この街に住んでいる人たちはみんな優しい人ばっかりで、ボクを追い掛け回す人もいないし、何よりボクをこの街の住人だって認めてくれる人たちがいっぱいいるんだ。ボクが生まれた街はそんな人、いなかったもん。ボクの居場所なんて、どこにもなかった。
だから、ボクはこの街に住むことに決めたんだ。ここなら、ボクの居場所がある。ボクがボクでいられる。

え?君は野良猫かって?
やだな、それは昔の話だよ。今はちゃんとした飼い猫だよ。
ほら、この“Cafe I Love You”ってカフェがボクの家だよ。
街と同じで、どこにでもありそうな街角の普通のカフェだけど、ボクにとってはかけがえのない場所なんだ。ボクがこの街に住もうって決めたのも、このカフェがあったから。
このカフェに出会わなかったら、ボクは今も街から街へと旅をしていたかもしれないな。

え?そんなにすごいカフェなのかって?
う〜ん…。それが実はよく分からないんだよね、どうしてボクがこの街に住もうと決意できたのか。このカフェに来て、店員からご飯をもらっただけなんだけどさ。ご飯を食べたら、何かすごく幸せな気持ちになって、ここんちの猫になっちゃったんだよね。
それは人間にも言えることでね。たくさんのお客さんが来るわけじゃないけど、初めて来た人は必ずと言っていいほど常連になっちゃうんだ。引き寄せられるっていうのかな。何か不思議な力があるのかも。

ん?一体どんなカフェなのかって?
じゃあ、ボクが紹介するね!
まずは店員から。
店員は三人いてね−

「おい、そんなところにいたら邪魔だろ」
ボクが顔を上げると、カフェのメニューボードを持ってボクを見下ろす男が一人。
「店の扉の前にいられたら、客が入れないだろ。ほら、あっちに行った行った」
言ってることはすごく冷たいけど、相変わらず良い声だよな。
仕方ないな、移動してやるか。ボクは一つため息をついて、窓の下へと移動してやった。

この人がカフェの店員の一人、名前はサクライ。
サングラスにヒゲで見た目はちょっとコワイかもしれないけど、悪い人ではないよ。
一番年上っぽいけど、カフェの店員の中でも一番年下で、よく二人からいじめられてる。
一番年下っていっても、同い年でただ誕生日が早いか遅いか、だけらしいけどね。
でも、サクライはシェフ兼パティシエ。サクライがいなきゃこのカフェは成り立たない、実はすごい人なんだよ。グルメ雑誌にも紹介されたことがあるんだから。
…なのに、何でいつもいじめられてるんだろう。何か弱みでも握られてるのかな。ククク、サクライならありそうだなぁ。

それに、この良い声と渋い見た目に惚れこんでカフェに通う女の子も結構いるんだ。
ボクも優しい声で“アル、おいで”って呼ばれたら、きっと力が抜けちゃうと思うな。
…ま、そんな風に呼ばれることなんて、一生ないだろうけど。

「おい、そこも邪魔だ。ボードが置けねぇだろ」
だって、ここが一番日当たりがよくて気持ちいいんだもん。少しくらいいいじゃん。
ボクがごろんと横になると、サクライの眉間にムムッとシワが発生した。
「…なんだ、その態度は。おまえ、俺の商売を邪魔したいのか?あ?」
そんなつもりはないけど。でもここがいいんだもん。
「…ったく。ほら、ボード置くぞ」
有無を言わせずボクの上にボードが降りてくる。あと数センチ、というところでボクはたまらず飛びのいた。
ドンッ
サクライはボードを置いて、飛びのいたボクをジロリと見下ろした。
何だよ、危ないからって優しく抱き上げるとか、そういうことはしてくれないわけ?ボクがどかなかったら、確実にボードに踏まれてたんだぞ?怪我してたかもしれないんだぞ!
ボクが非難の声を浴びせても、サクライは聞こえないフリをしてボードの向きを几帳面に微調整して、今日のオススメメニューを書き始めた。
あ、何かその態度むかつく!父ちゃん呼んじゃうぞっ?いいの?呼んじゃうからねっ?
父ちゃん!父ちゃーんっ!
「どうした、アル。何騒いでんの?」
店の中から父ちゃんが顔を出した。
父ちゃん!ボクが駆け寄ると、父ちゃんは腰を下ろして頭を撫でてくれた。
「サクライ、アルが何かした?」
「ボード置くとこにいるから邪魔だって言ってんのに、全然どかないんだよ。サカザキ、ちゃんとしつけしてくれよな」
「“あそこはボード置くところだからダメだぞ?”って猫に言ったら、“うん、分かった!”ってやらなくなると思う?」
「…思わねぇけどさ」
「でしょ?無理に決まってるじゃん。ねぇ、アル?」
ねー。父ちゃんのかわいい笑顔にボクは幸せいっぱいに返事した。

この、ボクに優しくていつもいつも可愛がってくれる人が大好きな父ちゃんのサカザキ。
三人の中で誕生日が一番早くてお兄さんなんだって。サクライたちより背も小さくて、かわいらしくて若く見えるのに、一番年上って面白いよね。
お、トレードマークの銀縁メガネ、今日も似合ってる。あ!今日のピアスはスプーンの形してる!またお客の女の子たちに“かわいい〜”って言われちゃうね。
でも、二人は“みんな見た目に騙されてる”って言うんだ。お客の女の子たちのおしゃべりに笑顔で付き合っていても、好みの女の子をしっかり見てるらしい。ま、男だもん、しょうがないよね。ボクも女の子好きだし、可愛い子がいたら見ちゃうもん。正常正常。

「でもアル。もうすぐオープンでサクライは忙しいから、あそこで昼寝するのはまた今度ね」
うん、分かった。父ちゃんが言うなら我慢するよ。
「ほら、おいで。花に水あげるよ」
そう言って父ちゃんはボクを抱き上げて、店の前に並んでる鉢植えやプランターにジョウロで朝の水やり。これ、ボクと父ちゃんの日課。
「あ、これ、もうすぐ咲きそうだよ。明日の朝には咲いてるかもしれないね、アル」
うん、父ちゃんがそう言うなら、明日きっと咲くよ!明日が楽しみだね。

ボクは父ちゃんに感謝しきれないほど感謝してるんだ。だって、ボクがこうしてここにいられるのは全部父ちゃんのおかげなんだもん。
このカフェでご飯もらったら、ここに住みたくなったわけだけど、ボクが住みたいと思うだけじゃ住めないでしょ?父ちゃんが“こいつ、うちで飼ってもいい?”って言ってくれたからここの飼い猫になれたんだ。
だってさ、あのサクライがボクを飼うとは思えないでしょ?あの扱いだもん、きっと邪魔くさい黒猫だなと思ってるんだ。いつかボクのしっぽをつかんで、ぐるぐる回してポーンッて投げるに決まってる。
あいつだって、絶対ボクを飼うようなタイプじゃないし、どっちかと言ったらうっかり踏まれたり、存在を忘れられてエサがもらえない…なんてこともありそう。…ああ、考えただけで恐ろしいっ!

「ハックション!」
店の中から誰かさんのくしゃみが聞こえた。
「どうしたんだよ、タカミザワ。風邪?あ、また髪の毛乾かさずに寝た?」
父ちゃんが店を覗くと、店の奥のカウンターでパソコンとにらめっこをしている、その人がいた。
「確かに髪を乾かさずに寝たけど、そんなことで風邪をひくほど弱くはないよ」
「じゃあ誰かがウワサしてんのかもね」
「ウワサねぇ…もしかしてアルか?」
ドキッ!
「…ってそんなわけないか」
「ないでしょ」

このくしゃみをした意外に鋭くて侮れない人が三人目の店員、タカミザワ。年齢不詳な感じだけど、二人と同い年なんだって。ツヤツヤした長い髪がトレードマーク。顔立ちが異国の人みたいで、初めて会った時はちょっと警戒しちゃった。見た目も近寄りがたいって印象があるかもしれないけど、猫のボクが驚くほどのド天然でね。なかなか面白い人なんだ。この前なんて、寝坊して慌てて店に降りてきたら、左右違う靴履いてんの。
エプロンが裏だった、なんてのは何度もあって、だいたいいつも父ちゃんが直してあげるんだよね。

あ、ちなみにみんな店の上の階に住んでるんだ。サクライが二階、父ちゃんが三階、で、タカミザワが一番上の四階。
その上は屋上で、サクライが家庭菜園や養蜂をやってて、店で使う野菜やはちみつを作ってる。
父ちゃんがよく手伝いに行くから、ボクの遊び場にもなってるんだ。サクライは来てほしくなさそうにボクを睨むけどね。

「またパソコンで今度は何やってんの?」
水やりを終えた父ちゃんが、ボクを抱っこしたままタカミザワのパソコンを覗く。
「ん?店のカード作り。ほら、店のHP作ったから、URL追加しようと思って。で、今までと同じデザインじゃつまらないからカードのデザインもちょっと変えようと思ってさ」
「あの派手なHP、本当に使うの?サクライはいいって言ったわけ?」
「言うわけないだろ!」
外から戻ってきたサクライの大きな声が店に響いた。
「だよねぇ」
「だから、昨夜デザイン変えてたんだよ。ヤダって言うからさ」
「誰だって嫌だろう、あんなHP!誰があれ見て“カフェ”だと思う?サカザキもそう思っただろ?」
「そうだねぇ…遊園地とかのHPみたいだったね。あっちもこっちもいろんなものが動いてて色も鮮やかで。店の外観の写真、めっちゃ浮いてたもんね」
うん、ボクも目がチカチカした。
「だろ?サカザキがせっかく夕暮れの良い写真を撮ったのに、その周りに訳のわからない動く絵があったり字の色が赤だったり緑だったり青だったり−」
「だから!それはやめたって!ほら!物足りないぐらいシンプルにしたから!」
「本当か?タカミザワのシンプルってあんまり信用できないんだけど」
「失礼だな!ほら!ちゃんと見ろ!」
「あれ、本当だ。すごくいいじゃん。サクライ、昨日のとは大違いだよ」
本当だ。昨日みたいにチカチカしない。何がいいものなのかはボクには分からないけど、父ちゃんの写真が真ん中にあれば文句はないな。
「本当か?……あれ、なんだよ、タカミザワ。やればできるじゃないか」
「当然だろ。俺を誰だと思ってるんだよ」
『タカミザワ。』
「タカミザワさんだろ」
「はいはい、タカミザワさん。すごいですねぇ。偉い偉い」
「朝方まで頑張ってたんだからな。なのに文句ばっかり言うんだから」
「“作ってやろうか?”って言ったのはおまえだろ。だから−」
「おまえにおまえって言われる筋合いはない!」
サクライをビシッと指差してタカミザワが大きな目で睨んだ。
突然怒られてサクライがビクッとして、おどおどしながら言い直す。
「“作ってやろうか?”って言ったのはタカミザワ…さんだったと記憶しておりますが、違いましたでしょうか…」
「そうだけど、“ありがとう”ぐらい言えないのか?」
「…作ってくれてありがとうございましたぁ」
面倒くさそうにサクライが言った。
「気持ちがこもってなーいっ!!言えばいいってもんじゃないんだぞ!」
「面倒くせぇなぁ…」
「何だってっ!?」
「面倒くさいって言ったの」
「そんなこと言ったら二度と作ってやらないからな!」
「だから、俺がいつ作ってくれって頼んだんだよ」
「まぁまぁ。いいじゃん、とりあえず良いHPができたんだからさ」
「そうだけどさぁ…」
「“だけど”なんだよ!はっきり言えよな!」
「だから言ってるだろ、誰が作ってくれって頼んだんだよ?おまえが好きで作ったんだろ?」
「何回言わせるんだよ!“おまえ”って呼ぶなよ!」
「はぁ?またそれ?じゃあ人のこと指で差すなよ!」
「おまえにしかしないもん!」
「それをやめろって言ってんだよ」
「いいじゃん、別に。そんなの俺の勝手だろ!」
「おまえの勝手で指で差される身にもなれよ!」
「あ!また“おまえ”って言った!!」

もしもーし。
『うるさいっ!』

…な、何でボクが怒られるんだよぉ…。
「アル、口を挟まない方がいいよ」
父ちゃんがボクに優しく言って、あきれ顔で二人の仲裁に入った。
「ほら、二人とも、大人げないよ。学生の頃からケンカの理由が変わらないってどうかと思うよ。…ねぇ、聞いてる?」

怒られたのも悲しいけど、ボクは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ごめんね、気づいてもらえなかったよ。
そんなボクの気持ちだけでも、伝わっていたらいいんだけど。

早く三人が気づいてくれるといいな。
店の入り口に、どうしたらいいものかと困り顔をした常連さんが立っているってこと。


数分後、困った顔のお客を見つけて、三人が平謝りするのはまた別の話。


本当、何でボク、この店の飼い猫になったんだろ?



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