「Cafe I Love You」
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「はぁ……」
何度目のため息だろう。
じいちゃんの教え子だという、トモエさんのお店に向かいながら、父ちゃんはため息ばかり。
そんなに残念だったの?

トモエさんって人、偶然にも父ちゃんの学校の先輩だったんだって。
じいちゃんが言ってた教え子さんと父ちゃんたちが言ってた先輩が、まさか同じ人だったなんてね。
だから、二人は似てたんだね。
そりゃ同じ人の話だもん、似てるよね。

父ちゃんに抱っこされながら、丘の上へと伸びる長い坂道を上る。
…上ってるのは、ボクじゃなくて父ちゃんだけどね。
この辺りは、特に古い家が多くて、街並みがいいって父ちゃんはよく言ってる。
でも、今日は街並みを眺めたり、写真を撮ってる気分じゃなさそう。

丘の真ん中ぐらいまで来ると、ふぅ…と父ちゃんが立ち止まった。
「ちょっと休憩。ふ~…坂道はしんどいなぁ……あ、でも景色はいいね。遠くまでよく見えるよ」
「本当だ!お店の方やトラムの駅の方も見えるし、あ、あの木がいっぱいあるところが広場だよね?」
「そう。すごいなぁアルは。タカミザワよりこの街のことが分かってる」
「この辺りも野良の時に二回ぐらい歩いたよ。でも、猫の目線の高さじゃ丘の下の景色は見えなかったから、こんなに高いなんて知らなかったよ!」
「そっか」

あ、もちろんその時はこんな風に堂々と歩いたわけじゃなくて、裏の細い道とか家の庭をそ~っと通ったりして、目立たないようにしてたよ。
怖い人間や他の野良猫に会わないようにビクビクしてたからね。

今は父ちゃんがいるから、知らない野良猫に会ったって平気だもんね。

「父ちゃん!時計台も下から見るよりよく見えるね!大きいなぁ!」
「そうだね。そういえば、毎日鐘の音を聞いてるけど、一度も行ったことがないなぁ」
「そうなの?」
「うん。アルもさすがにあそこまでは行ったことないよね?結構遠いし」
「うん。え、そんなに遠いの?」
「歩いて行けないと思うよ。バスじゃないと無理かな」
「人間でも歩いて行けないの?そんなに遠いんだ」
「いいところとは聞くから、一度は行ってみたいけどね。今度、お店が休みの時に行ってみようか」
「うん!ボクね、色んなところに父ちゃんとお出かけしたい!」
「そっか。じゃあ、これからはあちこち遊びに行こうね」
「やったぁ!」

いっぱい色んなところに行って、この街のこと、もっともっと知りたいよ!
お出かけ、いっぱいしようね、父ちゃん!

「地図だとこの辺だなぁ…」
父ちゃんが呟いた。
借りた紙を見ながら、キョロキョロする。
「チャペルの通り…二本手前の道?…あれ、ここは三本目かな?この、先が行き止まりな細い道は数えるのかなぁ?……まったく、分かりにくいところに店出しちゃって。トモエ先輩らしいと言えばらしいけど」
「父ちゃん、トモエさんってそんなに変わってるの?」
「変わり者って言われてきたムッシューが変わってるって言うんだから、相当変わってるってことだよ」
苦笑いして、父ちゃんはまたキョロキョロする。
「こりゃ、誰かに聞いた方が早いかもなぁ」
「あ、あそこに本屋さんがー」
あるよ、と言おうとした時、知っている匂いを感じて、鼻をクンクンする。
「アル?どうした?」
「うん、何か、猫の匂いがする」
「猫?まさか、ジェイがこんなところまで来てるとか?縄張りは広そうだけど」
「ううん、ジェイじゃないよ。顔が広いから知り合いの猫は多いけど、さすがにこんな遠くまでは来な…あっ!」
「えっ?」
「父ちゃん、後ろの細い道の先にー」
見覚えのあるシッポがチラッと見えたぞ!
「ん?こっち?」
父ちゃんが細い道に入っていく。
「うん、今、シッポが見えた!…匂いとシッポからして、あれは広場のトリオだよ!…あれ?でも、何でこんなところに?」
「広場のトリオが?こんなところに?トリオの縄張りからは、かなり離れてるよね。違う子じゃない?」
「う、うーん…」

トリオっていうのは、広場の猫たちのこと。
いつも三匹で行動しているから、父ちゃんがそう呼んでるんだ。
もちろん、それぞれに名前もちゃんとあるけどね。

父ちゃんの言う通り、トリオがこんなところにいるなんておかしい。
ボクの家の方にも来てくれたことがないのに、それよりもっと離れた丘の上にいるなんて、もっとあり得ない。
警戒心が強くて、広場周辺からは出ないようにしてるぐらいなのに。

でも、さっきの匂いは確かにあのトリオの匂いだった。
嗅ぎ間違えるなんて、そんなことないもん。

「父ちゃん、そこの隙間に入っていってたよ!」
「ここ?…うーん、いないよ?」
「あれ?本当だ…」
さっきした匂いもしなくなっちゃった。
どこかの家に入っていったのかな。
「やっぱり、違う子じゃないかな。もしあいつらなら、僕とアルを見たら逃げずに出てきてくれると思うよ」
「う…ん…」
…でもなぁ…匂いを間違えるなんて、ないと思うんだけど…
姿が消えた隙間をもう一度見てみたけど、やっぱりトリオの姿も匂いもなかった。
おかしいなぁ、ボクの鼻、調子が悪いのかな…
「このまま先に進んで、向こう側に行ってみよう」
「うん…」

そういえば、昨日、広場にいつもいるトリオがいなかったっけ。
必ずと言っていいほどいつもいるのに、変だなって思ったんだよね…
…縄張りを追い出されちゃったのかな。
そんな強い新しい野良猫が街に来たのかな。

……まさか、スノー?
あの変な力でみんなを追い出しちゃったとか?

…有り得るよね。
スノーって、他の猫たちと仲良くする気なんて全然ないし。
う~ん…ちょっと心配だな…

「お、これはまた雰囲気のいい路地だな」
細い道を出ると、迷子になりそうなぐらい似たような古い家が建ち並んだ道に出た。
「父ちゃん、全部同じ家に見えるよ」
「あはは、確かに。…あ、素敵なランプが掛かっている家があるよ。ランプが灯ると夜も良さそうだなぁ…」
父ちゃんがその家の方へ歩いて行く。
近づくほど、家がとっても古いってことがよく分かる。
大きな車がドーンとぶつかったら、ペチャンコになりそう。
「お、看板が出てる。ここ、何かのお店みたいだね……あ」
「ん?」
「…ここだ。トモエ先輩の店」
父ちゃんが看板に書いてある文字と紙を見比べてる。
「すごい!見つかったね!」
「さっきの細い道が、どうやらチャペル二本手前の道だったみたいだね。あれは分からないな。”本屋の一本手前の細い道”って書いてくれた方がまだ分かるよ。頭が良くて変わった人の道案内は、僕みたいな凡人には伝わりにくいんだろうな」

店の扉の前に来ると、父ちゃんが遠慮がちにすぐ横にある窓から中を覗いてみた。
ボクも首を伸ばして見てみる。
「…薄暗くてよく見えないね」
「ね。でも、何か奥の方に明かりが見えるから、いるにはいるのかな。入ってみるとしますか」

扉はちょっぴり開いていて、その扉を支えるようによく分からない置物が置かれていた。
「これは、お好きにどうぞってことなんだろうけど、それなら”OPEN”のプレートを付ければいいのにねぇ」

何だかさっきから父ちゃんは、文句ばっかりだ。
もしかして、トモエさんに会いたくないのかな。
父ちゃんが会いたくない女の人って、どんな人なんだろう。

「…こんにちは~」
扉を押すと、キィ…と音がした。
中は、外から見たまま薄暗かった。
電気の灯りはついていなくて、ぽつんと小さなキャンドルが一つ灯っているだけ。
よく分からないものがあちこちに置いてあったり、壁に掛けてあったり。
大きな物からボクの手より小さな物まで色々あって、部屋中ゴチャゴチャしてる。
人の顔みたいな物もあれば、剣やナイフ、矢とか…危なそうな物もある。

置いてあるものだけでも怪しいのに、薄暗いからキャンドルのほのかな灯りに照らされて、余計に怪しく見える。

カチッ ボーン…ボーン…

「わぁ!」
掛け時計が突然鳴って、ボクはびっくりする。
「あはは、びっくりしたね。うーん、なかなか古い掛け時計だなぁ。今でも動いているのはすごいことだけど、残念ながら時間が合ってないんだよね。他の時計も時間がバラバラだ。こういうところで適当なんだよね、先輩は」

すると、店の奥の方から、ペタペタと足音がした。
暗がりから、ぬっと人影が現れる。

「いらっしゃい。ゆっくり見ていって。薄暗くて見えないって言うなら、懐中電灯貸してあげるわよ」
現れたのは、上下、黒っぽい服を着た、ほっそりした女の人だ。
ふあぁぁぁと大きなあくびをして、ウンと伸びをする。
長い黒髪を後ろで一つに結っているけど、ちょっとボサボサしてる。

「先輩、店員さんなら、身だしなみは整えないとダメじゃないですか。寝てたんでしょ?」
「え?」
先輩と呼ばれたその女の人が、父ちゃんの顔をまじまじと見る。
「………あれ?あなた…」
「お久しぶりです、トモエ先輩」
「……えっと、誰だっけ?」
父ちゃんがガクッとする。
「もう!大学で一つ下だったサカザキです!」
「やだ、冗談よ。覚えてるに決まってるでしょ?あたしがそんなに記憶力ないと思ってるの?」
「…だって、興味ないことは覚えないじゃないですか」
「……確かに。でも、猫好きな人のことはちゃんと覚えてるわよ。猫好きなのは相変わらずのようね。この可愛い黒猫ちゃんの名前は?」
「”アル”です」
「”アル”って言うの。いいわね、黒猫。あたし、好きよ。猫の中でも一番好き」
そう言って、ボクに顔を近づけると、目を細めてにっこり笑った。
「黒いローブ着て、この子と一緒に夜の街を飛んでみたいわねぇ…」

く、黒いローブ?
街を飛ぶ?
…な、何言ってるんだろ、この人……

…何か怖い…

「魔女のコスプレをするのは別に止めませんけど、この子はあげませんよ。僕の大事な子ですから」
「誰も欲しいなんて言ってないじゃない、失礼ね。ま、気が変わって譲ってくれるなら喜んでいただくけど」
「気は変わりませんので、ご安心を」
「ふん。それより、今日はどうしたの?ここがあたしの店だって知らずに入ってきたわけではなさそうよね。久しぶりだから、ゆっくり話でも…って言いたいところだけど、今日はこれからお客が来る予定なのよ」
「客ですか」
「そう。大学時代の恩師から連絡があってね。あたしが食いつきそうな話があるんですって。不思議な猫に会って困ったことになっているとか。午前中に来るって言ってたから、もう来てもいいと思うんだけど」

トモエさんはそばに置いてあった小さな時計を見やる。
それが本当の今の時間…なのかな?

「そうなんですか」
「”不思議”を付ければ、あたしが興味を示すと思ってるんでしょうけど、実際どの程度不思議なのか怪しいところよね。…ああ、そういえば、猫を連れて来るって……ん?」
何かに気付いてトモエさんがボクを再び見て、指差した。
「……猫」
「ええ、猫ですね」
「もしかして、先生が言ってたのって、サカザキくん?」
「はい。ムッシューの紹介で来ました。でも、まさかムッシューの教え子がトモエ先輩だとは思いませんでしたよ」
「何よ、最初にそう言いなさいよ」
「先輩が”名前何だっけ”って言うからですよ」
「あら、名前を忘れられてると思って、腹が立ったの?いやぁね、そんなにあたしのことが好」
「違います」
「…そんな、はっきり否定しないでくれる?言い終わってもいないのに。それも真顔で」
「勘違いされても困りますからね。いくら美人でも、トモエ先輩は無理です」

店に来るお客さんたちには見せないような真顔で、しかも冷たい口調で話す父ちゃんに、ボクはポカンとする。
ボク、女の人に冷たい口調の父ちゃん、初めて見たよ。
父ちゃんにもこんな風に接する女の人がいるんだ…。

トモエさんも、お店に来る女の人たちとは全然違う。
サバサバしてて、口調も冷たくて、言うことがきつくて。
まるで、スノーが人間になったみたい。

ボク、ちょっと怖い……


「まぁ~相変わらず、自分と話の合わない女には冷たいわね」
「先輩も相変わらず変人なようですね。ムッシューが”相当変わっている人”って言ってましたよ」
「まぁ、失礼な。相当変わってる先生がよく言うわ」
「…でも、服の好みは変わりましたね。どうしたんですか?昔は全身柄物でカラフルだったのに」
「あのね、服装が若い頃から同じだったら、それこそ変人でしょ。…まぁ、そんなことはどうでもいいわ。話があるんでしょ?奥で聞くわ」
そう言ってトモエさんは店の扉を閉めて、中から鍵を掛けた。
「いいんですか、お店閉めちゃっても」
「ええ。開けたい気分の時だけ開けてるような店だし、お客は常連さんと噂を聞きつけて稀に遠くから来る変わり者ぐらいだから。さ、こっち」
トモエさんが、灯りがついてる店の奥へと歩き出したので、父ちゃんもそれに続く。
店の奥へ続く廊下も、薄暗くて怪しさ全開だ。

「古い家ですね。空き家を借りて店を?」
「そう。広いわりに格安だったのよ。まぁ、かなり古いから安かったんだけど、部屋もたくさんあるし、路地裏の雰囲気もよかったから、ここにしたのよ」
「まぁ、確かに雰囲気のいい場所ですけどね」
「でしょ?床や壁、天井のあちこちに開いてる穴さえ気にしなければ住めるわ」
「えっ?穴っ?」
「そう、こことか、あっちとか。…あ、そこにもあるから気をつけて」
「わっ!さ、先に言ってくださいよ!薄暗くて見えないから、落ちるところだったじゃないですか!」
「はは、ごめんごめーん」
「せめて床の穴ぐらい塞いでくださいよ!」
「えー?無理無理。そんな余分なお金持ってないもの」
「そんな、それくらい…あ!また変なことにばっかりお金使ってますね?」
「変なことって何よ」
「外国の心霊スポット巡り五日間の旅とか、ミステリーツアーとか」
「変なことじゃないわよ。あたしにとっては、そういう旅をすることが生きがいなの。その生きがいを続けていくために、こうして働いてるの」
「それなら、もうちょっとしっかり経営しないとダメじゃないですか」
「この店はこんな感じでいいのよ」
「…他にも色々やってるから、ですか?」
「何よ、知ってるんじゃない。知ってるなら言わないでよ」
「いや、知ってるわけじゃないですよ。先輩のことだから、どうせこの店をカモフラージュに、他に何かやってるんだろうなって思ってただけで」
「別に悪いことはしてないわよ」
「分かってますよ。頭のいい先輩が、法に触れることはしないでしょ」
「当然よ」
「…でも、あと一歩で法に触れそうなことはしてますよね?」
父ちゃんにそう言われて、トモエさんが立ち止まって振り返った。
何か言いたそうな顔をしてるけど、何も言わない。
すると、父ちゃんが口を開いた。
「大丈夫ですよ、ムッシューにも誰にも言いませんから。その分、今回の件、協力してくださいね」
「……」
トモエさんは、無言のまま父ちゃんを見つめて…というより睨んでる。
見上げた先の父ちゃんは、反対ににっこり笑ってる。
な、何だろ…よく分からないんだけど、睨んでるトモエさんより、笑顔の父ちゃんがすごく怖い…。

「そういうところも相変わらず…ううん、昔よりさらに磨きがかかってるわね」
「ありがとうございます」
笑顔のまま父ちゃんがお礼を言うと、
「褒めてないから」
と切るように返し、トモエさんはプイッと顔を逸らしてまた歩き出した。
「さっき、サカザキくんだって分かった時、嫌な予感がしたのよね」
「嫌な予感ですか?やだなぁ…僕、何もしませんよ」
「…よく言うわよ。人のこと脅しておいて」
「え?そんなことしてませんよ?」
「…悪いけど、馬鹿馬鹿しい話だったら、脅されても協力しないからね」
「いいんですか?ムッシューに話しちゃっても?」
「……あ~あ、さっき、穴に落ちたらよかったのに」
「もし穴に落ちてたら、ムッシューより然るべきところに話してましたけどね」
「……サカザキくんってさ、悪魔より悪魔よね」
「やだな、そんなに褒められると照れますよ」
「誰も褒めてなんて―」
「先輩、大丈夫ですって。ムッシューや然るべきところに話す必要のない、先輩が喜ぶような話ですから」
「……どうだか」

………

…サクライとタカミザワが父ちゃんに従う理由。

うん…ボク、何となく分かったよ……。



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