「Cafe I Love You」
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「あの…こ、これはですねっ?その…っ」
タカミザワがボクを隠すようにして、じいちゃんに背を向けてしどろもどろに説明しようとする。
「ムッシュー、えっと…」
父ちゃんも声を掛けるものの、言葉が見つからないみたい。
チラッとカウンターの中にいるサクライを見てみると、はぁ…と深いため息をついていた。
きっと心の中で”あの、バカ!”って言ってる。

ああ、そうだよ。
ボクはバカだよ!大バカだよ!
誰かしっぽ掴んで、グルグル回してポイしてよ!


「…い、いやいや…」
立ち尽くしていたじいちゃんがやっと口を開いた。
みんなでドキドキしながらじいちゃんを見つめると、意外にも、
「いやぁ、驚いたね。ひっくり返るところだったよ」
と、いつもの穏やかな口調で返ってきた。

…あれ?思ったほど驚いてないよ?
長く生きてきた人にとっては、簡単に受け入れられること…なのかな?
タカミザワなんて、尻餅をついて驚いたのに。

ホッとした顔で、父ちゃんが改めて声を掛ける。
「えっと…これには事情がありまして…」
「ほう?」
「僕たちもまだ、詳しいことは分からないのですが、昨日の夕方からでして…」
「…昨日?朝はいつも通りだったように思うが…夕方から急に?」
「ええ。驚かせてしまってすみません、ムッシュー」
「…いやいや。私はいいんだよ。気にしないでおくれ。…そうか、昨日から急に…」
じいちゃんがボクを見て、神妙な顔をした。

あの顔、前にも見たような……
あ、そうだ!前、ボクがお腹を壊した時だ。
ちょっとお腹が痛いな…って時に、ボクのこと、今みたいな心配そうな顔で見てて。
あの時は父ちゃんが気づくより先にじいちゃんが気づいてくれたんだよね。
「サカザキくん、アルが少し調子が悪そうだ。ひどくなる前に獣医に診てもらった方がいい」
って言ってくれたから、早めに治療できて、すごく痛くならずに済んだんだ。
じいちゃんはいつも気遣ってくれるし、元気がない時は心配してくれるんだよね。

…うん?…心配?
何か変な感じがする。

こういう時って、心配な気持ちより、何で人間の言葉を話してるの!?何が起こったの!?現実!?それとも夢!?って、パニックになると思うんだよね。
それか、父ちゃんみたいに自分がおかしくなったと思っちゃうか。
だから、じいちゃんの反応は、ちょっと変な気がする。
まるで、ボクが人間の言葉を話したことには気づいていない…みたいな。
気のせい…かなぁ…

「でも、よかったです」
父ちゃんに言われて、じいちゃんが首を傾げる。
「うん?何がだね?」
「他の方だったら、アルを気味悪く思ってしまうかもと心配していたんです。ムッシューならアルがしゃべっても、受け入れてくれると思っていたので、遭遇したのがムッシューでよかったです」
「気味悪くだなんて思わないよ。君たちと同じように心ぱ…」
じいちゃんが突然口をつぐみ、はたと動きを止めた。

ん?どうしたの?

「?ムッシュー?」
「……今…何と…言ったかね?」
不思議そうな顔で、父ちゃんを見ている。
「え?何…と言いますと?」
父ちゃんも首を傾げる。
「……しゃべる?」
「…はい?」
「…今、聞き間違いかな?アルがしゃべってとか、何とか…。いや、きっと私の聞き間違いだね。申し訳ない、最近、聞き間違いが多くてね…」
「え?あの…聞き間違いでは…ないんですが……あれ?」
「ははは、サカザキくんは意地悪だなぁ…本気にしてしまうから、冗談はやめてほしいよ」

…やっぱり何かおかしいぞ?
父ちゃんとの会話が噛み合ってない。
もしかしてじいちゃんはボクがしゃべったの、聞こえなかったのかな。
…う…ん…でもなぁ……

タカミザワがそっとサクライに近づく。
「サ、サクライ、ムッシューって耳が遠かったっけ?」
「そんな風に感じたことは、今まで一度もないが…。小声で話しても聞き返されたことすらないしな」
「だよな…ってことは、アルのあんなでかくてはっきりした声、聞き取れないわけないよな」
「…と思うんだがな」
ボソボソ二人が囁き合う。

だよね、ボクもそう思う。
じいちゃんは耳がすごくいいのに、聞こえなかったなんて…ちょっと変だ。

「…ムッシュー」
サクライがカウンター越しに声を掛ける。
「さきほどのアルの…は、何に驚かれたんですか?」
「え?そりゃあ、もちろん、みんなと同じ理由だよ。アルが突然大きな声で激しく鳴いたからに決まっているだろう」
「え?鳴いた…ですか?」
しゃべった…じゃなくて?
「昨日の夕方から突然あんな風に鳴くようになったというし、それは心配だな…と…」
「!?」
三人が驚いて顔を見合わせ、タカミザワの腕の中にいるボクを凝視した。

どういうこと?
じいちゃんには、ボクの言葉が聞こえてないの?
それとも、単に聞き取れなかっただけ?

「ん?…もしかして、君たちが驚いた理由は違うのかね?」
「あの…ちなみにどんな鳴き声に聞こえましたか?」
「…どんな…って、いつもの可愛い鳴き声ではなく、こう…激しく”ニャニャニャニャー!!”とものすごく大きな鳴き声で…」
「……」
三人がボクを見つめたまま黙り込んだ。

じいちゃんにはボクの言葉が、猫の鳴き声に聞こえるの?
父ちゃんには、ちゃんと通じてるよ?
サクライにもタカミザワにも。
じいちゃんやばあちゃん、他の人間にも、同じように聞こえるんじゃないの?

「あ、おい!アル!」
ボクはタカミザワの腕から飛び降りて、じいちゃんの元へ駆け寄った。
「アル?」
不思議そうにボクを見下ろすじいちゃんに、ボクは声を掛けてみる。
「じいちゃん!」
「…?アル、どうしたね?」
「ねぇ、聞こえないの?ボク、人間の言葉を話してるんだよ?」
じいちゃんは困った顔で、ボクのことを見ているだけだ。
「ううん…何か伝えたいのかもしれないが、さすがにニャニャニャ~では何を伝えたいのか分からないよ。分かったらとてもうれしいのだがね」
「じいちゃん…」

タカミザワが店の隅に二人を引っ張っていく。
「ど、どういうことだよ!?ムッシューには、アルの言葉が聞こえてないみたいじゃないか!」
「みたいだな…」
「僕たちだけ…聞こえるってこと?それって、やっぱり僕たちがどこかおかしいってこと…?」
「いや、そんな、三人一度におかしくなるなんてことはないだろ」
「分からないぞ!ほら!昨日、三人同じ肉を食べたぞ!同じ物を口にしたなら、同じ変化が起きてもおかしくないよ!」
「バカ、肉を食べたのは、あいつがしゃべるのを聞いた後だろ」
「…あ、そっか。い、いや!昨日じゃなくて、一昨日食べた物かも!」
「そんなことあるわけ…」
「サクライ、それは分からないよ。アルがしゃべるようになったんだもん。何が起きたっておかしくないよ」
「…まぁ…それはそうだけど…」
「もしかしたら、僕たちだけ、猫たちの言葉を理解できるようになったのかもしれない。アルだけじゃなくて」
「え!アルだけじゃなくて、猫のってこと!?」
「あり得ないことではないよ。だって、アルの言葉が分かるんだもん」

……う~ん…
三人のヒソヒソ話に耳を傾けながら、ボクは考え込んだ。

スノーはボクに、人間の言葉を話せるようにしてあげるって言った。
でも、本当は父ちゃんたちに猫の言葉を理解できるようにしたってこと?
ボクじゃなくて、父ちゃんたちに?
父ちゃんは広場にいたから、それもあり得なくはない。
けど…
それなら、あの時店にいた二人にはどうやって―
「わっ!!」
突然、誰かがボクを抱き上げた。
振り向くと、じいちゃんが目を大きく見開いてボクを凝視している。
「じいちゃん…?」
「ムッシュー?」
「…サカザキくん、今の…」
「は、はい?」
「今の話は本当かね…?」

あ、三人の会話が聞こえてたみたいだ。
やっぱりじいちゃんは耳がいい。
本当にボクの言葉が分からないんだ。

「あっ…いや、そのっ」
「アルの…猫の言葉が分かるのかね!?」
じいちゃんの大きな声、そして強い口調に、ボクも父ちゃんたちもびっくりする。
今までにないキラキラした目は、まるで子供みたい。
こんなじいちゃんを見るの、初めてだ。
「あの…」
「どうなんだね!?」
じいちゃんの鼻息がボクに届くほど荒くなってる。
「ど、どうしたんですか?ムッシュー?そんなに興奮して…」
「興奮して当然だろう!私の歩んできた人生の価値が変わるかもしれないのだから!!」
「じ、人生…?」
「ああ!こんなに興奮するなんて初めてだ!今の話が真実なら、私は…私は!!」
「……」
三人が顔を見合わせて、首を傾げてる。
ボクも同じだ。
ねぇ、じいちゃん、どうしちゃったの?
いつも穏やかなじいちゃんが、何でこんなにも…
「さぁ!教えてくれ!!」
じいちゃんがボクを父ちゃんに向かって突き出すと、一歩ずつ父ちゃんたちに近づいていく。
「さぁ!」
「えっ…」
「さぁ!」
「ム、ムッシュー?」
「ムッシュー!?お、落ち着いて…」
三人が後ずさりするけど、後ろはもう壁だ。
すごい勢いのじいちゃんが、どんどん近づいていく。
「さぁ!!」
「…サ、サクライ!ム、ムッシューが壊れちゃったよっ!」
「ああもう…何でムッシューまで…。俺、頭痛くなってきた…」

「さぁ!!!」

…こ、今度はじいちゃんがおかしくなっちゃったの?
ボクが人間の言葉を話せるようになってから、こんなのばっかり……

ああ…もぉ…
「やだぁ~!!!」





グラスの水を飲み干すと、じいちゃんは恥ずかしそうにぺコリと頭を下げた。
「す、すまない、取り乱してしまって…」
「い、いえ…元はと言えば、こちらに原因がありますから…」
父ちゃんがボクを膝に乗せて、じいちゃんの隣の席へ座った。
ボクの叫び声(じいちゃんには鳴き声に聞こえるみたいだけど)を聞いて我に返ったじいちゃんは、カーッと顔を真っ赤にしてアワアワしていたけど、やっと落ち着いたみたい。

サクライが窓のシェードを下ろしていく。
昼間なのに、まるで夜みたいになっちゃった。
常連さんたち、どうしたんだろうってびっくりするかな。
すべてのシェードを下ろして、サクライがカウンターに戻ってくると、今度は割れた皿の破片を入れたビニール袋をそっと持ち、店の奥に運んでいった。
…ごめんね、サクライが大事にしていた皿だったのに。
あとでちゃんと謝らなきゃ。

タカミザワは店の扉に鍵をかけてくると、父ちゃんの隣に座った。
「札、Closeにしてきた?」
「ああ。言われた通り、貼り紙もしてきたよ。”ランチから営業します”って」
「それ、ちゃんと読めるように書いた?」
クスクスと笑って、父ちゃんがタカミザワに尋ねると、
「失礼な!だいたいの人が読める…はずだ!……たぶん…」
と、ちょっと自信なさげな答えが返ってきた。
貼り紙、サクライが書いた方がよかったんじゃないかなぁ…

「はぁ……」
隣から、深いため息を聞こえた。
見ると、じいちゃんが縮こまっていた。
あれ?じいちゃん、何か一回り小さく見えるよ?
「…もう、遠い昔に研究への情熱など、消えたものと思っていたのだが…根強く残っていたらしい。いやはや、お恥ずかしい…」
声のボリュームも小さくなってる。
さっきまでのじいちゃんは、どこにいっちゃったんだろう。

「ムッシューは、大学の教授をされていたんですか」
サクライの問いに小さく頷く。
「元々は獣医を目指して獣医学を学んでいたんだが、生物の研究の方が自分に向いていてね。医師免許を取ったにも関わらず、獣医にはならずに教授の仕事をしながら研究ばかりで」
「その研究というのが…」
「人間以外にも、人の言葉を話せる動物がいるのではないか…という、普通の人には理解不能な研究だよ」
「…凡人にはなかなか理解できない研究ですね」
タカミザワがムゥ…と唸る。
「天才でも理解できない、まさに”変人”がする研究だと、ずっと言われ続けたよ。生徒の中でも賛同してくれる人は一人しかいなかったし。…まぁ、賛同者がいただけでも、私は救われたがね」

「…それで、その研究はどうなったんですか?」
「そんな誰にも理解されない研究を、大学がやらせてくれると思うかね?」
と、じいちゃんは苦笑いを浮かべて、逆に父ちゃんに聞き返す。
「…う、う~ん…難しいですよね」
「ということは、研究は断念したんですか?」
タカミザワが身を乗り出して尋ねる。
「いや、仕事の合間や自宅で個人的にひっそり続けていたよ。研究だけじゃ暮らしてはいけない現実も分かってはいたからね。まぁ、いわゆる趣味だね。それも、誰も理解してくれない趣味さ」
苦笑いして、じいちゃんはふぅ…と小さく息を吐いた。
「結局、決定的な事実が見つからないまま定年になってね。そこでスッパリやめたんだよ」

「そもそも、どうして…その…」
「人間以外にも、話せる動物がいるんじゃないかと思ったか…かね?」
「ええ」
「サカザキくんなら分かるかな」
「え?僕ですか?」
「子供の頃から動物が好きでね。愛情を持って育てた動物が、自分の言葉を理解してくれているんじゃないか…そう思ったところから始まったんだ」
「え、そこからですか?僕の猫たちの気持ちが分かったらな…なんていうのと、変わらないですね」
「そのくらいの気持ちで終わっていたら、普通の人でいられたんだかね。大学で動物のことを学ぶうちに、動物園やショーで、人間の言う通りに技や演技をする動物を見て、人間の言葉を理解できるのなら、話せるんじゃないか。人間と違うのは、姿かたちだけじゃないのかと思うようになってね。それで研究を始めたんだよ」
「へぇ…そうだったんですか」

「人間の遺伝子と他の動物の遺伝子で決定的な違いがあるとか、他の動物に言語機能がないわけでもないからね。進化の過程で人間や動物たちは、いくつも枝分かれして様々な変化を遂げて今に至ったけれど、それでも突然変異とか、そういう個体が稀に発生して人間の言語を自分の言語として話せるものがいるのでは……と、まぁ、そんなことを考えてね」
「そこに考えが行き着くあたりで、もう僕たちとは次元が違いますね。タカミザワでもそういう風には考えないでしょ?」
「俺は本を読んで、へぇ!と思って感心するだけで、自分で”ああなんじゃないか”とか考えないよ。さすが大学教授ともなると、考えることが違いますね」
「いやいや、そんなことはないよ。ただの変人の考えだよ」
「でも、確かに無いとは言い切れないですよね。生物の進化には、未だに新発見があるぐらいですから。人間の言語を話すチンパンジーやゴリラが発見されていないだけかもしれないですし。なぁ、サカザキ」
「そうだね。人類の誕生や動物の進化には、分かっていないことばっかりだもんね。予想外の事実や発見がある可能性はまだまだあるよね」
「そう言ってもらえるだけで救われるよ」

…うう…ボクには難しくてよく分からないよ…
助けを求めようと見上げた先の父ちゃんは、ボクではなくサクライを見て、
「…サクライ、ちゃんとついてきてる?」
と言った。
「失礼な。そんくらい分かる。アルと一緒にするな」

ムッ!やな感じ!

「あ、そうだね。アルには難しかったよね」
「うん…」
「ムッシューはね、アルみたいに人間以外の動物が人間の言葉を話すかもしれないって思って、それを本当にあるかどうか調べていたんだよ」
「そうなんだ!あ、そっか!だから、じいちゃんは父ちゃんたちの会話を聞いて、興奮しちゃったんだね」
「そうそう」
「…なんだ、こいつ。なかなか頭がいいじゃないか」
面白くなさそうにサクライが言うと、タカミザワがニヤリと笑った。
「サクライより頭いいかもな」
「俺の頭は猫より下かよ!」
「かもな」
「な…っ」
「ちょっと、こんな時にまた言い合いなんて始めないでよ。いい加減にしないと、そろそろ本気で怒るよ?」
そう言った父ちゃんのメガネがキラリと光ると、ビクッとして二人が姿勢を正して、
『…すみませんでした』と謝った。
フフッ
やっぱり二人のケンカの仲裁は父ちゃんに限るね。

サクライがそっとじいちゃんの前にコーヒーを置いた。
「昨日までなら、それは私には到底理解できない研究だったと思いますが、今となっては、”あるのかもしれない”と思わざるを得ない状況ですよ」
そう言いながらサクライがボクを見下ろす。
それにつられて、父ちゃんとタカミザワ、じいちゃんもボクを見た。

「私にはどう聞いてもアルの言葉は”ニャー”としか聞こえないが、君たちには人の言葉と同じように聞こえているんだね?」
「え、ええ」
「アルはそのことについては何と?」
「昨日、どうやら広場で何かあったらしくて。アル、今、昨日あったことを話せる?」
「うん。ボク、父ちゃんたちに話したいんだ。じいちゃんにも何があったか、教えてあげて?」
「うん、分かった」

昨日の出来事を聞いたら、みんな何て思うかな。
びっくりするかな?
色んな研究をしたじいちゃんでも、こんなことが起きるなんて、きっと考えたことがないと思う。
あ、もしかしたら、じいちゃんはびっくりよりがっかりかもしれないな。
だって、ボクがこんな風になったのは、不思議な猫のせいなんだもん。

だからって、嘘だなんて、思わないでね?
本当に、本当にあったことなんだから。

だからお願い。
みんな、ボクが話すこと、信じてね?


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