「Cafe I Love You」
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シャッ!という音にビクッとして目を開けた。
「アルー?そろそろ起きなきゃダメだよ~」
明るい光の中、ひょいっと顔を出したのは、着替えも終わってすっかり準備万端な父ちゃん
だった。
聞こえた音はどうやらカーテンを開けた音だったみたい。
「いつもは僕より早く起きるのに、今日はずいぶんゆっくり寝てたねぇ。昨日、色々あって
疲れたのかな?」
本当だ、こんなに外が明るいってことは、いつもよりずいぶん遅くまで寝てたってことだ。
父ちゃんの暖かさが心地よくて、いっぱい寝ちゃった。

ボクがうーんと大きく伸びをすると、ボクの顔を覗き込む父ちゃんの顔がちょっと不安げに
なった。
「…アル?もしかして…もう…」
「…?父ちゃん?」
「あ、よかった!」
パッと笑顔になった。
「もう言葉を話せなくなっちゃったかなと思って。よかった」
父ちゃんがうれしそうに笑うと、人間の言葉が話せるようになって、やっぱり良かったなと
思っちゃう。
話せるようになった出来事には、どうにも納得できないけど。

…あ。
ボクは気づいた。
父ちゃんの頬に、真新しい小さな引っかき傷があるのを。

慌てて飛び起きる。
「父ちゃん!ボクまた―」
言い終わる前に、父ちゃんがボクの頭を撫でる。
「大丈夫だよ、すぐ治るから」
…やっぱり。
「うう…ごめんね……」
「気にしないの。そろそろ準備しなきゃいけないから、お店に行くね。ご飯、置いてあるか
ら、しっかり食べるんだよ?」
「うん…」
「あ、お店に来た時は、しゃべっちゃダメだからね?」
「どうして?」
「ムッシュとかマダムや他のお客さんがびっくりしちゃうでしょ?」
「…あ、そっか」
そっか、そうだよね。
父ちゃんたちですら、あんなにびっくりしたんだもん。
じいちゃんやばあちゃんだったら、気絶しちゃうかも。
それに、ボクのこと嫌いになっちゃうかもしれないし…ね。
「僕ら三人の時はいいけど、お客さんがいる時はダメだよ」
「うん、わかった」
「じゃあ、行くね」
「行ってらっしゃい!」

父ちゃんを見送って、もう一度大きく伸びをする。
顔を洗い、身体も丁寧に舐めて、朝の準備は完了。

さぁ、ご飯を食べるぞ!
ピョンとベッドから飛び降りて、ご飯の元へ駆け出した。



「ふぅ…」
お腹がいっぱいになって、ゴロンと寝ころんだ。
今日も完食したよ!えらい?

ぐっすり寝て、やっと昨日の出来事にも、ちょっと冷静になれたかな。

もちろん、すべてを受け入れられたわけではないけど、スノーの言うとおり、本当に話せる
ようになっちゃったんだもん、悔しいけどそれは受け入れるしかないよね。

スノーは本当に不思議な力を持っている。
それも、恐怖を感じるような恐ろしい力。
彼女が本気で怒ったら、命さえ危ないんじゃないかと思う。

あんな力を持っていたら、人間にも怖がられるだろうし、同じ猫にも受け入れてもらえない
のは当然だ。
加えてあんな性格じゃ、余計ダメだよね。

でも…もともとは人間も猫も好きで、仲良くなりたいと思っていたのかもしれない。
あの力のせいで、あんな風にひねくれてしまったのなら、スノーは可哀想すぎる。

何を探そうとしてるのかも気になるけど、スノーがどんな風に生きてきたのかも気になる。

飼い主はどんな人だったのかな。

飼い主から捨てられて、ずっと一人だったの?
優しい人間と出会えなかったの?

スノーの母ちゃんも野良だったの?
ずっと、悲しいことばかりだったの?


チチチッ

窓の方から鳥さんの声がした。
振り向くと、鳥さんが窓の外で羽のお手入れをしていた。
日の光りを浴びて、気持ち良さそう。

あ、お友達も来たみたい。
最初に来た鳥さんと、くちばしでお互いの身体をつつきあって、まるでじゃれあってるみた
い。

う~ん…あれはお友達じゃなくて、親子かな。
だって、すごく幸せそうだもん。

父ちゃんに撫でてもらった時、きっとボクもあんな顔をしてるんだろうな。



ボクは父ちゃんと出会うまでは幸せじゃなかったよ。

母ちゃんは野良で、ボクが小さい時に死んじゃった。
友達や仲間がいてひとりぼっちじゃなかったけど、家族がいないのは、すごく不安だったし
寂しかったな。

野良にはとにかく強さが必要で、自分の縄張りを守らないと生きてはいけない。
でも、仲間と手に入れた小さな縄張りなんて、ないのと同じ。
余所ものの強い大きな猫が入り込んでくれば、ケンカしても負けることは分かっているし、
そこから逃げるしかない。

逃げて隠れてひっそり暮らして…
知らない猫に出会えばまた逃げる……

そんなことを繰り返していくうちに、気がつけば仲間たちとは離ればなれになって、本当に
”ひとりぼっち”になった。

頼れる仲間もいない。
明日なんて考えられない。
”今”を生きるために、ただただ必死になってた。

たどり着いた街でゴミ置き場を漁ったり、時には魚屋さんからこっそり魚を盗んだり。
でも、やっぱりケンカはしたくないから、どの街でも他の猫になるべく出会わないように、
ひっそり隠れて暮らしてた。

自然がいっぱいある街、ビルばっかりの街、大きな川がある街…色んな街を転々としたよ。
ああ、そうそう。
川よりもっと大きい”海”がある街もあったなぁ。

中にはいい街もあったし、いい人間に出会ったこともあったけど、それだけじゃダメなんだ

街の野良猫たちが受け入れてくれないと、その街にはいられないから。

結局、どの街にもボクの居場所はなかった。


最後にたどり着いたのがこの街。
今までの街とは何だかちょっと違うなって、来た時に思ったっけ。
それが何なのか、その時は分からなかったけど、街を歩いてみてすぐに分かった。

野良猫がね、少ないんだ。

どの街にも、あちこちに野良猫がいて、ボクはケンカをしたくないから逃げ回ってたけど、
出会う野良猫がすごく少ない。

広場や公園なんて、特に野良猫が集まる場所なのに、数えるぐらいしかいないし、街を歩い
ていても、家の前でうたた寝してる飼い猫と会うぐらい。

何で野良猫が少ないんだろう…?って思ったけど、父ちゃんに会って、ああ、この人のおか
げなんだなって分かったんだ。


「行くところがないなら、僕の家においで?」

疲れ果てて、汚れた身体でしょんぼりしていたボクを見つけて、優しい笑顔で手を差し伸べ
てくれた父ちゃん。

ボクはあの日、初めて温かさを知ったんだ。
初めて幸せを感じたんだ。

初めて、生まれてきてよかったって思ったんだ。



スノーのことは好きか嫌いかって聞かれたら、やっぱり嫌いだ。
嫌な言い方をするし、相手を気遣うってことがないんだもん。
不思議な力がなかったとしても、きっとボクは好きになれない。

でも……

スノーは嫌いだけど、だからって不幸せなのは可哀想だ。

どんな猫も幸せになれる道があるはずなんだ。
幸せになる権利があるんだ。

ボクが幸せになったように。
ボクが父ちゃんと出会えたように。


それに、逃げてもきっと、スノーはボクを見つけてしまうはずだ。
ボクの居場所なんて、すぐに分かってしまうと思う。
もう分かってるような気もするしね。

だから、このままじゃダメだって分かってる。
もう一度会わなきゃ、今の状況から逃れられない。

また会うのは怖いよ。
すごく怖い。

でも、会わなきゃ。
会わなきゃいけないんだ。

きっと父ちゃんに話せば、父ちゃんが一緒に行ってくれる。
父ちゃんなら、ボクに力を貸してくれる。
あの時のように、きっと手を差し伸べてくれる。

今まで、たくさんの街から逃げ出してきたけど、この街からは逃げ出したりしないよ。
だって、ボクを受け入れてくれた大切な街だから。

ずっとずっと、ここにいたい。
ずっとずっと、大好きな父ちゃんと一緒にいたいんだ。

だから、頑張る。
怖いけど、頑張る。
頑張るもん!

だって、ボクはもう、ひとりぼっちじゃないんだから!


ボクは意を決して腰を上げた。
「父ちゃんに昨日のこと、話さなきゃ!」

駆け足で部屋の扉にあるボク専用小窓から廊下に出ると、大きな足音が聞こえてきた。
見上げると、タカミザワが慌てた様子で階段を駆け下りてくる。
「おはよ!今日は遅いね。父ちゃんはもうお店に行ったよ?」
白いシャツのボタンをはめながらボクをチラッと見ると、言いにくそうに、
「…ア、アラームセットすんの忘れたのっ」
と言った。
「また?」
「うるさいな!」
時間がないのか、立ち止まらずにそのまま下へと降りていく。

そんなタカミザワの横を、軽々と三歩で抜かして二階のエントランスに飛び降りて振り返っ
た。
「ずるいぞ!アル!何段抜かしだよ!」
とタカミザワが悔しそうに言う。
ふふっ タカミザワは負けず嫌いだもんねぇ。
「だってボク猫だも~ん。人間より身軽なんだから、負けるわけにはいかないよ」
「くっそー!俺だってやろうと思えばできるんだからな!」
「やめた方がいいよ。タカミザワはドジだから、ケガするって」
「何だって!?」

ようやくボクのところまでタカミザワがやってきたけど、ボクはすぐにそのまま一階への階
段を先に降り始める。
「あ!こら!待て!」
「や~だよ~。ボクも店に行くんだもん」
「俺の方が先だ!」
「ボクだもーん!」

ふふ、うれしいなぁ。
ボク、タカミザワとこんな風におしゃべりしたかったんだ。
タカミザワだったら、きっとムキになって張り合ってくれると思ったんだよね。
ボクたち猫の素早さが人間に負けるわけないのにさ。
大人なのに子供っぽいんだよね~。

と思っていたら、ヒュンッと何かが通り過ぎた。
「あっ!」
「お先~!」
しまった!気を抜いて軽やかに階段を下りていたら、タカミザワに抜かれた!
「ウサギと亀の話、知ってるか?足が速いと思ってゆっくりしてると、亀にだって抜かれち
ゃうんだぞ~」
そう言いながら、タカミザワが残り三段のところで、ピョンとジャンプしてボクより先に一
階に着いてしまった。
「あーっ!」
「人間が猫に勝つこともあるってことだ」
振り向いたタカミザワの顔は、すごくうれしそうだった。
くーっ!悔しい!
「ふふん。…って、アルと遊んでる場合じゃなかった!うわっ!もう店が開いちゃう!」
廊下を走り出すタカミザワの姿に、メラメラと闘争心が湧き上がってきて、思いっきり残り
の階段をジャンプ!
一階に着地すると、ボクも勢いよく駆け出した。
「待てーっ!」
「はぁ!?待てるわけないだろ!俺は急いでるんだよ!」

急いでるとか急いでないとか、そんなの関係ないもん。
ホクは、俊敏さで人間に負けるわけにはいかないんだから!

グッと後ろ足に力を入れて、スピードを上げた。
たった数メートルの距離だって、すぐに追いつけるんだからね。
ほら、あっという間にタカミザワに追いついた。
でも、追いつくだけじゃないよ。
猫の俊足、見くびらないでよね。
さらに加速して―
「あっ!」
よし!抜かしたぞ!
「お先ー!」
ね、声を掛ける余裕だってあるんだからね。
どう?
猫の俊敏さ、やっぱり人間には適わないでしょ?

よぉし、この角を曲がれば、もう店だ。
「あ、おい!ちょっ…待て……」
「待てませ~ん」
軽やかにステップを踏むように角を曲がると、店の扉が見えた。
あ、父ちゃんがボクのためにちょっと開けておいてくれてる!
やったぁ!
このまま、店に飛び込んじゃえ!
「…ア、アル!おま…店……もう…」
ボクを呼ぶタカミザワの声が聞こえた。
何か言ってボクを止めようなんて考えてるんだろうけど、残念でした!
ボクはそんな手には引っ掛からないよ。
もうボクの勝ちだもんね。
空いている隙間に身体を滑り込ませた。
「あーっ!」
叫びに近いタカミザワの声。
何、そんなに悔しいの?
本当、負けず嫌いだなぁ。
…ボクもだけど。

カウンターの一番手前の椅子に勢いよく飛び乗って…

「ゴール!!やったぁ!タカミザワに勝ったぞぉ!」


ガシャーン!


えっ!?何!?
何かの割れた音に驚いて、音のした方を見てみると、サクライがカウンターの中で、人形み
たいに固まって、真っ青な顔をしてボクのことを見ていた。

あ、ボクの声に驚いて、お皿落としちゃったの?

「ごめん、サクライ。ボクの声にびっくりしちゃった?」
すると、ビクッとして首をプルプル振り、眉間にシワを寄せて口をパクパクして何かを訴え
てる。

何かを言ってるみたいだけど、そんなんじゃ、ちっとも聞こえないよ。

「え?何?聞こえなー」
「わーっ!」
「んんっ!?」
誰かに口を塞がれて、抱き上げられた。
振り向くと、タカミザワがサクライと同じように、真っ青な顔をして、ボクを見下ろしてい
た。

な、何だよ、二人とも。
どうしたっていうの?
ボク、何かいけないことでもした?
あんなに真っ青な顔になっちゃうようなこと、ボクはしてなー

……あ。

目に入った店の掛け時計を見て、ボクは固まった。
父ちゃんがアンティークのお店で一目惚れして買ってきた、この店にぴったりな素敵な時計

毎日何度も見てるし、父ちゃんにどこに針が来たらお店が始まるのか、教えてもらった。

だから、見間違えるはずがないわけで。
…どう見ても、長い針は0より進んでる。

つまり…もう……オープンしてる……

サーッと血の気が引いた。

”お店に来た時は、しゃべっちゃダメだからね?”
タカミザワに負けたくなくて、父ちゃんと約束したこと、すっかり忘れてた…

二人があんなにも真っ青になってるってことは……

恐る恐る店の入り口を見ると、二人と同じように青い顔をしてる父ちゃんが立ち尽くしてい
た。

そんな父ちゃんの隣にも…立ち尽くしてる人が。

それはどう見てもじいちゃんだった。
瞬きもせず、目を丸くして驚いた顔でジッとボクを見ている。


ああ…

やらかしちゃった……

ボク……

早速やらかしちゃったーーーーっ!!!


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