トシの部屋へようこそ!

埴岡 敏彦
1952年兵庫県姫路市生まれ。関西学院大学商学部卒。
コンクリート、鉄骨、木質系のハウスメーカー勤務を経て、
2000年「住宅フォーラム21」を設立し、建築プロデューサーとして活動。
趣味:映画・音楽鑑賞、歴史探訪、読書。 特技:アイススケート。

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ランタンMy Favorite Singer
Scott Walker
15才の頃、TVで「The Walker Brothers」を見て以来、彼独特のバリトンヴォイスをずっと聴いています。
最近のお気に入りのナンバーは、「I Need You」「Mrs.Murphy」「Love Her」。
2010年1月、「Scott Walker 30Century Man」のDVD上映会&トークに東京(渋谷)まで出かけました。
♪「Joanna」 (下記を1-Click 、ソロシンガー転向後最大のヒット曲で絶品のバラードをご堪能ください。)
Joanna (Tony Hatch/Jackie Trent) 1968
Steve Winwood
♪「Gimme Some Lovin'」 (下記を1-Click 、天才少年!モーツァルトの再来!と絶賛されていた17才の素晴らしい歌唱をどうぞ… 。)
Gimme Some Lovin' (Steve Winwood/Muff Winwood/Spencer Davis) 1965
古巣Spencer Davis Groupと音楽を担当した映画「Here We Go Round The Mulberry Bush (邦題:茂みの中の欲望 1968英)」のDVDが紀伊国屋書店より販売されています。あらためて彼のキャリアを振り返ると、『ブリティッシュ・ロックの歴史』そのものと言っても過言ではないでしょう。

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ギターChitchat ~ ブログ

ヨット私の中のMY BOOMというか最近はまっている事について…。
美しい日本の四季が移り変わるなかで、“自然とのふれあい”(自然観察、バードウォッチングetc)に魅了されています。
けなげに咲いてる花々の美しさや鳥・昆虫たちの一生懸命に生きている姿を目にして、癒されたり励まされながらそこで新しい発見、出会いもあります。インドアで音楽・映画鑑賞、読書を楽しむのもいいけれど、これからも“美しい自然”を求めて野山や海辺へ出かけていこうと思います。

《名盤発見シリーズ ♪洋楽アルバム》 2022/01/23 renewal

『THE COMPLETE BBC SESSIONS 1967- 68』(2018)
スペンサー・デイヴィス・グループを脱退したスティーヴ・ウィンウッドが中心となって、デイヴ・メイソン(g,sitar)、ジム・キャパルディ(ds)、クリス・ウッド(sax,fl)らと結成したトラフィック。
60年代の貴重なBBCライヴ音源を全てオフィシャル・クオリティー、サウンドボードにてコンパイル収録。まずサイケデリック時代の色濃い1967年デビュー当時から、翌1968年にかけてのBBCトップ・ギア・セッション3回を収録しており、ウィンウッドとメイソン、この2人ならではのサウンドが、スタジオ・アルバム以上の迫力と演奏力で迫る様は聴きもの。特に「Paper Sun」や「Hole In My Shoe」などは、長いインスト・パートなどを挿入した、当時の斬新なパフォーマンスとなるもので、オリジナル音源とは一線を画すセッション・ライヴならではの緊張感溢れるサウンドは必聴!
1967年のデビューシングル「Paper Sun」から、68年デイヴ・メイソン脱退前の「Feelin Alright」まで、ウィンウッドとメイソンのふたつの才能がぶつかり合いほとばしった初期トラフッィクのBBCパフォーマンス(ジョン・ピール”トップ・ギア”セッション)を全20曲収録。ウィンウッドの迫力の歌声、メイソンの冴えわたるギター、そして、今は亡きキャパルディの的確なドラミングが鳴りやまないファン垂涎のコレクターズ・アイテム。

『STEVE WINWOOD』(1977)
トラフィック解散後3年の間、サルサ界のスーパー・グループ、ファニア・オールスターズのアルバム「Delicate and Jumpy」やツトム・ヤマシタのプロジェクト「GO」(いずれも1976年)への参加など、ちょっと意外なところに顔を出していたスティーヴ・ウインウッドの記念すべきファースト・ソロ・アルバム。
ベイジング・ストリート・スタジオで収録した「Hold On」、「Time Is Running Out」、「Luck’s In」、「Let Me Make Something In Your Life」の4曲は、リズムセクションにウィリー・ウィークス(b)とアンディ・ニューマーク(dr)を起用している。スティーヴはこの名コンビとジョージ・ハリスンのアルバム「George Harrison」(1979)参加時にも共演しており、またウィリー・ウィークスは、2011年のエリック・クラプトンとの来日ジョイントツアーにも同行していた。アルバム幕開けの1.「Hold On」は、マイナー調の渋めの曲で重心の低いグルーヴ感が心地よい。「GO」で共演したブラザー・ジェイムズがパーカッションで参加している。2.「Time Is Running Out」はスティーヴの真骨頂といえるブラックフィーリング溢れる名曲。 リーボップがコンガ、ジム・キャパルディもパーカッションで加わり、リズミカルでファンキーなサウンドが展開される。 ジムはバックヴォーカルにも参加、それにスティーヴの最初の妻ニコル・タコットもコーラスに加わっており、エンディングでの掛け合いもスリリング。
チッピング・ノートン・スタジオで収録した4.「Vacant Chair」は、アラン・スペナー(b)とジョン・サスウェル(dr)がリズムセクションを固め、ブラザー・ジェイムズがパーカッションで参加、ジュニア・マーヴィンがギターを弾いている。歌詞は親友のヴィヴィアン・スタンシャルが、元ボンゾズのデニス・コワンの死をきっかけに書いたもので、タイトルは葬儀で使われる花で飾られた椅子を指す。ヨルバ語による一節を挟むなど、ポップなサウンドのなかに異国情緒を感じさせる響きもある凝った内容。3.「Midland Maniac」は珍しく歌詞もスティーヴ自ら手掛けた単独作品で、緩やかな導入部からアップテンポへと展開するドラマチックな曲。 ベイジング・ストリート・スタジオなどで収録されたピアノソロ音源をベースに、スティーヴの自宅にてドラムスを含むその他すべての楽器を独りで演奏し、移動式録音システムのアイランド・モバイルを用いて、マルチレコーディングにて完成させた。この制作のスタイルは完全自宅録音を試みたセカンドアルバム「Arc Of A Diver」(1980)への布石となっている。
本作がリリースされた1977年はちょうどパンク台頭期にあったが、スティーヴの作品は時流に反して完全にオーソドックスなスタイルを貫いていた。そのため話題性やシングルヒットなどとは無縁で、商業的には成功作とは言えない内容であった。しかしこれまでの長いキャリアと持ち前の才能は駄作を生み出すことを許さず、音楽的なバランス感覚と作曲センス、それに演奏テクニックは超一流といえる。スティーヴは「レコード会社からの要請に応じて制作した部分が大きかった」と述べていることから、必ずしも実力の全てを出し切った成果とはいえないかも知れない。にもかかわらずクオリティは非常に高く、トラフィックの雰囲気も随所に感じさせる渋い魅力を放つ傑作となっている。本作をソロ・アルバムのベストに挙げるファンが多いことにも頷ける内容で、決して風化することのない永遠の名盤。(Billboard 200 最高位22位)

『THE BYRDS Live At Royal Albert Hall 1971』(2008)
オリジナルメンバーを次々と切り捨て、カントリーロック路線へと舵を切るきっかけとなったグラム・パーソンズすら切り離し、名うてのセッションミュージシャンで完全武装、完全なライヴバンドへと変貌を遂げた後期ザ・バーズ。 このやたらと音質の優れたライヴ・アルバムの音源は、リーダーであるロジャー・マッギンの自宅に長年放置してあったテープから発掘された。 アルバム・タイトルにもあるように、本作には71年に行なわれたロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでのステージ・パフォーマンスを収録。当日はマッギンのほか、クラレンス・ホワイト(g)、スキップ・バッティン(b)、ジーン・パーソンズ(dr)というメンバー構成で、アルバムには新たに発掘された貴重な音源が全19曲収録されている。
ギターのクラレンス・ホワイトの隙の無さ、鉄壁のリズム隊。バーズという名のあるバンドの人気にあやかり、ともすれば主役すら食ってしまおうという心意気すら感じる熱のある演奏。そして、マッギンも、自分が歌う曲では頭の血管よ切れよと言わんばかりのテンションの高さ。その相乗効果の結果は、音の素晴らしさが雄弁に物語っている。
蛇足ながら、クラレンスは、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第41位、2011年の改訂版では第52位。

『Ginger Baker's Air Force』(1970)
ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースは、ブラインド・フェイス解散後の1969年暮れ、ジンジャー・ベイカー(dr)を中心に結成された大編成バンド。翌年1月15日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにてデビューコンサートを開催、その模様を収めたのが本盤で、アフロジャズ的なアプローチを打ち出した異国情緒たっぷりのライヴアルバム。
メンバーはジンジャーのほか、スティーヴ・ウインウッド(key、vo)、クリス・ウッド(tenor-sax、flute)、リック・グレッチ(b)、フィル・シーメン(dr)、グラハム・ボンド(alto-sax)、デニー・レイン(g、vo)、ジャネット・ジェイコブズ(vo)、レミ・カバカ(dr、percussion)、ハロルド・マクネアー(tenor-sax、alto-sax、flute)。 当日、ジンジャーの体調がすぐれずコンサートは予定より早めに終えられたという。だが、各メンバーの技量により熱く、素晴らしいパフォーマンスが収められた。ブラインド・フェイスからエリック・クラプトン以外の三人が参加しているのも注目される点だが、音楽的指向の違いがあるためウインウッドのオルガン、グレッチのベース、ベイカーのドラムとも、ブラインド・フェイス時代より迫力があるのが面白い。ベイカーはもともとジャズ、ブルースのフィールドで活動していたから、ジャズへの接近は自然なものだろう。そのうえこの頃のベイカーはアフリカの土着リズムに興味を示していて、それがこのバンドのひとつの個性にもなっている。アフリカ出身者をメンバーに加えた理由もそこらあたりにあるようだ。アフリカン・ビートを大胆に取り込んだ5.「Aiko Biaye」(12 : 58)という曲での、打楽器陣3人の活躍ぶりは目覚しい。また、ホーン・セクションが3人いるが、この頃ブームだった“ブラス・ロック”とは一線を画している。ブラス・ロックがホーン・セクションのアンサンブルに力を入れていたのに対し、エア・フォースのサックス3人の存在意義は、インプロヴィゼイションにある。(全米チャート33位、全英チャート37位)

『Welcome to the Canteen』 (1971)
トラフィックの名演であるだけでなく、この時代の英国の空気を知るうえでの歴史的ドキュメントです。
トラフィック初のフル・ライヴアルバムは、1971年6月に行われたロンドン南部クロイドンのフェアフィールド・ホールにおけるコンサートと、翌7月にロンドンで開催されたオズマガジン救済コンサートのステージを収録している。メンバーはスティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッドの3名に、70年8月にベーシストとして加わったリック・グレッチ、71年初頭のトラフィック北欧ツアー中に加わった、ガーナ出身パーカッショニストのリーバップ・クワク・バー、デレク&ザ・ドミノズを経て5月から加入したセッションドラマーのジム・ゴードン、アメリカから戻っていたデイヴ・メイソンを加えた7人編成。トラフィックはこのラインナップで、英国にてオズ救済イベントを含む計6回のコンサートを開催している。ライナーノーツによるとアルバム後半の3曲が、クロイドンのオープニングナイトから選曲されている模様。元メンバーのデイヴの参加も大きな話題となり、一連のコンサートは大成功を収めた。
本作ではメンバーを増やし、スティーヴのワンマンバンドから一転、バンドのアンサンブルをライヴで聴かせることになる。リリースされた当初は、ジャケットには7名の名前が書いてあるだけでトラフィックの名前はなかったが、これが彼らの5枚目のアルバムとなる。タイトル名の由来は、ある公演でステージの近くにカフェテリアがあり、ジムが「食堂へようこそ!」と発した言葉がそのまま使われたという。プロデューサー名の表記はないが、エンジニアにはブライアン・ハンフリーズがクレジットされている。アルバムは71年9月にリリースされた。(全米26位)
収録曲は全部で6曲。4曲がスティーヴの手になるもので、2曲がデイヴ・メイソン作。2曲目の「Sad And Deep As You」は、この後アメリカに渡って大成功する彼が、ソロになってからも歌い続けている名曲。本作には、1971年に2カ所で行なわれたライヴが収録されているのだが、優れたメンバーに支えられ、スティーヴのヴォーカルをはじめ、キーボードもギターもイキイキしている。アルバムの聴きどころとしては終盤の2曲。1stに収録されていた曲で、10分以上に及ぶ「Dear Mr. Fantasy」と、これまた10分近いスペンサー・デイヴィス・グループ時代の「Gimme Some Lovin’」で、どちらもスティーヴとデイヴが交互に弾くギターソロが素晴らしい。残念ながらギターが本業のデイヴより、スティーヴのソロのほうが上手いという皮肉な結果になってしまってはいるが、緊張感のある名演であることは間違いない。新参のリーバップはコンガ、ティンバレズ、ボンゴをプレイしており、その独特なリズムが生み出すエスニック感は、トラフィック・サウンドに新たな息吹をもたらしている。一連のコンサートの後、デイヴはバンドを離れて再び渡米しソロ活動を再開、残りのメンバー6人は、さらに英国各地とアメリカでのツアーを敢行すると同時に、スタジオ録音による新作のためのレコーディングに着手した。なおトラフィックはアメリカにて発売権があるユナイテッド・アーティスツと、アルバムをもう一枚製作するという契約があったが、前年のアメリカツアーを収録した「Live Traffic」を諸々の理由から発売中止にし、その代替として本作を急遽リリースしたとも考えられている。

『goodbye』 (1969)
クリームの解散後にライヴとスタジオ録音の編集によってリリースされた、彼らの魅力が凝縮された名盤。(アルバムチャート最高位、全米2位 全英1位)
ライヴサイドの1.“I'm So Glad”2.“Politician”3.“Sittin' on Top of the World”の3曲は演奏も録音も最高で、3人の激しいバトルが聴きものとなっています。 (Live At The Forum, Los Angeles / 1968.10.19)
なかでも、“Sittin' on Top of the World”については、文句なしの名演だと言えます。スローブルースながら3人のプレイは強烈で、 タメの効いたイントロから緊張感を保ちつつ盛りあがっていくテンションは、クリームのすべてのライヴテイクの中でもベストなものです。 また、シングルリリースされた4.“Badge”は代表曲の1つとなり、現在もクラプトンのセットリストに入っています。(全英18位) ジョージ・ハリスンが変名でレコーディングに参加していたのには当時驚きでした。 ビートルズのようなポップなサウンドが印象的なナンバー5.“Doing That Scrapyard Thing”もなかなかキャッチ―で佳曲です。

『JUST FOR A MOMENT Music 1973-1997』(THE BEST OF RONNIE LANE 2019)
ロニー・レーンのフェイセズ脱退後のシングル曲で構成されたベスト・アルバム。
多くのミュージシャンに慕われ続けたロニー・レーン。その死後も変わらずの尊敬が若いミューシャンの間にも根強く残っている。 彼の音楽の特徴は…、一言では言い表しにくいが、ある人が彼の音楽をロックンロールならぬ“rock'n'folk”と評していて、私が聞いた評価の中では一番簡潔かつ的確かなと思う。ロックはロックなんだけれども、えらくのどかで、マンドリンやらアコーディオンやらフィドル(ヴァイオリン)やらが頻繁に出没し、人懐こくて楽しげなくせに時々ホロリとさせ、雰囲気は素朴だけれど野暮ではない作品群。 スモール・フェイセズ、フェイセズで同僚だったスティーヴ・マリオットやロッド・スチュワートのような圧倒的な迫力はないけれど、いかにもお酒が好きそうな、どうにも人の良さそうな歌声…、早すぎる旅立ち。
Track List
01. Just For a Moment (Lane, Ron Wood) Album「Mahoney's Last Stand」
02. The Poacher (Lane) Album「Anymore For Anymore」
03. Anymore For Anymore (Lane, Kate Lambert)
04. How Come (Lane) Debut Single
05. Tell everyone (Lane) Album「Anymore For Anymore」
06. Roll On Babe (Derroll Adams)
07. Little Piece of Nothing (Traditional) Album「Ronnie Lane's Slim Chance」
08. Anniversary (Lane)
09. Brother Can You Spare A Dime (Lane)
10. Don't Try 'n' Change My Mind (Lane) Album「One For The Road」
11. One For The Road (Lane)
12. Annie (Lane, Lambert, Eric Clapton) Album「Rough Mix」
13. April Fool (Lane)
14. Kuschty Rye (Lane,Lambert) Album「See Me」
15. Barcelona (Lane, Clapton)
16. One Step (Lane, Alun Davies)
17. Spiritual Babe (Lane) (Demo Version)
18. Strongbear's Daughter (Lane) (Arlyn Studio Session / 1989)

愛車『播磨国風土記』

「播磨風土記」には、こんなユーモラスな話が記されています。
大汝命(おおなむちのみこと)と小比古尼命(すくなひこなのみこと)の二柱の神様が、埴(赤土の粘土)の荷物を背負って歩いて行くのと、便意を我慢して歩くのとどちらが遠くまで行けるか、という我慢比べをしました。
何日か経って、我慢しきれなくなった大汝命がとうとうその場で大便をしてしまいました。それを見て、小比古尼命も、笑って自分も苦しかったことを告げ、埴を道端に投げ出しました。
この埴が投げ出された岡を埴岡、また、大汝命の便が、笹の葉にはじかれて飛び散った場所を、波自賀(はじか)と言うようになりました。そして投げ出された埴と便は固まって石に姿を変えました。
この「埴の里」の伝承地は、神崎郡神河町比延にある日吉神社です。JR播但線の寺前駅から、県道404号線を1kmほど南へ下った所にあります。

漫画

播磨風土記 漫画

埴の里

埴岡の里

埴岡の里

埴岡の里 風景

日吉神社

日吉神社

埴の岩

埴の大岩

附則

火鉢He Said, She Said

◆OL体験おやじギャグ
OLが体験し、のけぞったおやじギャグ…。
「うちの大河部長は廊下でこけそうになって、“おっとー、ローカ現象”。一人でウケていました」
「昔、頼まれた原稿を即ワープロで打ってあげたんです。そしたら“わあープロ”だって」
「宴会場で酔ったふりをしながら私の太ももにヒザ枕し“ヒザ枕(草枕)の作者は夏目漱石だったよね”と言った岩田課長はその後、本気で私を口説いた」
◆“君は天然色”
患者「最近、どうもトイレが近くて…」 医者「家が狭まいのでは? お酒は飲まれますか?」 患者「あるんだったら頂きます」

猫9is Riddle

Q1, 行列の一番前のひとが行った所は? Q2, 10匹のライオンが食べている野菜は? Q3, 気合をいれて泳いでいる魚は? Q4, 泥棒が次々皿や壺を割っているのは何故? Q5, 流血してしまいそうなおつまみは? Q6, テスト中に雪と雨、どっちが降っていると問題に答えやすい? Q7, 夜勤の仕事をしている人が、昼間働きました。何曜日でしょう? Q8, 人気職業のランキングで、ギリギリのトップテンに入ったのは? Q9, 王様が4人住んでいる湖は?
(答はサイトの何処かにあります。)

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