何の自慢にもならないが、俺はこれまで8回も違う世界を見て来た。
元いた世界から最初にトリップを経験したのは18歳の時だった。
大学を合格して残り僅かな高校生活を惜しみながら過ごしていた冬の日、それは唐突にやって来た。
空中に放り出される感覚したと思ったら、すでに俺のいる場所は異世界だったのだ。
それはパニックにもなったさ。
だが、運が良かったのか、俺を拾ってくれた人達はみんな優しくて、子供がいなかった年配の夫婦が面倒をみてくれた。
小さな村で俺は2年そこで暮らした。
言葉も当然違くて苦労してやっと話せるようになって来たと思ったら、なんと2回目のトリップを体験する事になってしまったのだ。
しかし、この後も6回トリップしてしまう事になるなんて想像もつかない俺は耳が動物の人種を見て茫然と口開けていたのだった。
……で、色んな世界を経て現在俺はジエスタ王国っていう所にいる。
結構大きな国で住民は高層、中層、低層のランクで分かれていた。
高層は王国全人口の一握りで国の運営陣やら金持ち連中がいる。
中層は一般市民だな。
大半の国民はここに属する。
で、低層なんだが、貧乏人はもちろん、社会的に落ちぶれたもの共が占めている。
しかし一部、表では姿を見せる事のない密偵やら暗殺を生業にしていたりと特殊なやつら潜んでたりする。
ちなみに俺がいるのは低層だ。
なぜなら市民権をもたないからだ。
まぁ、そりゃそうだろ。
国どころか世界が違う俺に身分を証明するものなんてないんだからさ。
そういう事で中層で職探しが出来ない俺は今、低層にある飲み屋で住み込みで働いている。
給料は安いが人種は問わないからな。
もちろん同僚には訳ありの者達がたくさんいた。
暗黙の了解でお互いその部分は干渉したりしないが。

「タク!いるかい!?」

六畳程の部屋が従業員に与えられている。
そこはとてもじゃないが綺麗とはいえなかった。
壁紙は剥がれ汚れているし、床は軋み、穴が開いていて、天井は低い。
カーテンはボロボロだし窓は半分しか開かない。
しかしそれでもこの世界での俺の居場所なのだ。
そこに響き渡る声に俺は返事をする。

「はーい。いますよー」
「悪いんだけど、手伝ってくれない?」

建て付けの悪いドアを開けるとこの店、『ビック・マム』を取り仕切っているママが困り顔で立っていた。
『ビック・マム』の名前はママの外見から付けたといっても過言ではなく、横に大きいママは 腰に手を当てて溜息を吐く。
まっ赤な口紅をたっぷりと付けた口から説明を受けた。
どうやらホールの女の子がアフターの男から酷い扱いを受けたようで仕事に出られないようだ。
人数が一人欠けている状態の上、今日は休日前だ。
いつもより客が多く来店する。

「俺にホールが務まりますかねぇ」
「大丈夫よ!注文受けて運んでもらえれば!アフターはしなくていいわよ」

にやりと紫のアイシャドウを瞼に乗せた目が弓なりに曲がる。
俺は冗談じゃないと顔を顰めた。
俺の持ち場は普段、厨房だ。
ホールは普通若い女の子が出て接客をしている。
言い方を変えれば女の子しかいない。
なぜなら『ビック・マム』は表では飲み屋だが裏では春を売る所でもあるからだ。
客が気に入った女の子と交渉して閉店後、店内にある専用の部屋で致す。
承諾するのも拒否するのも本人次第でママからの強制はない。
何割かお金を店に入れるのだが後は本人のものになる。
結構いい額らしいので金が必要な女の子達は率先してアフターをしていた。
しかし時折、暴力的な男を相手してしまった運が悪い女の子がいたりする。
そうすると今日のようにシフトが休みの誰かに代わってもらったりするのだが それは当然女の子のはずだった。

「みんな都合が悪くてさ、どうだい?今日の分は2倍払うよ」
「行きます!」

速攻で答えた俺にママは大きな身体を揺らし、けらけらと笑って先にホールへ向かった。
まぁ、接客のスキルは前々回のトリップ先で身に付けているので大丈夫だろう。
あの時は港町の飲み屋だった。
酔っぱらいの海の男達に接客のスキルを鍛えられたものだ。
ちなみにその世界にいたのは1年だった。
これまで異世界の滞在期間は最短で1カ月で長くて3年だ。
短いサイクルで次々に俺はトリップしていた。
その原因を俺なりに考えて出した答えが『世界のくしゃみ』だ。
何だそれと思われるかもしれないが、元々違う世界の者である俺をトリップ先の世界が異物だと認識してくしゃみをする。
すると異物の俺はまた別の世界に放り出されるのだ。
世界が俺にむずむずしているな、という兆候もある。
トリップする一週間くらい前くらいからめまいを起こしたように世界がぶれてくる。
8回も体験していると冷静に分析する余裕も生まれて来る。
そして期待するのだ。
次こそは元の世界に帰れると。

「でもま、そう簡単にはいかないよなぁ」

苦笑いを浮かべて階段を下りたところで声を掛けられた。
振り向くと目元の青あざが痛々しい女の子、リンダが機嫌が悪そうな顔で立っていた。

「私の代わりにタクが出るってママから聞いてさ」
「ああ。男とトラブルがあったのってリンダだったんだ」
「くそっ、あの野郎。殴るんだったら顔じゃなくて身体にしてくれれば良かったんだ」

毒づくリンダにどこの世界の女の子も強いなぁと変な感心をしてしまう。

「痛い?」
「痛いって言えば痛いね。でも金を稼げないのはもっと痛い」
「ははっ、そりゃそうだ」

振り返ってみればリンダはほぼ毎日ホールに出ていて積極的にアフターもしている。
もちろんそれは金を稼ぐためだ。
どうしてそんなに金が必要なのかは聞いていない。

「タク、悪かったね。せっかく休みだったのに」
「いや、気にしなくていいよ。それよりもちゃんと医者に診てもらうんだぞ」
「金が掛かるからいい」
「だめだ。目なんだから。何かあったら遅いんだぞ」

どうしても嫌だと言い張るリンダに俺はズボンのポケットから無造作に突っ込んでいた金を掴んで 渡した。
このくらいあれば足りるだろ。
リンダは目を瞬かせて手の平にある金を見た。

「タク、これ」
「これで、診てもらえ。いいな?」

俺は言い聞かすように、リンダの頭を撫でる。
いつもは強気そうな顔をしているリンダがはにかんだ。

「アンタってさ……」
「ん?」
「ホールの子達とこの間話してたんだけど、ママはうちらの母親みたいな存在で タクは父親みたいだねって」

俺は目を丸くする。
父親?

「おいおい俺にはこんな大きな娘たちはいないぞ」
「あはは、うちらとだいたい一回りくらい違うんだからおかしくないだろ?」

トリップのせいでちゃんとした月日の計算が合わないところもあるが俺は今、30手前くらいだ。
10代の子に父親みたいと言われるのは変な感じがする。

「タクを最初見た時、言葉通じなかったからママも変なヤツ店に入れたなと思ったんだ。 少し警戒してたんだけど、普通な顔してんのにみんなに積極的に関わって来るし、あ、それも無理矢理じゃなくてなんていうか、うーん、さりげないっていうか、うまく言えないけど」
「そうか?そんなに関わっているつもりはなかったんだけど……って普通な顔は余計だ!」
「あはははっ!」
「ほら、そろそろ医者の所に行け。俺はホールに行くから」

頷いたリンダはお仕事がんばってねパパと手を振った。
すかさず誰がパパだと突っ込んだ。




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