親鸞さんのあしあと
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結城家初代朝光公は常陸国で浄土真宗の布教していた親鸞に帰依し下野国薬師寺新居郷に念仏堂を建て、親鸞の高弟真仏を招いたその後結城の西ノ宮に移し称名寺になった。称名の寺号は朝光公が出家して親鸞聖人から賜ったものという。さらに元禄年間に現在地に移建された朝光公の墓はこの境内にある。この墓には2代朝広公、3代広綱公、4代時広公も葬納されているという。寺には親鸞の自筆と言われる仮名書きの「往生要集」がある。
トモイマダカナラズシモヨク信セズ
己上マサニシルベシ
生死ノ因縁不可思議ナリ
薄徳二シテキクコトヲウル
ソノ縁ヲシルコトカタシ
鳥豆聚ノゴトシ
南無阿弥陀仏
.この他に「御霊屋門(みたまやもん)、二条門などの文化財がある
見所
重厚な本堂、朝光公の墓、親鸞聖人の立像、大将塚結城市結城
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結城家の菩提寺。右手に親鸞聖人の像があった。
本堂は工事のための仮設屋根が掛かっていた。
浄土真宗の名刹 新居山称名寺は鎌倉時代のはじめ頃、親鸞聖人の教えを信仰した結城家初代の武将朝光が聖人の高弟 真仏を開基として建立したもので、称名の寺号は朝光が出家して親鸞から賜わった法名によったものという。
真仏は常陸の豪族平国香の血をひく真壁城主平春時の出家後の名である。
寺には朝光から結城家四代までの墓と恵心僧都(源信)の『往生要集』を片仮名交じりにしたものがあり、親鸞の自筆で茨城県文化財に指定されている。 称名寺掲示板
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秋 2度目のお参り もうすぐ銀杏が色づきます。
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親鸞聖人が安全作業を見守られておられました。 屋根瓦葺き替え中
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工事もすっかり終わり静かなたたずまいを見せていました。
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称名寺がら北東に約1Km離れた所にあります。
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結城城跡の西北、真岡街道の北側の林の中にあり、石の玉垣に囲まれた基壇(きだん)の中に大きな墓石(宝篋印塔・ほうきょういんとう)があります。
墓石の傍らには、島地黙雷(しまちもくらい)の撰文による玉日姫の略縁起の碑もあります。
玉日姫は、関白九乗兼実の娘で親鸞の妻となりましたが、越後へ流される親鸞の後を追い、侍女の白川局と共に結城に来たものの、結城に留まり、親鸞の教えを広めることになり、建長6年(1254年)になくなりました。
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紅葉を楽しみに訪れたら 大銀杏枯れそうになってほとんどの枝が切られていました。ところどころわずかに葉が見られる程度、ぜひ再生してほしいものである
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二十四輩 第7番 西念房
開基・西念房はもと、八幡太郎源義家の子孫、井上貞親といった。父が合戦で亡くなったことに世の無常を感じ、当時越後の国分寺にいた親鸞聖人を訪ねて帰依し、西念と名のった。聖人が関東の地を訪れた時、井上家の領地が武蔵・野田にあったため、聖人から賜った聖徳太子像を安置して道場を建てたという。後、覚如上人が107歳になった西念房のもとを訪れ、聖人在世の頃の話を聞いて感激し、西念房の長寿にふさわしく寺号を「長命寺」とした。境内には、文化年間の再建にかかる見事な彫刻が施された太子堂(写真)がある。
●所在地/千葉県野田市上花輪1358
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